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「……」
(今何時だっけ…)
壁掛け時計に目を向けると時刻は正午を回ったころだ。
(流石に疲れていたか…)
のろのろとベッドから出て身支度を済ませ、リビングに出る。
「おはよ」
「おう。遅いな」
「結構派手にやったからね…。藤崎くんは?」
「大学の講義とかで二時間くらい前に出たよ」
「ああ、そうか。今日は月曜日か」
「授業なんてモンとは縁がなくなったからなあ」
「ふふ、懐かしいな。そうだ、昨日来ていた手紙だけれど」
「ああ」
冷蔵庫に作り置きされていた鶏肉のサラダサンドイッチを食べながら、ウォルフがケースから出した昨日の手紙に改めて目を通す。
[魔法使いの皆様へ
突然のお便りをお許しください。つい四日ほど前、私の周りで恐ろしい事件が起こりました。力をお借りしたく、筆を執った次第にございます。お受けしていただけるのでしたら返信をお願いします。
浅野洋子]
「返事は?」
「犬張り子を出した。で、こっちが五日前から警察に寄せられた通報と相談の資料」
「流石。仕事ができる男」
「お前が寝てたからだよ。おだててもせっつかれた依頼の詳細は書かねえからな」
「ちっ」
舌打ちすんな、と本気の舌打ちでもないのに小突かれる。
ウォルフが調べた資料には落とし物の相談の他に、一日一件「捜索願」の文字が三つほど並んでいる。
「…珍しいね。認識されているんだ」
「そのかわり足取りは全く追えてないようだがな。婆さんのとこにはいつ行く?」
「夕方でいいかな。藤崎くんを拾ってから行けば丁度いいと思う」
「…あいつもか」
「あのさあ」
「素人がいると勘付かれるかもしれねえだろうが。相手が何なのかも分かってないのによ」
「誰だって最初はそうだよ。私達だってそうだったのだから。どのみち記録者の同行は必須なんだから、慣れてよ」
あからさまに眉を顰めるウォルフに溜息をつく。
(いきなり仔猫と暮らすことになった先住猫みたいだな…)
「なんだよ」
「何も。メールはしておくから、先にやれるだけやっておこう」
「ああ」
* * *
「終わった…疲れた…」
「よー優一。ギリギリに来るなんて珍しいじゃん」
前日の疲労が響いた身体で全力ダッシュをきめてどうにか間に合った講義の後。優一の頬は机と仲良しになっていた。
「あはは…目覚ましセットするの忘れてて」
「あ~あるある。裏切られた感すごいよな」
筋肉痛で痛む身体を起こし、同じゼミの友達と連れ立って学生食堂に行く。
(ピロン♪)
「ん?」
簡素な着信音に優一はすぐにメールを開く。他の音だったら後回しにしているが、友人以外の着信音は初期設定のものだから迷惑メールでもない限り仕事用だからだ。
「竹中さん?」
そういえば異動の時に連絡先も書いたっけと今更に思い出す。
「ん?」
「ごめん、ちょっと先行ってて」
「おー」
学校にいる時にメールが届くことは少なくないため友人もさして気にしていない様子だ。当然【右筆】や【輪】のことは話していないが、適当にアルバイトと言っているので怪しまれたことはない。
[差出人:竹中
こんにちは。昨日、どうやら魔力世界絡みだと思われる依頼が入った。今日の夕方に依頼主の自宅に伺うから、藤崎くんにもついて来てほしい。
迎えに行くので、講義が何時に終わるか教えてくれるかな。詳しい内容はその時に伝えるよ。]
(事件…)
その単語に身体の芯がぐっと締まるような気がする。
[件名:Re
了解しました。講義は四時過ぎに終わります。一応、周りで何か情報があったらお伝えしますね。]
簡素な文章を返し、とりあえず学食に入る。
「おーい、こっちこっち」
「ありがとー」
「そういやお前引っ越したんだっけ?せっかく大学近かったのについてねーな。どこに入ったんだ?」
「あはは…。えーと、シェアハウスみたいなとこ…かな。いい人たちだったからわりと大丈夫だったよ」
「へー。下宿みたいな感じ?」
「多分そう」
「そういうのも楽しそうだよなー。あ、そういやカラオケの割引券先輩から貰ったんだよ。今日行かねえ?」
「あ、ごめん。今日ちょっと用事入ってて…。しばらく放課後忙しいかも」
「あー。じゃあしかたないな」
「ごめんね。また今度遊びに行こう」
「おう!」
とりとめない会話をしつつ昼食を食べ終え、次の講義の教室に入る。そのまま満腹による強烈な眠気と一緒に講義を受け終え、急いで片付けをして教室を出た。
「おや、藤崎くん」
「あ。こんにちは、遥先生」
優一を呼び止めたのは、優一の所属している民俗学部の教授である「遥透」だった。専門がヨーロッパの民俗学なだけあってか西洋の雰囲気を纏う人物で、ブリティッシュスーツを着こなす伊達男でもある。
「丁度良かった。資料室からいくつか運んでおいてほしい資料があるんだ。頼めるかい?」
「あ…その、すみません、今日は…」
「あ、先生。俺がかわりにやりますよ」
「ああ、じゃあこれがそのメモだ。よろしく頼んだよ」
そう言うと遥教授は一結びにした髪をなびかせ、颯爽と去っていった。
「ありがとう、友樹」
「いいっていいって。気にするんだったら今度アイス奢ってくれよ」
「これから寒くなるのに…」
苦笑しつつ「ありがとう」と伝え、小走りになって玄関を出る。
そのまま門まで行きかけたその時、妙に女子生徒が多いことに気がつく。
(んん?)
「ねえ、あの人誰だろ…」
「ちょっと、かなりイケメンじゃない?」
「うわ~すごいスラっとしてる…モデルさんかな?」
「どうする?声かけてみる?」
「え~ユウカがいってよ~」
(…なんか…なんていうか…)
ある種嫌な予感がする。
そろそろと門を抜けて女子の視線の先を見ると、塀にもたれかかって待っている私服姿の崇がいた。
(やっぱりいぃ!!)
「ああ、藤崎くん。お疲れ」
「……竹中さん…」
「うん?」
「…何でもないです」
優一は改めて外で崇の姿を見て思った。「足の長さがエグい」、と。これが格差か。
崇は元々整った顔立ちをしているが、「イケメン」というより「美形」といった方が正しい。襟元に小さく刺繍が入ったシャツにジャケットというシンプルなスタイルだが、それだけで現役女子大生の注目を集める程度にはマッチしていた。
「あっちに車停めてあるから行こうか。何か周りで妙な変化とかはあったかい?」
「いえ、何も…。その依頼っていうのはどういう内容なんですか?」
「端的にいうなら行方不明者続出事件、かな。乗って」
「あ、ありがとうございます」
乗り込むと運転席のウォルフとミラー越しに目が合う。
「ウォルフさん」
「おう」
特に何か話すこともなく、崇が助手席に乗ると発進する。
「さっきも少し話したけれど、ここ数日、連続で…一日一人が行方不明になっているんだ。依頼の手紙には詳しいことは書かれていなかったけれど、何かしらは関わりがあると思う」
「あの、依頼って任務とは別なんですか?」
「ああ、そうか。【輪】から下されるものを任務、それ以外…外部から相談されるものを依頼としてうちでは扱っているよ。今回は個人からの依頼だね」
「個人からもあるんですね」
「ああ。魔力世界側の人間だったり、そうじゃなかったり。これから伺うのは浅野洋子さんといって、ごく普通の老婦人だよ。ただその手のものに敏感で、【輪】のことも知っている。現世側では貴重な情報提供者の一人だ」
「魔法使いとか、そういう人ではないんですか」
「ああ。そういう人は最近じゃあごく稀にしか生まれないみたいでね。ただ「視えて」、「聞こえる」人は貴重なんだ。そういう眼のことを『妖精眼』と呼ぶんだよ」
へ~、と聞いていると丁度赤信号で一時停止する。
「というか、こいつがその“妖精眼”だよ」
「へ!?」
「……こいつの眼に何とも思わなかったのか?」
「え、いや、その。あんまりじろじろ見ることなかったというか、魔法使いってそういうものなのかなと…」
「……」
呆れ返った様子で溜息をつかれたところで信号が青になる。それなりに凹んだ優一に「そろそろだよ」と声がかけられた。
「ここだ」
「…ん?少し待って」
出ようとしたウォルフを崇が制す。視線の先では、崇も知らない女性が依頼者の家から出てきたところだった。




