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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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17


 侵攻から二日。被害は大きく壊された建物も多くあったが、本棟や大学棟は無事だったため授業が再開される。

 活気はまだ弱いものの、平穏が戻ってきた。遠くに生徒の声が聞こえる静かな病室で、崇は目を覚ました。

「………」

 ぼんやりと白い天井を見上げる。病室に入れられた怪我人の大半は昨日の段階で医務室を出ることができたため、崇は今個室だ。

 ゆっくりと体を起こすと真っ白なシーツの上に手のひらよりも小さな黒い鰐が乗っている。すやすやと安らかな寝息を立てている。

「…頑張ったんだね、古代」

 ようやく、崇の表情から微笑みが零れた。


 それから、崇の病室には色々な人が入れ替わり立ち替わりやってきた。ウォルフとクロード、優一はもちろん。熔鉱蜥蜴の研究をしている教授やお見舞いに来てくれた教え子達。

 体調は順調に回復していたが、一つだけ、どうしても治らない部分があった。

「ううう……これでも取れないの……!?」

「ごめんね。わざわざ来てくれたのに」

「あっすみません!!違うんです!これは竹中さんの顔にこんなの残したそいつが悪いんです!!」

 イザベラがぷりぷりと怒っているのは、崇の左頬に残った聖紋のことだ。既にその効力は消え去っているが、鎖が連なったような紋章は未だに消えず、学院の術者や魔法使いがどうにかこれを剥がせないかと苦心したが結果はこの状態だ。

「崇ちゃんが闇だから余計に深く刻まれてるのよね…。他の邪滅に訊くのがいいんでしょうけど、絶対に教えないでしょうし」

「でも顔は駄目ですよ、顔は!!見えなくすることはできますけど、そういうことじゃないんですから!」

 イザベラが呼ばれたのは変身の魔法の応用でどうにかできないかとウォルフが声を掛けたからだ。だが法術と魔法は歴史的な背景が相まって折り合いが悪く、解除の魔法がかけにくいという。

「失礼します。竹中さん、面会を希望している方が来ていらっしゃるのですが…」

 その時、看護科の学生が困った様子で来客を伝える。現在崇は治療中という扱いのため部門メンバー以外は関係者しか面会できないことになっているのだが、その人物はかなり妙な様子らしい。

「誰だよ?」

「竹中さんの大叔父だと仰っているのですが…」

 ウォルフは怪訝な顔をする。崇は現世の出身だ。大叔父、つまり彼女の祖父母の年齢の人間は普通に考えれば存命とは思えない。

「大叔父…ですか?」

「……あ、もしかして」

 だが崇は心当たりがあったらしい。だがその続きを聞く前に、再びドアが開いた。

「ロベルタ!!!元気だったかね!!!」

 芝居がかった大声が響く。呆気にとられる外野を無視しその男性は崇に熱烈な抱擁をした。

「学院長から話は聞いたとも!邪滅の騎士を見事斃したと!しかし…これはいけないな」

 エメラルドグリーンの髪と瞳、緑色の地に細い縦縞のスーツと、緑は落ち着く色のはずなのだがどうもこの人物は雰囲気からしてひたすらに喧しい。オーバルの眼鏡が知的さよりも怪しさを増幅させている。

 絡まれている崇はというと、びっくりするくらいの無抵抗だ。猫が飼い主にウザ絡みされて「早く終わってくれ」という表情をしている図がぴったりと当てはまる。

「よしよし、我らが綺麗に戻してやろう。――そら」

 男性が崇の左頬を手のひらで撫でる。すると……学院の魔法使いが束になっても消せなかった聖紋が、綺麗に無くなっていた。

「ちょ!?今、何したんですか!?」

 イザベラが思わず立ち上がる。散々唸り苦悶していた聖紋をいとも簡単に消されたのだ。結果は良いが、「どうしてそうなったか」を追求しなければ気が済まない。

「おお、やはりこうではなければ!この顔、この造形は何物にも代えられまいよ!どうかね、我らのこの腕は?衰えておらんだろう?むしろより磨きをかけた自負があるが、どうだろう?」

「ありがとうございます。取り敢えず離れて下さい」

「塩!!」

 しかし男はこれをスルーして喋り続けるが、崇の事務的な返事に大袈裟なリアクションを取り崩れ落ちる。崇は珍しくがっつりと溜め息を吐いた。

「…………この人は、私の大叔父みたいな人だよ」

「みたいな」

「うん…」

「そうとも!ふむ、常駐部門というのだったか。その仲間かね?」

「え、ええ」

(クロードさんが…圧されてる……!)

(相当やべえ奴じゃねえか……)

 “パンドラの檻”の中で一番交渉事に長け動揺をまず見せることのないクロードが圧されている、それだけで優一達の「こいつはやばい」メーターが上がっていく。

「まあ学院の者も我らを知らなくても無理はないだろう。戻ったのは十年振りであるからな。

我らはオズ・ライマン・バンクロフト。“オズの魔法使い”とは我らのことだ。世界でただ一人の諮問探偵の友であり!その孫ロベルタの大叔父でもある!」

 優一は男――「オズ」の背景にスポットライトが見えた気がした。気のせいだった。

「しもん…探偵?孫…?ロベルタ……?」

「ああ、ロベルタは私の英名だよ。父さんがアメリカ国籍だから」

 流していいよ、と崇は背もたれに体を預けオズを見上げる。

「それで、用事は?」

「いや、もう終わった。何分気掛かりだったし会うのも久方振りだからな。何か困っている事などはないかね?」

(困っている事…)

「…貴方に出来る事なら、助けてくれる?」

「勿論。大事な姪孫(てっそん)の頼みなら聞ける甲斐性はあるぞ?」

 崇はちらりとウォルフ達に目線を一瞬送る。ウォルフはすぐにその目的を察した。

「じゃあ…私の事じゃあないんだけど。私達の代表の腕を、貴方ならどうにか出来ないかな」

 オズの表情がきょとんと固まる。そのままの表情でぐるんとクロードの方を向くと、「腕を出したまえ」とやや突拍子なく言う。

「え、あの、崇ちゃん?」

「良いから良いから」

 呆気にとられながらもとりあえず腕を出し、肘から下を無くした腕を診てもらう。

「……“オズの魔法使い”……って……。魔力技師、ですよね?」

「ああ、そうだよ」

「知ってんのか」

「どっかで聞いたような……うーんと……」

「…どうだろう。貴方ならその腕、寸分違わず作ることが可能じゃあないかな」

 眉を寄せるイザベラに対し、ウォルフはオズの事を聞いたことがない様子だ。

 オズはざっと診察を終えたが、その表情は難しいものだった。

「――出来る。が。この肘から先はどこにやった?」

「分かりません。恐らく、持ち去られたか食われたのではないでしょうか」

 優一の表情が曇る。目の前でその腕がどうなったかを見ていたのは優一とメルヴィスだけだ。とても口で伝えられるものではない。

「確かに、彼の肘から下を、『本来の彼の腕そのもの』を作ることは我らならば可能だ。だが崇、元の腕もなく、一から作るとなると…そうだな、五十年は待ってもらうぞ」

「五十年!?」

「左様。我らが受けている注文は全て終わっていないのでな」

「…なあ、バンクロフトさん。あんた、何の魔力技師なんだ?聞いてる感じ製造メインの魔力技師みたいだが」

 ウォルフが怪訝そうにオズに訊ねる。しかしどこかが気に入らなかったのか、オズは鼻を鳴らした。

「貴族の長男坊が我らを知らないのか?」

「あ?」

「喧嘩を売らないで。…彼は、ものを『創る』魔力技師の中で、間違いなく五指に入る技術者だ。

『完全な器』と『魂の物質化』、それとその『転移』、これらを組み合わせて『魂の器(シェーセル)』の技術を生み出したのが“オズの魔法使い”だよ。簡単に言うなら新しい肉体を人工的に「作って」、その中に元の魂を「入れる」技術だ。……分かる?」

「…人間の魂を、ですか?」

「うーん…?」

「?」

「あ、何となくは」

 イザベラは分かった様子だが、男三人はいまいちな様子だ。

「なに、簡単な事だ。パソコンが壊れかけたら、そのパソコンに保存してあるデータを移して確保する。そうしたら型番が全く同じの新しいパソコンを購入して、確保しておいたデータを入れる。壊れかけたパソコンは処分する。これの「パソコン」を「肉体」に、「データ」を「魂」に置き換えれば、自ずと理解できるであろう?」

「……簡単に言うが、それ、大分無茶苦茶じゃねえか?」

「ああ、その通り!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、我ら以外には不可能だ。何せ言葉の通り、人が足りんからな!」

 オズの例えは分かりやすかったが、後から追加された情報で完全に処理が追い付かない。目が回りそうだ。

「…とにかく、彼の技術があればクロードの腕を完全に元に戻せるって事なんだ。…すぐに取り掛かって欲しいんだけど、それでも駄目?」

「…ロベルタ。お前なら分かるだろう、そんなに簡単に作れるものではないと。いくら大切なお前の頼みでも、こればかりは……」

「…甲斐性はある、って言っていたのは?」

 ぐ、とオズは言葉に詰まる。優一達はそのやり取りを黙って聞いている。崇は――「我儘」を、分かって言っている。

「い…いや!それは確かに、ロベルタからの注文だ、そのままの値はつけん。だが、今すぐは」

「……私には嘘を吐かないって、言っていたよね」

「うぐっ」

 傍から見てもオズが焦っているのが分かる。完全に、姪子に嫌われたくない親戚のそれだ。

 しかし何かを思いついた崇は、それを気にした様子もなくウエストポーチを探る。

「あったあった」

「何がですか?」

「これこれ」

 崇はかなり古そうな封筒を取り出す。注目が集まる中出てきたのは、モスグリーンの地に金色の枠が引かれたチケットだった。相当古いものだが、かなり状態が良い。

「ろ、ロベルタ……!まだ持っていたのかね……!」

 そのチケットには、「ねがいごとをなんでもかなえるまほうのチケット」と書かれていた。

「それ、何だ?」

「私が四歳の誕生日に、オズさんから貰ったチケットだよ」

「…緑で思い出したが、お前の部屋にあったあのテディベアも、もしかしてそれか?」

「ああ、あれは一歳の誕生日に貰ったものだったと思う」

 ウォルフはオズに気付かれないよう崇に向かってにやりと笑う。崇の口端も一瞬笑みを作った。

「だって、魔法使いからのプレゼントだよ?大事にするに決まってるよ」

(こ、小悪魔だーー!絶対分かってやってる!分かってやってるよ!)

 優一は心の中で叫んだ。魔法使いで寿命の概念や諸々現世と違う部分はあるだろうが、堂々と大叔父と名乗り崇の事を大層大事に思っているのは初対面でもよく分かる。オズにとって崇は、彼女が大人になっても可愛い姪孫なのだ。優一も妹がいたからよく分かる。可愛い盛りの頃にあげたものを今でも大切にしてくれていると知ったら、それはもう堪らないだろう。

「…これ、使ったら駄目?」

「――ああもう!!分かった!!分かったから!!」

 半泣きでオズが音を上げた。やったー、と崇が嬉しそうに笑う。

「だがロベルタ、それでもタダにはできんぞ?我らが破産してしまう」

「うん、勿論分かっているよ。私が調達できる材料があれば出すし、いくらかは本部の方に要請できるよね?上経由で私達はここに来ているんだし」

「ああ、これならできるだろ」

「…では、クロードと言ったか。今の内に詳しい検査を進めよう。復帰は早い方が良いだろう」

「ええ。よろしくお願いします」


* * *


 クロードとオズはクロードの病室に移る。クロードの腕は今はしっかり縫合されているが、その傷口は乱れ綺麗なものではない。だが、オズが難しい顔をしているのはそれだけではなかった。

「――お前は、神経が人の倍あるだろう」

「っ…。…どうして、お分かりに?」

 崇も、ウォルフも、勿論優一もそのことを知らない。古巣である【教会】でも知る者は片手で数えるくらいしかいない秘密を見抜かれ、動揺と警戒心で心拍数が上がる。

「単なる経験則だとも。触診した時に、えらく腕が緊張していた。その緊張の伝わりが速いと分かったのだ。それに加え、お前が『聖約の騎士』だというから推測が確信へと変わったのだよ。

今その倣いがどうなっているかは知らんが。お前達の『聖約』は、本来なら自分の四肢のいずれかに刻むものだろう。そうすることで自身の肉体を無二の武装に変え、邪より人を守るという。我らが昔見た聖約の騎士はどれも自らの肉体にそれを刻んでいた。…だがお前は自らの髪に聖約を刻んでいる。魔法使いや魔術師と勝手は違えど、髪はこの世界では誰であっても貴重な資源だ。それをそのまま武器にするにはリスクが大きすぎる。そうしなければ戦えない理由があるとすれば――何らかの理由で、肉体を武器として振るえない。大体こんなところだろうか?」

「…ご明察です。“オズの魔法使い”」

 オズの言う通り、『聖約の騎士』のほとんどは自らの四肢に、特に利き腕に聖約を刻む。そうすることで法力でその部分が「純化」され、触れただけで浄化を行うことができる法力を込めた部分を作る。聖約を肉体に刻んだ部分を武器の形に変えて戦うことから、騎士が強くなればなるほど法力も強さを増す。

 だがクロードはそれができなかった。生まれついて倍の数と太さの神経を持つクロードは、聖約を刻む痛みには耐えられてもそれを武器として振るう感覚と痛みには耐えられない。だから痛覚を持たない「髪」に聖約を刻んだのだ。

「まあ、何であろうが手が抜けないのは変わらんよ。ロベルタとの約束であるからな!」

「…貴方は、戻ってきた時にどれくらい今の状態を把握していたのですか?」

 侵攻が終わって、何もかもがとんとん拍子に、順調に進んでいる。

 崇が目を覚まし、顔の聖紋を取り除きたいと皆が考えていたその時に、何とも丁度いいタイミングで彼は戻ってきた。そして難なく聖紋を消し去ると、彼女の願いまで聞いてくれている。

 上手く出来過ぎている。クロードは素直に喜べず、どこか疑っているのを自覚していた。

「さあ、研究室が荒らされていたことしか聞いておらんかったな。ロベルタが怪我を負ったと知ったのはその時よ」

「…てっきり、聖紋のことまでは知っているのかと」

「ははあ。さては君、奇跡に慣れておらんな?幸運を喜べんタチだろう。それはいけない。人生というのは長い物語だ。良いことが続いているならそれを喜んでおいた方が得だぞ?作者の好みだ、我らにはどうにもできん。作者が誰かは知らんがな!」

「は…はあ」

 彼の言っていることがよく分からない。

「我らは単にしたいように、約束を守りたいようにしているのだよ。今していること全て、あの子愛しさでしかない。…生まれついて呪いを負い、聡い子供はそれがどう扱われるかを分かったうえで生きている。諮問探偵を祖母に、聖職者の強い血統を祖父より引き、魔術師達のブラックリスト入りを果たした諜報員を父に持ち。現世で継げる最高クラスの贈り物を持って生まれてきた彼女が、死を望まれ続けながら生きなければならないなど。

我らは悲しいと感じたのだ。出来る限り彼女に向く悲しみや不幸を除いてやりたいと思うのさ。なに、おかしいことではない。至って普通だろう?」

 やはり、何を言っているのか分からないのが大半だが。取りあえず、このオズという人物(?)は成程言葉にしてみれば、親類の幸福を願い不幸は少なくあってほしいと思う、よくある感情で動いている。

(…そうね。これ以上悪い出来事なんて、そうそう起きないわ)

 いずれにせよ、皆等しく幸運だった。


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