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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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16


 狼が駆ける。洗練された狩りを行う狼の動きに有利をとれる者などおらず、翻弄されその前肢の一撃に昏倒させられる。

「狼!?」

「お前ら、無事だな!戦況を報告しろ!」

「きょ、教官!?その声、グレイズ教官ですか!?」

「そうだ!全体が分かる奴がいたらそいつも呼んで来い!」

 学院の温室やそれぞれの庭がある植物エリアに入る広場に固まっていた侵入者を峰打ちにし、ウォルフは警邏隊の隊員から状況を聞く。侵攻からしばらくは劣勢だったが、やはり竜が墜ちたことで学院側は戦意を盛り返した。対照的に侵入者側は消沈していき半数以上が撤退・捕縛されたという。

「ですがまだ分りません。学院の資産がどれだけ持ち去られたのか、どこに賊が潜んでいるかはこの状況では探知も難しいと思われます」

「…ああ……。正門に来てたグウィンは陽動が目当てだと言っていた。本命を狙っている奴がまだ潜ってるはずだ。学院はサイバーセキュリティの仕組みはできてんのか?」

「自分は門外漢ではありますが、研究員や教授の方々で内部でそのような防衛チームがあると聞いております。今の学院長に変わってから体制が大きく変わったようで、最新鋭の防備機構を次々と取り込んでいるそうです」

「…そうまでして安全にコストかけてんのか、今のトップは」

 想像していたよりも進んでいる組織形態にウォルフは純粋に驚いた。しかしその仕組みが出来上がっているなら今前線に出ている者達がするべきことは絞られていく。

「学院側からの指令は?」

「ここには戦闘が終わったら待機、と。引き続き警戒を続けますが…」

「ああ、俺は他に行く。気をつけろよ」

「ええ。お互い無事で会いましょう」

 ウォルフは一つ遠吠えをあげる。音を反響させ、大まかにだがどこにどれだけ人が集中しているのかを把握するのだ。集中して音からの情報を取捨選択していると、若い悲鳴が聞こえる。次はそこだ。

 どれだけ速度を上げても、どれだけ敵を蹴散らしても頭に纏わりついて離れない心配がある。竜を墜とすなど、並大抵の実力でできるものではない。現状でそんな実力者は限られるだろう。ウォルフは勘だけだが、それが崇だと感じていた。

 あの振動は(おお)きな生き物が二体墜ちた衝撃だった。いくら(ウォルフから見て)ほぼ底なしの魔力量の崇でもドラゴンの召喚ができるとは聞いていない。だが使い魔が熔鉱蜥蜴なら、理論上不可能ではないわけだ。可能性は十分にある。

 自分が行けばよかった?その後悔に自分に対して怒りが湧いた。崇は現世の人間だ。自分達のように頑健ではない。彼女自身もそれはよく分かっている。…その筈だ。それを信じるしかない。「友人」の心配にしておくしかない。

 あの場で自分が竜の場所に行くと言っていたなら。

 ――名付けまいとその時を引き延ばし続けているこの感情を、逃がすことができなくなっていただろうに。


* * *


「……ここじゃなくねぇか?」

 パートナーのサキュバス達と手分けして辺りを見ていたグウィンだが、件の竜は全く見つからない。あれだけの大きさなら見つからないはずがないのだが。

 だが辺りは竜が暴れたと思えばそう見えるほどに荒れていた。塔などの大きな建物は辛うじて無事だが、その外観はぼろぼろで地面には魔法でできた傷が残っている。

「…。――!!おい……あいつ…」

 その時、グウィンの目が竜ではないものを見つけた。それの近くには前に見た白銀の鎧が転がっている。グウィンは警戒しながら確かな足取りで彼らに近付いていく。

「こいつ……やっぱり屑じゃねえかよ」

 グウィンは心底呆れた目で既に事切れたアルフレートを見下ろし、その体を蹴り飛ばす。そして下にいた崇を注意深く見ながらしゃがむと、力なく半開きだったその目が動いた。

「………ウォ………ル……フ…………?」

「……王子様じゃなくて悪いな、魔法使いさん。だが俺は敵じゃねえよ。待ってな、すぐ治してやる。シェリー!バレンシア!こっちだ!」

 その声にすぐに駆け付け、魔力が尽きかけていることを察知したシェリーとバレンシアは胸の上に手を当て自分達の魔力を流し込もうとする。しかし魔力が入ろうとしたその瞬間、彼女達の魔力は跳ね返され空中に霧散してしまった。

「なっ……」

「おい、どうしたんだよ?」

「魔力が…入らないの!触ることはできるのに…!」

 魔法や魔術を拒絶する類の魔法かと思ったが、違う。魔力が肌に触れても何も起きないが、中に魔力を流そうとすると全て弾かれてしまっている。

「それは彼女が、“魔精殺し(ブリシム)”だからだよ」

「「「!!」」

 突然現れたその声の主に三人ともその方向を注視する。目くらましの魔法を解いて現れたのは鹿のような動物の骨を被った女性――学院長のカルラだ。その後ろには魔法使いや魔術師がついており、いつ杖や本を構えてもおかしくない。

「彼女から離れてくれるかな。君達の狙いは学院の研究や資産だけじゃない。最も大きな目的は、彼女を殺すことだろう。【教会】から『邪滅の騎士』を出してまでのこの所業、違うとは言わせないよ」

「!おいおいおい…前払いの傭兵がそこまで知らされてると思うか?それに見てただろ、俺達が彼女に魔力を注ごうとして失敗したのを。彼女を殺す気なんて毛頭無い。むしろ助けちゃくれねぇか?…このままだと、魔力が尽きて死ぬぞ」

「…」

 カルラはグウィン達を注意深く観察する。この三人は同じ竜に乗って侵攻してきたが、彼らの「仕事」が終わるとすんなり寝返り学院側を助け侵入者側を倒してここに着いた。本人が言う通り、仕事内容以外の情報は聞かされていないのだろう。大規模な作戦になればなるほど、こういう人物ならそれで十分事足りる。

「…そうだな。今は人命が最優先だ。ついておいで。医務室に彼女を運んでもらうよ」

「よろしいのですか?」

「ああ。私がいる以上、勝手はできないだろうからね」

 シェリーが空中から毛布を取り出し崇の胸元に掛ける。グウィンが軽々と崇を抱き上げたところでカルラが先導し、校舎の中へと入る。

「竹中さんを医療班に任せたら、知っていることを全部話して貰えるかな。そうしてくれたなら、拘束も契約(ギアス)もしないことを約束しよう」

「おう、それでいいぜ」

「話が早くて助かるよ」

 シェリーとバレンシアは少しだけ様子を窺っていたがグウィンの態度に彼がそう言うならと微笑む。しかしカルラの口元は未だ硬いままだ。



 竜が墜ちてから四時間後。侵攻は完全に鎮静し、捕らえられた傭兵や鹵獲された飛翔型熔鉱蜥蜴以外は散り散りになって撤退した。

 生徒・職員・警邏隊のいずれにも死亡者はなし。クロードと崇も一命をとり留めた。

「クロードさん!竹中さん!!」

 夜の九時。やっと面会が可能になり、二人の病室のドアが勢いよく開けられる。

「しー…。静かにね、優一君」

「クロードさん……!!」

「…生きてるか」

「ええ、この通り。…崇ちゃんはまだ眠ってるから、静かにね」

 クロードは体を起こしているが、その左手は、ない。

「クロー、ド、さ…っ……!う、で……!!」

「っ!?ちょ、ちょっとぉ。泣かないで、優一君。どうってことないわよお」

「ごめん…なさいっ……。もっと…僕が、早くついてたら……っ……!」

「そんなことないわ。……アタシの方こそ、ごめんなさいね。ヘマしちゃったわ」

「謝って簡単に事が済むなら苦労しねぇよ。悪魔相手に簡単に後ろ取られたなんてな」

「ウォルフさん!」

 優一がウォルフに食って掛かる。ウォルフの表情はそれでも険しいままだ。

「自分が何だったのかを忘れたのか。白兵型が腕を取られたってことの意味がどれだけ重いかお前も分からないわけじゃねえだろ。藤崎」

「だからって、そんな言い方っ…!今そうやって言ったなら事態が好転するんですか!そんなわけもないでしょう!!」

 ウォルフに人を殺せそうな目で睨まれるが、優一は臆せず睨み返す。去年の優一だったら竦み上がっていただろうが、仲間として対等だと自分でようやく思えるようになったことで真っ向からその目を見ることができた。

「ちょっと…やめなさいよ、こんな所で…」

「うるさい」

「ほら崇ちゃん起きちゃったじゃ……ん!!??」

「は!?」

「竹中さん!?」

 勢いよく仕切りのカーテンを開けたが崇は相変わらず眠っている。しかしあの声はしっかり全員聞いていた。幻聴ではない。

「………寝言かしら」

「いやそれにしてはしっかりはっきり言ってたような…」

「…言いそうだな、崇なら。寝るのを邪魔されると物凄く機嫌悪くなるし」

 なんともジャストタイミングな寝言(推測)に微妙な空気が流れる。しかしまた誰かが口を開きかけた時、一応のノックの後にカルラが入ってきた。

「喧嘩は終わったかな。この部屋の一番の重傷者は彼女なんだ。大きな声は出さないでくれ」

「学院長さん……!」

「……」

「申し訳ありません、カルラ殿。…ですが、彼らもしたくて口論していたのではなく。アタシが不甲斐ない故に、そうさせてしまったのです」

「…私には分からないことだ。そう気にしなくてもいいよ。竹中さんの様子を見に来たんだ。何せ輸血をしなければならなかったからね」

()()!?」

 信じられないという様相で声を上げたのは優一ではなくクロードだった。ウォルフも一歩だけカルラに詰めたが、その一瞬だけ本物の殺気が出たのを優一は感じ取る。先程の睨みなど、優しく思えてしまうほど。

「え…と。そんな、危ないことじゃないですよね?お二人とも、どうしてそんな…」

 優一にとって、輸血自体は身近ではないもののそのための献血や医療ドラマで輸血のことは知っている。大量の血を失うと人間は死んでしまう。だから血を足し、時間と、命を繋ぐ。特段変なことでも、恐れたり怒ったりすることでもない。

「ああ、現世出身の君ならそう思うだろう。しかしね、藤崎君。こちら側の世界では、血はあらゆる面で特別なものだ。魔力そのもの、もしくは同等のもの。私達人間が持てる原初の魔力とも言われている。

だが『血』に付きまとうのは負の印象(イメージ)だ。呪いや悪意を媒介するもの。儀式の贄や呪印を描くのにも使われる。端的に云うなら『穢れ』だと見られているものだ。…そんなものが、どこの誰が提供したかも分からないものが己の内に入ると思うと、ぞっとするだろう?」

「…………っ」

 どうしてだろう。話している内容も自分に向けた感情にも恐れる部分はないと思うのに、この女性を怖いと感じる。

「…そんなことを推し進めるから、私は魔術師だと揶揄されるのだろう。でもね。少なくとも彼女はそうしないと救えなかった。

…使い魔と引き離され、彼女自身が元々持つ魔力…“魔精殺し”しか使えない状況にされたのだろう。それでも教会の騎士を相手に負けはしなかった魔力量は驚嘆に値する。神格と同等、ともすればそれ以上といえるだろう。しかし魔精殺しだけで死力を尽くして戦って、一種の(たが)が外れ…彼女の魔精殺しは、他を傷つけはせずとも己にかかる魔力を拒んだ。傷は塞がっていたが血も足りず、血が足りなければ魔力は減り続ける。魔力は受け付けなかったが針を刺すことはできたからね。だから輸血という手段に踏み切ったのさ」

 崇の顔をするりと撫で、カルラはベッドから離れる。頬には赤みが差し、穏やかな表情で眠っている。命の危険はもうないだろう。

「それじゃあ私は失礼するよ。君達も、ちゃんと体を休めるようにな」

 人気のない廊下にカルラは消える。長く続きそうな沈黙を、ウォルフが破った。

「…悪かったな。良くない言い方をした」

「僕も……ごめんなさい。僕の方も、言ったって何もできないことだったのに」

「ううん。いいのよ。…誰も、間違ってないから。

…さ!そろそろ、寝ましょう?消灯時間がここにはあるみたいなの。ちょっと早いけど、早目に寝て疲れを取りましょう。夏期講習が全部終わったわけじゃないものね」

 少しだけぎこちなかったがクロードの提案に二人は頷いて返す。優一は寮に、ウォルフは宿舎に帰る時、その夜の空気はやけに清々しかった。


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