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六日目。
てるてる坊主の祈りが届いたのか、見事な快晴が広がった。ぴょこぴょこと飛び跳ねる崇の後ろ姿に安堵の溜息を漏らしたのは優一だけではない。
「ウォルフ、アナタも一緒に公園行ってあげてくれない?」
「…あ?」
「ちょっと聞こえてきただけなんだけど、どうも不審者の情報が出回ってるみたいなのよ。いるだけでいいから。ついでに日光浴でもしてきなさいな」
「番犬か何かか俺は」
「…転化したらまだ馴染めるかしら?」
「……。…無駄に現実的な最適解を出してんじゃねえよ」
暗に「ウォルフが不審者に見えるかもしれない」と言われているが反論できないのが悲しい。職務質問の常連と化しているウォルフには外見的信用というものは無いに等しい。最近では新人警察官の職務質問の練習台になっている節すらあるのだから。
「え…ええ……いいんですかウォルフさん、それで……」
「仕方ねえわな。不審者を寄せ付けない為に行ったら自分が通報されたじゃ笑えねえ」
昼食後、公園に行く時間になって玄関で転化したウォルフに優一は絶句した。確かにクロードの言い分は正当性があるものだが同じ部門の仲間にあけすけすぎはではないだろうか。
「まあ行くぞ。しっかりリード持てや」
「うーん…」
「わんわ!」
優一は何か言いたげだったがウォルフが急かす。外に出てしばらく歩いたところで、ウォルフはテレパシーで腑に落ちない様子の優一に答えを出した。
「(――多分あいつは、安心したんだろうさ。だから多少苛ついてる)」
「――え?安心して…?」
「(あいつ今片腕ねえだろ。本来崇に何か起こった時、立場で守ってやれんのはあいつだ。だが今は万全の状態じゃねえから、そこを上に詰められたら守り切れるかは怪しくなる。だが今回は御咎めも何も無かったから「安心」した。安心しちゃいけねえって気を張ってんのに、結局安心した自分自身に苛ついてんだ)」
「それは……」
「ゆーち?」
傍から見ればぼそぼそと独り言を呟きながら歩く優一を崇が不思議そうに見上げていた。大丈夫だよ、と返し進みの遅くなっていた足を動かす。
「(発足当初は酷かったぜ。ありゃ病気だ。今はたまにしか発症しねえからよ、そこまで気にすんな)」
「…分かりました」
忘れかけていたが、『呪い』を持つ人間はこの世界では差別を受ける。“パンドラの檻”は優一を除く人間全員が『呪い』を持つ部門。優一の目から見れば理不尽を過ぎて呆れる事だが、その中身を知ろうともせず『呪い』という字だけで態度を変え評価を悪くする人種がいる。
自分も力になれないだろうか…。そう考えながら歩いているとリードを強く引かれる。公園に着いたのだ。
「(崇から意識離してんじゃねえよ。飛び出したらどうすんだ)」
「す、すみません!!」
今のウォルフは「狼」というよりはどちらかというと普通の「犬」に近い見た目をしているが表情はしっかりある。ウルフドッグという種に近い外見で睨まれるのはかなり恐ろしかった。
公園に入ると崇は仲良くなった同年代の子供達のところへ小走りで走り寄った。顔見知りになったお母さん達に優一は会釈し、「不用意に怖がらせるなよ」というテレパシーでの指示のもとベンチのパイプにリードを繋ぐ。
「おっきいワンちゃんねー。遊んだりはしないの?」
「今日は気分じゃないみたいで…。しつけはされてるので大丈夫ですよ。すごく賢いんです」
「ハスキーかしら?触っても大丈夫?」
「ちょっと待ってくださいね」
犬好きの親子が期待した目でウォルフを見る。
「ウォルフさん、触られるの大丈夫ですか…?」
「(ああ。聞いてから触る奴ならいいだろ)」
「――大丈夫みたいです」
「よかった!うちも前飼ってたのよ。今の家は飼えないんだけど…かわいいわよね」
「わんわん!」
親子が以前飼っていた犬も大型犬だったのか、嬉しそうにウォルフを撫でている。そのお陰で他の親や子供達がウォルフを怖がっていないのがありがたい。
崇と友達の子供達は砂場でバケツを使い城…のような何かを作っていた。
「元気だなー……」
おおよそ二時間後。砂場遊びに飽きた子供達は鬼ごっこ、遊具遊び、そして今は隠れ鬼をしている。子供の体力は底なしのようだ。
「…んん?」
正面方向のベンチに見慣れない格好の男性を見かける。顔見知りでないという意味ではなく、服装に妙に強い違和感を感じる。
『ユウイチ』
「メルヴィス?どうしたの?」
『違和感があるわ。何だか匂わない?』
「匂い?」
メルヴィスのような妖精などは魔法や魔術を「匂い」として感じるというが、優一にはいまいち分からない。しかし次の瞬間、優一はベンチから立ち上がり――ウォルフよりも早く――見慣れない男と、崇に向かって走り出した。
「はー…はー…」
「?」
既に見つかり他の子供達を待つ間手持ち無沙汰に芝生の間にあるアリの巣をじっと観察している崇に影がかかる。振り向いたそこには、優一が見つけた妙な服装の男性が息荒く立っている。
「崇ちゃん…だね」
「?」
「あ…違うか。ロベルタちゃん…」
「?なあに?」
「ちょっと、一緒に来てくれるかな」
「!」
男の手が崇の腕下を掴み抱き上げる。
「怖くないからねー…」
「――な、に、連れてこうとしてんだあああああああああ!!!!!!!」
「ふぐぅおっ!!!」
その途端優一の猛ダッシュからの跳び蹴りが男の腹に入り、男はその勢いで崇から手を離す。男の手からすっぽ抜けた崇を優一がしっかりキャッチするのと同時にウォルフが男に飛び掛かった。
「ろ、ろ、ロベルタちゃん!!!」
「きゃっきゃ!」
「遊んでたんじゃないんだよーー!!??」
受け身に失敗しごろごろと崇を抱え込んで芝生に転がった優一だが崇は楽しかったようで無邪気に笑っている。
「ゆーち、もっかい!」
「もっかい!?」
ほのぼのと戯れる二人を脇目に犬の姿で飛び掛かったウォルフはいつの間にか人間に戻り男を片手で押さえつけている。
「おい優一、警邏隊通報しろ!こいつ魔術師だ!」
「あっはい!了解です!あ、もしかして見られて――」
「今んとこただの不審者扱いだ、後始末は情報に任す!」
男、もとい不審者は口を呪文封じの呪符で覆われどうにか抜け出そうと身を捩るがウォルフは片手だけでしか押さえていないにも関わらずびくともしない。服装がおかしいと感じたのはスーツの上に暗いアッシュブルーのローブを着ていたからで、認識を誤魔化す魔術が使われていたのだ。
(ていうかそもそもまだ暑いのにスーツに上着って時点でおかしいよね…)
警邏隊に引き渡される不審者を遠目に眺めながら優一はそう思う。
「優一、お前よく動けたな」
「自分でも思います。…なんか今の時点でもう肘とか膝とか痛いんですけど…」
「多分明日筋肉痛だろうな」
「そんなー」
「ま、お手柄だったぜ」
遊び疲れて寝てしまった崇を片腕で抱えたウォルフも外出自体はリフレッシュになったのか、珍しく歯を見せて笑っていた。
* * *
七日目。
「ふざけんな情報の野郎…確保前の状態なんざ覚えてるか」
「お、お疲れ様です……」
「荒れてるわね…」
どうやら先日の不審な魔術師確保で情報部門から色々と押し付けられたようで、ウォルフの目の下には隈ができている。
「…多分寝てないわね。一昨日からそうなのよ。仮眠したかも怪しいわ」
「は、え!?」
「驚嘆に値する体力よね…こんなところで発揮してほしくはないんだけど」
「…あの、クロードさん。僕でもできる仕事ってもうありませんか?」
「情報処理の書類はお願いした分しかないのよ。崇ちゃんの経過観察の情報を全部記録してくれてるもの、大助かりなのよ?」
「ううん…」
「崇ちゃんしか分からない仕事は魔力技師関係以外はないんだけど、人数が少ないとどうにもね」
ウォルフにそのつもりはないのだがピリピリと空気が張りつめる。しかしその時、昼寝をしていた崇がぐずり始めた。
「ふえ、ふえ」
「あっ…。…え、あ、ウォルフさん」
二人が崇の変化に気付いた時にはウォルフは席を立ち崇のもとに向かう。今の疲労状態じゃ余計に疲れてしまうんじゃ、と優一は心配したが、優一の肩に誰かが手を置いた。
『(…大丈夫だ)』
「古代さん?」
洗濯物を畳んでいた古代に促されそちらを向くと、流れるような手つきで崇の服の乱れを直して抱き上げ、無言であやすウォルフの姿があった。しかしその目は虚ろで動作と感情が一致しているようにはとても見えない。
『(…どうも、習性の域にあるようでな。夜泣きをする直前になると部屋に来て、泣きかけの崇をあやしていくんだ。壁は防音だから聞こえないはずなんだが)』
「え…何ですかそれ…。鍛えられすぎでは…?」
「あ…泣き止んだわね」
「…」
「「!!」」
二人は見た。ウォルフが崇の腹に鼻を埋めたのを。
「~~っ!ずるいです!いや、分かります、分かりますけども!」
「うるせえ起きるだろ」
「ちょっ、僕も!僕もさせてください!」
「え、な、何してるのよ二人共!?」
「めっちゃいい匂いするんですよ子供って!」
「え!?」
「小声でやれ!」
大の大人がきゃあきゃあ騒いだにも関わらず崇は起きなかった。それもそれでどうかと思う、と古代は思っていたが、まあ主人に害がないならそれで良いか、と洗濯物を畳むのを再開したのであった。




