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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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「さあて…行きますかね」

「精々上手くやることだな、下民」

「…次があったら絶対てめぇとは組みたいと思わねえな。お前こそ、まかり間違っても殺すんじゃねえぞ」

 白銀の鎧を纏った騎士に棘のある言葉が投げられる。その騎士よりも体格の大きなストリートファイターといった風体の男はスカジャンをはためかせ、スタイルの良い女性二人と共に騎士の騎乗するドラゴンから地上へと飛び降りる。

 それに続くように次々と侵攻者達はドラゴンが開けた結界の穴から学院の上空へと飛び込んでいく。その様子を眺めながら、騎士はドラゴンのダイヤモンドの鱗を撫で、品定めをする目で混沌とする地上を眺めていた。

「ああ、無益な殺生はしないとも」

 その兜、鎧、腰布には、『十字架』が陽光を受け燦々と輝いていた。


――――――――――


 その音の正体を、教員や講師は全員分かっていた。生徒の中にも、それを知っている生徒がいないわけではない。

「グレイズ教官!今の音、結界が…!」

「あァ、分かってる。全員外に出ろ!外に出てる生徒の避難誘導、護衛に当たれ!警邏隊の奴らと合流できるんならそっちを優先しろ!」

「「「はい!!!」」」

 屋外の演習場にいたウォルフもその音を聞いていた。前衛科の生徒は結界の存在を知っており、いざという時に動けるようその訓練も受けている。内容が全て同じというわけではないが、ウォルフもその授業を昔受けていたため生徒に任せることができた。

 結界が割れた。それは即ち、学院への攻撃を表す。

 学院は国際的にも宗教的にも「中立」の立場に身を置く『勢力』として数えられており、教育機関の枠に収まらない研究や遺物、魔法や魔術をいくつも所有している。学問としてそれらを修めるならば、学院より使い勝手がよく護られた場所は無いからだ。

 魔力世界のこれからを担う人員、未だ発表されてはいなくとも世に響き渡るような発見や発明、成果。数々の魔法や触媒、古代の遺物…など、襲撃理由には事欠かない。決して、しょっちゅう襲撃が起こるというわけではないが。

「あれは…ドラゴンか!?」

「いや、ドラゴンがヒトを乗せるなどまず無い!…あれは…いや、まさか!そんなこと…!?」

「何が見えたの?」

「学院長!そ、その……()()()()()です!あのドラゴンと騎士、十字架を付けています!」

「【教会】が…!?何故……!?」

 本棟に隣接する塔の最上階では、教授達と学院長が対応に追われていた。

 カルラはその報告を聞いて驚いたが、すぐに口元を引き結び杖を振る。

「《我が声を届けよ!》《衛兵、出合え!門を潜らぬ侵入者を排除せよ!》」

 その号令と共に呪文の範囲が学院の全域に拡散され、要所要所に仕掛けられた、あるいは立っていた鎧やゴーレムなどの『衛兵』が一斉に動き出す。

「《我が“幽暗”の名において命ずる。学び舎よ、城郭となれ!証持たぬ者を通すことを禁ずる!》」

 続いて、学院の建物内への侵入を禁じる魔法――封鎖魔法の一種がかけられる。生徒の避難は既に指示が入り、衛兵よりも先に常駐している警邏隊や戦うことのできる者達が動いてはいるが、学院そのものや全域に影響するものは学院長のカルラでないと行えない。

「ソリド教授、今すぐに教会へこのことを報告してください。私はここを離れます」

「はい!?」

「私の学院に侵入し、学び舎を危険に晒すなど許しはしない。後の防備の判断は貴方に任せます」

 教頭の情けない声を置き去りにカルラは服装からは想像できない俊敏さで階段を駆け下りていく。地上では既に、戦いが始まっていた。



「っらあッ!!」

「ぐああっ!!!」

 わらわらと降ってきた侵入者をウォルフは一人一人殴り飛ばし、あるいは蹴りでまとめて吹き飛ばす。

「くっ…この時期でも手薄になっていないとは…!」

「奴に構うな!奥へ進め!」

「おお、統率が取れてるようには見えねえが案外賢いじゃねえか」

「うわあああっ!!??」

 強く地面を踏みつけ衝撃波を発し、雑魚をなぎ倒して正門方向を目指す。その方向に強者がいるのをウォルフの鼻と勘が告げていた。

(…?妙に数が減ってるな……)

 生徒はもう全員避難が終わっているのだろうが、戦える生徒や警邏隊の数がいやに少ない。正門へ真っ直ぐ走っていたその時、ウォルフの足がびたりと止まった。

(何だ…!?)

 「何か」がある。それに勘付いたその瞬間、轟音がウォルフを包んだ。

『ワアアアアアアア……!!!』

「歓声……?」

 足元からリズムが直に伝わるラウド系の音楽が響く()()()()()()()に、ウォルフはいつの間にか足を踏み入れていた。自分が今立っているのは入り口付近のようで、後ろからどこからともなく入ってきた生徒や侵入者、中には警邏隊の隊員が次々とその奥に入っていく。

(こいつは……幻術か…!)

 ジャケットの内ポケットを漁り気つけの丸薬を奥歯で噛み砕く。その効果でウォルフ自身の意識は明瞭になり、この「空間」が幻術だという認識もできたが、肝心の幻術空間はどうにもなっていなかった。

(俺の目や意識にどうこうしたやつじゃねえ……。限定的な領域だけだが、その範囲に入れば絶対かかるタイプか)

 ウォルフも奥へと歩を進める。

 ――満杯になりそうな観客席に、広大なリング。「バトルドーム」が、この空間に形成されていた。

「うおおおおお!そこだあーーー!!」

「負けるなーー!!」

「よおおっし!!いけ、チャンスだーー!!」

 熱狂の渦が会場を支配している。リングに上がっているのは顔は知らないが「戦い方」を知っている者と、それに対峙する赤土色の髪の大男。男の体格はウォルフよりも一回り以上大きく見えた。

「あいつは……」

 ウォルフはその風体に見覚えがあった。が、どう見ても討伐隊の関係者ではないのは明らかで。ならばあの男は一体……。

「「「おおおおおおおっっっ!!!」」」

 その時、会場が沸いた。どうやら決着がついたらしく、挑戦者側がノックアウトされている。男はコーナーの角に戻ると、サイドに控えていた美女から何やら耳打ちされ、嬉しそうに歯を見せて口角を上げた。レフェリーと思しき悪魔に似た特徴を持つ男からマイクを受け取ると、その声が会場に響き渡った。

『レディース・アンド・ジェントルメーン!!さあ、次の挑戦者(チャレンジャー)だが…とんでもない強者が入場したという情報が入った!!俺様直々に指名させてもらおう……そこの!!そう、アンタだ。首にドッグタグを下げているそこのアンタ!!元【討伐隊】――【妖精の輪】最強の拳闘士!!ウォルフ・グレェェェイズ!!!』

 カッ!!とスポットライトがウォルフに当てられる。「リングに上がりな!!」と男が指で誘った。

 どういうワケかは分からない。「このステージ」がおそらくあの男…侵攻者側の幻術なのは間違いない。だがそれでも、ウォルフは身体の奥底から湧き上がってくる滾りには――有史以前より男達が罹る病には勝てなかった。

「よおーーこそ!!このショーファイトのステージへ!!今回は特別なんでな、出し惜しみなしで闘り合ってもらおう!!

ルールは二つだ!一つは「素手」、二つ目は「一対一」!まあそのどっちも心配はいらねぇようだがな!」

 形式上のレフェリーがルールの照らし合わせに入る。間近に見てようやく、ウォルフは目の前の男が誰かを思い出した。

「“拳将白虎”…グウィンじゃねえか」

「ああ、その通りだウォルフ・グレイズ。最初は嫌な奴と移動するハメになったが、今日の俺は本当に運がいい!依頼主に感謝しねえとな!」

「依頼主?」

 ピクリとウォルフの眉が動く。しかしそこでレフェリーの声によって会話は途切れ、試合開始を今か今かと待ち望む観客の声が大きくなっていく。

「気概は充分のようだな!!では――開始!!!!!」

 ゴングが鳴った瞬間、両者同時に拳を仕掛けた。焼き石が弾けるように距離を取り、目にも止まらない一撃の応酬が続く。

(流石、我流とはいえやるな…。国境間のスラムを、ショーファイトだけで平定しただけはある)

 “拳将白虎”――格闘技で名を連ねる者、頂を目指す者、暴力が支配する社会、戦いの世界。そのどれであっても、そこに身を置く者なら誰もがその呼び名を知っている。

 魔力世界のトルコとギリシャ、その国境を跨ぐところには街とすら呼べないスラム街がある。『掃き溜め(ガーベッジ・ダンプ)』の呼ばれ様の通り、「劣悪」、その言葉が最もよく当てはまる街だったという。

 強盗、殺人、暴行、麻薬。秩序もないから犯罪都市などとも呼べないそこに、一人の男が現れた。それこそが今、ウォルフと相対し拳を交わす男、「グウィン」だ。

 彼は暴虐の街で名乗りを上げた。最強が頂点という、窮めてシンプルな宣言を。逆らう者、反抗する者を全てその拳で打ち砕き、彼はそれを「パフォーマンス」にしていった。秩序の無い街に、秩序(ルール)のある闘いを()いていったのだ。

 純然たる闘争は熱狂を生む。熱い闘牙は濁りを淘汰する。そうして、彼は頂点へと君臨した。いちスラム街の頂点ではない。世界の裏、地下格闘技の頂点へと。

「らあっッッ!!」

「ッシ!まだまだァッッ!!」

 グウィンの闘い方に流派は無い。恵まれた体格と一つの「型」と成した喧嘩殺法が彼の流派だ。だがこれまで数多の対戦者と闘ってきたことで、自身に足りないもの、必要なものをグウィンは貪欲に吸収してきた。武道の究極のひとつとも云われる「無型」。その極地の一つに行きついた男の闘い方は、ひたすらに洗練されていた。

「っぐ!!」

 左目近くをスパークされ、ウォルフは反射的に後退する。眼鏡は最初に外し、温まってきた熱を打ち捨てるようにジャケットは脱ぎ捨ててタンクトップ姿になっていた。グウィンもスカジャンをとうに脱ぎ捨て、どちらも本気状態に入っている。

(なかなか崩せねえな…!軍隊仕込みは伊達じゃねえってところか!)

 グウィンもまた、ウォルフの実力を認めていた。

 【討伐隊】はイギリス独自の機関で、属するどの師団も「異形を討伐する」という共通点がある。師団によって対象が異なるため陸・海・空のどこにも隙はないが、現世の軍隊のように組織で近接格闘技の内容を統一して習得しているのではない。むしろ、近接戦闘を行うのがナンセンスだと言われているまである。

 ではウォルフはというと、魔力の性質、そして性格や戦闘スタイルから近接戦闘をしないという思考は無かった。まずウォルフは自国の軍隊格闘術であるディフェンドゥーとサイレント・キリングを習得したが、これらは手刀や掌底が主体のものだ。メインに据えるにはウォルフには合わない。

 軍隊での「正しい型を身に着ける」癖が付いた以上、ここから自己流で鍛えるのは愚策だった。ウォルフが現在主体としているのは打撃で、しかもそこから如何に相手を行動不能にするかを考えた技が必要だった。

「!!」

 グウィンが回し蹴りを放つとウォルフはその重い一撃を右腕で構えて受け止める。その瞬間――観衆には見えなかったが――蹴りを受け止めた右腕が、グウィンの左脚を掴みにかかったのを察知し距離をとる。

(さも当然のように骨を折りにかかってきやがった……!!)

「ヒヤッとしたぜ、兄弟。あんたのそいつ、『サンボ』か!」

「…まあ、流石に気付くだろうな。だからって、怯むようなタマじゃねえだろう?」

 ウォルフの構えた手指がごきごきと鳴る。

「ハッ、楽しくなってきたな兄弟!!楽しもうじゃねえか!」

 無駄のない、一歩踏み込めば「殺し」にもなり得る拳の打ち合いに血が沸騰する。当たれば死ぬ、のではない。()()()()()()()()()()()()()。白いリングに赤が散り、ウォルフは乱雑に鼻血を拭う。

 拳が掠った額の傷を気休め程度に拭き、グウィンはウォルフをじっと見据える。その眼には、ゆらゆらと弱まることなく放たれる「気」が見えていた。

「――勿体ねえなあ」

「あ?」

 藪から棒に出てきた言葉にウォルフは訝しげに眉を顰める。警戒は解けず、いつ動いてもおかしくない緊張の中での「勿体ない」の意図が分からなかった。

「…アンタ人狼だろ。闘気(オーラ)で分かる」

「!」

 歓声で満ちる中低い声で潜めるようにグウィンはそう言ったが、ウォルフの耳はその声を聞き逃しはしなかった。

「だったらどうするってんだ。お前らが結界(これ)を壊すワケねえだろ!」

「ッ、よく分かってるな!まあ俺の仕事は陽動と撹乱なんでね…こんだけ騒ぎになりゃあ間違いなく正門には戦力が来るだろうってな!」

 明らかに言葉を交わしながら闘っているのが分かっていても観客の熱狂が衰える様子はない。どういうやり方かは分からないが、「そうなるように」できている。異様な光景だ。

「人狼と闘ったのは初めてだがな!人狼はそもそも人間と筋肉とかの仕組みが違う。人間(おれたち)は元々ある魔力を溜めてやらねえと安易に使えねえが、人狼(アンタら)は瞬間的な魔力生産能力がぶっちぎりで優れてる!細胞レベルで魔力が作られてるんだ、鉄塊をリンゴのように砕くのも訳もないってな!」

 魔力は何も、魔法や魔術を使うだけに消費されるのではない。魔力は生命力の一種であり、殴打や蹴りに魔力を込めるだけで大岩をも容易く砕く。

 人狼の尋常ならぬ膂力もそこにある。彼らは瞬間的に魔力を爆発的に生産し、暴禍が如き力を発揮する。常に魔力を込めて一撃を放っているのと同義なのだ。

「だからこそ勿体ねえよ。消費しきれなかった魔力がダダ漏れて、溢れた分を霧散させてんだ。闘気を操れよ、兄弟!!その闘気を手懐けられたらアンタはもっと強くなる!!」

 強くなる。その言葉にウォルフの瞳から、浮かされた熱が拭い去られた。

 それを察知し、グウィンも乱れた呼吸を落ち着かせ構え直す。相変わらず熱狂は続いていたが、二人の精神、そしてリング上で肌をなぞる空気は水を打ったように静かだった。

「フッ!!」

 鋭い軌道で拳がグウィンの頬を掠める。掠った傷は刃物で切ったように線筋で血が流れ、滴った血の一滴はグウィンの拳に乗った瞬間闘気によって揮発する。

 「闘気」の存在、そして今正にそれを繰る強者に相対したことで、ウォルフの目にはそれまで視えていなかった「オーラ」が知覚できるようになっていた。ウォルフは人狼となったことで確かに瞬間的に膨大な魔力を生み出し攻撃に変換できているが、生まれついて魔力を溜める器官が他より浅いという弱点があることを知っていた。だから今まで、溢れた魔力に構うことなど考えていなかったのだ。

(こいつ…オーラを薄く纏わせてるが、綻びが一切無い。オーラが圧縮されてて、触れたらその分の衝撃が来る。単純だが…ったく、これだからやめられねえ!)

 肌で感じ取れる自分の魔力、掠めるグウィンのオーラの硬度、滾る熱に静まり返る精神。

 思考は限りなく明瞭だった。自分から溢れ出ていく魔力の揺らめきが遅く見える。放出は止められない。魔力の器が小さい以上、溢れるものを止めるのは自分の中で流れる魔力の流れを邪魔するだけだ。

(――《従え》)

 全身に魔力を巡らせるように、行き渡らせることに集中する。無駄な揺らめきは起こさない。ただ静かに、自分の「流れ」に行き場を失った魔力を乗せる。

(おいおい…相当じゃねえか!)

 喜悦にグウィンは目を輝かせた。今のウォルフのオーラはただ噴き出していたのが嘘のように薄く、確に纏っている。細く立ち昇るオーラの流れと確かなものを湛えたウォルフの目に、グウィンはぶるりとその身が奮える。


 有史以前より、男達は不治の病に罹っている。

 「ステゴロ最強」という、誰も治す気のない病に。


「――礼を言うぜ、“拳将白虎”。俺はまだ強くなれる」

「ッ……いいぜ、来いよ(カモン)!!これで終いにしようじゃねえか!!」

 瞬間、観客達の目からウォルフの姿が消えた。瞬時に間合いを詰め、繰り出した右拳に合わせるようにグウィンの左拳が衝突する。勢いのままグウィンの首を狙った右足の蹴りが防がれ、ウォルフの右足を掴もうとしたグウィンの手首は振り切った足を掠め逆に掴まれる。

 みし、と罅が入る音がした。グウィンが掴まれた腕ごとウォルフを引き倒し、その脳天を真上から打ちにかかる。

「とった!!!」

 観客が叫ぶ。しかしその瞬間、ウォルフは倒される力を押し返すバネでバク転のような動きを見せ、グウィンの顎を下から蹴り上げた。

「「「!!!???」」」

「がっ………!!」

 顎を強かに打ち付けられグウィンはよろめいて勢いのまま下がる。顔を上げると、同じように勢いで後退したウォルフが真っ直ぐに拳を構えて突っ込んでくる。

 拳も足も必要ない。グウィンはしっかりと構え、その額で拳を受けた。


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