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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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『はあ』

 古代の姿がダイヤモンドに埋もれたのをフェリクスは上空から眺めている。周りを見渡せば未だ戦いは続いており、侵攻側がやや圧している状況だ。

 加勢してやろう。フェリクスは大きく翼を羽ばたかせる。近くの塔の屋根まで上昇したその時、罅が入る音がした。

『――は?』

 フェリクスは古代を見下ろす。何も変化は起きていない。当然だ、自分はダイヤモンド。自分より硬度の低いジルコニアでは、動くだけで傷が付く。鉄の処女に入れられれば動けば動くほど傷が増えるのと同じだ。もっとも、そんな気も起きないだろうが。

 気のせいだ。大方、そのジルコニアが割れたのだろう。

 なら、この罅が入る音はどうして続いているんだ?

『!!』

 ばきり、と明らかに砕ける音がする。

 まさか。まさか。そんなことがあるものか!古代にとって、あの棺は鉄の処女(アイアンメイデン)で、更には針の天井に押し潰されているようなものだ。今古代がダイヤモンドの殻を押し上げているならば、皮膚は裂け、肉が切れながら押し上げているのと同じだ。そんなことができるものか!

『――』

 声がする。古代は生きている。フェリクスの瞳孔が開いた。

『グオオオオオオオオオ!!!!!!!』

 金剛の天蓋を押し上げ、黒い竜が咆哮を上げる。

 ダイヤモンドで罅が入った部分は薄く剥がれ落ち、瞬時に再生を行う。完全に天蓋を突き破ったそれは、フェリクスの目線にある塔にゆらりと巻き付いた。

『な……。なん…だ…。なんだ、お前は……?』

 目の前に現れたそれが古代だという認識自体はできている。だが、その姿にどうしてもフェリクスの頭が追い付かない。

 それは、今の地球に存在する生き物ではなかった。体長は二十メートルを優に超え、そのフォルムは丸みを帯びごつごつした鰐の鱗はなめらかなものになっている。胴に生えていた手足は櫂のような鰭脚に退化し、その尾は全長の半分の長さまで伸びている。その姿はかつてジュラ紀に海中を支配した爬虫類の、頂点捕食者そのものだった。

『(何だ、か。お前が虚仮にしていた水棲型の、過去の姿だよ)』

『ッ……!?そ…んな訳があるかっ!!進化も退化も一代でできるものじゃない!!最高進化の僕を馬鹿にしているのか!!??』

『(ああ、一代だけ進化しようが退化しようが高が知れている。…俺はそれを無力な程に、惨めな程に分かっていた。だが、()()()()で諦めきれると思うな!!!)』

『!!!』

 古代の鰭脚が力強く空を、大気に満ちる魔力の海を漕ぐ。フェリクスは旋回し突進を避けると、結晶弾を古代の腹に撃ち込む。

『貫通しない……?』

 弾は確かに、古代の腹部に撃ち込まれた。だが弾はジルコニアに埋まり、割れた欠片が剥がれる。先程までなら間違いなく割れている攻撃に、古代の体は薄い亀裂が残るだけだった。

『うっ…わ!』

 尻尾が眼前に迫っていたのをどうにか避けるが、風圧に人間体で飛んでいるフェリクスは大きくよろめく。

 このままでは簡単に吹き飛ばされる。回避が間に合わなければ潰され動けなくなる。フェリクスはこの戦いで初めて咆哮した。

『(!)』

 古代の前にドラゴンの姿に戻ったフェリクスが飛翔する。ただし、こちらも本来の大きさだ。単純な体長は古代の半分程度だが広げた翼には獰猛な輝きが宿る。

『僕は負けない。負けてやるものか!!』

『(…良いだろう)』

 熔鉱蜥蜴のブレスが衝突した。その残滓に戦いの影響で壊れた煉瓦が熔ける。

 互いの結晶が空を飛び交い、砕け散った欠片がさくさくとタイルに刺さる。金属の破壊音と咆哮が響き、空からは結晶と炎の欠片が降ってくる。誰かが「世界の終わりだ」と叫んでいた。

『結晶成形・(ウィング)!』

 フェリクスの背に二対の翼が新たに生成される。だがそれは元からあるドラゴンの翼ではなく、それよりも未熟で細いように見える。

『喰らえ!!』

『…!』

 今し方生成された翼が射出され、一直線に古代へ飛んでいく。古代は炎を吐いたが翼は熔けない。

『(…間に合うか…?)』

 古代はいつもの結晶盾に多くの魔力を練り込み、硬度は同じだがより厚い盾を生成する。寸での所で翼は盾に刺さり止まったが、その先端は盾を貫通した。

『(…刃翼か!)』

『当然!』

(…疾い…!)

 フェリクスの翼が古代の尻尾を打ち、ばらばらに砕ける。しかし古代の尾は砕けた端から一気に再生し、フェリクスの胴を強く打ち付ける。

『っく…そ…!』

 古代が退化し形は違えど飛ぶ力を得ても、空中戦に利があるのはフェリクスだ。それと共に、自然界の争いで同種の戦いとなれば利があるのは身体の大きいものであるのも確か。

 現状はどちらも決め手に欠け、最終的に狙うのは相手の喉笛もしくは「核」となる。どんなに砕けようが魔力と資源さえあれば再生する熔鉱蜥蜴だが、その再生の核が壊されればどんなに魔力があっても再生できない。

『っ!』

 先に仕掛けたのは古代だった。大きく空いた口は鰐の面影を残し凶悪な牙がずらりと並ぶ。咬まれたらひとたまりもないだろう。砕ける気はしなかったが。

『ぐっ……!』

 その隙にフェリクスの刃翼が古代の胸元を十字に切り裂く。砕けはしなかったが、大きくその形に抉られる。

『もらった!』

『(…いいや!)』

『しまっ――!!』

 真上から炎を浴びせられ、フェリクスの視界が紅蓮に染まる。だが炎の中から古代の牙が現れた時、フェリクスの身が竦む。古代の牙が、フェリクスの片翼を確かに捕らえた。

『うっ…ぐ……!離…せッ!!』

 ギリギリと鉱石が擦れる不快な音がする。バキ、とまたも「あの音」がした瞬間、フェリクスの血の気が引いた。

『そん…な…!!嫌だ!!こんな、ところで!!』

『…!!』

 古代の喉をフェリクスが噛む。古傷の痛みに古代はもがくが、決して翼を離さない。古代の喉笛が砕けるのが先か、フェリクスの翼が砕けるのが先か。その時、古代はフェリクスを咬み咬まれたまま大きく方向を変えた。

(…!?何を…?)

 突進速度で古代は学院の方向に戻る。フェリクスの顎の力が緩んだ一瞬の隙に古代は大きく体を反転し、「そこ」に真っ逆様に向かって行く。

『お前……ッ……!!まさ、か…!!』

『(…お前は硬い。俺達の中でも、一番。だが)』

 古代は万力の力を込め、フェリクスの翼を咬み続けている。どんなにもがいてもその牙からは抜け出せない。

『(お前の構造は、脆い。お前は、「圧」には強いが…「衝撃」には、耐えられないだろう!!)』

『っ…うわあああああああああああああ!!!!!』

 フェリクスの巨体が学院の大理石の広場に打ち付けられる。巨大な衝撃が伝播し、あらゆるものを砕いた。


* * *


 正門前、幻術のバトルドーム。

 とても拳と額がぶつかり合ったとは思えない音が響く。どちらからも血が流れたが、どちらもリングに立っていた。両者の意識はどうなっているのか――その時、幻術を破るほどの衝撃と轟音がドームに轟いた。

「「!!」」

 幻術が解け、ドームを形成していた魔力が空中に溶けていく。

「あ……れ……?」

「なん…で……。ここ……」

 その途端に観客が次々と昏倒していく。ウォルフはその様子に聞き覚えがあった。

「…おい、グウィン。お前の連れ、サキュバスか」

「……あー、そうだよ。…言っとくが、彼女らを侮辱したら…殺すぞ」

「は…誰がするか。うちの可愛い義妹(いもうと)もそれの混血なんでね…」

 なるほどとウォルフはこの巨大な幻術に納得がいった。これだけの規模の幻術を維持し、かつ対象に違和感を感じさせないとなると膨大な魔力が必要になる。グウィンの連れたサキュバス二人はまず二人だけの魔力で幻術をその辺にいた男にかけ、そのエナジーを吸うことで幻術の規模を広げ、幻術で引き込んだ新しい人間のエナジーを吸収し…そのサイクルを繰り返すことで巨大なバトルドームの幻術を維持していたのだ。吸精されると対称は意識が朦朧とする。熱狂の渦に巻き込んでしまえばそれをおかしいと思わなくなる寸法というわけだ。

 そうして幻術が強制的に解かれた今、エナジーを多量に吸われた観客は昏倒したのだ。魂までは吸っていないようだが、目覚めるのにはかなりの時間がかかるだろう。

「竜が、墜ちた…!!」

「竜?…あれか!!」

「間違いねえ!マジか!あいつを倒す奴が出るなんてな!ダイヤモンドの熔鉱蜥蜴だぜ?しかも飛翔型、ドラゴンだ!おい兄弟、心当たりねえのかよ!?」

「はしゃぐな!おいグウィン、お前はもういいのか」

 訝しげに訊くウォルフに対し、グウィンは先程の闘いからからっと変わって晴れ晴れとしている。

「ああ、俺の仕事は終わりだしな。先払いの傭兵仕事なんざたかが知れてる。俺はあくまで、『正門で陽動しろ』としか命令されてねえし」

「だったら学院(こっち)側に協力しろ。どうせお前、このままだと侵入者側で一緒くたにされるぞ。殺戮趣味がないなら穏便に済ませたいだろうが」

「――ああ、そうだな!」

 はあ、と溜め息をついてウォルフはひとつ息をする。そうするとウォルフの身体が歪な音を上げ、骨格がめきめきと変化し、外見がヒトから狼へと変わっていく。

「…ってぇー…。グウィン、俺はあっちに行く。戦闘の匂いが濃い」

「おお…それが人狼の『転化』か…初めて見た。それじゃ、俺達は竜が墜ちた方に行く。学院側の援護に回るぜ」

「負傷者がいたらどこでもいいから建物の中放り込んどけよ。学院側なら入れて侵入者側なら弾く結界が張られてる」

「よーし分かった。行くぜ!」

「はぁーい!」

「りょうか~い!」

 サキュバス二人を連れてグウィンは竜の落下地点に向かう。それを見届けウォルフは戦いの匂いと音がする方向へ走り出した。


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