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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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「――あの後、【妖精の輪】の総合部門ってとこから人が来たんだ」

 教員室への道すがら、亮子は去年の十一月の事件の後を話していた。

「選択肢は三つあるって言われた。一つ目が、父親を探してもらってその後は自分達で考えること。二つ目が、イギリスにある【討伐隊】ってとこのスカウトを受けること。それで三つ目が、ここでとりあえず勉強をして後の進路を考えることだって」

「討伐隊…」

「そう。で、一つ目はまあ無い。二つ目も…以前の私ならそうしてたかもしれないけど、あの時はとてもそんな気分にはならなかった。今の状態では私を現世に留まらせておけないって言われたから、じゃあこっちで生きてく方法を身に着けようかって、一月に正式に入学したんだ」

「一月に?」

「学院は二学期制なんだよ。入学時期が九月と一月で、卒業時期も十二月と五月。あ、ここが教員室」

 亮子がノックしようとドアの前に立ったのと同時に内側にドアが開く。

「おっと、失礼。…おお、崇じゃないか!」

「――ハルフォード先生。お久し振りです。覚えてもらっているとは思いませんでした」

「はは、その眼を見れば誰だって思い出すさ。講師として来てくれたこと、理事として喜ばしく思うよ。そちらの子は夏期講習の生徒かね?」

 厳つい容貌とは裏腹に朗らかなこの男性は、崇がここの生徒だった頃に教鞭を執っていた人物だ。理事として、ということは今は教えてはいないのだろう。少し寂しくもあるが、微笑んで「はい」と答える。

「今年の担当はオーベック先生だ。第六講堂が説明会場になっているから先に行っておいていいだろう。竹中、他の二人は今日は来ておらんのか?」

「ええ、少々立て込んでおりまして」

「なら私の執務室に来てくれ。講師用のスケジュール表を渡しておこう」

「ありがとうございます。姫宮さん、後をお願いしてもいいかい?」

「分かった。藤崎、第六講堂はこっちだ」

「あ、うん。竹中さん、また後で!」

 亮子と優一は、崇とハルフォード理事が向かった方向とは逆の方向に向かった。留塚大学もそこそこ広かったが、学院は本棟だけでそれを軽く超えている。聞けば、ここは初等部から大学院まで――小学校から大学までが全て入っているのだという。中等部は第六講堂から第十講堂、高等部は第十一から第十五までと使用する講堂は大まかに決まっているそうだが、気を抜けば迷ってしまいそうだ。

「着いたよ。…藤崎、大丈夫か?」

「う、うん……と、遠い……」

「今日は正面玄関から来たから余計にかかったけど、明日から毎日校舎の中移動するんだぞ。頑張って慣れろ」

「そんな無茶な……」

 とりあえずお礼を言って、優一は講堂に入る。中に入ると、既に何人かの少年少女が席についていた。

「おはよう。夏期講習の学生ね?」

「は、はい」

「初めまして、担当のオーベックよ。席順はどこでもいいから、ファイルが置いてあるところに座ってね」

 先ほども聞いた「オーベック」という名の先生は女性だった。なんとなく男性だと思っていたため少し驚きつつも優一は真ん中の列の奥側に座る。

 机のファイルには予め決められた授業の予定表や、「はじめての方へ」とホチキス止めされた冊子も入っていた。ここにいるのは優一と同じく学院の外から来た人のようで、落ち着かない様子の人もちらほらいる。

 そうして待つこと数分、気付けば冊子の置かれた席の全てが埋まった。

「いち、に、さん…。はい、みんな集まってるわね。それじゃあ説明会を始めます。

みなさん初めまして。学院へようこそ。私は中等部と高等部で薬学と魔女術を教えているモリー・オーベックです。みなさんは外部から申し込んでこちらに来た学生さんですので、簡単に学院での生活や授業について話したいと思います」

 時間割は既に決まっていて、授業時間に規則性はない。希望と時間が合えば、予定表に入っていない授業を受けたり見学することは可能のようだ。ここの生徒の扱いは中等部の一年生となる。

 夏期講習期間中の臨時講師の授業は寮の掲示板に張り出されるらしい。その寮だが、ここに集まっている生徒は一部の生徒を除いて『竜騎寮』に入ることになっている。

(『竜騎寮』…クロードさんの出身寮がそこだっけ)

 教科書や制服は自室となる机の上にあるそうだ。この教科書は帰省している学生から借りたものやOBが残していったものであるらしい。

 一通り説明が終わると、午後から早速授業があるため全員が寮に移動する。

 一応道順を覚える努力はしつつ、優一は「705」とプレートが貼られた部屋の前まで来た。

「あなたが藤崎さんですか?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、よく陽に焼けた肌の、彫りの深い顔立ちの青年が笑いかけてきた。

「同室の…」

「ユノス・エムレ・イワノといいます。よろしく」

「あっ、藤崎優一、です。よろしくお願いします」

 握手をして、ノックをして中に入る。

「お、来た来た!優一、七か月ぶり!」

「えっ!アレン、くん…!?」

 二人を出迎えたのは、思いもよらない人物――人狼狩りで同じ部隊だった、アレン・セラドだった。

「知り合い?」

「おう。お前らベッド上か下、どっちがいい?上欲しいんならじゃんけんな!」

「まあまあ、とりあえず荷物だけ置きな。二人は知り合いみたいだけど、他は全員初対面だし」

 穏やかそうな男性が空のカップを指で叩くとコーヒーで満たされる。二人はどうする?と聞かれ、どちらも同じものをもらうことにし下のベッドと椅子に腰かけた。

「はい、こぼさないようにね」

「ありがとうございます」

「オリバーの家事魔法ほんと便利だよな~。んじゃ、自己紹介しますか!俺はアレン・セラド、高等部の一年だ。前は錬金寮にいたけど竜騎寮に流れてきた流れ者。一か月間よろしく!」

「俺はオリバー・ホーンウッド。高等部の二年生だよ。イギリスのペンディーン出身だ。よろしくね」

「日本から来ました、藤崎優一です。よろしくお願いします」

「ユノス・エムレ・イワノといいます。日本の名字ですが、ご先祖様が日本人だった名残らしいです。これからよろしくお願いしますね」

「あ、そうだったんだ」

「へー。それじゃユノス、ベッド上?下?」

「下がいいです。優一さんは?」

「僕は、残った方でいいですよ」

「俺は下がいいな。アレン、お前は上だろ」

「おう。そんじゃ優一も上なー」

 とんとん拍子に自己紹介とベッドの上下が決まったところで、コーヒーを飲み終えたオリバーが優一とユノスを手招きする。

「クローゼットはここ。制服と、薬学とか科学の実習で白衣も入ってる。机も四人分あるけど、まあ狭いのは我慢してくれ」

「ありがとうございます」

「ああ、敬語はいいよ。…といってもいきなりは無理か。俺だけ大分歳離れてるもんなあ」

 他の三人はティーンの見た目で、年齢もそこに大きな離れはないように思われるが、優一の目から見てもオリバーは崇やクロードと同じくらいに見えた。要するに、「大人」だ。

「そうそう、オリバーはこの部屋最年長なんですよ。九十だっけ」

「ああ。俺みたいな人は珍しくないよ。俺はずっと田舎で麦を育ててたんだけど、やっぱり魔法の勉強がしたくて。どうにか金を溜めて五年前に入学したんだ。他の人より人生の経験値が多いってだけさ」

「うわ~妻帯者は言う事が違いますな~」

「こら。ああそうそう、制服は着崩してもそこまで注意されないけど、ネクタイだけはちゃんと付けて授業に行った方がいい。うちの寮監のエイマーズ先生は特に厳しいからな」

「着替えたら食堂行こーぜ。腹減った!」

 時刻は十二時になろうかという頃。パンとソーセージ、ミートソースの焼けたいい匂いが七階にまで漂ってきた。


* * *


 場面は戻り、崇はハルフォード理事の執務室に入る。

「…!」

「はは、懐かしいだろう。紅茶は何がいいかね?」

 在学時からほとんど変わっていない彼の部屋に、崇は目を見開いた。

「アッサムを。…あ、いえ、すみません。理事殿にそのような」

「おやおや、今更ではないかな。やはり年月は人を成長させる」

「あの頃の悪事はもう時効じゃないですかね……!」

 普段はまず顔色の変わらない崇だが、恩師を前にして過去の――今よりずっと怖いもの知らずだった頃と比べられると耳と目尻がかっと鮮やかになる。

「ウォルフとクロードはどうしている?」

「元気ですよ。部門換えなどもなく、ずっと日本にいますね」

「そうかそうか。あの二人も来るからなあ。今から楽しみだ」

「先生はもう教師はしていらっしゃらないのですか?」

「うむ、十何年か前に後任が見つかったのでな。しかし卒業生に会うとまるであの頃の自分に戻った気がするよ」

 確かに、と崇は相槌を打ち執務室の内装に目を向ける。

 壁にかけられた額縁、魔力の属性と性質の関係表、専門書が所狭しと並ぶ本棚に古い地球儀と置時計、見事なボトルシップ。全てが七十四年前のあのままだ。

「その頃には学院にも空間移動が導入され、私も部屋をそのままここに持ってきたのだよ。小さくして運ぶにも崩すことのできないものばかりだからな、この部屋は」

 昔話が尽きることはないが、ずっとその話だけをしているわけにもいかない。講師用のスケジュールカレンダーには崇達が担当する特別講義の時間の割り当て区域と、学生の大まかな授業単位の取得具合などが書かれていた。

「ウォルフは前衛職の科の生徒の教官をしてもらうことになっている。クロードは【教会】志望者への講義と神学あたりか。崇、お前はどうする?」

「教えられるのは言語学、呪文学、魔女術と薬学、くらいですかね。オーベック先生が今年の担当なら言語学と呪文学でしょうか」

「なら言語学をやってくれるか。毎年の如く、言語学は苦手な生徒が多いらしくてな。とっつき易いように教えてやってくれ」

「努力はします…」

「お前なら古老の学生にも問題なく教えられるだろう。…そうだ、『銀のバッジ』は持ってきていないのかね?」

 思い出したようなその言葉に崇のカップを持つ手がぴたりと止まる。

「……ありますが。……はい」

「持ってきてはいるのだな。ならこの校舎にいる間は常に付けておくのだぞ」

「どうしてもですか」

「うむ。「きまり」だからな」

 『銀バッジ』と聞いた途端、崇の顔が分かりやすく嫌そうなものになった。それをハルフォードは豪快に笑うと、「そんなに嫌か」と面白そうに言う。

「我らが学院の誉れある『勲章(バッジ)』の中で、一等取得が難しい『古老の銀勲章』ではないか。胸を張りたまえよ、首席卒業生」

「イコール生徒からの質問(まと)じゃないですか。元首席だからといって人ができているわけではないんですよ。絶対勝手に失望する生徒が出る……」

「そこで『全て分かるわけでは無いから』と言わないあたりが流石だな。なに、そう気負わずとも構わん。お前の在り方を慕う者はいるだろう。それは保証するぞ」

「本当ですかねえ、ライオン先生(せんせー)

 今は理事らしくスマートなものになっているハルフォードの髭だが、それが獅子の鬣のようだった頃のあだ名に笑顔が零れる。

 その時、丁度部屋の時計が十二時だと告げる。昼食にするか、と立ち上がったハルフォードに、奢って下さいよ、と崇は軽口を叩いて二人は執務室を出た。


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