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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
パンドラの檻、京都に行く
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 時間はほんの少しだけ遡る。

 売店を見に部屋を出た優一だが、どこからともかく袖を引かれる。見下ろすと、昨日ぶつかったあの女の子が優一の袖を引っ張っていた。

「ん…!?えっと、君は…昨日の?」

「うん!おにいちゃん、あそぼう!」

「えっ、わ、待って待って、庭は入っちゃだめだよ…!」

 ぐいぐいと子供特有の遠慮のない力加減で庭へと引っ張られていく。当然ながら靴を履いていないため靴下が朝露を吸った地面を踏んだ。

(っ、あれ……)

 女の子は迷いのない足取りで庭の「奥」に進んでいく。秘密基地の入り口によくある茂みを潜ったその時、優一は肌で「境界」が変わったのを感じた。

()()、もしかして……!?)

「どうしたの?」

「う、ううん。何でもないよ。ねえ、ここって…?」

 そう訊くと、女の子は満足そうに満面の笑みを浮かべる。

「ここはね……」

「わたしたちの!」

「「「あそびばだよ!」」」

「!?」

 ぴょこぴょこと、女の子と同じ年の頃で、やはり様々な色の着物を着た子供が姿を現す。女の子一人だけでは分からなかったが、何人も同じような魔力を感じると優一にも彼女達が何なのかが分かった――『妖怪』だ。

「ここにくるのって、みんなおとなばっかだから、にいちゃんみたいなひとひさしぶりなんだ!」

「ねえ、あそぼう?」

「おにいちゃん、いいひとだもん」

 日本の妖怪は、海外の『魔性』とは扱いがかなり異なる。優一も警戒しそうになったが、それではかえって刺激する要因になってしまうかもしれない。

「…分かった。でも、ちょっとだけだよ?十時にはお宿を出なきゃいけないから」

 様子を見るためにも、優一は彼女達との「遊び」に応じたのだった。



「…………」

 時間は戻り、クロードはこの庭で魔力…否、『霊力』が集まったポイントを見つけた。

 〈魔力世界〉のアジア圏では、『魔力』というエネルギーよりも『霊力』というエネルギーが主であることが多々ある。アジア圏特有のものであり、生命エネルギーが主体の『魔力』と比べ、精霊や神霊などに寄ったエネルギーが『霊力』だ。

 風味は違うが、慣れればその感知も魔法使いは行える。しかし、クロードは肌で「己は歓迎されていない」とそこから感じ取った。

(うーん…。この先に優一君がいるのはほぼ確実だけど、日本はむやみに手を出すと痛い目をみるケースが多いし…)

 除霊のさせ方ひとつでも、実力行使で昇天させる例が多い欧米と、対話をまず試みる日本では大きく方向性が異なる。

 と、そこでクロードは気が付いた。そうだ、「話しかけてみる」のも一つの手だ。

「ごめんください。ちょっと聞きたいことがあるのだけど、誰か教えてくれないかしら?」

 すると、さわさわと揺れていた葉のさざめきがぴたりと止まる。

「…なあに?」

 出てきたのは、薄青色の着物を着た男の子だった。にこりと微笑むと、クロードは怖がらせないようにその場にしゃがむ。

「このあたりで、青みがかった黒髪の男の子を見なかった?忘れ物をしてたから、届けようと思ったのだけど…」

「……えっと、にいちゃん?おまえ、わるいひと?」

「うーんと…君達にいじわるをしたりとか、そういうことをしようとかはないわ」

「いじわるしない?じゃあ、いいひとだ!」

 こっち!と男の子はクロードの手をとって茂みに入る。思いがけずすんなりと入れたことに驚いたが、「境界」を越えたことに緊迫感が一瞬だけ迫った。

(〈魔力世界〉……!じゃあ、やっぱりこの先に……)

 そう。境界を越えた先は、クロードやウォルフの出身である〈魔力世界〉だった。

 魔力世界と現世は表裏一体、隣同士の関係である。直接何かしらの接触があるわけではないが、魔力世界に生きる「神」が何かしらの力を振るうと現世にそれが「自然災害」として表れる、現世で大規模な戦争などが起こると魔力世界に「伝播」し同じような戦争が起こる、など、無関係ではない。

 この隣り合う世界の明確な「行き来」の方法はあるが、思いがけないルートで人が迷い込んでしまうこともある。最も有名な例は「神隠し」だろう。森の中に迷い込む、鳥居を潜る、路地裏を抜けた先、鏡の中の世界…などなど、挙げればきりがない。

 この「茂み」もそのうちの一つだった、という話だ。日本は特にその手の『道』が多い。

「あ、うみのそとのおにいさんだ!」

「いいひとなんだよね。おはなしききたい!」

 そこは、子供達の秘密基地だった。

 沢山の幼子が楽しそうに笑い、遊び、幸せに満ちている。寂しいことはなにもない、そんな笑顔で。

 子供達に囲まれて手遊びをしている優一の姿を、クロードは見つけた。屈託のない、年よりやや幼く見える笑顔。その眼差しは、今までのどんな彼の表情よりも優しいものだった。

「…優一君」

「……。…あ、クロードさん。どうしました?」

 にこり、と優しく微笑む。

 普通の子だ。どこにでもいる、普通の青年。……“パンドラの檻”に来ていなければ、【右筆】にいなければ、これが正しい彼の姿なのだろう。

 今はまだ、クロードのことを認識できているようだった。それが余計にクロードの心を軋ませた。

「あのね、アタシはこのおにいさんを捜してたの」

「…そうなの?」

「どうして?」

 ざわ、と風が吹く。

「ここなら、だれもさみしくないよ?」

「みんな、ととさまもかかさまもいないの」

「おにいちゃんもそうでしょう?」

「だから、いっしょにいよう?」

 ――ああ。

 そうか。そういうことなのか。

「ねえ、どうしてつれてっちゃうの?」

 女の子が責めるようにクロードの裾を掴む。

「ほんとうのかぞくじゃないんでしょ?ねえ、わたしたちといっしょにいてよ。いかないで……」

 すん、と鼻をすする音がする。クロードは少しだけ迷ったが、優一の手をしっかりと掴んだ。

「……そうね。アタシは血のつながった親兄弟はいないわ。あの二人とも、なんの血縁関係でもない。…けれどね」

 優一がぼんやりとクロードを見上げる。少しでも意識が離れれば、掴んだ手はすり抜けてしまうだろう。

 それはできない。それで「同じ境遇のともだち」を得ても、優一は喜ばない。個を失う、それだけだ。

「アタシ達は、同じ(みち)を行く旅の連れ合いなのよ。これからどうなるかなんて誰にも分からないけど、誰かが欠けたら心が裂けてしまうわ。血が繋がってなくても、境遇が違っていても、同じ営みを続ける家族なの。……だから、ごめんなさいね。お友達にはなれても、アナタ達と一緒にいることはできないわ」

 クロードは優一の手を引いた。地面があることを確かめるように、ゆっくりと、確実にクロードは進む。

 誰も引き留めにこなかった。悲しそうに、二人の背を見送るだけだった。


「……クロードさん」

「はい。…落とし物と、忘れ物よ」

 鍵とスマートフォンを優一の手に乗せる。優一が見上げたクロードは、とても苦い「哀」を滲ませていた。

「…いいのよ。言いたくないなら、言わなくていい。全てを打ち明けることが一緒にいる必須条件でもないもの」

 優一は気付いた。部門の中で、クロードを見上げるのは自分だけだ。……クロードも思うものは同じなのだと。きっと彼は、この苦さを他の二人には絶対に見せないだろう。

「……このこと、二人には内緒にしてくれますか?」

 優一は言えない。クロードは見せられない。この不思議な出来事と悲しい雫は、二人だけのものにしよう。優一にはそれしか思いつかなかった。

「もちろん!最後まで、楽しい旅行にしましょ?」

「…はい!」

 ぱちりとクロードは綺麗にウインクを決める。それだけで、優一は場が一気に燦々と明るくなったような気がした。…少しだけ眩しすぎるような気もするが。


* * *


 十時前にチェックアウトを済ませ、一行は祇園に向かった。

「簪ってこの長さなら使えるかしら?崇ちゃん」

「十分できるよ。地が派手だから…黒で大きいものはどうだろう。金だけだと君の赤髪に埋もれそう」

「!じゃあ、これならどうかしら?こっちの金と赤のは崇ちゃんで、これはアタシ。おそろいにしましょ!」

「いいよ。…私も結構髪の毛伸びたんだね」

「超ストレートってほどじゃないけど、まとまりが良くてサラサラな髪質よね~」

「――……女子か」

「あはは…」

 キャッキャッと楽しそうな様子と声だが、片方はオネエである。女子ではない。化粧品やら髪飾りやらとはとんと縁のない男二人は完全に蚊帳の外だ。

 お土産を選んだりご当地グッズなどなど物色していると時間は一気に進み、新幹線に乗る時間が迫ってくる。

 時刻は十三時五分。旅行の最後に駅弁と、最初から最後まで風情たっぷりだ。

「そうそう、ウルフ」

「何だ?」

 写真のチェックをしていたクロードが、思い出したように昼寝する体制だったウォルフに声をかける。

「簪、バッチリ崇ちゃんに似合うやつ選んだから。着けてたら絶対褒めるのよ!」

「ッてめぇ……!!」

 ウォルフは思わずいつもの勢いで声をあげそうになったがここは新幹線の中だ。心の中で高笑いしているであろうオネエに拳が出そうになるが、場を考えてぐっと留まる。

 こうして、部門全員で行く京都旅行は無事終了した。クロードのスマートフォンの中には、その思い出がいくつも入っている。



(了)

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