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「はぁー…ただいま。あ、珈琲淹れてる?私も貰っていいかな」
珍しく疲れた様子の崇が帰ってくる。崇が家を出たのは午前中、知り合いの魔力技師の店に行っていたはずだ。
「お帰りなさい。何かあったんですか?」
「ああうん、酷い目に遭った。呪われてさぁ」
「はい!!??」
その声と同時に瓶を額で受け止めた音がした。大丈夫?と崇が声を投げるとキッチンから狼狽した声で大丈夫ですと返事が返ってくる。
「ど、どういうことなんですか竹中さん」
「そんなに狼狽えなくていいよ」
「通り雨に降られたくらいの調子で報告してきた人に言われたくないです!!」
それがね、と崇はクリープと砂糖を溶かしたコーヒーを啜る。
「レオン…あ、豊島区の魔力技師ね。池袋で店を開いているんだけど、立ち話をしていたらクレーマーが殴りこんできて」
「魔力世界側の人ですか?」
「うん。あちらの問題だし私は見ていただけなんだけれど、クレーマーはどうも呪術師だったようで、杖を出してきたんだよね。流石に不味いと思って間に入ったんだ。そうしたらあちらさんの呪文が私に直撃して。煙が凄いことになってさあ」
「え、その呪術…呪われた、ん、ですよね?」
見る限り崇は無傷だ。先月の夏期講習期間中に受けた聖紋のようなものも見当たらない。
「ああ、それは大丈夫だよ。即効性の呪術だったみたいだけれど、抵抗力が勝ったみたいで効果は出なかったんだ。それで呪術師を警邏隊に引き渡して、終わり」
「災難でしたね…」
「暫く呪われたことも無かったからねえ。私の抵抗力が高いのは一部で有名みたいだし」
「どんな呪いだったんですか?」
「うんと。『幼児化する呪い』、かな。殺す気は無かった様なんだよ」
腹いせに何もできない姿にしてやろう、というくらいだったらしい。自身が相当な抵抗力を持っていても、いくら威力が弱くても危険な呪いは危険なものとして扱う崇が険しい顔をしていないということは、命に関わるようなものではないということだ。
「どんな風になるか興味はあるけれどね。肉体を変えるというのは中々骨が折れるから、瞬間的にそれが成せるならその彼は相当な術師ということだよ」
「呑気なこと言わないで下さいよ…本当になったらどうするんですか」
「もしそうなったら二人に説明よろしくね」
「それを!!フラグって!!言うんです!!!」
「うわびっくりした」
ロクなことにならない予感しかしない、と優一は心の中で言う。もしサトリや読心術の使える魔法使いが聞いていたら、この心の声は見事なクソデカボイスだっただろう。
しかしこういう流れがここまで記されている時点で読み手の方々はお気付きなのだろうが、このフラグは成立する。そういうふうに世界はできている。
* * *
翌日、日曜日。
のそりと古代がシーツから顔を出す。まだ蒸し暑い朝が続いている九月のこの日だが、古代は壁に掛かった時計を見て声をなくす。
時刻は十一時。崇が普段起きている時間から五時間以上が経過している。
古代は崇の使い魔だ。主人が起きたのにそれに気付かないということはあり得ない。主人と使い魔の間には絆や縁とはまた異なるベクトルの繋がりが成立しており、何もかもを共有するわけではないが共に過ごした時間が長ければ長いほど生活リズムは寸分の狂いもなく同じものになる。
『(…崇?)』
部屋を見回すが崇はいない。古代は人型になり改めて部屋を見るが、崇の姿はどこにもない。
(ん?)
その時、ベッドのシーツがこんもりと膨らんでいることに古代は気付いた。確信じみた「もしや」を確認するため、ゆっくりとシーツを捲る。
「……」
『……』
シーツの中にぷうぷうと寝息を立てる子供が一人。古代は全てを理解した。
「ねえ、誰か崇ちゃん見なかった?」
「いえ、今日はまだ見てませんけど…」
「二度寝してんじゃねえのか」
「崇ちゃん二度寝しない子よ?珍しいわね、あの子が寝坊するなんて」
具合でも悪いのかしら…とクロードがこぼす。その時、ウォルフの耳が聞きなれない足音を拾った。
(この音…)
珍しい人物がリビングのドアを開ける。人型になった古代が、腕にシーツの塊を抱いて入ってきた。
「古代さん?」
「あら、どうしたの?崇ちゃんになにか――」
『(…藤崎。昨日のあれが現実になった)』
「あ゛」
優一の眉が一気に凹む。「言わんこっちゃない」に追加して、ウォルフとクロードが不思議そうな顔をしていることに「何で言ってないんですか!!」の念も追加された。
「おい、『昨日のあれ』ってなんだ」
「あーと……」
古代の腕にあるシーツの中身を覗く。間違いなくこれが現実だとメンタルの角っこが打ちのめされる。
「…見せましょう、古代さん。それが一番早いと思います」
古代は頷くと二人に見えるようにシーツを分ける。
「……は?」
「…え?」
シーツの中にくるまれていたのは、ふわふわな黒髪にどこかで見たような薄明色の瞳の幼児だった。つまり。
「「崇/崇ちゃん!!!???」」
二人の声が見事に重なる。それが、正統な魔法使い不在の“パンドラの檻”の、長い一週間が始まる合図だった。




