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青墨邸から北に歩くこと十分。
『止まれ!』
『ここは書き損ないが出る湖。武器を持たぬ者は通せぬ!』
がしゃりと重い鎧を着こんだ兵士が二人、湖前の一本道で三人を止める。
「青墨殿から書き損ないの対処を任された者だ。藤崎くん、書簡を」
「はい。こちらに、青墨様から一筆をいただいております」
『…検めよう』
兵士の一人が訝しげに崇達の身なりを眺める。書簡を受け取った兵は難しい顔をしていたが、ひとまず書簡は本物だと納得し懐に収めた。
「通してもらえるだろうか、衛兵殿」
『確かにこれは青墨様の字だ。しかし…』
小馬鹿を含んだ視線が崇と優一をなぞる。
『どう見ても貴殿らが書き損ないと戦えるとは思えない…っ!?』
『どうした!?青厳!!』
「だっ、大丈夫ですか!?」
突然崩れ落ちた兵士に優一が駆け寄ろうとするが、崇は静かに手で制する。
『へえ…。どう見てもって、そう見えないようにしているんだから当然じゃない?』
『曲者!お前は…「妖精」か!』
「妖精さん!どうして…!」
『狭い世界じゃ分からないのかしら。バカにされても黙っていろってくだらないことを言うつもり?』
「そ、それは…」
流石に優一も馬鹿にされたことに気付かなかった訳ではない。内心少しだけしてやったりと思ったのは事実だが、ここまでしなくても…と思ったのは優一の弱さであり優しさだ。
「メル、もういいよ。それに少し痺れさせただけだろう?」
『え…』
『ぐ…そ、う…だ…』
よろよろと「青厳」と呼ばれた方の兵士が体制を立て直そうとするが、それも上手くいかない。
「失礼」
崇が痺れた兵士の前にしゃがみ、その腕をとると短く唱える。すると深い蒼の光が柔らかく腕に降りかかり、麻痺して曲げられなかった兵士の指がスムーズに曲げ伸ばしできるようになった。
『おお…!』
「痺れが残ったりなどはありませんか」
『見事だ…。先は失礼を申した。お詫び申し上げる、御三方』
深々と兵士二人は頭を下げる。
「では、通してもらっても?」
『ああ…。だが、本当に気を付けて。ここの数は他とは比にならない程なのです』
「分かりました。留意します」
兵士を通り過ぎた崇に優一は一瞬遅れてついていく。湖に着き兵士の姿が見えなくなると、崇はちゃっかりメルヴィスとハイタッチをしていた。
「竹中さん!」
「ははは。いや、あれにはすっきりしたよ。ちゃんと直したし平気平気」
「いやまあそうですけど…。じゃなくて!」
『言っとくけどソウは何も言ってないわよ』
「…うん?」
『あたしはソウと契約してないもの。念話はできないわ』
「え…。そ、そうなの!?」
『そうよ』
「で、でも妖精は契約した魔法使いにしか助力しないって…」
優一は面食らった。魔法使いは妖精や精霊と契約し魔法を使う。契約外の妖精とは関わらないのがほとんどだと教えられていたからだ。
『そんなに驚く?』
「う、うん…。だって、空を走った…のも君の力を借りた魔法なんだろ?契約外なのにそこまでできると思わなくて…」
「ふふ。そうだね、契約の上で『隣人』に力を借りて魔法を使う、それが私達魔法使いにとっても安全な魔法の使い方だ。私はそういう意味では幸運な質だと思っているよ」
どこか遠くを見ながら崇は続ける。
「私も元は〈現世〉生まれの人間だったんだよ。生まれつき『視える』質でね。幸いにして、私は彼らに助けてもらえる人間だったからこうしてメルにもよくしてもらえているんだ」
「竹中さんも…?」
「…と。お喋りは終わりかな。…ああ、確かに数が多いし魔力も濃い。まだ出きっていないのに分かるなんて相当だな」
不気味な声が、あの時沼で聞いた不快な声が優一の聴覚を捕らえる。
「うわ…」
「『声唱』を習得してきているなら、探知と「書き起こし」はできるかい?」
「はい。いけます!」
「この湖全体の魔力濃度の探知を頼む。メル、優一のそばにいてやって」
『しょうがないわね』
「お出ましだ…やろう」
湖に『書き損ない』が次々と現れやはりゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「《連え、我が鎖。連環を成せ。奔流を纏え》」
崇が両手を組み、左右に鎖を引くように手を放す。するとそれに呼応するように暗い色を纏う白球が崇の左右に扇状に連なり、一斉に書き損ないめがけてぶつかっていく。
「わっ…!」
『なにボヤっとしてるの!あんたもやるのよ!』
「う、うん!…《執記・探図》!」
『声唱』すると優一の目の前に青白い円が描かれる。
「《百以下、除外。中央より摘出、記せ》!」
その声にあわせて円の中に点がぽつぽつと出現する。優一がいる場所には点が二つ、五メートルほど離れた先にある大きい点は崇を示す。その周りには辛うじて見える程度の小点がいくつも散らばっているが、消えては現れてを繰り返していた。
(どこかに本体がいるはず…これじゃダメだ、もっと深度を測れる探図じゃないと…!)
優一が視線を崇に向けると、崇は書き損ないが潰れる音でほとんどが聞こえないものの口元が動いている。詠唱をずっと続けているのだ。
「…っ《再編、立体化》…っ!」
目の奥で火花が散る。どう見ても優一の力では立体的な探知を「描く」には魔力も実力も足りていない。
『――ああもう!ユウイチ、あたしの名前を教えてあげる!』
「え…?」
『あんたを手伝ってあげるって言ってんの!しっかり聞きなさい。
あたしはメルヴィス。夜の精、星の粉を纏うもの。手を貸して。リードしてあげるから』
一回りも二回りも小さな手が優一に手のひらを重ねる。
『息をしっかりして。力を抜いて、想像して。
《夜を紙に、星を印石に。いざ紡げ星々を、いざ描け最果てを。木々が枝をのばすように、水草が水面を目指すように》』
優一の中にある魔力が、ほんの少しだけ引き出される。それを夜空の色をした魔力が包み、混ざり合って画材になる。
『唱えて。あんたなら大丈夫』
できるでしょう、と、これまでで一番優しい声が優一の中に溶ける。
「――《再試行・立体化》」
描いた探図が深い群青色に染まり、唱えた通り立体になる。その最深部に、巨大な魔力の塊があるのが図上に浮かび上がった。
「竹中さん…っ!最深部に、本体、がっ…!」
『ユウイチ!』
「…これか。深いな…」
ふらっと倒れた優一が地面と激突する前に崇が支える。
「はっ…はあっ…」
「落ち着いて。少しずつ息を長くして。…そう、上手だ」
「たけな、か、さん。僕っ…できました、か…」
過呼吸でむせながらなんとか優一はその言葉を絞り出す。それに崇は少しだけ目を細めると、「ああ」と柔らかに告げた。
「後は私がやろう。あっちも気付いたはずだ。これほど正確に見つけられてはね…」
崇は書き損ないの引いた湖畔に立つと、ローブから青銅のベルを取り出す。
手からわざと自身の魔力を揺蕩えると、空気の魔力よりも、湖のそれよりも濃い魔力を伴ったベルの音が静まり返った湖に響く。
「…出てこい、残留物。言いたいことを全て捨てた臆病者ども。不特定多数の『皆の意見』としか言えない敗走者」
酷く冷たい声で崇は湖に呼び掛ける。
よくある巨大な水生生物や潜水艦が現れるような音を立てることなく、「それ」は浮上した。




