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一日目。
かくかくしかじか。優一は昨日崇と話していたことをほぼそのまま二人に伝える。
「……ってことは、こいつ、本当に崇か」
「んう?」
「やーん、かわいい~~♡やっぱり子供って天使ね~~♡」
古代の膝にちょこんと座った崇は、この状態の崇では「知らない人がたくさんいる」という状況にも関わらず大人しく、怖がっている様子も一切ない。
そしてクロードが黄色い声を上げたように、とても可愛らしい子供だった。肩に付かないくらいの黒髪はふわふわで手触りがよく、ぽよんとした頬はばら色で、指をしゃぶる様子も愛らしい。
「記憶は無さそうだなこりゃ…まあその方がいいか」
「ねえ、崇ちゃんってアメリカ生まれよね?今更だけど」
「ああ…言葉か」
見た目からしておそらくこの崇は一歳程度。周囲の会話や言葉、感情を理解できるようになってくる歳だとウォルフは思い出す。
優一から聞いた昨日の話や諸々を総合して考えれば、過去からやってきた、という線は薄いだろう。
「日本語でいいんじゃねえの。ここは日本だし。ただ名前は『ロベルタ』の方がいいだろうな――」
「あい!」
すぐにその正解が返ってきた。崇、もといロベルタが元気な返事を返す。
「竹中さんの子供の頃、どれくらい知ってるんですか?」
「えーーと…一番昔で七歳でお師匠様に弟子入りした、ってとこしか…」
「確か三歳辺りで母親が死んだって言ってたな」
「えっそうなの」
「そりゃ相手によって話せることの違いはあんだろ。で、それがなんかあんのか?」
「ええと、そのうちお父さんやお母さんのことを探すと思うんです。騙すのは気が引けますけど…」
「ああ、そういう事か」
ウォルフは少し考えた後、崇の前にしゃがむ。
「ロベルタだな」
「ん」
「お前のパパにお願いされて、パパのお仕事が終わるまでお前を預かることになったんだ」
「ぱーぱ?」
「そうだ。ちょっとの間だが、よろしくな。ロベルタ」
「ん」
こくんと崇が頷いた。ウォルフは崇がある程度ぐずることを覚悟していたが、全くといっていいほど人見知りしない様子にやや拍子抜けする。
「人見知りしないのね。てっきり怖がるかと思ったけど…」
「おう聞こえてんぞオネエ野郎」
「あら、自覚してるじゃない」
「ハ、『知らない人』だから怖がるんだよ子供っつうのは。子守りもしたことのない奴が何言っても響かねえな」
「ケンカしないでくださいよー…。それよりも、色々準備した方がいいんじゃないんですか?ご飯とか、服とか」
今はパジャマの上を肩の部分をゴムで縛ってずり落ちないように着ているだけだ。
「あーそうだな……。ロベルタ、あーんしてみろ」
「あーん?」
「そうそう。上手だな。
ちゃんと歯が生え揃ってんな。三食とおやつで問題ねえだろ。同じ皿から取り分けることもできるだろうが、一応別で作るか」
「…ここまで声色とか対応違うとちょっと気持ち悪いですね……」
「拳骨とデコピンどっちがいい」
ここまでウォルフが主導しているのは必然といえることだが、彼は現七人兄弟、そして数ヶ月後には八人兄弟になるグレイズ家の長男だ。子供の面倒を見るのには慣れている。
「いいか、ロベルタに食べさせる時間はずらすなよ。昼寝の時間もだ。後から面倒なことになるし、ロベルタにとっても良くないからな」
「イエッサー」
「ウォルフのそんな哀愁に満ちた目初めて見たわ…」
そうしていると時計の針が十二を指す。
昼食はトーストと昨日の残りのスープだ。崇のトーストはスープに浸し、柔らかくして食べさせる。
「スプーン持つの上手だね。おいしい?」
「ん!」
「よかったね~」
当然だが綺麗に食べられるはずもなく、テーブルに崇のパジャマの襟元、もちろん口周りもしっかり汚れる。
夕飯の材料や子供服の買い出しに行かなければいけない。クロードは自身の髪を義手に形成し、薄手のカーディガンを羽織る。真っ赤な腕は目立つからだ。
「それじゃ優一君、警邏隊への問い合わせとお留守番、お願いするわね」
「分かりましたー」
玄関が閉まると崇と優一、人型になったままの古代の三人きりだ。
「さて、と…。そういえば古代さん、人型になるのって魔力大丈夫なんですか?」
『(…ああ、それなんだが。崇と俺の繋がりは継続している。それで、すごいことだが、魔力の心配は必要ない。どうやら、この歳で既にあの二人よりも魔力が多いようだ)』
「なんですかそのチート…。『繋がり』って、魔力のってことですかね?ならやっぱり過去から来たとかそういうのじゃないんだろうな…って、あれ!?どこ!?」
少し目を離した隙に崇の姿が見えなくなっている。振り返ると、かなりしっかりとした足取りで階段への廊下に続くドアに向かってずいずいと進んでいた。
「待って待って待ってどこ行くの」
「うましゃ!」
「馬?」
「うましゃー!」
「あああああ!」
進むのを止められたのが不満だったか、みるみるうちに崇の瞳に涙が溜まり泣き出した。
「こ、古代さん!何か心当たりありませんか?」
『(…うま?…くまか?ああ、あれか)』
古代は迷いなく崇の部屋に入り、目的の物を取ってすぐに降りてくる。
『(…これだ)』
「テディベア?あ、「うま」って、そういう…」
「うましゃん!」
古代が持ってきたのは白と緑のギンガムチェックで作られたテディベアだった。モスグリーンのベストとネクタイ、小さな王冠にメガネと中々芸が細かい。…おや、どうも似た人物を以前どこかで見たような。
どうも「くま」の「く」を上手に発音できず「う」になっているようだ。大粒の涙はどこへやら、ニコニコとご機嫌に笑っている。
(というか、なんで日本語で言えたんだろう?)
まあいいか、とテレビ前のソファーに戻る。崇を膝の上に乗せ、タブレット端末の画面を叩く。まずは人事部門に報告しなければならない。優一は呪いを受けた当事者ではないため、警邏隊に直接問い合わせるよりは上を通した方が早い。急がば回れだ。
『こちらは東京支部の人事部門です』
「中央区常駐部門『パンドラの檻』、記録者の藤崎優一です。警邏隊担当者の方をお願いします」
お待ちください、と保留音が流れる。しばらくして繋がった担当者に、優一はまたかくかくしかじかと事情を話した。
『…はあ、まったく。すぐに報告してくださいと何度も彼女には言っているのですがね』
「すみません」
『これに懲りたら報告を怠らないようにと伝えておいてください。昨日の十五時、豊島区の「Taraxacum」ですね。こちらから伝えますので、警邏隊からの連絡を待ってください。番号をお聞きしても?』
「はい。090の…」
小言を頂いたが長引くことなく電話を終え、暫し待つ。妹はかなり甘えん坊だったのかしきりに構ってほしがっていたのを思い出すが、崇はそれとは対照的でテディベアを抱きしめて楽しそうにしている。
警邏隊からの連絡を待つ間に調べてみたところ、やはり一歳児といえどその個性は様々なように遊び方も色々で、何も体を動かしたりおもちゃで遊ぶだけが「遊び」ではないらしい。崇はおもちゃで遊ぶよりも、テディベアなど何かを掴んでいることが「遊び」のようだ。
テレビを見るのもありなようなので適当にチャンネルを変え最終的に教育チャンネルに行きつく。そうして時間を潰していると、スマートフォンの着信音が鳴った。
* * *
一方、買い出しに出たウォルフとクロードは、まずは子供用品の専門店に来ていた。
「かわいい~~!こういうの絶対似合うわ!」
「予想を裏切らねえなお前は…」
クロードが目を付けたのはフリルがたっぷり使われたワンピースだ。ピンクやチェック柄でゴテゴテしたデザインではなく、シンプルな白や薄いピンクの、さらりとした印象を与えるデザインのフリルを選んだのは崇に似合うものを確実に選び取る嗅覚あってのものだろう。
崇が子供になっても遜色なく発揮されるセンスはウォルフには無いもので素直に脱帽するが、それとは違う点でウォルフは難しい顔をしていた。
「言っとくが、それを普段着で着せようとか考えねえ方がいいぞ」
「どうしてよ?」
「汚す。間違いなく汚す。見ただろ、昼飯で既にデロッデロに襟だの袖だの汚してたの」
「そ、それは確かにそうだけど…」
「着せたいのは分かるが、汚れてもいいやつも買わなきゃならねえ。というかそっちが本命だからな。汚されてこっちがストレス溜まるのも嫌だろ」
そう言われてクロードは気付いた。確かに、かわいいものを着た崇はかわいいが、容赦なく汚されることが前提にあると対応は変わってくる。子供の行動はありとあらゆる面で未知だ。ウォルフがこれだけしっかり予防線を張って選ぶのだからそれは相当なものなのだろう。
子供を育てることは楽しいだけではないのだ。一度や二度なら笑って許せても、頻回すると苛立ちを覚えることもあるのかもしれない。マイナスの面を考えていなかったことを、クロードは少し反省した。
「そうね…。そっちの方は考えてなかったわ。ごめんなさい」
「謝ることでもねえよ。俺はよく分からねえが、子供の服でテンション上がる奴が悪いってわけじゃねえし。とりあえず、俺は適当に出すからお前が選んでくれよ。感性はお前の方がいいからな」
「ええ、まっかせて♪」
とりあえず普段着を一週間分と撮影用の服などを選び、次にウェットティッシュやおむつなどの消耗品、子供用歯ブラシや食器、口に入れても安全なおもちゃ、などなどを買い込む。最近は父親が来ることも珍しくないのか変な目では見られなかったが、店員に微笑ましそうに見られているのが何とも言えない。
「あら、ぬいぐるみ!ひとつは欲しいわよね~」
「…まだ買うのかよ」
「あったりまえよ!うーん…」
クマかウサギかで少し考えたのち、クロードは両手が塞がっているウォルフの腕にそれぞれ乗せてみる。
「よし、ウサちゃんね!」
「今の何だ!?」
具体的に何がどうというわけではないがおかしな決め方をされた気がするのは気のせいではないだろう。
その後夕飯の材料や幼児食のレシピ本を購入し、二人はおやつの時間に間に合うよう帰宅した。




