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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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「ふっ……く、う……ッ!」

「動きは良いが、女の細腕で我が槍が止められるか!」

 力の差で押し負け、崇は受け身を取って後退する。いつもは防御を古代に任せているが、本体同士が遠く相手がどこにいるか、感知している余裕もない以上自分だけで戦わなければいけない。

 アルフレートは崇の手の内を既に調べており、崇の得意とする魔法の撃ち合いを避け近距離での白兵戦に持ち込んでいた。崇も、『浅右衛門』に体を任せているだけではなく常に魔精殺し(ブリシム)を纏って攻撃しているものの、魔精殺しに耐性を持つ『邪滅の騎士』にはジリ貧だった。

 魔精殺しとて、無敵ではない。魔精殺しは「闇」の属性の魔力であり呪いだ。属性という概念が関わる以上、そこには相性というものがある。同じ力量の魔力ならば炎には水が有利なように、あるいは雷が大地には通じないように、闇と光は僅かでも優勢な方が相手に対して特攻となる。

 仕組みは単純だ。魔精殺しが鎧と接する前に、光の魔力で相殺する。光の魔力は崇にとって劇薬に等しい。触れて()すこともできない。

「《心臓を穿て!『聖雷の槍(スピア・オブ・ラミエル)』》!!」

 距離を取った崇に、アルフレートが持つ大槍と同等の大きさの雷の槍が飛んでくる。見切って躱すのを予想していたようで、休む暇もなく槍が飛んでくる。

「《Der Abgrund ist da. (深みの淵を此処に)》」

 崇は浮遊する大きな魔力塊を生み出す。そこから魔力弾が次々と生成され、無差別に動くものを追尾する。大半は槍と相殺されるが、アルフレートにもその弾は向かってるようだ。

「《Dunkelheit ohne Marke. Ein Schatten ohne Stimme. Ich rufe die Lücke zwischen der Zeit ein. (標無き闇。声無き影。無間の狭間にこそ我は喚ぶ)》」

 雷が崇の頬を掠め、髪を焦がす。巻き起こる煙の中突進してきたアルフレートの突きを槍の頭を踏み押さえ、瞬時に跳び上がって薙ぎ払いを避ける。『浅右衛門』が魔精殺しを纏った斬撃を飛ばし、懐に潜り込まれないながら一定の距離を保つしかない状況が続く。

「《神の名の下、邪を滅する。我が名は“白の邪滅(ホワイト・レーク)”!聖雷の加護を!》」

 アルフレートが槍を撫でると眩い白の魔力が槍を包み、やがてその魔力が全身を覆い輝きを得る。

「《Überlaufen von mir. Das ist die Flut. Der Fall des Abgrunds, Der große Sturm der Finsternis. (奔れ、我が内より。其は潮流。深淵の瀑布、暗黒の大嵐)》!」

「!!」

 呪文を唱え切った崇の手には、浅右衛門ではなく杖が握られていた。瞬間、闇の魔力そのものが湧き立ち、巨大な壁となって崇とアルフレートの間に立ちふさがる。槍が纏っていた聖なる魔力――「法力」は魔精殺しに霧散し、不定形の魔力の壁は津波が如くアルフレートを呑み込みにかかった。

「おおおおおッッッ!!!!!」

 アルフレートは法力を全集中させ、槍と対になる盾を召喚し魔精殺しを相殺する結界を張る。

 爆風が巻き起こり、魔精殺しも、法力も完全に吹き飛ぶ。傷こそ負っていないが、アルフレートは相当な魔力を消耗していた。

 その時こそが狙い目だった。

「《――Die Uhrzeiger zeigten auf das Zeitlimit. (其の針は刻限を指し示した)》」

「!?」

 先ほどの魔力壁の呪文とは全く別の呪文を崇は唱えた。アルフレートは咄嗟に盾を構えたが、崇が唱えたのは()()()()()()だった。

「か……ッ……!!」

 アルフレートの盾を貫通し、漆黒の長針が鎧を貫く。

(まさか……まさか、まさか……!!)

「……どうやら…初遭遇の、ようだな…?『解離詠唱』には」

 してやったり、と崇は笑う。崇が唱えていたのは、間違いなく魔力壁の呪文だ。呪文の全文を唱えた魔法は相応の質量と効果を持ち、生半可な唱え方では教会の騎士を大きく消耗させることはできない。

 アルフレートを貫いた長針の攻撃魔法もそうだ。略式詠唱では、盾を貫くこともできない。ならばどうすればいいのか。…簡単だ、「同時に全文を唱える」こと、それができれば勝機となる。

 呪文の詠唱法にはいくつか種類がある。崇が使った『解離詠唱』は、声に出して唱える通常の詠唱と、心の中で唱える『心内詠唱』の二つを組み合わせた詠唱法だ。常ならば、この二つの詠唱法は同時には成立ができないとされている。特殊な人格や脳の構造をしているならば話は別だが、呪文を口で唱えながら別の呪文を心の中で唱えるのは不可能に近い。

 ――では、崇は何故それができたのか。

 至極単純だ。“魔精殺し”という、最凶最悪の魔力を持って生まれたこと、それだけが彼女を強者に仕立て上げているのではない。旧い時代の魔法使いに師事し、その術を余すことなく学び、現代において「基礎」としか扱われない魔法言語、詠唱術の修練を重ね――師匠、“蛇目(バジリスク)”の名に恥じず、魔法の根本の一つである『言葉』の総てを手繰るに至った。

 『言葉』の技量で彼女の上を往くものは、片手の指でしか数えられない。ひたすらに積み上げた修練が、不可能といわれた『解離詠唱』を可能とし、法力の相殺力を押し返した。

「なめ……るなアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

「!!」

 爆風の中から光輝を持つ鎖のようなものが飛び出し、崇の左頬に張り付く。その瞬間、想像を絶する痛みが崇に襲い掛かった。

「ぎっ……ああああああああ!!!」

 痛みに耐え切れず、崇は絶叫し崩れ落ちる。その痛みは皮膚を剥がされむき出しになった神経組織に硫酸を流し込まれているような、肉体と精神を壊しにかかる苦痛だった。

「ひははははははははははッッ!!ああ、その声を待っていた!!やはりお前達はいい声で啼く!本当に!!」

 がらんと脱ぎ捨てられた鎧が黒い塵となって消滅する。鎧の魔力が魔精殺しと申し訳程度に拮抗している間にアルフレートは鎧を脱ぎ捨て、間一髪のところで生き延びていたのだ。その胸元には微かな切り傷しか無かった。

「ううっ……!!あ、ああ、あっ……!!」

 余りの痛みに見開いた目からは勝手に涙が漏れ、歯はかちかちと笑う。息をするのもやっとで、崇は自分が息ができているのかも分からなかった。

「ああ、全くもって憐れな!深い深い闇のお前には耐えがたい苦痛だろう!」

「!!」

 崇の上に馬乗りになったアルフレートがシャツの襟に手をかける。ボタンごと引き千切ると、崇の顔に刻まれた光の鎖の紋様が左側の頬から鎖骨、腹部にまで伸びているのが露わになる。

「やはり、お前達の肌は聖紋がよく映える。お前達を一撃で再起不能にする手段を持っているのは当然だというのに!勝利を確かなもののしたお前のその顔!痛みに変わるその表情!!()()()()()()()()()()()!!」

(――こいつは。獣だ。人じゃあない。ただの、けだものだ)

 苦痛が身体を裂くが、崇の意識は明瞭だった。生存を諦めてなるものか。痛みに朦朧としている暇などないのだ。

「――ああ、そうだな。お前はこのままでは、一度もその『役目(きのう)』を果たさず死に行くのか」

「…な……に…を…………」

 聖騎士の整った顔貌は醜悪だった。腕を押さえつけられ、男の体躯が覆い被さる。

「その役目を果たさせてやろう。それがお前への手向けだ」

「……貴様……ッッッ!!!」

 アルフレートの意図が、分かった。分かってしまった。

 刹那、柔い絶望が身体の中心から満ちる。だがそれは瞬時に憎悪の炎へと変わった。

 怒りが、魔力が、闇が、炎となる。体の中で渦を巻く。だが、アルフレートはそれに気付きながらも意に介そうともしない。

「ふざけるな!!!腐敗し堕落しているというのに聖騎士とはな!!屑底の汚泥と呼んだ方が相応しいだろう!!」

「吠えるな。法力の回りが早くなるぞ。ああ、痛いのが好きか?」

「死ね。邪滅に呪いあれ、その血族に絶望あれ!!私は絶対に許さない。腐れ如きが騎士を名乗るな!!」

「黙れ!!」

 鈍い衝撃が脳天を打つ。口の中に血の味が広がった。

 ぶつ、と何かを切る音が崇の耳に届いた。アルフレートが指を下着の胸元に引っ掛け、切断したのだ。崇の首はアルフレートの手に押さえつけられ、息が苦しくなる。

 ぎらぎらと輝く目がおぞましい。心の奥底より嫌悪する相手に触れられることが恐ろしい。アルフレートの息は荒く、興奮している。法力による痛みを忘れるほど、怒りの業火が崇を()いた。

(触るな。  触るな。  触るな!!!!!)

 闇の属性の魔力は、負の感情で増幅される特性が強い。揮発してしまいやすい「良」の感情よりも、「負」の感情は長く続く。故に、闇の魔力を持つものは悪道に進みがちだ。

 だが今崇を蝕む『聖紋』は闇の魔力に反応して法力が強くなる。崇が生み出す魔力が一点を超えれば、同じだけの法力が崇を殺すだろう。

 だがそれでも構わない。好き勝手に触れられ、嬲られ、凌辱されるよりは。アルフレートを殺して自分が死ぬ覚悟は、問うことでもなかった。

(《暴れろ》!!!!!)

 全身全霊の魔力を湧き立たせる。魔力の針は確かにアルフレートの鎧を貫いた。…崇の持つ魔力、“魔精殺し”の性質は「腐食」――言い換えれば遅効性。アルフレートが抵抗性を持っているならすぐに効力は出ない。ならば、その魔力の暴発を誘ってやればどうなる?

「ぁ」

 肌をまさぐる手が止まった。首を絞める力が緩む。

 声も出さず、ごぽりと口から血が溢れ出す。無感動な表情で、そのままアルフレートは崇に向かって倒れ込んだ。

「…………ッ……。はっ…………腹上死とは、上等な死に様だなあ?」

 一縷の望みに崇は賭けた。アルフレートの胸元には、魔力の針によってできた傷がほんの僅かに残っていた。奇跡か、目論見通りか。傷から魔精殺しが体内に入り込み、心臓部に辿り着いていたのだ。そしてそこで、崇が魔力を暴発させた。聖紋のせいで崇が生み出した魔力は放出できなかったが、アルフレートの体内に残存していた魔力はその胸郭内を消滅させた。その胸を開けてみれば見事に空っぽだろう。崇はその結果には微塵も興味が無いかもしれないが。

(私も、もたないかも……しれないな……。魔力を使いすぎた……聖紋に、負けるかもしれない)

 泣き叫びたい程の痛覚が復活する。生徒も、仲間も、優一やクロード、ウォルフのことも、契約(パス)を繋いだ使い魔である古代のことさえ、思考をやれない程の痛みが崇の意識を塗り潰していく。


 …誰かが、側に来た気がした。

「    ……?」

 誰の事を呼んだのかも、分からなかった。


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