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二日目。
「ロベルタちゃん、今日はおでかけしましょう」
「う?」
「ロベルタちゃんに会いたいって人がいるの。クマちゃんも一緒よ♪」
「う!」
「いいお返事ね~」
シャツの裾を引きずる崇を抱き上げ、クロードは昨日買ってきた服から今日の外出に適したものを見繕う。
外は青空が広がっている。絶好のお出かけ日和だ。
コットン素材のバルーンパンツとデフォルメの錨が刺繍されたシャツを着せ、肌寒くないようパーカーも準備しておく。一式セットで揃えたのでもないがキッズモデルかと思うくらいに似合っているのは贔屓目なのだろうか。靴を履かせる前に写真を撮るのも忘れない。
「ふう…我ながら完璧ね」
「一仕事終えてんじゃねーよ。今からだろうが」
「この瞬間は今しかないのよ!更新され続ける『カワイイ』を逃すわけにはいかないの!」
「早く行け!」
【警邏隊】の東京隊舎に崇を連れて行くのはクロードと優一で、ウォルフは留守番だ。古代もついて行くが、いつもの小さい鰐の姿になって鞄の中に入っている。クロードと優一なら崇を連れていても職務質問されないが、古代は人型になると均整がとれている外見とはいえそれなりに厳つい。なるべくスムーズに予定を終えられるのが望ましい以上、不安分子は除いていくに限る。
「いい天気ですね~…」
「ここのところじっとりしてたものね。魔力世界も同じ天気だといいのだけど」
「そういえば、日本の魔力世界にはどうやって行くんですか?」
「そういえば…ちゃんと行くのは初めてなのね。うーんと…日本は、正式なルートで行くのは結構厳しいの。この国がかなり特殊で。顔見せも兼ねるから、その時に教えてもらいましょう」
「分かりました」
崇を抱え直し、優一はクロードの後に続いて目的地、「雷護稲荷神社」に入る。ビルに囲まれる形の境内は外からは見えず、優一は来るのは初めてだ。
「こんにちはー。【妖精の輪】の中央区常駐部門ですけれど」
「あ、こんにちはー!お話は伺っております、どうぞ奥へ」
社務所の巫女に通され拝殿に入る。崇は何かが視えるのか、何かを掴もうと腕を振っているが優一には視えない。
「はいはい、こんにちは。…おや、本当にこんなに可愛らしくなっちゃったんだねえ」
「あはは、珍しいでしょう?優一君、こちらは神主の東禅さん。【惟神】という日本固有の組織の方で、中央区の【妖精の輪】の職員はこの神社から魔力世界側の日本に向かう契約になってるわ」
「はじめまして、記録者の藤崎優一といいます。お世話になります!」
「こちらこそよろしくね。事件はないのが一番だけど、うちから“パンドラ”さんにお願いすることも多いから」
見た目は穏やかな青年だが、その口調からは重ねてきた年数が垣間見える。
「アタシ達も出張で空ける頻度も高いですし、お互い様だから。早速ですけど、申請通ってます?」
「ああ、警邏隊から認可紋付いてるから一発ストレートだよ。宗像さんまで聞きつけてるからねえ、通らないわけがない」
「宗像さんまで?やっぱり研究者気質なのかしら、あの人」
掌をかざして開錠するタイプのセキュリティロックがかけられた襖を開いていく東禅の後に続いて奥へ奥へと進んでいく。そうして辿り着いたのは、優一にも視えるほど強い力で書かれた「護」の文字と、それを取り囲む呪印の扉だった。
「はい、到着。ここが魔力世界の日本へ続く門がある部屋だよ。何て書いてあるか視える?」
「『護』っていう字…ですよね?」
「うん、ちゃんと霊力があるね。この字と模様、アジア圏の人種しか視えないの。もっとちゃんというなら『霊力』っていう概念がある地域の人しかね。彼とか、あとグレイズさんは視えてないんだよ」
「霊力…ですか」
「魔力世界の日本は『霊力』の国さ。まあ、そこは行ってみれば分かるよ」
扉が開かれた先は、鳥肌が立つほどひんやりとした空気で満たされた部屋だった。しかしそれはそう感じただけで、実際に鳥肌は立っておらず、「寒い」とは感じない。だがどうにも冷たい空気だと感じるのは変わらない、奇妙な部屋だ。
部屋は暗く、青白い炎が浮いているように見える。中央には同色の光を纏う、朱色の鳥居が立っていた。
「わっ…暗いですね」
「そうなの?」
「え、暗くないですか?青白い火しか明かりがないですし」
「青白い火…ああ、そういえば聞いたことがあるわね。それも、優一君が霊力があるからそう視えてるの。アタシはこの部屋、鳥居があるだけの部屋に見えるわ。強い力が渦巻いてるのは分かるんだけどね」
「そこまで…?」
優一は訝しげにクロードを見上げた。数々の修羅場を潜り抜け、経験も多くそういったものへの対策もしているはずのクロードが視えず、魔力世界の日本に関わるのが初めての自分が視える、というのはかなり不自然である。
その疑念の正体は、東禅が教えてくれた。
「クロードさんは【教会】の人ってのはもう知ってるよね?」
「はい」
「率直に言うと、それが原因。我々神道や陰陽道というものは教会とは相性が悪くてね。それはあちらさんも同じで、攻撃性のないものには鈍くなるんだよ。我々も、教会の聖なる力で編まれた術式とかは普通にしてたら全く視えないんだ」
「そ、そこまでなんですか!?」
「ま~…宗教っていうのは色々あるんだよ。面倒くさいけどね」
まあ勘は働いてるし大丈夫でしょ、と東禅は悠長なことを言う。しかし東禅が鳥居と三人の間に立ち柏手を鳴らした途端、後ろから伺い見ることしかできなかったがその表情は一変し険しさともとれる真面目なものに変わっていた。
「《雷護稲荷の御許より現世から和御世へ乞ひ願う》」
朗々と東禅が唱え始めると、鳥居の中央へ冷気――『霊力』が集中していくのが視える。部屋は暗いが霊力は眩しく、思わず崇を抱きしめ目を瞑る。苦しくないだろうかと薄目を開けて様子を見てみれば、崇も強く目を瞑っていた。
「――…よし、無事開通。では皆さん、こちらへ」
鳥居の内側は、霊力の渦巻きが収まり波一つない水面のように霊力が満ちていた。思わず緊張し、ごくりと唾を飲み込む。
「一人ずつ鳥居をくぐっていってね。ああ、竹中さんは抱っこしたままで大丈夫。そうだね、クロードさんからどうぞ」
「ええ。ありがとう、東禅さん」
またあっちで、とクロードは二人に手を振って鳥居に入っていく。霊力は透き通った水のようだったが、中に入ると彼の鮮やかな赤髪は見えなくなった。
「…はい、じゃあ藤崎さん。ゆっくりでいいから、止まらないようにね。クロードさんも着いてるし、向こう側の担当者もいるから」
「は、はい。ありがとうございます!」
軽く頭を下げ、優一は鳥居の中に足を踏み入れる。表面は水のような感触だったが、中は外とほとんど変わらなかった。だが空気は山頂のように澄んでおり、とても冷たい。どきどきしながらゆっくり進むと、前触れなしに再度水を抜けたような感覚が優一を襲った。
「っ、わ……!?」
「――もう一歩、進んでくれ」
落ち着いた男性の声が届く。言われるまま進んだ瞬間視界が一気に様変わりし、先に進んでいたクロードと、大正時代の軍服にも似た警官装束に身を包んだ男性、眼鏡をかけた陰陽装束の優しそうな男性が優一を迎えた。
「ああ、よかった。こちらに来るのは初めてだったからね、驚いただろう?」
「は、はい。あ、ロベルタちゃん…大丈、夫?」
崇はまるで驚いた猫のように目を見開きフリーズしていた。
「びっくりしたわね~。よしよし、大丈夫よ」
「いやあ…本当に子供になっとるんやね。まさか彼女に呪いの効果が出ることがあるとは」
クロードが崇を抱き上げると、眼鏡をかけた男性や【警邏隊】と思しき男性を「知らない人」と認識したのか崇はクロードの服を強く掴む。
「警戒してるわね。大丈夫よ~、見たまんまいい人だから」
「はは。と、彼が藤崎君?」
「あ、はい!そうです、はじめまして。記録者の藤崎優一といいます」
「はじめまして。僕は宗像疾矩といいます。惟神の一番隊で副隊長させてもらってます」
「副隊長…副隊長さん、ですか!?」
「あはは、そんなに驚かれたのは初めてだよ。僕は陰陽衆をまとめとるってだけで、めちゃめちゃ強いとか、そういうんではないから」
宗像が腕時計を確認すると、丁度お昼時だ。
「こっちに来るのが初めてなら、うちのことも軽く説明したらええかな?警邏隊さんとこまでの道に美味しい定食屋さんがあるんよ。眞崎君、時間大丈夫だよね?」
「はい」
「眞崎君」と呼ばれた警邏隊の男性は口数の少ない性分なようだが、存在感はある。不思議な人だ。
それじゃあ行こうか、と宗像に誘われ、一行は鳥居の部屋から外に出た。




