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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
瓦斯と洋灯
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「竹中さん…っ!」

「っ、藤崎くん」

 崇の意識が晴れたのは、優一が湖に入ったバシャバシャという音が聞こえたからだった。

 魔法使いである崇とは違い、優一は〈魔力世界〉を認識できるだけの人間だ。そんな彼に水の上を歩く芸当などできるわけでもなく、波にバランスを崩したのは目に見えた結果だ。

「こら、さっき無理をしたのにその上身体を冷やしたら駄目だよ」

「で、でもっ。書き損ないの大きいやつに突っ込んでいってから全然竹中さんの魔力が動かなかったから…!」

 優一の腕を引いて湖面に顔面ダイブするのを防ぎ、崇は先程まで自分がいたはずの湖の中央を見る。

「竹中さん?」

「いや…何でもないよ」

 湖は凪ぎ、白い空と木々を映している。本体だった「澱み」が消滅したことで、あれだけ際限なく湧いていた書き損ないもいなくなり心なしか空気も澄んでいた。

『ソウ、怪我はない?大丈夫?』

「ああ。ありがとう、メル。藤崎くんも。よく頑張ってくれたね」

「い、いえ。そんな…」

「謙遜しなくていい。…君は魔法使いではないけれど、間違いなく君は妖精の力を借りて『魔法』を使った。それは紛れもない君の成果だ。誇っていい」

「…はいっ!」

 対岸に本物の青墨の姿が見える。元いた世界に戻るべく、澱みがいた中央に背を向けた。


* * *


 工房の床に水溜りが出現する。

「あ?」

 次の瞬間、ウォルフの目の前には崇と優一、メルヴィスが現れていた。

「!」

「あれ、ウルフ」

「あれじゃねぇよ。何してんだお前…」

「ちょっとね。まあ、誰も怪我はしていないし何も取られていないから大丈夫だよ」

「…ふうん?」

 本当だって、と崇が不満そうに言い返す。そうしているとウォルフの背後で古代がこちらをのぞき込んできていた。

「ああ、古代。ごめんね、心配をかけた」

「おい」

「今は…あれ、お昼前じゃないか。なんだ。てっきり古代が呼んだのかと思ったけど」

「……お前、なあ」

「工房には呼んだ時以外入るなって言っただろう。ほら出ろ!」

 時計の針は十一時を過ぎたくらいだった。工房から出て、まだ少し寒そうな優一をソファーに座らせて崇はキッチンに立つ。

「ウルフ、ワインとって。赤ならなんでもいいから」

「赤?グリューワインか。あいつには早いだろ」

「アルコール飛ばすから別に大丈夫だよ。ありがとう」

 そんな話声とほのかにアルコールを含んだぶどうの匂いが優一のところまで届く。

(グリューワイン?)

 ウォルフに乗せられた猫に似た何か(多分妖精)を撫でていると、ようやく身体が温まってくる。

「お待たせ。アルコールは飛ばしてあるから、ゆっくり飲んで」

「あ、ありがとうございます」

 差し出された飲み物は、見た目は温めたワインだったが柑橘類やスパイスの匂いがほのかにする。

 一口飲んでみると、思っていたより口当たりがよく飲みやすかった。

「…美味しいです。これって、ワイン…ですか?」

 崇が席を外していたため優一は思い切って左側のソファーに掛け同じものを飲んでいるウォルフに訊いてみる

「ん?…ああ。グリューワイン…ホットワインってこっちじゃ言うのか?温めたワインだよ。アルコールは飛んでるから、未成年でも安心、ってな」

「ぐ…。ら、来年には成人ですし。そんなに子供じゃありませんよ僕!」

「…は?来年で成人?」

 マジかよ、とウォルフは悪びれもせず呟いた。

「そうですけど」

「悪い。十四、五そこらだと思ってた」

「ちょっ――」

()てえ!」

 堂々と茶化すウォルフの脳天に拳骨が落ちる。

「年齢のことで人を茶化すなって前も言っただろう」

「痛ってえな!しゃあねえだろそう見えるんだからよ!」

「藤崎くん、次同じようなこと言われたら殴っていいよ」

「え…いやあ、その…」

「で、一体お前らはどこに行ってたんだよ」

 崇を遮るようにウォルフがやや大きめの声で訊く。

「…かなりの年月を経た顔料石。そこで問題があったみたいでね。お陰で疲れたよ」

顔料石(ピグメント)?なんでそんな物の中に」

「さあ…」

 あ、とそこで崇に案が浮かぶ。

「藤崎くん、この事を『記録』しておいてくれないかな。それならウルフも読めるし、手っ取り早い」

「あ…そうですね!分かりました。これを飲んだら、すぐ、に……」

「おっと」

 前のめりになって倒れそうになった優一の肩をウォルフが押さえる。すう、と聞こえてきた規則正しい寝息に、ウォルフは呆れたように眉を上げた。

「寝たぞ、こいつ」

「よっぽど疲れたんだね。魔法を使って探知をしたようなんだ」

「魔法を?妖精は…ああ、あいつか。

――って、そりゃそうだろ。こいつがどれだけ魔力を持ってるかなんざ知らねえが、俺達魔法使いでも元の魔力は多くないんだ。お前と一緒にするなっての」

「…そうだね。この子は肉体も魂も若い。ガッツはあるよ」

「お前な…」

 はあ、とウォルフは大きく溜息をつく。

「そういえば、依頼の手紙が来てたけど開けた?」

「ああ。中身は…――」



 夜。

 工房に、カツカツと鉱石を砕く音が響く。

 作業台の上には小さな真珠と茜色の透き通った小さな羽根、そして件の顔料石に細々とした器具が置かれている。

 崇の肩には黒い鱗を持つ鰐のような妖精が乗っかり、今は真珠を割るノミのような器具の大きさを替えている。

 妖精と同じ鱗模様の鉱石でできた器具が、小指ほどの大きさの真珠をカツン、カツンと割る。四分の一欠けに割った真珠を、今度は粉になるまで削っていく。地道な作業を終えて、先に顔料石の一欠けと茜色の羽根を溶剤に入れておいたインク瓶にさらさらと注ぐと、真珠の粉が月明かりに反射してスノードームのようにきらめいた。

「…よし」

『(完成か?)』

「うん。後は窓辺に置いて溶けるのを待つだけだね」

 なるべく音を立てないよう階段を上り、優一の部屋のドアをそっと開く。

 中にいたメルヴィスに崇は少し驚いた顔をしたものの、お互い口元に人差し指を立て窓辺にインク瓶を置く。

 優一の寝顔を覗くと、穏やかな表情だったことに少し安心する。メルヴィスがインク瓶にもたれかかったことを見届けて、崇は静かに戸を閉めた。



(了)

登場人物


竹中 崇

本作の主人公。【妖精の輪(フェー=ルウェン)】に所属する魔法使い。不思議な眼を持っている。


藤崎 優一

本作の語り部。【右筆(ゆうひつ)】という組織から派遣された新人の『記録者』。


メルヴィス

夜空が少女を象ったような美しさを持つ妖精。高飛車系ツンデレ。


古代

崇の使い魔(ファミリア)。寡黙で強面だが本人に他意はない。黒い鰐の姿が本来の姿。


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