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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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18


 明朝。

『(ユウイチ。外に来て)』

「――…。…え?」

 不意に優一の頭に声が響く。微睡みに戻りかけた優一だが、その声がテレパシーで聞こえた声だという事実に目が覚めた。

(えっ。あれ、頭に響いたよね?何で?)

 テレパシーは使い魔と主人の間でしか基本交わされないはずだ。日常的にテレパシーを使っている使い魔といえば古代が該当するが、彼は喉を傷めているからそうしているのであって元からテレパシーで会話をする種ではない。

 それにあの声は間違いなくメルヴィスだった。聞こえることが分かっていなければテレパシーは使わない…と優一は思う。今日は目が覚めたがこの時間ならまだ寝ているものだ。それも全部分かってやったのかな?と優一は色々考えながら外に出る。

 優一を見つけて降りてきたメルヴィスは、外見は羽化後のものだが大きさは通常の妖精サイズに戻っていた。

『ちょっと付き合って。こっち』

 寝起きでもたついていたことに文句を言うかと思いきや、それに気を悪くした様子もなく自分についてくるよう促す。

(どうしてだろ…)

 そうしている内に目的の建物に辿り着いたらしい。それは、あの魔導石の塔だった。

「入っていいの?」

『ええ。あたしが一緒だから大丈夫よ』

 今日はゆっくりと螺旋階段を上りあの扉の前に辿り着く。が、メルヴィスの燐光がドアノブに降りかかると扉は自動的に開いた。

 部屋の中央には台座の上に傷一つ付いていない魔導石が浮遊している。

(…守れてたんだ)

 あの時。目の前の悪魔に自分の何もかもを掻き回されても、自分を信じてくれた彼女と、その彼女が守りたいものを護りたかった。自分の持つリソースを全て使い切って、言葉のまま自分の身を削って、やっと掴んだ結果は「引き分け」だが優一にとっては紛れもない「勝利」だ。低い自己肯定感を押し上げて誇らしさが湧いてくる。

「ねえメルヴィス、ここで何を……?」

『ここじゃないわ。もっと上よ。…心の準備をしておきなさい』

 いたずらっ子のように微笑んでメルヴィスは優一の指先に手を重ねる。

 その瞬間、優一の体を浮遊感が襲う。ぶつかる、と咄嗟に目を強く閉じたが、瞼の向こうから光を感じて恐る恐る目を開ける。

「う…わあ……!!」

 細く風が鳴る音がする空に光が広がり始める。朝日が昇ろうとしていた。

『きれいでしょ。…ここはね、あたしと、かあさましか登れない特別席なの』

 屋根の上で広さはあるが立っているのが怖くなり、優一はおずおずと腰を下ろす。その肩にメルヴィスが遠慮なく座った。

『…あたしのかあさまは、この学院を興した大妖精なの。魔導石を要石に、何ものにも侵害されない学び舎を興した、偉大なる大妖精…。かあさまがいれば、この学院は世界で一番安全な砦だって聞いたわ』

「…じゃあ、古老寮のあのシンボルは…」

『かあさまよ。一番最初は師一人に弟子一人の師弟達が、学び舎を建設したことからこの学院が始まったそうよ。そこから彼らに資金を援助するかわりに学びを得たいと申し出たのが、錬金術師で貴族のヴォルゲン。その学びを広げてほしいと願い出たのが、竜騎士を率いたリンデルト。一対一の師弟を「古老の学び」と呼ぶことからかあさまは古老の代表になったんだって。古老のメルヴィア、錬金のヴォルゲン、竜騎のリンデルト。学院はこの三人から始まったの』

 得意げに話すメルヴィスだが、不意にその顔が曇る。

『…でも、妖精も不死ではないの。かあさまも死んでしまったわ。他の二人と同じように。かあさまの寝息が止まって、そのまま死んでしまったの。あたし達は人間みたいに遺書なんて残さない。だから後継が誰かも決めていなかった。…後継争いが始まって、嫌なことが噴き出した。魔導石を操れるのはかあさまの子供だけ。…あたしだけだったの。みんな…みんな、それまであたしの事なんか何一つ気にしてなかったのに。手のひらを返してって言うのよね。あたしにすり寄って、どうにかあたしを使い魔にできないか必死だった。気持ち悪いったらありゃしなかった。だからあたしは学院を出たの』

「使い魔に…?」

『あたし、魔法の使い方が下手なの。力加減が全然できない。使い魔にしてやっと丁度いい妖精だ、って陰口をいくつも聞いたわ』

「なっ……!」

『昔の話よ』

 思い返したのは、カルラと遭遇した時メルヴィスが怒って優一に「自分の名前を呼ばせない」魔法をかけた夜。カルラは「メルヴィスは制限系の魔法は苦手」と言っていたが、結局その魔法が解けたのは三日後だった。

『…しばらくは常若の国(ティル・ナ・ノーグ)にいたり、現世に行ったり、自由に生きてたんだけど。妖精売りに捕まっちゃって。その時に崇達と出会ったの。でも、学院には戻りたくなかった。あたしは教育に興味なかったし、イヤな思い出が増えたところになんて戻りたくなかったもの。魔導石から魔力を引き出して結界を維持したりはあたしじゃなくてもできるしね』

「…どうして、今回は…一緒に来てくれたの?」

 優一の肩から重みが消える。困ったような、でも嬉しそうな表情でメルヴィスは優一の正面に浮く。

『分からない!』

「…ええ?」

『でもね、イヤな感じはしなかったの。それはホントよ。わかるでしょ?』

 メルヴィスから、それが嘘ではないことが流れ込んでくる。感覚的にメルヴィスの気持ちが優一に伝わってきたのだ。

「うん。……うん?あれ、『なんで』?」

 流しかけたがこれは普通あり得ないことだ。テレパシーも然り。なのに、メルヴィスの考えていることが分かる。優一は困惑しているのにメルヴィスから楽しそうな感情が流れてきたことでそれは確信へと繋がった。

「え、え、これ、何!」

『うふふ、何かしら』

「教えてよお!」

 優一の動揺もメルヴィスに伝わっているのだろう。焦らしもせずメルヴィスはさっぱりと答えた。

『あのね、あたしが羽化してあんたを引き上げた後、一緒に繭から出たの覚えてるでしょ?』

「う、うん」

『つまり一緒の繭に入ってたのよ』

「うん」

『あの中でね、あたしは完全に変容したの。今の姿になるための準備ね。あんたはまあ、人間という「異物」だからあたしと一緒に溶けないし、変容もしないけど。もちろん混ざってもいないわ。でも特別な場所に一緒にいたのよ。特別な所にいて特別なことが起こった結果…あんたとあたしの間には、「契約(コントラクト)」と同等の繋がりができた、ってわけ』

「…………待って待って待って!!??待って!?それって物凄い重大なことじゃない!!??」

『そうよ。だからこれをどうする?って聞こうと思ってここに連れてきたの』

「先に言って!!!」

 どうしよう、と優一は頭を抱える。

(メルヴィス、そういうの嫌だよね…!?カルラさんもあれメルヴィスと契約してたら何て…てか何されてたか分かんないし…!というかメルヴィスなんでそれ早く言わないの!!)

『あら、どうして悩むのかしら?』

「…全部漏れてるの……。ええ……マジで……」

『"YES"ってあんたが言ってくれればそれで全部解決なんだけど』

「…はい?」

 いやそんな普通の顔しないでよ。

『てっきり泣いて喜ぶかと思ったけど、日本人ってシャイだったわね』

「日本人関係あるかなーー?」

『まあいいわ。――あんたをあたしのリード役に選んであげる。あたしはあんたに力を貸してあげるわ。あんたがその短い命を灯し続けている限り、あんたの「家族(ファミリア)」になってあげる』

「――」

 はく、と息を継ぐ。彼女の背に朝と夜とが混ざり合い、冷たく、熱く、強く、美しい『(そら)』が浮かんでいる。

 「使い魔にしてやっと丁度いい」?誰がそんな馬鹿なことを言ったんだ。この宙に、宙の瞳に圧倒される。ニコリと彼女が微笑んだ。

 声にならない返事にメルヴィスは気を好くし、優一の額にキスを落す。

『それじゃあ……。ここから本当に出て行く前に、全部きれいに直していきましょうか』

 人型になったメルヴィスの足が屋根から離れ、塔の先端に難なく立つ。

 一つ、息をして。そして、


 妖精が、謡いはじめた。



 歌声が聞こえてくる。崇は手摺りに手を置いてそれを聴いていると、屋上のドアが開く音が聞こえる。

「…身体を冷やしてしまうよ」

「すぐに暖かくなりますよ。…メルヴィスの事ですか?学院長」

 眼下では今正に学院が「修復」されているのが見える。崩れた煉瓦は組み上げられ、罅が入った壁は綺麗に塗られ、亀裂が入った地面ですら埋まり見事に元通りだ。

 建造物だけでなく、荒らされた芝や花壇には緑が戻り折れて撤去された樹も再び芽を出しみるみるうちに元の光景を取り戻す。破壊された光景を逆再生しているような錯覚に陥りそうなほどだ。

「それもあるよ。…彼女は止まり木を見つけてしまったようだね」

「不都合ですか?」

「【学院】には、かな。…彼女を留めておきたい魔法使いは大勢いる。私もその一人さ。…けれど、私はもう分かってしまっているから。私は最早ただの魔法使いには戻れず魔術師ではないように、彼女も羽化をし妖精であれど学院に戻ることはないことを」

 やっとこれで諦めを言える、そんな口ぶりだ。

「…竹中崇。私からの話を聞いてくれるかい」

 崇はカルラと向き合う。古代が首筋に少し動いたが、両者の間に緊迫はない。

「今代の学院長として、先代の学院長の言葉を君に――そして私達からも、君に伝えよう。

君一人を枢軸国に差し出したこと。一より多をとったこと。我々はただ傍観することしかできなかったこと。――すまない。我々はただ無力であり、君を贄にした」

 崇の睫毛が影を作る。

 ――これは、記録として残された情報だ。崇は朧気にしか覚えていない。

 第二次魔力世界伝播大戦では、連合国・枢軸国に関わらず徴兵が行われた。当然、多数の魔法使いと魔術師を抱える【学院】にも例外はなくその手は伸びてきた。

 連合国は単純に国力が勝る分一度で手を引いたが、枢軸国はそうはいかなかった。

 何より、枢軸国はどの国よりも恐れられていた。何を持っているかが分からず、断れば学院に何を放つか分からない。魔法に魔術、呪いに災禍の罠?いいや。病原菌に火薬、毒と化学物質だって彼らは降らせただろう。恐ろしいことだ、分からないことは。

 枢軸国となった三国の出の学生も、戦う責務もない子供も渡せるものか。当時の学院長はそれでも毅然と拒んだ。そうしたら、多数を殺さず学院に干渉しない代わりに、あの呪われ子を、総てを(ころ)す子供を差し出せと。選択権はなかった。

 カルラは当時同意書に署名する崇を見ていた。泰然とした表情で、震えることなく万年筆を滑らせ、同意書が学院長の手に収まり「(たしか)に」と口が動くのをしっかりと見つめていた。彼女に目を合わせられる者などいない。皆罪悪感に溺れていた。

「では」

 カルラはその声に俯き加減だった顔を上げる。

「その謝罪は、ここで終わりにしてください。…。いいえ。謝罪というより、貴方がたの罪悪に区切りを付けるための利己は、ここで終わりに。私のあの時に後悔は無かった。分かって私は行きました。私は謝罪を欲してはいないのです。昔も、今も」

 崇は笑っていた。恨みも、怒りもない。

(ああ、この子は)

 元の性格もそうだ。そして在り様を師から学んだ。納得できるのなら、それを受け入れるのだ。自分というものに対する執着の薄さがそれに拍車をかけている。

 怒りを、恨み言を、何もかもが終わってしまった今でも彼女が吐き出したならそれでよかった。許された気分にもなれただろう。怒りという炎でその時ばかりは燃やせたのだから。だがそれは許されない。その刻は訪れない。

(どうか。どうか。誰でもいい、この虚空の地獄から彼女を連れ出してくれ。彼女にこれ以上、彼女のものを手放させないでやってくれ。あんまりじゃあないか。次に手放すものを数えさせるなんて、真っ当な人間にさせるべきではないだろう)

 屋上でカルラは一人手摺りにもたれ掛かる。妖精の歌声が僅かばかりに傷を慰めた。


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