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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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「…ちゃん、お兄ちゃん。寝ちゃったの?」

「…あ…?」

 優一は目を開ける。すると目の前に妹の顔があった。

「っわ!?」

「あ、起きてた!そんなに驚かなくていいじゃん!」

「いやびっくりするって。…って、え……?」

 優一はゆっくりと辺りを見回す。間違いない。ここは………自分の家、だ。

「どうしたの?」

「引っ越しの準備で疲れたんだろう」

「今日は夜更かししないのよー。いつも遅くまで起きてるんだから」

「あ、うん…」

 なんだか夢を見ていた気がする。内容は思い出せないが、不思議な夢を。嫌な感じはしなかったから、いい夢だったのかもしれない。

 優一はクッションでうとうとしていたようで、リビングには家族全員が揃っていた。父はいつもの安楽椅子で小説を読んでいて、母はお気に入りの旅行番組を見ている。世界のあちこちをレポーターが旅していく番組を見るのは毎週土曜日の家族の習慣のようなものだ。妹の「優希(ゆき)」は部屋からゲーム機を取ってきて遊んでいる。

「いいわね~イギリス。優一の卒業旅行は国内にしたけど、やっぱり次はヨーロッパにしましょうよ」

「気が早いだろう。パスポートやビザの手続きだって面倒じゃないか」

「次に行くときは優一も成人してるでしょうし、取っておけばいいじゃない」

 テレビはイギリスの田園風景と、観光名所である城が映っている。あまり寒そうな感じはしないな、と優一は思った。

(あれ…。寒そう、って?)

 何を見てそう思ったんだろう。だが、特に何も思い当たるものはない。

「そういえば優一、ガムテープちゃんと買ってきた?」

「…あ。忘れてた」

「寝る前にするって言ってたじゃない。どうするの?」

「今からコンビニで買ってくるよ」

「買ったらすぐに帰ってくるのよー」

「はいはい」

 生返事ついでに財布とスマートフォンをポケットに入れ、玄関を出ようとすると優希が小走りで寄ってくる。

「コンビニ行くならついでにお菓子買ってきてー。お願いー」

「それはいいけど…この前体重ヤバいって叫んでなかった?」

「はっ!?よ…夜に食べなければ全然大丈夫だから!!」

 怒り気味の行ってらっしゃいを背中に受けて優一は家を出る。藤崎家のある住宅街からコンビニまでは片道十分程で、微妙に近いとは言いにくい。

 コンビニで目的のガムテープと、妹のご機嫌取りにプリンを買っていく。特に何もなく、帰り道をゆったりと歩いていただけだった。

「…?」

 おかしい。何かが見えない気がする。

 もう一歩踏み出そうとしたその時。

「ッ!?」

 がつんと後頭部を打たれたような衝撃が走り、意識が落ち『おいおい、思いっきり引きずられてんじゃねーよ』



「――!!」

 うねりを上げて魔力が視神経に通る。直立しているはずなのに視界が回り、優一は膝を付く。

『どんだけ潜るんだ。探してもいねーって思ってたらお前、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「お……前……は……」

 ニヤついて優一を覗き込むのはあの赤鬼(レッドキャップ)だ。コンクリートに手をついて立とうとするが腕に力が入らず蹲るしかない。

 酷い眩暈はまだ続き、周りなどろくに見えない状態だが優一の脳は赤鬼の言葉と今までの「記憶の自分」の行動、そしてかつて自分が生まれ育った街の匂いとコンクリートの触感、それらをフル回転させて先程の赤鬼の言葉の意味を完全に正しく理解した。そのせいで、余計に眩暈は収まらないのだが。

 自分はこの赤鬼によって、『過去の自分の記憶』の中に突き落とされたのだ。自分の魔力は「深海」で、物事に没頭したり深く深く探ることに向いている性質を持っているそうだが、成程、こうして「突き落とされる」と記憶の中にも深く潜ってしまうらしい。

「何を…する気だよ……」

『言ったろ?お前の本当の記憶に潜れって。知らないままの奴は、その情報を握ってる奴が少なければ少ないほどそれを与えられることしかできない。まあ同級生のよしみと、これでもお前には悪いことしたと思ってるんだぜ?』

「……僕でも分かるよ。最後のは、嘘だろう」

『なんだよ。学校の話はぜーんぶ信じてくれたくせにさ』

 まあいいや、と赤鬼は指を鳴らす。優一の家まで数メートル程の距離をショートカットして、二人は家の前にいた。膝を付き下を向いていた優一の視界には、粉々になった木くずが散らばっているのが見えた。

(……何、が。何が……起こった……?)

『なあ優一、押し入り強盗に遭ったって言うんなら、誰がソレ通報したんだ?』

「……」

『お前家族の葬式の時、棺桶に入った家族の顔、見たのかよ?』

「…………」

『なあ、優一。

お前葬式終わるまでの記憶、全部消されてんだろ?』

「……………!」

 何も。何も、言えなかった。

 そうだ。何も、覚えていないから。

 何も、見ていないから。

 何も、訊ねていなかったから!!

『ちゃんと見ろよ。これが――』

 髪の毛を掴まれ無理矢理顔を上げさせられる。

『真実だ』

 優一の視界いっぱいに、潰れた家が映る。

 そう、言葉の通り。優一が生まれ、育ち、そして明日旅立つはずだったその家は、真上からぺしゃんこに潰されていた。

 平面の何かに押し潰されたのではなく、巨大な生き物に踏み潰されている。血は数ミリも見えていない。けれど今までの何よりも、先生と慕った男が吸血鬼だと知った時よりも、仲間が無理矢理人狼に転化させられ餌として狙われた一瞬よりも!眼前の光景は悲惨だった。凄惨だった。

「どう……して……。こんな………」

 いつの間にか現れた人達――この異常事態を感知し駆け付けた【妖精の輪(フェー=ルウェン)】の職員が敷地に入っていく。優一と赤鬼の姿が彼らに見えていない様子なのは、これがもう既に「終わった」「記憶」だからなのだろう。

 記憶が終わる。黒い水を浴びせたように記憶の景色はぼやけていき、黒い空間に二人は残される。

『なあ優一。変えたくねえか?』

 優一の左肩に赤鬼は肘を置き、思いもよらなかったことを聞かせてくる。

『理不尽じゃねぇか。そうだろう?何の罪もない家族が、ただ運がなかったってだけでこんなことになるなんて。変えたいだろ?助けてやりたいだろ?』

「……でも。……でも、本当のことを知ったって、僕はッ…!!」

『いいや、あるぜ。お前なら』

 甘い声に仄かな光が灯る。優一の手にはいつの間にか記録筆が握られている。

『お前の力ならできる。お前の、その「記録」の力で…あの日の運命を書き換えてやればいいんだよ。そうすれば、何もかもが元通りだ!』

「………!!」

 優一の前にあの日の「記録」が広がる。無機質な文字は他の記録者によって書かれたもので、淡々と優一の家族がもういないことを突き付けてくる。

 【右筆】は、世界のありとあらゆる出来事を記録する機関だ。それは、人類が記録という形で情報を遺した頃から存在するともいわれている。何故、「記録」をつけなければいけないのか。それをある人は、「事象の改変を防ぐため」だと言う。

 例えば、フランス革命が起こらなかったら。例えば、産業革命が起きなかったら。例えば、エジソンが閃かなかったら。世界の現在を形作るのに必要不可欠だった事象が、"If"のものに置き換わったら、世界の在り様は激変するだろう。これは一例だが、それに事象の大小は関係しない。そして事象の「記録」に携わる記録者は後からでも事象に干渉――『書き換える』ことができる。即ちこれは過去の改変、歴史、そして世界の改変となる。それをしてはならないのが記録者の鉄の掟だ。

『ほら、やれよ!お前の実力なら百パーセント上手くいくぜ!お前なら出来る。間違いない』

 ペン先が震えている。そうだ。ここで書き換えれば、家族全員が死んだという事象が完全に違うものになる。就寝ギリギリに段ボールにテープで封をして、新しいアパートに引っ越しをして、普通の大学生活がスタートする。

 インクが染みを作る。たった一文を書き換えればいいんだ。そうすれば皆助かる。

『どうした?助けてやらねえのかよ。あーあ、可哀想になあ』

 本当なら死ぬ必要のなかった命。助けたい。心の底から助けたい!神様が願いを叶えてくれるならどうだって縋る程には!

 だが優一はペン先を滑らせることができなかった。同じくらい大切なものができてしまったから。自分が「書き換えた」ことがバレたら、あの人達はどんな目で自分を見る?

 怖い。

 どうしようもできない。どちらも選べない。それが「藤崎優一」という人間で、普通の善性と人並みの怯えを持つ青年だ。

「……たすけて…………」

 赤鬼にも聞こえない声が泡になる。

 その時、とんでもない熱量が降ってきた。


* * *


『ユウイチ。ユウイチ。私の声を、聞いて!』

 それは光だった。ジリジリと肌を灼く熱だった。その熱量は、優一と彼女だけを包んでいた。

「メルヴィス………?」

 光の塊は直視していても目が眩まず、ずっと見ていたい色をしている。表情は読み取れず、その大きさは自分より少し小さいくらいの人間サイズだが、優一はその光がメルヴィスだとすぐに分かった。

『ええ、私はメルヴィス。もう……』

 ほろ、と光の粒が遊離する。それは絶え間なく浮き続ける。…光の涙だ。

『ねえユウイチ。本当に、書き換えるの?』

「っ………」

『だめ。ぜったいに、だめ。だって……全部、なくなっちゃうじゃない……!!』

「全部……?」

『全部、無くしちゃうの?あそこで出会ったことも、暮らしたことも、戦ったことも。ソウのことも、クロードのことも、ウォルフのことも!……あたしのことも、ぜんぶ、全部!!』

「ぜんぶ………」

 二人の周囲の光は一層強くなるが、メルヴィスの光はその外見が分かるくらいまで落ち着いてくる。ユウイチの知る姿よりずっと大人びた彼女だが、その瞳からは大粒の涙が溢れていた。

『そうよ!いなくならないでよ。無かったことにしないでよ!あたしをこんなに泣かせて……絶対、絶対許さないんだから!!』

 妖精にとって、メルヴィスにとって事象の変化は彼らの興味を引くものではない。掟で禁じられている、とか、してはいけないことだから、と優一を「理由」で縛る気は全く無く。

 ただ、「いて欲しいから」。「失ってほしくないから」。「捨ててほしくないから」。光となり、むき出しになったメルヴィスの感情は至ってシンプルだった。

 優一が落っことしそうになったものを、メルヴィスは全部抱えて降ってきた。

「…ごめんね」

 頬をなぞって指先で涙を受け止める。添えた手を小さく握る手のひらがいじらしい。

「なくさないから。もう、大事なものを落さないから。だから、泣かないで」

『すぐ止まるワケないでしょ。ばか』

「ごめん…」

 視線を迷わせて見えたのは星の原だった。どこまでも続く銀河に天の川が重なり合い、光の原をつくっている。どこまでも広くて、どこまでも行ける。漠然とそう思った。

『…ん。それじゃあ、戻るわよ』

「うん」

『戻って、あいつを速攻で追い出すわ』

「…できるかな」

『当り前よ。あんたが時間を作って、あたしが魔法を完成させる。絶対成功する。あたしが選ぶんだもの、間違いないわ』

(…ああ。…同じ言葉だけど、彼女の方がずっときれいだ)

 メルヴィスは優一の方を向いてじっと立っている。優一はピンとこず少しそのままだったが、ああ、と理解して手を差し出す。メルヴィスは満足そうにその手に自分の手を乗せた。


「行こう」


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