8
四日目を飛んで五日目。天気は雨。
「うああああああん!!!!!」
崇の泣き声が家中に響く。クロードは狼狽え、ウォルフは遠い目でどうするかを考えている。
「ロベルタ、今日は雨だから遊びに行けねえんだよ」
「やあああああああ!!!」
ここにきて崇は大泣きしだだをこねている。床でじたばたとのた打ち回り取り付く島もない。
外ではざあざあ降りの大雨。四日目の昨日はからりと晴れたのだが、今日は天気予報が外れ大粒の雨が降っている。
そう、昨日は晴れていた。崇は昨日公園デビューを果たし、持ち前の懐っこさで見知らぬ子供達と陽が沈むまで砂だらけになり遊んできた。
大人の崇からは考えつかないが、崇はかなりアクティブな子供だった。よく遊びよく走りよく転び、その程度は女の子にしては珍しく泥だらけになるまで。転んでしまうとすぐに泣くが、泣き止むのも早かった。喜怒哀楽が大きく表れる子供だったのだ。
「あしたもあそぶ!」と昨日はご機嫌で就寝したのだ。今朝も起床後すぐに今日持って行くおもちゃをお出かけカバンにうきうきと詰めていた。しかし十一時頃、天気が崩れぽつぽつと雨が降り始め――一時を回る頃には大雨になっていたのである。
「ううっ、ひぐ、ぐすっ」
「ロベルタちゃん…」
「!」
崇は涙と鼻水まみれの顔をクロードから背ける。
「そんな……っ!」
「あー…仕方ねえな。凹むな凹むな…誰も悪くねえから」
明確な拒絶にクロードは膝から崩れ落ちた。普段ならクロードに慰めの言葉をかけることなどしないウォルフだが、今回は別だった。ウォルフも同じ歳の頃だった弟妹に誰が悪いわけでもなく拒絶されたことがある。本当に些細な、あるいは拒絶された側には何が悪かったかも分からないようなことで機嫌を損ねるのはよくあるのだ。感情が育っている証拠とはいえ、堪える。凹む。
ぐずる声が小さくなり、見るとウサギのぬいぐるみの腹に顔を押し付けるようにしていわゆる「ごめん寝」の姿勢で寝てしまった。そろりと近付き窒息しないよう顔の向きをずらしてやると顔から出るもの全部でウサギの腹が濡れている。
どうするかな、とテーブルに積んだ書類よりも扱いにくい難題にウォルフは眉間を揉んだ。
* * *
「ただいまー…あれ、ロベルタちゃんどうしたんですか?」
三時過ぎ。所用で外出したクロードと入れ替わりで帰宅した優一は不貞腐れた崇の事情を聞くと、少し考えた後家を出る。
(何買いに行くんだ?)
十五分後、優一は近くの文房具店の袋を提げて帰ってきた。
「あ、ティッシュ使わせてください」
「ああ」
何をするのか書類作成をしつつ横目で見る。優一は崇に後ろから近付き振り向かせると、袋から十色マジックペンと輪ゴムを取り出した。
「ロベルタちゃん、てるてる坊主って知ってる?」
「…てうてう?」
「うん。日本にはね、てるてる坊主っていうものがあるんだ。明日は晴れますようにって、てるてる坊主を作ってお願いするんだよ」
「!」
「やってみよっか」
まずティッシュを丸め、頭の部分を作る。続いてティッシュを被せ、輪ゴムで留める。最後に顔を描いて完成だ。
「神様に見てもらえるように、いっぱい作って吊るそうね」
「うん!」
優一がウォルフに「やりました!」とジェスチャーで丸を送った。それにウォルフはサムズアップで返す。ティッシュペーパーは減るがストックはあるので問題無い。
子供の集中力は凄いもので、黙々とてるてる坊主が量産されていく。使いかけだったティッシュが無くなったことで本体の生産は止まったが、十人弱くらいのてるてる坊主が作られていた。
顔を描く頃にはすっかり機嫌は直り、手や顔にインクを付け真剣に顔を描いている。
「ん?」
パソコンと向き合っていたウォルフのシャツを小さな手が引く。
「うぉうふの!」
「…お、う」
(もしかして俺なのか?これ)
崇が手に持ったてるてる坊主は頭に茶色が散らばり目の部分はそう思って見ればなんとか眼鏡に見える線があるように思える。
ぐいぐいとなおも引っ張り続けるのに負けウォルフは椅子を立ちついていく。ベランダの物干し竿には既に優一が三個てるてる坊主をぶら下げていた。
「…優一。何の儀式だこれは」
「は!?え、ウォルフさんてるてる坊主知らないんですか…?」
「なんだそりゃ。首吊り人形のこと――」
「違いますから!!晴れを祈願する風習です!!」
「…お前そんなに声出たんだな」
「……ちがうんです……」
「違わねえだろ」
崇の作ったてるてる坊主は後半に作ったものほど誰を作ったのかが分かりやすく、ウォルフのは最初の方で作っていたらしい。
(この二つだけハートマークあるな。誰だ?)
服の部分に赤色のハートマークが描かれているのは、赤い髪と黄色い目のむっとした表情のてるてる坊主と真ん中分けの黒髪に笑顔のてるてる坊主だ。
「――あ!!うぉうふ!する!する!」
「っああ、悪い悪い。自分で吊るしてえんだな」
「ん!」
物干し竿の高さまで持ち上げ、崇が自分で吊り下げられるよう手伝ってやる。
「なあロベルタ、このハートは誰なんだ?」
「ぱぱと、まま。なかよし!」
「…。そうか」
「父親の仕事が終わるまで預かることになった」という嘘に対する罪悪感以外の感情が胸を刺す。
崇はこの〈現世〉の出身だ。現世の人間の寿命は魔力世界の人間よりも遥かに短い。百年生きればちょっとしたニュースになるくらいだ。崇の両親も、既にこの世にいない。父親は大戦後に、母親はそれよりずっと前…崇が三歳の頃に、亡くなっていると本人から聞いた。
崇は酷いものではないが、人を嫌う性質がある。自覚はありその理由も分かっているようだったが、崇はクロードにも、ウォルフにも話していない。だがウォルフは昔一度だけ、その内側に触れたことがあった。
それは珍しくもない、任務で傷を――崇を守って大きな血管を斬られる重傷を負った時の事。崇は自分が斬られたのかと思うくらいに蒼褪め、普段の静穏そのものといえる性格は反転し嚇怒だけが瞳の奥で燃えていた。当たり前に二度目があると思うのか、と。その言葉が纏うのは怒りだったが、言葉そのものは隠しもしない恐怖からのものだった。崇の過去を知っていたからこそあの言葉は心臓に直接刺さるような感情の痛みを伴って憶えている。
今、幼児に戻ってしまった崇はその痛みを知る前の崇だ。明日も明後日も両親は生きていてずっと一緒と思っている、庇護されるべき存在。今ウォルフが考えたところで何もできはしないというのに、無力感だけが無意味に存在している。
「ウォルフさん、大丈夫ですか?」
「――…ああ、悪い」
「うぉうふ?」
何かを感じ取ったのか、崇は抱き上げられた状態のままウォルフの頬を両方の手のひらで押す。
「んっ!」
「」
「は」
「えへへ。ままが、ぱぱにしえうの。おまじない」
ちゅ、と小さなくちびるがウォルフの頬に触れて離れた。ウォルフは静止し、優一はシュメル人のような目でウォルフを見る。
「…もしもしクロードさん?」
「やめろ。おい。そのスマホを下ろせ」
「元は成人でも今はベビーコンプレックスの判定になるんですよ」
「何もしてねえだろうが!!」
余談ではあるが、この後帰宅したクロードは真っ先にウォルフの胸ぐらを掴み上げていた。




