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「これを見て下さい」
崇は一枚の写真を渡される。
散歩に出歩けるまでに回復しても、崇はまだ安静を言い渡されている。ベッド脇には熔鉱蜥蜴の研究を行っているソリド教授が座り、戦いで相当に消耗した古代は子供の姿で崇の膝に乗り写真を見る崇をやや不安そうに見つめている。
「…古代ですか?」
「おお、よくお分かりになられましたな。そうです。先の侵攻で、飛翔型ダイヤモンドを墜とした熔鉱蜥蜴…貴女の使い魔である古代の姿です」
古代は安心したように眉を下げる。写真に写る熔鉱蜥蜴は鰐の姿からはかなり離れているし、空を飛んでいる様子は水棲型とは結びつきもしないが、崇はこの熔鉱蜥蜴が古代だと確信があった。
「この姿を見たことがおありで?」
「いいえ、初めてです。ですが分かりますよ。もうずっと一緒にいますからね」
「実に素晴らしく、美しいものですな。…こほん。恐らくこの姿は、ジュラ紀に生息していた海中の恐竜のなかでも頂点捕食者のものでしょう。顎も頑健で牙鋭く、鰭脚の動きは力強く海を泳いでいるように飛行しておりました。これは恐らく『退化』です。数代前程度のスケールではない、大きな退化。彼にとってこの体躯が必要となったのでしょう。顎の形や力からしても繋がりは間違いないと見て良さそうですな。素晴らしい。理論上でしかなかった熔鉱蜥蜴の『退化』が現実に起こるなど我々も予想すらしておりませんでした。これは間違いなく快挙ですよ!」
「は、はぁ」
崇も熔鉱蜥蜴については詳しいが、学問的な話になるとその限りではない。教授が興奮気味に語る内容も何となくは分かるが完璧な理解は難しいし、そも、そこまでの興味がない。崇の知識はあくまで現実的な熔鉱蜥蜴への接し方と怪我や病気の治し方だけだ。それぞれの鉱石の種類によって確かに対応の仕方は千差万別だけれども、経験と知識として蓄えられたものであって学問で学ぼうとは思っていない。
「それでですな、竹中さん達がこの学院に留まっている間だけで構いませんので、ぜひとも我々の研究に協力してはいただきたいのです!もちろんただでとは言いません。我々もできる限りの援助を致しましょう。あの戦いの後で今も幼い姿をしているということは、単純にジルコニアの摂取が足りていないことだと存じます。研究協力は、具体的には一日の生態モニター、摂取量と体長の推移、生成する平均結晶量……」
またもや学問的な話が始まる。分からない。分からないから古代を覗き込むが、古代は難しい話で眠いのか瞼が落ちそうなのを頑張ってこらえている。本来の体躯が戦いの結果縮み、人間の姿でも子供の姿に引きずられるせいで古代の精神もおよそ四歳から六歳程度のものになってしまっている。
熔鉱蜥蜴は妖精だが精霊寄りのものであるため他の妖精に比べれば頑健で死ににくい。生命維持に必要な核が壊されなければ魔力と資源さえあれば再生し、体積の半数が砕けてもその熔鉱蜥蜴の主成分である鉱石を食べれば元の体躯を取り戻せる。が、今の古代はソリド教授の言う通り以前のような成体の体躯に戻るための十分なジルコニアを食べることができていないのだ。
崇は古代に手荒な扱いをせず、古代が嫌がらなければそれでいいため研究協力の話は普通に承諾した。ちなみに話を始めて一時間程経過しているが、九割は教授の熱弁だということをここに記しておこう。
「おっと、失礼いたしました。研究協力について質問などはございますかな?」
「いえ、今のところは特にありません」
「左様ですかな。…飛翔型ダイヤモンド…名をフェリクスだと言うのでしたな。彼が墜ちたことで戦況が一転し、我々は勝利を導くことができました」
古代の口元がにまりと上がる。眠そうだが、褒められているのは分かるのだ。
「本来ならば式を執り行うべきですが、事態が落ち着く頃には貴女がたは日本へ戻るでしょう。今はこれを、どうか受け取って欲しいのです」
黒いベルベットの箱に収められていたのは、黄金の鎖の輪に竜に守られた妖精が描かれた勲章だった。ベッドから降りて古代は箱を受け取り、きちんと礼をして教授を見送る。
「良かったねえ、古代」
『(ああ)』
「私も主人として誇らしいよ。そうだ、ごほうびは何がいい?」
『(ごほうび?)』
「うん。なんでもいいよ」
んむ、と古代は少し考え込む。いつもは見えないつむじが可愛らしい。
『(ごほうび、おにくがいい)』
「お肉ね、了解。それじゃあ、ウォルフ達が来たら休みが空いているか聞いてみようか」
『(ん)』
今から楽しみなのか、ベッドに座って床に付かない足をぷらぷらさせる。中身は変わらないからあまり子供扱いしてはいけないと分かりながらも、崇はその口元が緩むのを抑えられなかった。
* * *
来る土曜日。夏期講習最終日前の休日。
魔力世界にも焼肉はある。学院の街にも進出してきている日本の大手焼肉チェーン店に“パンドラ”のメンバーは来ていた。
「あれ!優一達も焼肉?」
「アレン君!うん、快気祝いと古代さんのご褒美だって」
「なーる、先約ってそっちだったんだな!なあなあウォルフ兄、俺達も一緒に食っていい?」
「ああ」
「よっしゃ!ゴチになります!」
「ありがとうございます!」
「竹中先生、私隣がいいです!」
アレンと一緒に来ていたオリバー、夏期講習のメンバーが歓声を上げる。と、そこにまたもや賑やかな声が飛び込んで来た。
「兄弟じゃねーか!」
「…グウィンか」
「えええええ、あれ“拳将白虎”さんじゃん!!」
「サイン下さい!」
「おう!お前らも焼肉食いに来たのか?」
「そうだよ。つーかお前こんなとこいていいのか」
「ああ、学院長さんに無事放免されたとこだからな!よーしお前ら、今日は宴だーー!!」
「「「イエーーイ!!!」」」
元々皆予約をして来ていたため席は問題なく入れる。気づけば全員同じ座敷でテーブルを囲み、酒は未成年の前に置かない方式で料理が来る前に乾杯する。
『(あるじ)』
「うん?何?」
『(あれ、やってもいいか?)』
古代が指さしたのは壁に貼られた宣伝メニューだ。「牛丸々一頭チャレンジ!」と書かれている。食べきれればタダだが、残してしまった場合は牛一頭分の値段を払うという内容だ。十人以上でのチャレンジ内容のため人数は問題ない。
「できるの?」
『(もんだいない)』
「分かった。ウォルフ、これ注文して」
「…マジでやんのか?」
「古代なら大丈夫だよ」
ウォルフが古代を窺うと「まかせろ」と自信に満ちた瞳で見つめてくる。
「おい店主、このチャレンジ頼む」
「…おいおい正気か?前人未到のチャレンジだぞ?」
「分かってるってよ」
「あん?兄ちゃんがやるんじゃないのか?」
「まあ全員だが、言い出したのはこいつだよ」
はい、と可愛らしいもみじの手が上がっている。
「……。はっはっはっはっはっは!!おいおい冗談は止せよ!まあ保護者が注文する分には問題ねえが、本当にいいんだな?」
「いいからやれっつってんだろ」
「おうおう、新しいチャレンジャー達だ!制限時間はうちの閉店時間、日付が変わるまでだ。残せば牛一頭分の代金をキッチリ頂くから、そこだけ了承しといてくれよ!」
店主は過去の最高到達点は残り半分の三百キロだったと語る。それだけ自信があるのだろう。突破されるとは微塵も思っていない様子だ。
「先生方もこういう店に来るんですね」
「ああ、たまには息抜きで外で食べたりするよ。皆よく食べるから、食べ放題がある所が多いけれどね」
「先生もいっぱい食べるんですか?」
「まさか。私はそんなに入らないよ」
「…じゃあなんでそんなに身長あるんです」
「遺伝かなあ。祖父母も父も皆背が高かったようだし」
『(あるじ。おにく、かたまりでもらうことはできないのかな)』
「うん?塊?」
「…普通にテレパシーで会話してるんだね…」
「ずっと一緒なら慣れるんじゃない?」
古代の要望通り塊で肉を運んでもらうよう頼むと「こいつは本気だ」と店主の目が変わる。キロ単位の塊肉を自分で火を吐いて焼き、もぐもぐと頬を膨らませ食べる様子に誰かがボソッと「カービィ…」と呟いた。その内面倒になったのか生で食べようとしていたが、行儀が悪いと崇が流石に止めた。
そして約一時間後。
「…終了、ですっ……!」
「ほんとに食べきった……!!」
店主は失神した。古代はけぷ、と可愛らしいげっぷをしたが食べ切った量は全然可愛くない。〆て約六百キロの肉が古代の腹に全て収まった。
「どういう圧縮率だよ…」
「っていうかなんでこんなちっちゃいのにそんなに食べれるんです!?」
「…先に言っておくと妖精の種は関係ないよ。多分。古代の本来の姿はクロコダイルなんだけど、クロコダイルってどうも水牛に喧嘩売ることもあるらしいんだよね…」
クロコダイルの一回の食事量はおおよそ体重の半分といわれている。だが古代は妖精であるため体の大きさを自由に変えることができ、そもそも妖精に人間のような食事は必要ないのがほとんどだ。ではなぜご褒美に肉をねだったかといえば、単に好きだからである。
ちなみに崇はこの時、古代が昔住んでいた森のヌシを知らぬ間に仕留めて骨だけ見つかった時の事を思い出していた。普段は穏やかな性格で本当に良かったと思う。
「よー魔法使いさん。崇だっけか?無事治ったようで何よりだな!」
「ああ、“拳将白虎”殿。貴方が助けてくれたと聞いているよ。本当にありがとう」
「いいってことよ!ん、あんた飲まねぇのか?」
「ああ、古代の体がまだ小さいからね。私が酔うと古代も酔ってしまうから」
世間話程度に話しているとグウィンはどこからか視線を感じる。
(…あーそういう?オッケーオッケー、手は出さねぇよ、兄弟)
一人で合点してグウィンは視線の主に片目を瞑る。そういえば彼女は兄弟のことを呼んだんだったな――それを聞いてみようかと思ったが、やめた。その方が面白そうだ。
頃合いを見て解散し、二次会に行くメンバーは次の店に行く。チャレンジが終わってからも尚食べ続け、デザートにアイスもしっかり食べていた古代は当然出禁になった。
翌週の月曜日。見送りに来てくれた恩師と抱擁を交わし、崇達は列車に乗り込む。数時間後には空の上、明日には日本に到着しているだろう。
様々なことがあった一か月だった。遠くなる学院に別れを告げ、列車は白煙をあげて景色の間を縫うのだった。
(了)




