11
『ぐぅッ!』
地面に叩き付けられ、すぐさま人間体になった古代は停止飛行する竜を睨みつける。白金に輝くその竜は光の粒子を纏わせると、プラチナカラーのドラゴンの翼を持つ美青年の姿に変化した。
『酷い声だ。あの魔法使いの使い魔だというから、期待していたのだが…。まさか、水棲型とはね』
優雅に羽ばたくその姿と圧はまさしく「ドラゴン」だが、厳密には違う。彼の鱗は、宝石でできている。即ち『宝石蜥蜴』――古代と同じ、『熔鉱蜥蜴』だ。
熔鉱蜥蜴がよく磨かれ、手入れされたものは宝石蜥蜴と呼ばれる。熔鉱蜥蜴は三つの型に分かれており、古代は「水棲型」、相対する熔鉱蜥蜴――「フェリクス」は「飛翔型」だ。
熔鉱蜥蜴は種名にある通り、爬虫類の姿をとる。「水棲型」はウミヘビやカメ、ワニなどの姿が本体となる。「陸棲型」は陸上で生きるヘビやトカゲ、「飛翔型」はドラゴンや龍など、空を飛ぶ爬虫類に属するとされるものが分類される。火の精霊でもある熔鉱蜥蜴が何故爬虫類の姿をとるのかは判明していない。種としての性格というものは無く、その姿の爬虫類と概ね同様とされている。
熔鉱蜥蜴にも生存競争はある。そしてその場合、優位に立つのは決まって飛翔型だ。理由は単純、空の利があるからだ。
『君達は陸に上がろうと這いつくばっているのがお似合いさ。水棲型に構っている暇はないんだ』
『(…好き勝手言ってくれるものだな!)』
『!』
頭の中に響いた古代の声にフェリクスは怯んだが、古代が放った結晶のミサイルを瞬時に叩き落とす。
その隙に古代は左腕を結晶の顎に変え、跳躍する。フェリクスは顎をひらりと躱したが、古代は空中で反転すると太い尻尾をフェリクスの肩に叩き付けた。
『…!』
『…経験は本物か。だが、これで君もよく分かっただろう?君じゃあ僕には勝てない』
古代の尻尾が砕け散り、フェリクスは肩に付いた結晶の残滓を払い落す。同じ熔鉱蜥蜴だが、古代の尾は砕けたにも関わらずフェリクスは無傷だ。
『妙だなとは思ったけど、君、ジルコニアだね?』
『……』
古代は何も返さない。だが、フェリクスは可笑しくて堪らないといった様子で嘲笑した。
『っははは!いっそ可哀想になってくるよ!「偽性ダイヤモンド」が、本物のダイヤモンドに敵うはずがないのに!』
『(黙れ!!)』
『だが、事実だ。このようにね!』
フェリクスがダイヤモンドの結晶を出現させ、古代のミサイルを真似るようにそれを降らす。古代は走って躱すが、掠った結晶は容易く古代の体に罅を入れ、砕けていく。
『《―――》』
『!』
古代が短く唱えるとその姿が見えなくなる。妖精の魔法だ。古代を探して目が地上を探るその隙に、炎がフェリクスの視界を覆う。
『くっ!』
『……っ!』
思わず振れたフェリクスの尻尾が古代の脚を砕いた。再生しようにも、身体のあちこちが罅割れ崩壊寸前なのをどうにか留めている状態では魔力が回せない。
ジルコニアも、決して脆い鉱石ではない。だがダイヤモンドの熔鉱蜥蜴であるフェリクスはあらゆる特性で古代を上回っていた。
『はあ…案外粘ったね。正直疲れたよ』
『……』
『ボロボロじゃないか。…同族を砕くのは、僕の精神衛生上よくないからさ』
フェリクスは指に炎を吹きかけ、円を描くと白金の炎が古代の真上を覆う。
『金剛の棺で眠るといいよ!君にとっては刃の棺で永遠にね!』
『……!!』
炎が結晶となり、古代の肌に触れた先から次々とダイヤモンドが覆っていく。自分と同等の硬度の鉱石では傷付かない古代の体だが、自分より硬度の高い鉱石が相手では簡単に傷付き、砕けてしまう。
封鎖されていく意識に、古代の脳にある記憶が蘇る。それは奇しくも、一度目の死を迎えた時の記憶だった。
――――――――――
何年前に出会ったか、なんて古代は一々覚えていない。妖精と人間では寿命や時間の捉え方が違うものだ。
それは冬がようやく終わりを迎えた頃。ぼんやりと冬眠から意識が覚めてきて、春を待ち遠しく思っていた時だった。
『――』
びし、と音がした。
隙間から外の風に触れるのが分かる。だが、体は動かない。瞬間、岩の肉体が割れる痛みがやってきた。
(――……!!失…敗…した……)
目覚めの失敗、それは熔鉱蜥蜴にとっての死だ。冬の寒さで冷え固まったものに強い熱を加えればたちまち砕けてしまう。
痛い。痛くて、冷たくて、いたい。
声も出ない。四肢は固まったままで、痛みにもがくこともできない。
目覚めに失敗した熔鉱蜥蜴は、いずれ風化し砕ける末路を迎える。それまで、この意識は続いてしまうのか。砕かれるその際まで、終わることも許されないとは。
いやだ、いやだと嘆いても、何も起きなかった。
次に目が覚めたのは、火の爆ぜる音がしたからだった。
「フレイミア、あなたの火を貸して」
『本当にやるのか?』
「うん。だって、まだ生きてる。このままじゃあ痛くて、暗くて、怖いままだと思うから…」
響く声は精霊のものだが、もう一つの声が幼いことに古代は驚いた。彼女がしようとしていることは、死者の復活に近しいものだ。
だがこのこどもは、懸命に処置を続けた。徐々に体の痛みが和らいでいるような気になった。
決定的な変化が現れたのは、三日目。心臓が動いた。体中に、精霊の血液である魔力が流れるのが分かった。
「!」
割れていた首の肉を補うように置かれていたジルコニアが溶け合う。組織に魔力が通い、傷の外がしっかりと塞がる。炎の息を吐き出し、魔力が爪の先にまで届く。
息ができる。炎を吐くことができる。全身に火が満ちる。
――目覚めだ。かつては諦めた生への目覚め。二度目の生誕。己ではないジルコニアの殻を燃やし、その内より這い出る。
「……」
一度は死への道筋が開けたいきものを生に引き戻すのは、死者蘇生よりは不可能ではないが並大抵の技量でできるものではない。学者内なら珍しさは幾ばくかは減るが、偉業といっても差し支えないだろう。
そのこどもは、濁った白水晶の色の大きな瞳を丸くして古代を見つめていた。美しいものを見る瞳だった。
『お前、は どうして――』
声を発した古代は自分の声にぎょっとした。あまりにも酷く罅割れた、聞くに堪えない声だったからだ。こどもの隣に浮かぶ炎の精霊もその美しい貌を歪めるほどに。
『(どうして、俺を)』
「っ!?」
『ただの思念の声だ。落ち着くが良い。…思った以上に酷い声だ。此奴も驚いたのだろう』
「…ごめんなさい。どちらも治すことが、できなくて」
『(…それはいい。どうして俺を、助けた)』
こどもは、怒られることを恐れているようにぽつぽつと言った。「まだ、生きていたから」。
『(……喉笛が裂けていたのにか)』
「あなたを見つけた時、目が合ったんだ。傷が開いたままなんて、ずっと痛いままでしょう。そのままにしておくなんて、できなかったから」
『(……っ)』
その目を覗いた時、古代はこのこどもの持つものに気付いた。そして、己らの守護神でもある王との縁者でもあると。
「目覚めができたのか」
「師匠!発声器官は…だめ、でしたけれど……」
「発炎器官を生かしたんだ。文句は無いだろう。お前、これからどうする」
ドアを開けたのは左目を縫った魔法使いだった。金色の蛇の目が爛と見下ろしてくる。
『(俺は)』
一度目の生は、何も思うものもなく。ただ生きた。何も成すことも失うこともなかった。
ならば二度目の生は、与えられた生だ。なればこそ、この生の使い道を決めるのは、己ではなく。
――――――――――
(……そうだ。…そうだ。俺は、俺のこの命は、与えられた生なのだ)
薄く目を開けると針の痛みが突き刺さる。
(あるじ。あるじ。助けなければ。傍に行かなければ。守れない。そうだ。ここで砕けている暇など無い。ここから出なければ。大きく、おおきく、おおきく――。
巨きく、ならねば)




