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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
パンドラの檻、京都に行く
38/98


 湯の花温泉、「蒼糸(あおし)」。

「ようこそいらっしゃいました。竹中様ですね?」

「はい」

「長旅お疲れ様でした。お部屋へとご案内致します」

 品の良い着物を着た女将に出迎えられ、一行は温泉旅館「蒼糸」へと到着した。

「お部屋はこちらになります。四名様のご予約でしたので、お布団はこちらとあちらに二組ずつ敷かせてもらいます」

「ありがとうございます」

「浴衣は箪笥に入っています。そちらの方はおそらくサイズが合わないと思いますので、この後お持ちしますね。夕食は何時ごろになさいますか?」

「どうしよう。先にお風呂に入ってからにする?」

「そうね。結構疲れたし」

 ウォルフと優一も頷く。

「では十九時にお願いできますか?」

「大丈夫ですよ。それでは、ごゆっくりおくつろぎください」

 丁寧に頭を下げ、女将が部屋から出て行く。部屋は全面畳敷きで、中央は襖で区切れるようになっている。奥の窓からはよく手入れされた庭を眺めることができ、部屋に露天風呂も完備と至れり尽くせりの部屋だった。

「それじゃあひとますお疲れ様!」

「ふー。歩きましたね~」

 ウォルフの浴衣も届き、男三人は早速温泉にと袖を通す。

「帯ってこれでいいのか?」

「…まあ、今は温泉行くだけだしいいか。後でちゃんと結んであげるよ」

「クロードさん、襟が逆ですよ」

「死んでる……」

「え?…え?どういうこと?」

「あはは」

 日本人ジョークにクロードは首を捻る。左前は亡くなった人の着せ方なんですよ、と優一が教えてあげると、少し拗ねた風にクロードは目元がやや赤くなった。

「あれ、竹中さんは行かないんですか?」

「私は大浴場は明日の朝にするよ。古代も温泉に入れてやりたいしね」

「そっか、折角の温泉ですしね」

 そうして部屋を出た三人だったが、大浴場前まで来て優一はハッと気付く。

「……あの、古代さんってオスですよね?」

「・・・・・・・・・・・・」

「えっちょ、そうですよね!?あっワニ、ワニの方で入るんですよね!?」

「うるせえ!こっちは全力で気付いてねぇフリしてたんだよ!!」

「アンタが一番うるさい!」

 クロードがウォルフの後頭部を平手打った音が思いの外いい音で鳴った。



「はーー……」

「沁みるな……」

「ほんと今まで色々お疲れ様でした…」

 隠れ宿な雰囲気は確かなようで、ここに来るまで宿泊客は二人としかすれ違わなかった。旅館のホームページには長期湯治のプランも載っていたが、知る人ぞ知る湯治の宿なのかもしれない。

「湯治ってマジなのなー……」

「どう、効果ある?」

「あるある。ほら」

 ウォルフは首までがっつり浸かっていたが、ざばりと腕を上げるとそこの傷があったのが分かるくらいにまで薄まっている。腕の傷は以前転化させられた際、実弟フレドリックの氷に混ぜられた銀によって深く刻まれたものだが、ウォルフにとっての「よくないもの」を除く方向に働いているのか銀による傷が癒えてきていた。

「おお、すごい……。……というかウォルフさん、筋肉凄いですね……」

「まあ、これくらいが一番丁度いい。やっと筋肉痛も収まってきた頃合いだしな」

「クルミ片手で割れるわよ、きっと」

「指でもいけるんですよ、きっと」

「何なんだよお前ら。仲良しか」

 しかし体を洗う時、ウォルフ程ではないにしろしっかり筋肉があり腹筋も割れているクロードを見て、優一が至極悲しそうに胸と腹筋を撫でていたのはここだけの内緒話としておこう。


* * *


「気持ち良かったねぇ」

『(ああ)』

 部屋付きの露天風呂も大変心地の良いものであった。ほかほかになった崇が同じくほかほかの古代の鱗の水分を丁寧に拭き取ってやっていると、どこかから子供の笑い声が聞こえてくる。

「…おや?」

 ふと目をやると、ころりと鞠が転がっている。赤と金糸の鞠を手に取ると、庭の見える窓に萌黄色の着物を着た小さな女の子がいた。

「君のかな。はい」

『……』

 射干玉のような大きな黒い瞳が崇をじっと見つめる。鞠を受け取ると、女の子はぱっとどこかへ駆けていった。


「わっ!?」

 一方、部屋に戻るところだった男三人だったが、優一の膝に誰かがぶつかる感触がする。

「あ、ご、ごめんね!怪我はない?」

 慌ててしゃがみその顔を覗き込む。相手は、緋色の着物を着たおかっぱ頭の女の子だった。

 子供はきょとんとした様子だったが、にぱりと笑うと優一の脇をすり抜けて走り去っていってしまう。

「あ、あれ?」

 優一は振り返ったが、子供の姿はもう見えなかった。

「おい、どうした?」

「あ、いえ。その、小さい子とぶつかってしまって。もうどこかに行っちゃったんですけど…」

「小さい子?子供連れのお客さんも来てるのかしら」

「でも一人だったんですよ。もしかしたら従業員さんのお子さんなのかな…?」

 客の出入りが激しいようにも見えないので、そうかもしれない。

 …優一はそう思ったが、クロードとウォルフが視線を巡らせていたのには気が付かなかった。

 三人が帰ってきたのに崇が気付くと、後ろを向くように促される。案の定適当な結び方をしていた帯を直してもらった丁度その時、仲居がこれから食事を運んでくることを伝えに来た。

「飲み物は何をお持ちしましょうか?」

「アタシは八海山を熱燗で」

「お、芋もあんのか。んじゃ魔王の湯割りで。崇、お前飲むのか?」

「…甘口で飲みやすいものってありますか?」

「甘口でしたらこちらの「すず音」がおすすめですね。発泡日本酒で、甘酸っぱくて美味しいですよ」

「じゃあそれを冷で」

「僕は烏龍茶でお願いします」

 そうして料理が運ばれ、飲み物も揃ったところでクロードがこほん、と改まって軽く咳払いをする。

「それじゃあ今日はお疲れ様でした!かんぱーい!」

「「「乾杯(かんぱーい)!」」」

 カチンカチンと透明な音が楽しく鳴る。

「クロードさんもウォルフさんも、お刺身食べれるんですね」

「珍しいモンか?」

「あ、いえ、僕も直接聞いたわけではないんですけど、海外の人って生魚が苦手って聞いたことがあったんですよ」

「そ、そんなこともあるのね~」

 クロードが少しだけ肩を揺らす。

「日本に来て長いからね。今は普通に食べているけれど、最初はかなり渋っていたよ」

「ちょっと言わないでよー!」

「君が食わず嫌いしていたなんて言っていないじゃない」

「あっ。…いや今言っちゃったじゃないの!もー!」

(クロードさんも食わず嫌いとかあったんだ…)

 そういえば好き嫌いの話はしたことがなかったかもしれない、と優一は天ぷらを食べながら思う。常駐部門での仕事に慣れてきた頃合いに家事当番に組み込まれたので夕飯を作ることはあったが、カレーやオムライスなど無難なものしか作らなかったので個人の苦手な物などは知らなかったのだ。

「まあうん……フランスでは生魚食べないのよ。というか食べるのが日本人くらいなんじゃないかしら…?好き嫌いはよくないってのは分かってても、タコとかイカは結構抵抗あったのよね」

「とりあえず一回食べさせて、それでも駄目だったらまあ仕方ないなって」

「カルパッチョとかもダメだったんですか?」

「あれ、元は牛肉だぞ。魚使うのは日本からだ」

「…ほんとに生魚食べるのって日本人だけだったんですね」

「今は美味しく食べれるわよ?あー…ナマコとか、サザエとか?ああいうのは苦手だけど…」

「あれ、どうして食べようと思ったんだろうね」

 わいわいと話しながら夜は更けていく。料理も綺麗に完食し、空の食器が下げられた頃には、アルコールの入っていない優一は疲れでうとうとし、ウォルフはほぼ素面でクロードは頬が紅潮し陽気になる程度だが、崇は完全に出来上がっていた。

「……」

「ウルフ」

「……んだよ」

「そういうことなの?」

「違え!」

「ええ…だって」

 クロードが軽く指さした先には、ウォルフの膝でごめん寝をしている崇がいた。

「崇ちゃんもう寝ちゃってるじゃない。しかも膝枕で」

「……こいつ、酔うとこうなるんだよ。どこでこの癖付けてきたのか分からねえ」

「でも嫌じゃないんでしょ?」

「……お前も寝ろよ」

「まだ眠たくありません~」

 ち、とウォルフは舌打ちする。丁度そこに、仲居が布団を敷きに来たので話が中断される。

「とりあえずそっちに寝かせとくぞ」

「あ、じゃあ優一君も。…んしょっ」

 いつの間にか寝落ちていた優一も奥の布団に寝かせ、二人は窓際の座椅子に移動する。窓の近くだからか、冷えた空気が酔いを醒ましてくれそうだった。

「別に部門内恋愛が駄目だってうるさいこと言うつもりないわよぉ」

「そういうのじゃねえよ」

「…まあ、アナタ達が複雑な関係ってのは分かるわ。ウルフと会ったのはアタシの方が早かったのに~」

「気色悪いこと言ってんじゃねえ」

「流石にガチトーンは傷付くわよ…。…ジュラの森で、何があったかは聞かないわ」

「…」

「…崇ちゃんはそんなことを微塵も考えてないのかもしれない。けどウルフ、アナタの天秤はアナタの匙加減でどうにでもできるんでしょう?」

「…どうにもならねえよ。今までと同じで、変わらねえさ」

 吐き落とすようにウォルフは哂う。しかしクロードは、分かりやすく片眉を吊り上げた。

「そうかしら?確かにアタシ達は中身こそ違えど『呪い』という共通点があった。でもだからといって、その全部を識っているわけじゃないわ。アタシだって崇ちゃんの『呪い』の中身の全ては知らない。でもウルフ、アナタはどこかで『分かってる』んでしょう?理屈や言葉で言い表せない、そのどこかで」

「…………」

「だからこそ今がある。そうであるから、形にはできない。違うかしら?」

「……だァーーッ、どうしてお前はこんなどうでもいい所で勘がバチバチに働くんだ。別の所で出せよ」

「っあはは!まあ、愛の国出身ですし?そりゃあ見過ごせないわよ」

 クロードがトイレに立つと、庭の音がよりはっきりとウォルフの耳に届く。追加で頼んだ熱燗をくいと煽ると、草葉の揺れる音が遠くない記憶の中にあるジュラの森の音とクリアに繋がった。

「……天秤は傾かねえよ。何一つとして載せられねえんだから」

 浮かび上がる心象を振り切るように、ウォルフは(かぶり)を振った。


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