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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
パンドラの檻、京都に行く
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 翌朝、六時。

 崇は目覚ましを掛けずに起床した。朝に庭の畑を手入れしたり、花や薬草の世話をすることが日常の一部になっている崇は元々朝が早い。冬は植物の世話をしないので早起きをすることは少ないものの、前日に夜更かしをしなければ苦ではなかった。

 隣で寝ていた優一を起こさないように気をつけて、そっと仕切りの襖を開く。足が、というより体そのものが斜めになって布団からはみ出しているクロードと、身長があるせいで布団から足が出てしまっているウォルフを踏まないように注意しつつ崇は朝風呂の準備をし、部屋から出た。

「おはようございます」

「おはようございます、竹中様。昨日はよくお休みになれましたか?」

「ええ、ありがとうございます。私は朝風呂を頂こうかと思いまして」

「最近の若い人も早起きなのですねぇ。……そういえばお部屋で、何か見慣れないものなどはございませんでしたか?」

 縁側を掃いていた女将は、少し口を噤み崇に尋ねる。

 そこで崇も勘付いたが、どう答えるかと考えを巡らせた。

「…そういえば、鞠が部屋にありましたね。女の子がいたのですが、そのままどこかに行ってしまったみたいで」

「…!…そうでしたか。…その、不思議に思われたかもしれませんが、幽霊などのものではないのです」

「もしかすると、『座敷童(ざしきわらし)』に近いものですか?」

 女将は驚いた様子で崇を見る。しかしそれに合点したように落ち着きを取り戻すと、縁側に腰かけぽつぽつと話し始めた。

「その様子ですと、()()()が見えたのでしょうか。私も詳しいことはよく知らないのですが…昔話をしても、よろしいでしょうか?」

「ええ。是非」

 崇も女将の隣に座り、耳を傾ける。

「この『蒼糸』という店の名を掲げたのは三代ほど前の店主ですが、(わたくし)の祖先はそれよりも前からこの地に湯治のための宿を開いていたと伝え聞いております。京の都より奥まったここで今に至るまで宿が続いたのは、この宿に『座敷童』が住み着いたからだと言われています」

 座敷童は家の盛衰を司るといわれ、住み着いた家は栄え、座敷童が去った家は衰退するというのが最も有名な民間信仰だ。根拠付けがなされているわけではないが、その力があるのは確かである。

「この宿で働く者の多くは、その声を聞いたり姿を見たりしていたと聞きます。私も幼い頃…にわかには信じがたいとは思いますが、おかっぱ頭の女の子に遊んでもらった思い出があるのです。父に聞いたところ同じ年の頃の子供はいないと言っておりましたから、彼女がその座敷童だったのでしょう。……ですが…」

 女将の表情が曇る。

「おぼろげにしか記憶がないのですが、あれは確か私が八歳くらいの頃でした。この宿は、原因不明の火事に見舞われたのです。幸いにして逃げ遅れた者もおらず、精々軽い火傷を負った程度で。湯のパイプの損傷もなく、家屋が焼け落ちてしまったこと以外は奇跡的に無事だったのです。…ですが家屋を再建しても、あの子は姿を再び現すようにはなりませんでした」

 女将は重く溜息をつく。その表情は単に座敷童がいなくなったことを心配しているのではなく、一人の幼い女の子がいなくなったことを案じているものだった。

「伝承では座敷童がいなくなった家は衰えるとあったので、父はもはやこれまでと嘆いておりましたが。今こうして、続いてきたご縁と新たなご縁があって宿を続けることができているのは、あの子がまだこの宿のどこかにいるからだと思うのです。ここ数年、お客様から『子供の笑い声が聞こえる』『置いてなかった玩具がある』などと聞くことがいくつかございまして…。……差し支えなければ教えて頂きたいのですが、その女の子はどのような様子でしたか…?」

 静かに話を聞いて、そして女将の様子をよくよく観察していた崇は気付いた。この女将は、もう「視える」力を失っている。恐らくは幼少の火事が原因だろうが、それを彼女が知ることはできないことだ。

 昨晩の女の子は、身なりも小綺麗で肌や髪の艶も良かった。血色も良く、ふくふくとした林檎色の頬が愛らしかったのを思い出す。

「…火傷や怪我も無く、痩せている様子もありませんでした。驚かせてしまったのかすぐに走っていってしまったのですけれど、元気そうで可愛らしい子でしたよ」

 それを聞くと、女将は微かに息を呑んで目元を押さえる。小さく震えた声で、「よかった……!」と言ったのが聞こえた。

「申し訳ございません、お見苦しいところを……」

「いえ、気にしないで下さい。…きっと、伝わっていると思います。ええ」

 目元を拭き涙を締めると、女将は深々と崇に頭を下げる。

「ありがとうございました、竹中様。…またあの子とちゃんと会えるように、私共、一層頑張らねばと思います。お引き留めして申し訳ありませんでした。残り少なくはありますが、精一杯おもてなしさせていただきます」

「いえ、そんな。こちらこそ、ありがとうございます。…ここに来れて、本当に良かった」


 女将に見送られ、崇は大浴場の暖簾を潜る。…が、噂をすれば何とやらで。誰もいない脱衣所で、視線がいくつか向けられているのを感じ取っていた。

「おにいさん、ここ、おんなのひとのおふろだよ」

「うん。…私は女の人なんだ」

「え!」

「…ほんとだ、ない」

「ないね」

「どっちかわかんなかった」

「ごめんなさい」

「うん。いいよ」

 彼女達が妖怪・精霊と呼ばれる類のものなのは分かっているが、一人だけ裸でそれを囲まれているのは落ち着ける筈もない。

 できればどこかにいってくれないか。そう思うが、そういう時は離れてくれないのが常だ。

「きのうはうみのそとのひとがきてたよね」

「あかいかみのけのひと、すごくきれいないろだったよね!」

「こわいひとはすっごくおっきかった!」

 心を無にするしかないのか。身内のことを話しているような気がするのを全力で聞き流して露天風呂に浸かっていたその時、「こら!」と少しばかり凛とした声が響いた。

「おきゃくさまのごにゅうよくをみにいっちゃだめっていったでしょ!」

「うあっ!にげろー!」

「だってこのひと、だめっていわなかったもん!」

「へりくついわない!でていきなさい!」

 蜘蛛の子を散らすように座敷童達はぽぽぽんと空中に消えていった。むくれた表情の、昨晩見た若葉色の着物を着た女の子…座敷童がしょんぼりと崇に頭を下げる。

「もうしわけございません、おきゃくさま。にどとこのようなことがないようきつくいいつけておきますので、どうかおかみさんたちにいうのはごかんべんしてもらえないでしょうか」

 全て平仮名な口調ではあるが、相当しっかりとした言葉遣いに面食らう。

「ああ、うん。大丈夫、言うつもりはないよ。…でも、困っていたのは本当だね。ありがとう、助けてくれて」

 お礼を言うと、若草色の彼女は頬の林檎色をぽっ、と強めた。

 頭を下げて女の子が空中に消えると、本当に一人の静寂が訪れる。少しだけ長い溜息を吐き出して、ゆったりと湯に浸かった。


* * *


「ごちそうさまでした」

「チェックアウトって十時でしたっけ?時間ありそうなら、売店見てきてもいいですか?」

「おう。俺はもうちょい寝るわ」

 朝食後、優一はぱたぱたと部屋を出て行った。時間まで少し休もうかと窓際の座椅子に行こうとしたクロードだったが、机の上に置きっぱなしになった優一のスマホを見つけた。

「あら。優一君、忘れて行っちゃったのね」

「別にいいだろ。時計がないわけじゃないだろうし」

「うーん…。いえ、まだ近くにいるでしょうし届けてくるわ」

 何となく、そうしなければいけないような。クロードはそう思い、優一のスマホを持って部屋を出る。

 縁側を通っていると、前の方に何かが落ちているのを見つけた。

「…これって」

 拾い上げたのは小さなランプのチャームが付いたキーホルダーだった。普通ならただの落とし物だが、クロードは眉を顰める。ランプのチャーム、そして鍵は「Lampe」の玄関口のものだったからだ。

「…そうね。これは」

 念の為チャームの魔力を確認したが、作成者の崇と、持ち主の優一の魔力を帯びている。当然ながらこのチャームには魔法がかけられており、滅多なことでは落とさなくなっているのだが。

(いるのよね、この旅館。……故意にやったのなら、探しにいかないと)

 逆を云うならば、「何かが落とさせた」ということになる。そしてそういうことをするのは大抵、()()()側のものだ。

「…」

 靴下を脱ぎ、ほのかに太陽で暖められただけの庭にそっと素足を付ける。常人(つねびと)が見ることのない「(しるべ)」に従い、クロードは人ならざるものによって秘された庭園に足を踏み入れた。


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