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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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「――《執記・結界展開》」

 魔導石の前にできた巨大な「繭」、その内側から溢れた光が柔く裂いていく。次いで聞こえた優一の声に赤鬼(レッドキャップ)が扉の方を振り向いたが、執記で描かれた結界が魔導石の部屋を封鎖する。

 光が収まり、解けた繭から二人が姿を現す。優一の目は光を宿し、迷いなく筆を執る。そしてメルヴィスの姿は、大きく様変わりしていた。

 手のひらで握れるような体躯も、蝶の翅もない。人間の女性の体躯に成長し、紫色の燐光を放っていた蝶の翅は夜空の色を写す蛾のような丸い翅へと変わっている。翅だけではない。髪に瞳、睫毛の一筋に至るまで、彼女の色は「夜の星空」に染まっていた。

『――あ?待てよ……こんなトコロで、「羽化」したっていうのか…!?』

 妖精にも様々な種類がある。純粋なものだけでなく、精霊寄りのものや、動物寄りのものも。メルヴィスのような翅を持つ妖精は、『羽化』という自己変化を起こす力を持っている。

 だがそれを行う妖精はほぼいない。できないと云った方が正しいだろう。羽化は極度に無防備になるだけでなく、繭の中は蛹のように「自分」の形を保てない。何より妖精は、今のままで十分なものを変える気など露ほども無いのだ。

 ――何より。「変わってしまう」、その恐怖に耐えられるものは少ない。

 それでもメルヴィスは羽化することを選んだ。危険極まりないこの状況で。力を得るため。逆境を超えるため。自分が大切だと思うものを守るため。

『時間を作って、ユウイチ』

「分かった」

 優一の前に執記の『絶対空間(ボード)』が浮かび上がる。優一専用の、万全の執記を行うための「紙」だ。

 メルヴィスの周りに細かな光が湧き立つ。只ならぬ魔力の流れに赤鬼は空間を歪ませ、自身の武器を取り出す。

「ッ!」

『アア……気分が悪いかぁ?まだ食ってる最中でよ』

 その鎌は赤い化け物だ。刃にはびっしりと人間の「歯」が生え、肉厚な動きで蠢いている。まるで「口」のようなその刃の中には、誰かの指先が咀嚼されているのが見えた。点々と浮くカラフルな目玉は恐怖の情を抱いているかのように揺れ、断片的な言葉がその鎌から発せられている。

『今日はまだまだ食えるみたいだ。あいつはあっけなかったぜ!腕一本食っただけで落ちやがった!部門代表ってのは根性なしなんだな!』

「あれは…やっぱり、お前かッ!!」

 優一の手が動く。インクで象られた鋼鉄のハチドリが赤鬼の目を狙う。

 赤鬼が鎌を振るうとハチドリの頭がもげ、落ちた。鎌を振りかぶり突進してくるのを、優一は魔力の壁を作り出し止める。

「《執記・防壁展開(グランドウォール)》!!」

 分厚い透明な青色の壁が鎌を阻む。壁越しに睨みあったが鎌が削れないと見ると赤鬼は一旦後退する。

『《蝕め》』

「ッ――《複製、現界》!」

 赤鬼が口を持った黒い球を召喚する。結界の効果で魔力を「食っている」のを瞬時に判断し、優一は的になる魔力壁を複製しばらつかせて置いていく。読み通り、結界よりも濃い魔力の塊に球体は次々と食いついた。

『チッ…しゃらくせえ!!《開け》!!』

 空間を切り裂くように鎌を振る。その「線」が赤黒く、まるでインクのようになった次の瞬間、文字通りそこが「開く」。

 開いた「そこ」から吹雪と雹が防壁を打ち付け次々と砕いていく。優一の集中が逸れた隙に赤鬼は再び接近すると、悠々と壁を削り罅が入る。

「く、うっ……!」

 防壁に全力で魔力を回すが、いくら魔導石の近くとはいえ上限がある。だがここで壁を壊されたら終わりだ。

 諦めるものか。優一は脳をフル回転させる。

(「――血は、魔力と深く混じり合うものだ」)

「!」

 優一がこの部門に来て、一番最初に教えてもらったもの。優一は迷いなく自分の左腕に線を引く。

「《執記・切刃》!!」

 叫んだ瞬間、勢いよく血が噴き出した。優一の魔力が溢れ、防壁が再生し赤鬼を弾く。

『クッ…ソ!!けど、もう後がねぇなあ!!』

 優一の魔力の底が見え、歓喜し赤鬼は鎌を振る。防壁がまたもや悲鳴を上げる。

「い、い、や……!!《通すものか、絶対に》!!!!!」

 あらん限りの声で叫ぶ。火花が散り、ギリギリと擦れ削れる音がする。

『――《来なさい》!』

 その時、凛とした声が時間を止めた。魔法陣が作られ、赤鬼は何者かに蹴り飛ばされる。

「―――……。よーくやった、青モヤシ。根性だけは認めてやるよ」



 数分前、塔の外。

「まだ信号弾がある……間に合う、これ?」

「間に合わせるんだよ!っつーか、他の奴らはどうなってる!?」

「声がうっさい!聞こえてるっての!!」

「おめーもうるせえよ!!」

 ぎゃんぎゃんと口喧嘩しながらフィリップとイザベラは魔導石の塔に一直線に向かっていた。戦況は変転し、竜が墜ちたのを切欠に学院側が盛り返してきている。警邏隊の通信器で戦況は分かっているが、クロードの通信が途切れ今もその所在が分かっておらず、かつ魔導石の塔から打ち上げられた信号弾を消す処理がされていない。恐らく信号弾を撃ったのはクロードで、敵に倒された可能性が高い。

「まだ何もないなんて考えられないけど、私はあくまで負傷者の保護と救命処置!そっちがメインなんだからね!こっちに敵飛ばさないでよ!」

「分ぁかってるっつうの!!」

 塔の真下に着き、二人の足が止まる。

「っ!いた!あの人がリュピさん!」

「てめぇら邪魔だ邪魔だぁ!!どきやがれー!!」

「うわぁ小学生かよ……」

 侵入者を蹴散らすフィリップにイザベラはドン引きするが手早く処置をする。優一達は気付かなかったが、腹部の方も削れ出血していた。

「増援は来てる!?」

「…いいや!しばらくは来ねぇな。止血してあったってことは、先に誰か…」

 だがフィリップが周囲を見回したその瞬間、彼の足元に紺地に銀色の線で描かれた魔法陣が現れる。

「「!?」」

「え…なに、これ…?」

「ッ……あ?俺…か?」

 まるで誰かに話しかけられているようにフィリップはその「誰か」を目で探す。

「――……()ばれてる」

「え!?」

「分かんねぇ。けど、喚ばれてるんだよ。…魔導石が危ない」

「!――ちょっと待って!」

 『魔導石』、その言葉にイザベラは入り口に向かおうとしたフィリップの肩を掴み無理矢理こちらを向かせる。

「なんだ…………ッ!!??」

 フィリップの唇に柔らかく甘いものが押しつけられる。すぐに離れたイザベラの髪がミントグリーンとブロンドからパッションピンクに戻っていくが、フィリップにとってはそれどころではない。

「『魔力の口付け(エナジーリップ)』。誰に喚ばれてるか分かんないけど、大一番なんでしょ。私の魔力をあげる」

「は!!??なんっ……なんで、キ……!!」

 フィリップの声はそこで途切れた。魔法陣が発動し、彼の姿は消える。恐らく『召喚』されたのだろう。学院を守る誰かによって。

 イザベラは投げキスで人払いの魔法をかけると、通信器に応援求めのコードを打った。



 場面は現在に戻る。満身創痍の優一に労いの言葉を掛け、フィリップは立ち上がる赤鬼を見据えナイフを持つ。

『…フィリップ・グレイズね』

「…ああ」

『魔導石の行使者として、魔導士メルヴィアの後継として貴方に命令します。あの不届き者を叩き出して』

 見ず知らずの妖精に召喚されただけでなく命令されるともなると不可解になると思えたが、フィリップはむしろ合点がいった様子で軽く頷く。

「お前――“魔門の悪魔(ファウラス)”だな。前科八十八犯、人喰らいの逃亡犯がこんなとこで何してやがる」

『げ……警邏隊かよ。やってられるか。《開け》!』

 開いた「門」はあの吹雪の世界に繋がっている。恐らく大陸を越えるだろう。逃げられたら追えない距離だ。それを分かって赤鬼はニヤつく。

『ざまあ。それじゃあ――「《閉じろ》!!」

 だがその笑みは静止した。フィリップの言霊の魔法に門がばつんと閉じる。

『……なん…で…俺の門が……』

「なーるほど。伝承じゃ魔導士は侵入者に特攻な奴を召喚するって聞いてたが、確かにその通りだな。おうお前、【討伐隊】第二師団、人狼狩りのグレイズ家って知ってるだろ?」

 ナイフを弄び、兄そっくりの獰猛な笑みが浮かぶ。

「俺はグレイズ家が三男、フィリップ・グレイズ様だ!うちは錬金術と言霊が十八番だが、言霊の力は、俺が一番強い!!」

 膝蹴りがもろに入りドアを壊し赤鬼は踊り場に吹き飛ばされる。何度もやられまいと赤鬼は鎌を振るい、ナイフと歯ががりがりと削れ合う。振りの大きな鎌をフィリップは難なく躱し、柄に軽く乗りすれ違いざまにナイフを振るが咄嗟に出た手に防がれる。

 悪魔は人間と比べて自己治癒能力が圧倒的に速い。フィリップのナイフで出血することもなく毒などが仕込まれている様子もないため倒れはしないが、優一との戦いでペース配分を考えず、いざとなったら逃げればいいと高を括っていたため余力もない。

『ふっ……ざけんなよ!!聞いてねぇぞ、こんなの!!』

「誰に言ってんだよ。嘗めてかかったツケが回ってきたんじゃねえか!ざまあねえな!」

『ッ……!!《開け》!《開け》!《開けよ》ッッ!!!』

「《閉じな》!!」

 聞き分けの無い子供を一喝するようにフィリップが言霊を放てば門は全て閉口する。

 螺旋階段から飛び降りた赤鬼を追ってフィリップは迷いなく飛び込む。空中で態勢を立て直した赤鬼の鎌が牙を剥き出しにフィリップの足元を狙い、それをギリギリまで引き付けてフィリップは風の足場を作り躱す。

 言霊の威力は術者の精神や相性もあるが、込める魔力が多ければ多いほど単純に力を増す。フィリップは性格上常に強気で後手に回ることもなく、イザベラから魔力を貰った(彼にとっては複雑だが)ことで、完全にフィリップが優勢だった。

「《止まれ》!!」

『ッ!!』

 びたりと赤鬼の動きが止まる。その大きな隙に、赤鬼の顔面に延焼弾が撃ち込まれた。

『ア゛アアアアッ!!』

「――お終いだ」

 赤鬼の背後をとったフィリップのナイフが振られる。項から首の後ろ半分を切られ、赤鬼の体は窓を割り外へ飛び出した。

「あ゛っ!!しまっ……!!」

『ア゛……』

 フィリップも後を追うが、赤鬼の胸からどす黒い魔力が渦巻く。

『……《開け(グッバイ)》』

(あれは!!)

 眼下に門が開いた。その奥は吹雪ではなく、瘴気が渦を巻き得体の知れないものが蠢いている。

 これに干渉してはならない。フィリップの第六感が大音量で鳴り響く。

「クッソ…!」

 その一瞬で赤鬼は門に落ち、すぐに閉まった。フィリップは着陸すると、地面を殴る。

「ちくしょう……!!」

 取り逃した悔しさにガスガスともう数回地面を殴る。数回大きく息を吐いてから一つ舌打ちをしてフィリップは立つと、塔の中に戻っていった。


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