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――“全て”を授けよう。
女のすべき仕事の能力を。
男を苦悩させる魅力を。
狡猾で恥知らずな心を。
恵むが良い、富むが良い。
それが、おまえの為すべきことなのだから。
――――――――――
スウェーデン、ストックホルム。【妖精の輪】スウェーデン支部。
「…やはり、増加が続いています」
スウェーデン全体の【妖精の輪】の部門を統括するスウェーデン支部の監視部門。監視部門とあるだけあって部屋には無数のモニターに加えて電子と魔力のディスプレイが浮かび、国中の魔力反応を絶えず追い続けている。
眼鏡をかけた金髪の職員は蒼白なポイントを追っているモニターをメインディスプレイに映し、背後にいる上等なスーツを着た来客達にその内容を説明している。
「メインにある蒼白い色のポイントが増加が続いている『霜の巨人』です。ご覧の通り、異常な速さで増加が続いています。左に出したのが五年前から昨年までの霜の巨人の発生推移ですが、比べて見れば勢いが明らかに異なるのがお分かりでしょう」
「ブレンストレーム監視部門長。現地の巨人の動きはどうなっている?」
「ポイントの動きの上では、集落に近付く霜の巨人を撃退し消滅させるだけですね。しかし、よく見て下さい。霜の巨人のポイントは、倒されてもしばらくは残っている。遺体が残っているということですよ。これでは境界部門が悲鳴を上げるのも間もなくでしょうね。彼らの睡眠時間が七時間を確保できていると思うほど総合部門は夢を見ているのではないでしょう」
口元だけ笑って監視部門の長は巨人の集落の一つに寄せてモニターを拡大する。現世でいうならストゥール湖の南岸部、スウェーデン中央部の都市エステルスンドがある位置だ。
「早急に元を絶つ必要がありますね。巨人を相手取れる戦闘員は多くはありません。仲間内だけでなく、外部からも招致する必要があるでしょう」
「【討伐隊】…はよくないな。あそこはあくまでイギリスの国家機関だ。こちらの要請に応えてくれるかどうか」
「だが霜の巨人は今に残る神代の巨人だ。…背に腹は代えられん。片端から当たるしかあるまい」
まさか、と総合部門の女性職員が目を見開く。総合部門長の男性は出口に向かいながら職員に命じた。
「ドイツの総合部門と人事部門に繋げたまえ。これは世界の危機となるだろう」
――――――――――
十一月上旬。ハロウィンが終わり、街中は一気にクリスマスの準備に切り替わった頃。優一は課題に区切りがついたので飲み物を取ってこようと椅子を立ったがその時、机に置いたスマートフォンが鳴り出した。
「はい、藤崎です」
『優一、お疲れ様。今いいかな』
「はい、なんでしょうか?」
電話の相手は優一の上司であり、身元保証人のルカだった。
『【妖精の輪】の次の任務の前に、君と…君達に話しておかなければいけないことがあってね。【輪】の方には許可をもらったし、任務の話をすることをクロードにもメールで伝えたから、今日の夜に全員で情報部に来てくれないかな』
「あ…はい。ですが、どうしてですか?」
ルカは右筆の情報部部長というだけで、妖精の輪と組織で提携していてもその任務に関わることはまずない。妖精の輪の任務に関係する右筆からの情報は、妖精の輪の情報部門を介することが原則だからだ。
『…君には、話していないことがある。【輪】には私が無理を言って説明をこちらに回してもらったんだ』
すまないが、また夜にね。そう言って電話が切れる。
「……」
(『お前葬式終わるまでの記憶、全部消されてんだろ?』)
八月の夏期講習が終わり、その時の記録を優一が提出してもルカは何も言わなかった。優一が自身の記憶を改竄されていることに気付いたこともその記録にしっかりと残っている。それでもルカは何も言わなかった。
「…クロードさん、今日の夜…」
「!もしかして、優一君もルカから連絡もらったのかしら?」
「はい、さっき。次の任務のことで話があるって」
「ええ、アタシにもさっきメールが来たの。どうしてかしら。いつもなら右筆からの情報は情報部門が仲介するのだけど」
「何時からですか?」
「八時に情報部、ですって。晩ご飯は外にして、そこから直接行きましょうか」
分かりました、と返して優一はコーヒーを淹れて部屋に戻る。
「…何かあったのかな」
「そうね…。八月の記録を一応提出したとは言ってたけど、あれから特に何も言ってこなかったし…」
「…メル?」
『さあ。あたしは何も言わないわよ?』
「…」
『記録を出しに行ったときにユウイチの上司に会ったけど、あたしと契約したこと言っても何か問題があったって風な態度じゃなかったし。前みたいにウジウジしなくなったし、話さなきゃいけないことがあるならユウイチは自分で話すわよ』
使い魔は主人の精神的な変化を敏感に感じ取る。メルヴィスが言うなら、崇達が何か言うことではないのだろう。
見回りから帰ってきたウォルフにその旨を伝え、六時半頃に家を出る。夕食を済ませ指定された時間に右筆に向かうと、四人はルカの執務室へ通された。
「やあ、呼び出してすまないね。クロード、腕はもう大丈夫なのかい?」
「ええ、この通り。次の任務からは問題なく戦えるわよ」
「それはよかった。…それじゃあ、その任務についてざっと概要を話そう。
場所はスウェーデン。その中央部で、『ヨトゥン』と呼ばれる巨人の異常発生が確認されている」
「『ヨトゥン』…?『霜の巨人』か?」
「北欧神話ですか?」
「ああ、北欧神話で語られている巨人の一種だね。魔力世界にいる巨人は、種としての巨人と自然災厄としての巨人に大きく分かれる。霜の巨人は後者だ。冬と、凍てつく寒さの災厄として彼らは生まれる。秋の次に冬が来るように、北欧ではそれが理の一部なんだ。だが、それが増えすぎるとどうなるか…想像はつくだろう?」
冬は寒く厳しく、忍び耐える季節。霜の巨人が異常発生しているということは、その理が狂い、冬が終わらないことを暗示している。これを魔力世界の北欧だけの事象として捉えてはいけない。なぜなら、魔力世界と現世は隣り合わせであるからだ。
「どんな巨人であれ、巨人を相手取れる実力者は少ない。だから君達“パンドラの檻”に声がかかったという訳だ」
ここまでは普通の任務だ。しかしルカはそこで、優一を見やり、そして崇達に視線を向ける。
「…こうはしたくなかったんだけどね。私は、優一がこの任務に就く事に反対する」
「っ…!」
「はあ?」
「…彼がこの任務に就く事に、何か不都合でもあるのかい」
「…聞かせてもらおうかしら。おかしいとは思ってたのよ」
「――学院の侵攻で、優一が“魔門の悪魔”と交戦したことは聞いているだろう」
学院での戦闘で起きたことは、共有できる部分はお互いに伝えあっている。崇は【教会】から“白の邪滅”アルフレート・ヴィシェが自身を狙って来たこと、ウォルフは“拳将白虎”グウィンが何者かに雇われていたこと、優一は“魔門の悪魔”赤鬼と交戦したことを話していた。
「優一。どうして彼が君と、その家族の結末を知っていたかは分かるかな」
「……見ていたから、ですか」
「そうだ。赤鬼はあの時あそこにいた。これがその時の証拠だよ」
ルカはテレビに証拠映像を映す。その住宅街は紛れもなく優一がかつて住んでいた水寝町の住宅街だ。その中の一軒家の屋根に、あの全てが赤い悪魔が暇を持て余している様子で座っている。
全員がその映像を注視する。ふと思い立ったように赤鬼は指を鳴らす動きをする。すると三件ほど正面方向に離れた家の真上に、あの『門』が開いた。
息を呑む一拍すらない速さだった。吹雪が降り、巨大な「足」が家を踏み潰す。赤鬼は笑っていた。子供が面白がるように。
「…現在異常が発生しているのはスウェーデン。その領地には、吹雪の止むことのない地域があるという。赤鬼の逃走先は、北欧の可能性が相当高い。赤鬼は霜の巨人とその吹雪を『門』から召喚するのを好んでいるようだからね。
優一。君が『書き換え』を行いかけたのは知っている。未遂だが、君がそれができると分かったことは何も変わっていない。記憶処理等、何もしていないからね。君は仇に報復しないと誓えるか?悪魔の悪辣にも激昂せず、耐えられると誓えるか?」
ルカの眼は鋭く、深い。淀んだ深さを持つ黄土色は、これまでに彼が見てきたものが積もっている。
「――それ、でも」
優一は拳を爪が食い込むほど握り締める。
「それでも、僕は!あいつが待っているとしても、待ち構えている可能性があっても、行かなきゃいけないんです!あいつが僕の家族を殺したっていうなら、残った僕があいつを捕まえなくちゃいけない。何も知らない人々が、理不尽じみた悪意に殺されて終わり、それでいいわけないでしょう!」
「君の為す復讐は何も生み出しはしない。誰がこの任務に就いて赤鬼を捕らえたとしても結果は同じだ。私達の筆先には世界の理がある。『書き換える』こと、『書き記す』こと、それらの可能性を全て除いて私達は記録に臨むのだ!それが私達の矜持であり、絶対的規則である」
「僕は、退きません。自棄になっているのでも、全てを捨てて復讐しようとしているのでもないです。『事実を書き換える』ことも、『未来を書き記す』ことも、どっちもメルヴィスへの――信を寄せ、契約してくれた妖精と、僕を信じて記録を任せてくれる人達への背信だ。そんなことをするものですか!
――もう、僕は去年みたいな自分じゃないって。一言二言で揺れて流されてた僕ではないって…どうしたら、信じてくれますか」
…分かっている。どちらが正しいかと問われれば間違いなくルカが正しく、優一の思いはただ感情に乗せた主張でしかない。
それでも、認めてほしいと思う。自分に道を示してくれた恩人であるからこそ、信じてほしいと思うのだ。




