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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
学院に妖精は謡う
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 八月。

 優一と崇は、列車に揺られある場所に向かっていた。窓枠にはメルヴィスが腰かけ、過ぎていく景色を眺めている。

 ここは魔力世界、降車駅は【学院(アカデミー)】の最寄り駅。どうして彼らがここに来ることになったかは、四月の末にまで遡る。


――――――――――


「あの~、お願いというか、お話があるんですが……」

 夜、無事に年度初めの繁忙期を超え、まったりとした食休みを過ごしていたメンバーだったが、優一の一言にローテーブルの周りへと集まる。

「なんだ?もしや報告書突っ返されたとかじゃねえだろうな」

 ここ数日、ずっと書類仕事で缶詰状態だったウォルフはげんなりとしている。

「い、いえ、仕事の話じゃないです。その……学院、の夏期講習のお話を貰ったんですが」

 テーブルに置いた封筒と広げた書類には、成程確かに「夏季休業中の講習について」と書かれている。

「こんなに早くから来るのね」

「あ、その、実はここに来る前に学院の事務の方と会ったことがあって。その時はお断りしたんですけど、夏休みにも講習があるからって話をされてたんです」

「そうか、そういえば以前会ったことがあると言っていたね。うん、いいと思うよ」

「ですが…その。一か月、じゃないですか。その間、こっちの仕事もきっちりやれるかどうかっていわれたら、自信ないです」

 優一が怖々と聞いてきたのはそのためだった。三人も【学院】で学んだ身だ、その授業が夏期講習とはいえ働きながらこなせるものではないのはよく知っている。

「なら、あれも一緒に受けちゃおうかしら?」

「あれ?」

「とは…?」

 クロードは思わせぶりな言葉を置いて行くと、自室に上がっていく。戻ってきた彼の手には、優一が持ってきたものと同じ色の封筒が握られていた。

「はーい、毎年恒例、臨時教員募集のお知らせよ~」

「今年も?」

「マジか」

 ニコッとクロードは綺麗に笑顔を作った。

「夏休みになると、院生(グラジュエイト)コースの教授や助教授以外は夏季休暇を取る先生も当然いるのよ。学院に住んでる人があそこは大半だけど、人出は減るから夏期講習は担当の先生と外部から招致した講師で行うの。特定の機関の職員と接点を持たせることで、卒業後の進路を考える機会にもなるみたいでね。【妖精の輪(フェー=ルウェン)】からも行ってるのよ」

「そうなんだ…」

「それで、普段なら常駐部門はこういうの来ないんだけど、夏場忙しいのは…言い方がアレだけど日本は田舎の方なのよね。山とか海とか。ここは暇になるから来たんでしょう」

「去年まではお前もいなかったしクロードも本部に詰めてたから断ってたんだけどな。流石にもう隣には流せねえか」

「日程調整できるなら私も行けるよ。畑はお願いするし」

 誰に、と聞くのは野暮というものだ。優一もここ数か月でこの家に妖精が出入りすることにすっかり慣れ、その程度では驚かなくなっていた。

「よし、それじゃ優一君は安心して書類送っちゃいなさい!サインが必要だったら言ってね」

「ありがとうございます!」

「…そういやあそこは英語話せること前提だぞ」

「…え」

「そういえば翻訳術式使うのは駄目だって昔言われたような」

 イギリス出張の時、優一は翻訳執記を使って話していた。しかしそれが使えないとなると、道は一つ。

「ウォルフさん!教えてください!」

「ンなことだろーと思ったよ」

「ちゃんと正しい言葉遣いで教えるのよ?」

「スラング覚えさせるんじゃないよ?」

「普通にやるわ、ふつーに。何で釘刺されるんだよ」


――――――――――


「緊張してきた……」

『入国審査で普通に話してたじゃない。今更何言ってんの?』

「わっ。いや、ほら、審査は事前に何聞かれるか分かってたから…」

 あ、と優一はメルヴィスをまじまじと見下ろす。

『な、なによ』

「前電車乗った時、凄く調子悪そうだったけど大丈夫?」

『それだけ?魔力世界(こっち)は空気中の魔力量が段違いなの。金属にも元から魔力が馴染んでるから、窓が開けられるとこなら平気よ』

 歯に衣着せぬ返しに「う」、と言葉が詰まる。列車が大丈夫なのかが気になっていたのは本当だが、まだ言葉にしていなかった所まで見透かされていたようだ。

「んと…どうして今回一緒に行くことにしたのかなって思って」

 ばつが悪そうに優一は正直に言うと、メルヴィスはふいと顔を背けた。

「ご、ごめん」

『別になんでもいいじゃない』

「メル」

 つっけんどんな返事に崇が諫めるように名前を呼ぶと、メルヴィスは眉を寄せてぶっきらぼうに口を開いた。

『…あんたが謝ることじゃないわ。あたし、あそこで生まれたのよ』

「…へ?」

『妖精は妖精の国で生まれるけれど、あたしは違うの。まあ、あんたが行くなら里帰りのついでについていってやろうって思ったわけ』

 お分かり?とメルヴィスは片目を瞑る。そうしていると列車が速度を落とし始め、がたん、と古い音を立てて停車した。

 「Galen(ガレン=) la(ラ=) colineコリーヌ」が三人を迎える。びっしりと棘のような枝が絡まる木々の向こう、城塞のように聳えるのが【学院】の校舎だろう。「ガレンの丘」の名に違わず、ここから歩いていくのは相当に骨が折れそうだ。

 崇は杖を出すと、ホーソーンの幹をコンコンと杖でノックする。

「《運び手よ、此処におわすか》」

 小声で囁くようにそう話しかけると、どこからともなく老女の笑い声がした。

『エッエッエッ。誰かと思うたら…ソウじゃないか。久しいねえ』

「!!??」

 いつの間にか目の前に現れていたのは、白いぼろを纏った老婆であった。白いぼろ布と白髪に顔のほとんどが覆われ、歯の抜けた口元しか見えないのが不気味さを煽る。

「エイム=レイ。お久し振りです」

『何年ぶりだろうねえ…。お嬢さんに、新しい匂いの子もいるね。新入生かい?』

「夏期講習のために。貴方だけですか?」

 「エイム=レイ」と呼ばれた老婆は鼻をひくつかせると、ぐるりと辺りを見回すように首を回す。

『若いのは遊びに出てるんだよ。あんたとそこの子ならわけもない、あたしが乗せていくさね』

「の…乗せて…!?」

 エイム=レイは優一の身長の半分もない、腰の曲がった老婆だ。それでどうやって乗せるのか、できるわけがないと言葉が喉にまで出かかる。

 しかしエイム=レイは優一の表情に面白そうに笑い声を出すと。ひゅう、と息を吸った。

 その時、エイム=レイの身体が強張った。がく、がくん、と固まった震えに伴いその身体が変化を遂げる。

「え、あ、あ……!!」

 …そして、三人の目の前に現れたのは。白いぼろと白い髪の、犬のような口元と鹿のような角を持った、獣だった。

『エッエッ……怖がることはないさね』

「エイム=レイ。それは無理があるというものですよ。彼も〈現世〉の出ですので、慣れてなどいません」

 面白そうに(実際彼女にとって面白いのだろう)笑うエイム=レイに優一は完全に腰を抜かした。

「あ、あなた、は……」

「大丈夫かい。危害は加えない方だから、落ち着いて。…悪戯好きだけれど」

「は、はい……」

『それじゃあ行こうかね。しっかり捕まっておくんだよ』

「っ!!」

 爬虫類のそれに似た尻尾が優一の胴を掴み、その背中に乗せる。崇も一礼して跨ると、エイム=レイは枝の中へ歩き始めた。

「あ、れ…?」

(枝が絡み合ってたように見えてたんだけど…触らない…?)

「どうしたの?」

「あの、この森…枝がすごかったですよね?カモフラージュの結界ですか?」

 ああ、と崇はメルヴィスが飛んでいる辺りの枝に目をやる。

「いいや、あれは本物だよ。この森は…学院に入ろうとする人間は、彼女達に運んでもらわないとあの棘のような枝だらけの森を延々と歩く羽目になる。前をよく見てみて」

「…。……!今…!」

 言われて集中して前方を眺めると、エイム=レイの前にある「枝」が開き、道を作っているのが見えた。

「木は生きているものだ。直接会話はできなくても、長い時を経たものは意思を持つ。そしてそういう木々は、敬意を持って接すれば私達の助けとなってくれるんだよ」

「…魔法の、世界……ですね…」

「そうだね。『関わり方を知る』のが魔法で、『原理と技術を学ぶ』のが魔術とも言われている。君は魔法使いに寄っているみたいだけど、学院に来たからといってそれを強迫することは一切ないよ。よく学んで、知識と(すべ)を得て欲しいというのが私達の願いだ。いい経験にもなるしね」

「一か月…。……長いなあ……」

「まあ、まあ。君なら気楽に見物に行くくらいの気持ちがいいよ。真面目だし」

「うっ」

 そんなことを話していると、枝の向こうが見えてくる。

『そろそろだよ』

「…!」

 森を抜けるとその外観が一際はっきりと映った。広大な敷地内には大学の本棟以外にも施設が立ち並び、広場の方向標識は「図書館」「第一温室」などいくつもの施設を指し示している。

「あ、ありがとうございました!」

『これが仕事だからねえ。坊や、しっかりやるんだよ』

 二人が降りるとエイム=レイは森へと引き返していった。

『本棟はあれよ。行きましょ』

「そうだね。……あれ?」

 メルヴィスが先導する方向に歩いていくと、正面玄関に誰かが立っているのが見える。その人影は三人に気付くと、軽く手を挙げた。

「あっ、も、もしかして!」

『?』

 早足になって行くと、その人物の顔がはっきりと見える位置までくる。

「ああ、君か。話には聞いてたけれど…元気そうだね」

「姫宮さん…!あっ、と、久しぶり!」

 学院のブレザーに腕を通し、緑地にブロンズカラーのストライプが入ったネクタイを締めた「姫宮亮子」は、少しだけ緊張したような、照れくさそうな面持ちで軽く頭を下げた。

「久しぶり…です。竹中さん。藤崎も」


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