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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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『ここにいて、ユウイチ。私、一人じゃ危ないもの』

 顔色ひとつ変えることなくメルヴィスはカルラから目を離さずに言う。

「そんなに私までも警戒しなくてもいいだろうに…。流石に気落ちするよ」

『そう教えたのはあんた達よ。それで、話は何?』

 ただならぬ雰囲気に優一も意図せず喉が締まる感覚がする。カルラはその緊張を少しでも和らげようと笑ったが、解けることはなかった。

「ねえ、メルヴィス。以前のように、学院(ここ)に居てくれないかな。ここなら何一つ不自由はない。君の力も十二分に発揮できるのは、君も分かっているだろう?」

『…だから嫌だったのよ。それしか言うことがないのかしら』

「ああ、前も…そうだったね。けれど、私も言わないわけにはいかないんだ。…“夜継ぎの精(セーマ)”、君は、結局何をするのかを、どう生きるかを定めたのかな」

 メルヴィスが表情を固くする。それに気付かないカルラではなかった。

「君は助け出された時も言っていたね。『自分の生き方は自分が決める』と。だが、今の君はどうなのだろう。私達も君の我儘をずっと許容できる訳じゃない」

『……っるさい……』

「君には為さねばならない力がある。それを放棄して飛び続けるのか?」

『うるさいッッ!!あたしはあんたらのことなんて知ったことじゃないのよ!!カルラ、あんたの性根はやっぱり魔術師よ。あたし達の生き方を縛ろうとしてるあんたに魔法使いを名乗る資格はないわ!!』

「メルヴィス…っ!」

『黙れ…ッ…!《あたしの名前を呼ぶな》!!』

「ッ!!」

 飛び去ろうとしたメルヴィスを優一が呼んだが、振り返った彼女は憤怒の様相でそう叫んだ。喉に枷が嵌められた感触が優一を襲い、その名を呼ぼうとすると喉がぐっと締められ引き絞るような感覚に見舞われる。

 思わず膝を付いた隙にメルヴィスの姿は消え、カルラが優一の側に駆け寄った。

「大丈夫かい。妖精の魔法だ、命までに影響はないよ」

「あっ……すみ、ません。□□□□□…っ…が……」

 メルヴィス、また優一はそう呼び掛けたが、その言葉の部分だけ喉が詰まって言葉として出すことができない。

「しばらくしたら解けるだろう。彼女は制限系の魔法は強くないからね…。…君は、彼女と契約しているのかい?」

「いえ…そんな、契約なんて。ただ…気が付いたら彼女が近くにいる、ってことがあるだけです。いないことの方が多いですし……」

「…そうか。なら、よかった」

 ぞくり、と優一の背筋に寒気が走る。背中に添えられたカルラの手の感触が鮮明に際立ったのが優一の体を硬くさせた。

「もう遅い。君は寮に帰りなさい。付き合わせて悪かったね」

「い…え。はい。すみません…。失礼、します」

 優一はカルラの顔を見ることができなかった。曲がり角に入るとどっと嫌な汗が噴き出してくる。角の向こうにまだいるのかどうか分からない彼女を覗き見る勇気など、とてもじゃないが湧かなかった。


* * *


 水曜日の放課後。

「フー……さて……」

 崇は長く息を吐いて講堂に入る。見学の生徒がいないため講堂は広く、生徒は既に席に着いていた。

「それでは、授業を始めようか。…まず、前回提出してもらった事前課題、ゴーレム作成の羊皮紙の事だが」

 以前の授業の穏やかな雰囲気とは一転し、険しい空気の崇に生徒の視線が固定される。

「厳しい事を言おう。君達全員、()()()()()()()()()()()()。」

「「「!」」」

「どういうことですか、先生」

 生徒の一人が声を上げる。その生徒は不満そうな様子で、他にも同じ顔の生徒がいた。

「君達が学院のテストをクリアし、単位を取ってこの学年に上がってきているのは承知の上だ。前回のテストも皆丁寧に解いてあったし、点数も問題ない。そこを問題視しているのではないよ。

これは、前回退席した生徒から借りた札だ。実際に見てもらった方が早いだろう」

 崇は前回、自身の師を明かしてから退席した生徒の羊皮紙を出す。準備しておいた岩を壇上にあげると、杖でこつんと叩いてやや大き目なミニチュアサイズの人型に成形する。その額に「אמת」と――「emeth」、ヘブライ語で「真理」と書かれた羊皮紙を張り付けると、崇は呪文を唱えた。

「《秘めたる神の名の下に。命の火よ、宿れ》」

 羊皮紙がゴーレムの体内に取り込まれ、命の火を得たゴーレムは立ち上がる。――だが、崇の「歩け」という命令を実行しようと足を踏み出した途端、その足はぼろぼろと崩壊した。

「足が…!」

 バランスを崩したゴーレムは体を倒し、右腕、左腕、ついには胴体までもが崩れていく。そうして残ったのは、崩れてできた石の山と汚れてもいない「emeth」の札だった。

「こういう事だよ。私達魔法使いの言葉は、文字は、そのまま『魔法』となる。その精度がそのまま、魔法の精度になる。――君達は些細なことだと思うかもしれない。私は魔力技師だからこそ、余計に目につく。だが、『それでいい』なんてどんな職に就こうと思ってはいけない」

 生徒は皆黙って聞き入っている。崇は言葉を続けた。

「君達はいずれこの学院を卒業し、魔法使いとして世に出る。魔法使いならば一度は必ず、自分が作った道具を他人に渡すことがあるだろう。自分が作った魔法の札で、自分がリスクを負うなら何も問題は無い。…だが、それを他人が使う場合を考えて欲しい。魔法使いとして相手に渡す道具、その精度が低くて良いと思うかい」

 魔力技師の崇だからこの言葉に重みがある、のではない。ここにいる全員が、「自らが魔法使いである」自負がある。「魔法使いは他者の為に業を振るう者」だという自負がある。だから、崇の言葉には他の何をも凌ぐ重さがあった。

 魔法は曖昧なものだ。文字通り、機嫌次第でいくらでも及ぼす影響が変わる。変えられる。曖昧なものだからこそ、その力を振るう者には責務が伴う。

「教科書とノートを出して。教科書は後ろにある付録のヘブライ語表を開いてくれ。今日は呪文の正しい書き方を君達に叩き込む」

 それに異を唱える生徒はいなかった。



「ただいまっと……」

「……」

「あ、ユノス。おつかれ」

「…。ああ、オリバーさん。お疲れ様です」

「どうかしたか?」

「いえ、ちょっと疲れただけですよ。それより、オリバーさんの方が疲れているように見えますけど」

「ああ…講義でちょっと、厳しいことを言われてさ。当たり前のことだったんだけど、緩んでたというか。それが少しショックで」

「そうだったんですね」

「……?」

 オリバーはやや不思議そうにユノスの様子を窺う。だがその時、元気よくドアが開きアレンと優一が戻ってきた。

「ただいまー!お、オリバーも戻ってきてんじゃん。おつかれ!」

「ああ、おかえり。講義だったのか?」

「いや、購買行ってた。優一がシャーペン壊れたって言ってたから、自動のやつにすればって」

「すごいですね、自動で書けるペンがあるなんて」

「ああ、確かにそれ便利だよな。俺もここ来てからそれ見つけて相当驚いたよ」

 いい時間だからと四人連れ立って食堂に行き、あっという間に消灯時間になる。

(メルヴィス……)

 心の中でその名を呼ぶことはできていた。もうあの魔法は解けているのかもしれないのに、優一はそれを声に出すことができないでいる。

「そういえば最近、あの子見ないね」

「えっ!あ、う、うん」

「喧嘩でもした?」

「ああ、うん…そんなとこ」

 どんぴしゃなタイミングでそれに触れられ、思わず優一は挙動不審になってしまう。ユノスはそれに変な顔はしなかったが、どこか突き放すような、彼にとってはさして大したことではないかのような様子だった。

「まあ、そういうんなら仕方ないんじゃないかな。彼らは気まぐれだし」

「そう…なの、かな」

「よくあることさ。だから、そこまで気にし過ぎない方がいいよ」

 おやすみと言い合ってベッドに潜る。ユノスは励ましてくれたが、優一の心はどうにも晴れなかった。


―――――――――――


 馴れてくると時間は一気に過ぎるもので、また次の水曜日がやって来る。

 先週の授業では最後に再度ゴーレムの札を作ってくるよう宿題を出した。今日はその実証の授業と、呪文の唱え方を見て欲しいと言う生徒がいたため第三訓練棟で授業を行うことになっている。崇も杖を持って訓練棟に入った。

「では、実際に作ってもらう。材料は泥と土、岩、それと結晶を準備したから、好きなものでやってみようか」

 しっかり起動することができた生徒から解散、と声をかけ、様子を見て回る。最も初歩的なのは泥からのものだが、今回は普段授業では使うことのない結晶があるため多くの生徒がそちらに集中している。

「先生、この結晶って…水晶ではないですよね?」

 前回の授業で声を上げた生徒――「マイケル」といったか――が声をかけてくる。

「ああ、それはジルコニアだよ。私の使い魔が熔鉱蜥蜴だからね、十分な在庫があったから持ってきたんだ」

 肩口に乗っている古代が鳴くと、マイケルは「そんなに小さいのに…」とぽつりと漏らす。

 ゴーレムは、程よく固く、加工しやすい素材が創りやすいとされる。物珍しさや好奇心から結晶で作ろうと挑戦する生徒はいたが、難しくなかなか成形しづらいと分かると人数が減っていく。

 そうしている内に、泥で作製をしていた生徒達から歓声が上がった。目を向ければ、精度の高いゴーレムが出来上がっている。

「できましたよ!先生!」

「ああ、ちゃんとできているね。しっかり作った証拠だ」

 それを皮切りに続々とゴーレムが出来上がっていく。中には棒を振る知性を持ったものだったり細かな命令に合わせて指先を変形することができるものなど、これには崇も舌を巻いた。

「できた…」

「どうだろう、ちゃんと動く?」

「あっ。今、やってみるところです。『歩け』!」

 オリバーが命令すると、岩のゴーレムが一歩ずつ前へ踏み出す。成功だ。

「よかった…」

「こういうのは苦手なのかい?」

「はい。なのでちょっと…好きじゃなくて…」

「人それぞれだからね。私も命令するのは得意じゃないから」

「そうなんですか?」

「ああ。…さて、後は…」

 授業が始まってから三十分程、大半の生徒はもう起動することができたため、呪文の練習をしていたり他の材質で創るなどしている。

「彼は…」

「マイケル。…あれ、でもあいつ、他の素材ではできてましたよ」

 オリバーがマイケルの方に行ったのを見て、崇は他の生徒の様子を見に行く。

「マイケル、他のはもうできてなかったか?」

「…最初はこれでやろうとしてたんだ。他ができて結晶でできないのもおかしいだろ」

 羊皮紙は魔法で綺麗にしているが、どうしても成形したゴーレムに取り込まれない。成形の段階で込める魔力が多すぎて、結晶の外に魔力がバリアのように出てしまっているのだ。

「あまり焦ると余計力入るぞ?」

「分かってるよ…」

 集中、集中と口の中で唱える。

(ここであいつに認めさせなければ…こんな所で、つまづいてなんかいられないんだよ…!)

「《秘めたる神の名の下に。命の火よ、宿れ》…!!」

 渾身の力を込めてマイケルが唱えると、確かな触感を以て羊皮紙が取り込まれていく。

「おおおおお!」

「すご…できたじゃん!」

「…っ!…『動け』…」

 友人につられマイケルも喜びかけたが、まだだ、と静かに命令をする。

 ずしん、ずしんと振動が伴う。そのゴーレムの体躯は、この授業でできたゴーレムの中で一番大きかった。

「やったー!」

「すごいね!ねっ、先生呼ぼ!せんせー!」

「ちょっ…!ま、待てアリサ!」

 その声はしかし崇に届き、振り向いた彼女はにこりと笑ってマイケル達のところに近付いてくる。

「凄いじゃないか。よく頑張ったね」

「…ありがとうございます」

「努力すれば、何度でも挑戦すれば必ず結果は出る。…君は錬金寮だったかな。自分の能力に妥協しないのも、君の才能だね」

 錬金寮は貴族や王族の生徒が多い。それ故に努力を嫌ったりする生徒が少なくなく、崇が学生の時も同じだった。だから崇に他意は無かったが、マイケルにはそれがくすぐったかった。

「じゃあ、休憩を挟んでから呪文の方をみよう。片付けをするから待っていてくれるかな」

「はーい!」

 出て行った生徒は思っていた以上に少なく、一人一人を見るより全体に説明した方がいいかな、と思いながら崇は材料を片付けていく。ジルコニアの結晶は古代が出したものであるため古代自身に食べさせていた。…その時だった。

「ギャオオオオオオオオ!!!」

「!!??」

 咆哮がびりびりと訓練棟を揺らす。びし、びし、と、何かを割る音が空から聞こえてくる。

「な、なに今の…!?」

「まさか、ドラゴンとか…!?」

「そんなわけないだろ!」

(…割れる音…?…まずい!!)

「皆…」

 崇が声を張ろうとした、その瞬間。

「きゃあああああ!!!」

「なっ…なんだ!!!???」

 ガラスが粉々に砕け散る音が何倍にも拡大されたように響き渡る。


 結界(そら)が、割れた。


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