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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
Noble Hunting
35/98

14


 夜が明けた。

 今回の人狼狩りは少なくない犠牲を出した。討伐隊はスイスの警邏隊の統括者、グランシー男爵の屋敷に間借りし療養や後始末を行っていた。

 午前七時ちょうど。崇の肩を借りて、人間の姿に戻ったウォルフが森から出てきた。信じられない、と声があがっていた。大方の傷は再生していたが、痛みの蓄積からは逃れられない。意識はなかったが息はあった。

 今、ウォルフは眠っている。呼吸、脈拍共に異常なし。火傷の処置と、水分と栄養補給の点滴がされているだけだ。

「――以上が、僕とアナスタシアが企てていたことの全てです」

 貴賓室では真相が語られていた。アナスタシアが魔物の「コレクター」であったこと。そのため、生きた人狼を欲しがっていたこと。フレドリックは、正当な後継者になるには兄が邪魔であったこと。二人の利害は一致し、今回の狩りで人狼に転化した兄を捕らえる手筈だった。三体の偽のカミロは、ウォルフが転化せざるを得ない状況にするためにアナスタシアが調整した魔獣だったという。

 アナスタシアは既に捕らえられ、警邏隊の術師が解呪を試みている。今は崇の“魔精殺し(ブリシム)”によって受けた侵蝕はないが、仮に人間の姿に戻れたとして無事な保証はない。腕を切り落とすだけでは済まない可能性も大いにある。そもそも魔法使いの変身は、それをかけた魔法使いにしか解呪が不可能なものばかりだ。どちらにせよ、アナスタシアは再起不能になるのが目に見えていた。

「取り返しのつかないことをしてくれたな、フレドリック」

「……」

「お前の処遇は追って知らせる。部屋に戻れ」

「…はい」

 フレドリックは何も反論せず、貴賓室を出て行く。ダライアスは背もたれに体重をかけたが、折れた肋骨の痛みに小さく呻く。

 息子の小さくない機微の変化に、ダライアスは少なからず崇が関わったのだろうと感じた。プライドの高い貴族の次男坊に、他人の弱みを容赦なく射貫く観察眼を持った“蛇目(バジリスク)”の弟子。

 自分の武器をよく分かっている。ウォルフが森の奥に消え、崇がアナスタシアに口を割らせたのをダライアスは霞む視界の中で見ていた。ダライアスが崇をちゃんと見たのは今回が初めてだったが、脅し方まで師匠(テオドール)に似ているのは如何なものかと思ってしまった。

 あの魔力は質・量・特性全てにおいて【討伐隊】では得難く、まさに逸材と呼べるものだが、あの気質は合わないだろう。少し口惜しいが、致し方ない。ダライアスは目を閉じた。



「っくし」

 その頃崇は、日差しが柔らかく射し込む部屋の中、窓際で時間を潰していた。すん、と鼻を鳴らすと、ドアをノックする音が聞こえる。

『竹中さん、藤崎です』

『あとコートニーもなー』

「ああ、入っていいよ」

 部屋に入ると、優一は目を丸くした。隣のコートニーも、ややあっけにとられている。

 崇の額には山羊の姿になった時のと同じ、クリアな乳白色のやや細めで長い、下内側にカーブした角が一対生えていた。

「た、竹中さん、これは…?」

「いやごめんね、急に。そろそろだから、近くに来て」

「あれか、あの時の」

「そうそう。…ん、そろそろ……」

「え?」

「ちょっと角の下に手、出して。…あ、落ちる」

「落ちっ……!!??」

 その宣言(?)と同時に、乳白色の角がぽろりと落ちた。ずしりと確かな重みを持ったそれに、二度見よろしい衝撃が走る。

「…!?…!?」

「ちょっ…竹中、落ちたんだけど!?」

「すみません、驚かせて。変身した時、普段は角も戻すんですけれど、今回は取っておかないといけなかったから」

 崇はつい今しがた落ちた「角」を受け取ると、部屋のテラスから中庭に出て草葉の中に角を置く。外は曇り、霧が出ていた。

「え…っと、これ、何かに使うんですか?」

「ああ。今回協力してくれた妖精に、これが欲しいと言われてね。自然に三日三晩晒して、私の魔力を抜くんだ。私が契約している妖精(りんじん)が古代…岩と火の属性だからか、この角も素材になるようでね。結構良い金策になるんだ」

「…曲がりなりにも自分の一部だったのを売るなよ…」

 至極ごもっともな突っ込みが入る。

「というか、先輩はどうして?」

「あー、うん。さっきちょろっと出たけど、魔力のことというか、その~……アナスタシアのことで」

 崇は優一を呼んではいたが、コートニーは呼んでいなかった。言いづらそうに切り出した内容に、崇はやや目を平らにする。

「えーーと…。竹中の師匠に、さ。蛇にされたって話、聞いた?」

「ああ、はい」

「フレドリックから今回の真相とか、そこらへんは聞けたらしいんだけど、実行犯のアナスタシアもそれについて話さないといけなくて」

「そうですね」

「…どうにかして解呪できない~!?マジで困ってんの!」

 どうやら討伐隊の術師では無理だったようで。弟子ならまだチャンスはあるのではないか、ということのようだ。

「…私がどうこう言える話ではないのですが、私も彼女に呪いをかけているようなものですので、私は近付かない方がいいと思います」

「うあ~~。そうだ…そうだったね…」

 がっくりとコートニーは肩を落とす。

「師匠に会ったのでしたね。(変えられたのは)一人だけですか?」

「うん。でもさあ、そりゃ彼女もやっちゃいけないことをした訳だけど、それでも蛇になるなんてあんまりじゃない…?」

「ま…まあ、確かに…」

 あのやり取りを見ていただけに、いくらアナスタシアの自業自得とはいえ、あのような結果になったところだけは優一も流石に同情した。

「あの人は根性が悪ければ口も悪いし、性格も悪いので…。はい」

「全部悪くない!?」

 信じられない、とコートニーは頭を押さえる。

「まあ、それでも悪人ではないですよ。善人でもありませんが。()()を弟子として育てた人ですし、ね?」

 崇は左手の黒手袋を外し、“魔精殺し”を出す。それに優一は「あの」と控えめに声を出した。

「その、“魔精殺し”って…どういうものなんですか?あっいえ、その、僕は見ただけで、ちゃんと分かってるのとは違うんじゃないかと思って…」

 あわあわと優一は崇の顔色を窺うが、崇は特に気分を悪くした様子もなく言葉を探す。

「んー…。とはいえ、これについては見たことが全てだしなあ」

 崇はポケットを探ると、紫色に輝く水晶のような鉱石を取り出す。その石は、優一が見ても分かるほどに濃密度の魔力を宿していた。魔力そのものといっても過言ではないかもしれない。

「これは魔力水晶。その名の通り、魔力が濃密度で籠っているものだけれど」

 崇は魔精殺しを纏った指を水晶に近付ける。

「あっ!」

 すると、魔精殺しの先触れが水晶に触れた瞬間、ごっそりと水晶が削り取られたかのように「消滅」してしまった。

「…まあ、こういう事だよ。魔力持つもの全てを殺してしまう、だからこれは“魔精殺し(ブリシム)”と呼ばれているのさ。普段はこの手袋や杖…『触媒』とか、古代の力を借りて魔法を使うことで魔精殺し(これ)を出さないようにしているよ。そうでもしないと周りが怖がるからね」

「…聞いた話じゃ、そいつを持った人間は皆殺されてるんだっけ。そこは平気なのか?」

「えっ、他にもいらっしゃったんですか…!?」

「みたいだね。私も、私以外の“魔精殺し”は見たことが無いよ。というか、生存を許された例外が私しかいないみたいだ」

 さらっと崇は答えたが、優一は何もかもが信じられなかった。どうして殺されたのか、そもそも生きてはいけないって、どうして。ぐるぐるする優一に、崇は答えをさっくりと落とした。

「そりゃあ、暴走したら大変なことになるからね。文字通り『世界』を()しかねない」

「…う、わあ。あ…そっかあ……」

「私は特に気にしてないよ。少なくとも大っぴらには殺される心配もないし。……だから、君が『記録』しても何も問題はないって事さ」

「ふあっ!?」

 ギクウッ、と優一の心臓が跳ねる。崇はけらけらと笑うと、中庭から部屋に出て行った。

「…あーそういう?」

「だ…だって、気にしますよそりゃあ」

 生温かい目でコートニーに見つめられ、優一はもぞもぞと言い訳する。

「記録者ってもっと遠慮がない…っていうか、配慮がないもんだと思ってたけど。藤崎が日本人だから?」

「分かりませんよそんなの…。他の国の記録者には会ったことないですし」

 そうなのか、とコートニーは意外そうな顔をした。しかしふっと表情を薄くすると、やや改まった様子で優一の顔を見る。

「できれば長く、あいつらの部門(とこ)にいてやってよ。偏見なくやってける奴なんてそういないからさ」

 優一はきょとんとしたが、にこりと笑った。

「はい。僕も、そのつもりですから」


* * *


 …泣く声がする。

 慟哭ではない。が、静かに泣く声だ。

 誰だ。ウォルフは、開かない意識のままその声の主を探した。

(この声は誰だ。男じゃないな。女…お袋はもういない。崇はこんな風には泣かないだろう。……ああ…そうか、お前か……)

 どうにか瞼を開いて、声のする方に視線をやる。眼鏡をかけていないせいで何もかもがぼやけているが、長く伸びた灰色を見間違う筈もなかった。

「……フロー…ラ…」

「…どうして……どうして人狼になってしまったんですの…?兄様が人狼に…ならなかったら……こんな……」

 ウォルフの掠れた声に、フローラは眼鏡を外して強く目元を擦る。

「もう……もう……こんなの…嫌です。あんなに苦しい声を、聞きたく…っ……!」

「……ごめんな。…だが、俺はそれをどうにかしてやれねぇ」

 ぽたぽたと涙がシーツを濡らす。軋む痛みをどうにか耐えて、点滴がされていない方の腕を上げフローラの頬を撫でる。

「泣くな…。お前は…うちの“花”だ。花が泣いたら皆焦っちまうだろ」

「!どうして…」

 ウォルフは優しくその目元を拭ってやる。

「何年お前らの守りしてあやしてたんだと思ってんだ…声で分かるわ」

「……」

「…お前は一等耳が良いからなぁ。嫌なことも汚い音も沢山聞いてきただろ」

「……ん…」

「それに耳を塞がずにいたのは、お前の美徳だ。…でもな、全部を聞くことはしなくていいんだよ」

 分かっていても辛いことがこの世界には溢れている。いつだって笑うのは悪人で、泣くのは善人だ。仲間が死んでも生き残った自分たちは悪なのか。生きているだけで御の字だから善だとはいかないだろう。

「……落ち着くまでここにいていいからな。フローラ」

 こくりとフローラは頷いた。深手を負った人狼は、魔力の大半を再生に回す。そのため、覚醒している時間より眠っている時間の方が長くなる。

 今のウォルフが彼女にあげられるのは、時間と場所だけだ。この部屋には、思慮のある人間以外はそう近付かない。

 意識が闇に沈んでいく。明日こそは晴れやってくれと、ウォルフは信じもしない神に祈った。



 五日後。

 無事回復したウォルフは、崇達とは一緒に日本に戻らず城で父親と共に報告書をまとめていた。

 カミロの事だけじゃない。アナスタシアの一計のせいで強制的に転化させられた事は流石に揉み消せない。おまけにこれがこじれれば、人狼狩りの三家のどれもが没落してもおかしくないだろう。

 今後何があっても「勝つ」ために、ウォルフはあの夜の詳細を一から十まで残しておく必要があった。

「……これで全部だろ。確認してくれ」

「うむ」

 ダライアスは書類を受け取ると、眉根を寄せて細部まで視線を走らせる。

[――…… 交戦後、奥部の泉に辿り着く。夜明けをそこで待ち、転化が解け次第野営地に出た。]

「…いいだろう」

 「嘘は書いていない」。これに口を挟む必要もあるまいと、ダライアスは報告書を通した。

「ん。ああ…それと、ちょっと話しておきたいことがあるんだが」

「何だ?」

 執務室のソファーに腰を落とし、ウォルフは淡々と口を開いた。

「まだ後継を正式には決めてねぇよな」

「ああ」

「向こう百年くらいはまだ死なねぇだろ?あんた」

「…何が言いたい」

「いや。前々から何度も言ってるだろ。正式に俺を後継者候補から外してくれってことだよ」

「…此度のは――「あー、違う、違う。俺の責任どうとうってのじゃねえよ。単に分かり切ってる話はここでやめようってだけだ」

 ダライアスの言葉を遮ってウォルフは皮肉げに笑う。

「人狼狩りのトップが人狼じゃ、話にならねぇだろ。…で、俺が継承権を放棄する代わりに、後継選びはケインとキャサリンが一人前になってからやって欲しい」

「…あの二人が、か」

「今こうなった以上、すぐに代変わりはできそうにないだろう。なら待って、曖昧なものを全部取っ払ってから選んでやってくれよ。これ以上こんがらがって、内輪で揉めるのは御免だ」

「………ぬう」

 ウォルフの言っていることは間違いではない。それはダライアスにも分かっていた。

「……あんたの期待に応えてやれねえのは、申し訳ないとも思う。だが俺は、昔を恨んでも、この過程に後悔はしていない。だから謝れねぇ」

「…ああ、そうだろう。お前は…性格は俺よりも俺の兄に似たな。口惜しいことに」

「は」

 綺麗に一拍の間が開く。

「兄……?え、あんた、兄弟いたのか…?」

「いた。お前と似たようなことを言って家を出て、その後野垂れ死んだ男がな」

「初耳だよ。ってか、あれ、家系図にもいなかったぞ!?」

「勘当扱いで消されたからな」

「なんだよそいつ……」

 今日で一番大きなため息が出る。ダライアスはほんの僅かに笑むと、「だから」と続ける。

「お前はそうなるなよ。この歳になれば、俺も息子(おまえ)が生きているだけで十分だ」

「……おう。そうか」

 思ってもいなかった返答につい無機質な返事になってしまう。

「それじゃあ、俺は帰るわ。…精々長生きしろよ、親父」

 ソファーの背に引っ掛けたジャケットを掴み、ウォルフは執務室を出て行く。ダライアスは執務机から立ち上がると、窓辺に寄り、屋敷から出て行く息子の背中を静かに見送った。



(了)

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