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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
Noble Hunting
34/98

13


 十の頃だ。フレドリックが八歳で、フローラが五歳、もう一人の弟…フィリップが産まれて数か月の赤ん坊だった。

 その頃は無差別的な人狼狩りがかなり落ち着いてきた頃だったらしい。種族の方の人狼に匿われてたり、人里から離れて静かに暮らす人狼もいて、中世の魔女狩りよろしく激化した人狼狩りが収束して、後天性の人狼の数が減っていたからあまり狩りは行われていなかった。

 それこそ、年に数回しか狩りが無かった。うちは身体が出来上がるまで実戦には出してもらえねぇ。…だから、何も知らねぇ子供だったよ。


 その日は休養日だった。数日続けて鍛えた後、しっかり一日休息をとる。言われるがままやってたから、何がいいのか分からない。ただ退屈なだけだった。

「お前達、今夜は部屋を出るな」

「え?」

「どうしてだ?」

 いつもは食事の席でほとんど喋らない親父が、珍しく口を開いたと思ったらそう言い出した。

「ダラムに人狼が入ったとダーリントンの警邏隊から電報が入った。今夜は満月。もしもの場合はこの城が緊急避難所になる。その中に何が紛れるかも分からないからだ」

 要は、「うろつかれると邪魔だから大人しくしてろ」と。まあ実際そうなったらただ訓練をしているだけの貴族の子供なんぞ鬱陶しいだけだ。ダラムはうちが管理している州だが、人狼狩りの一族でもある以上多かれ少なかれよく思っていない市民も多い。お互い下手に刺激しないのが一番ってことだ。

 その頃薄々分かっていたことだが、俺には帝王学や政治学っつう、まあ「跡取り」としての教育がされていた。お前も知っての通り、俺は座学は不得手だから休養日はそれの宿題の消化に追われてたもんだが、フレドリックはやってる勉強の数がいくつか少ないってのも差し引いても俺より呑み込みが早いし要領もよかった。

 だから余計に退屈だったんだろうな。フレドリックが外に出たいって言い出したんだよ。

「兄さんはもう『慣らし』に連れて行ってもらってるじゃないか。本当なら今日僕も慣らしに連れて行ってもらうはずだったのに…」

「お前なあ。っつっても、俺だって実戦に出たことはないんだぞ」

「じゃあ堀の内側でいいから、一緒に行こうよ。最近ずっと城の訓練所でやってたし、外に出てないんだ」

 「慣らし」っていうのは、満月の晩に実際に外に出て環境に体を慣らすことだ。満月の晩は人狼じゃなくても、あらゆるものが良くも悪くも活気だつ。それにビビってたら話にならねぇからな。親父や教官の判断で、俺は何回か満月の晩に出歩いてたんだよ。

「仕方ねぇ。今日だけだぞ。後、誰かいんのが分かったらすぐに引っ込むからな」

「うん!」

 窮屈なのが嫌だってのは俺もよく分かったから、誰にも見つからないようにするって条件で外に出た。流石に人狼狩りの拠点に侵入してきてることもないだろうとも思ってな。親父や常駐の隊員は全員ダラムに入った人狼を捜しに出払ってたが、城の周りにも市民が松明を持ってるのは見えなかったし静かだったから、もしバレても反省文程度で済むと思ってた。

 足音がしにくい靴を履いて、俺達は部屋の窓から外に飛び降りた。フレドリックはちゃっかり自分の靴を持ってきていたから、どのみち出るつもりだったんだろう。断らなくてよかったと思った。

「足元気を付けろよ」

「うん」

 夜露に濡れた草に足を踏み入れて、滑って転ばない様気を付けながら夜の散歩をした。

 分かるだろ、あの何とも言えねぇ高揚感。何だかんだ言って、あの頃は何しても無敵な感じがしたじゃねぇか。…そういや、学院時代にクロードの部屋に泊まったことあったな。あん時はかなりヒヤヒヤしたなあ。竜騎寮は夜でも話し声が聞こえるし見回りもよく来たからな。懐かしい。

 まあとにかくあんな感じの、子供の根拠の無い自信で外を歩いてたんだ。実際、あの時あの防備なら何もないはずだった。


 半周くらいして、そろそろ戻るかって言ってた時だった。

 風向きが急に変わって、草木がざわざわと鳴り始めた。瞬間的に何か来るって、第六感が働いた。

 フレドリックは立ち竦んでた。初めて満月の夜に外に出て、いきなり、今まで感じたことのないものを察知すればそうなる。どこになにがいるのか、近いのか遠いのかも分からなかったが、すぐに中に入らねぇといけない。極力気配を殺して、ゆっくりと進んだ。

 その時だった。

 獣の息遣いがした。近い。けれど前にいなければ後ろにもいない。そうなったら、残るのは横しかないだろ?左方向は堀だったが……その向こうに、病んだ黄色の目玉が二つ並んでた。

「フレッド!!!」

 あいつは気付いてなかった。なら、自分に隙を見せていて、身体の小さいものから狙うのが獣の条理だ。脚の爪が地面を蹴る音がしたのと同時に、俺はフレドリックを抱え込んだ。倒れ込んだのと同時に、首を噛まれた。

 身体が爆発してるんじゃないかってくらい、強いエネルギーが生まれた。骨が軋んで、筋肉がもがき暴れてるようだった。俺は咄嗟に自分の手首を自分で噛んだ。骨が砕けた。

 その時銃声がして、獣…人狼がもがき苦しみ事切れたのが分かった。目の前に臭い口をだらしなく開いて倒れてきたからな。

 大勢の男の声が耳元でしたが、何を言ってるかも分からなかった。俺の身体は、人狼の呪いによって急速に細胞から造り変えられている真っ最中だったから、その痛みに呻くことしかできなかった。誰かが俺の首を見て息を呑んだような気がしたけど、その瞬間俺は気を失った。


 次に目覚めた時から、地獄が始まった。

 俺は煉瓦と鉄格子で仕切られた冷たい部屋にいた。城の地下牢だ。お袋に「言う事を聞かなければ閉じ込めるわよ!」って、脅しに使われてた部屋だ。

 俺の首には首輪が嵌められて、太い鎖が壁に繋がっていた。牢には鉄製の机と、お情け程度の薄いシーツが一枚掛けられたベッドがあった。

「お前は人狼に噛まれたのだ」

 鉄格子の向こうで、親父が俺を見下ろしてそう言った。

「今やお前も人狼だ。処遇が決まるまで、この牢からは出さん」

 何がどうなってるのか分からなかったな。そうしている間に、また細胞の造り変えが始まった。

 断片的にしか覚えてないが、俺は一晩中叫んでいたらしい。鉄格子を噛んで歯が折れて血が出たが、すぐに生えてきた。床を掻きむしって指が削れて、骨が見えた。机やベッドもどういう力でやったのか分かんねえ程度には、めちゃくちゃな形にひん曲げられてたよ。

 その時の俺の叫び声が、城中に、外にも漏れてたらしい。フレドリックは掠り傷だけで意識もあった。フローラもあの歳にしては聡い子供だった。…そんな時分に、人狼ののた打ち回る苦痛の咆哮を一晩中聞いてみろ。俺は、あいつらにとって『化け物』になった。

 だがそれでも、朝は来た。俺は呪いにどうにか順応して生き残った。体のエネルギーを全て使い果たして意識が白くなっていた時に、牢の戸が開いて俺は親父の腕の中にいた。


 人狼になったことで、外では大分揉めていた。城に入れ代わり立ち代わり誰かが来て、詳しい内容は分かんねえけど俺のことについて話しているのが聞こえた。

 人狼になったから五感の感覚がかなり変わったんだよ。耳と鼻は利きすぎて、視力は逆に落ちた。あらゆるものが体に合わなくて吐きまくったな。全身がバッキバキに痛んで、一週間くらいしてようやく歩けるようになった。

 …部屋から出ることを許されて、一歩廊下に出た時、フレドリックとフローラがいたんだよ。

 俺は心底安心した。フレドリックには傷の一つも残っていなかったし、血色もよかった。噛まれてなかったって知ったのがその時だったんでな。

 けれどあいつらは違った。二人とも真っ青になって、フレドリックはフローラを後ろに隠してこう言ったよ。

「近づくな、人狼!!この城から出て行け、今すぐにだ!!お前のような汚らわしいものが僕達と同じところにいるんじゃない!!!」



「……思い出したらやっぱりキツイな。…まあ、当然の反応だろ」

『……君は、それでも…』

「ああ。後悔はしてねぇ。あいつらは生きている、それだけで良かった。

そんな風で一緒のとこには住めねぇから、俺は学院に入るまでの間、あの大聖堂に預けられたんだよ。…けど、その二年でお袋は精神を病んで死んじまった」

 はあ、と大きく息を吐いてウォルフは崇に体重を預けた。夜露か泉の水か、少しだけ濡れた毛が冷たい。

「…お前も本当、自分の命を軽く見てるだろ」

『も、って何』

「…来るなよ。危ないのは分かり切ってるってのに」

『分かっているよ。君の睡狼薬を最初に作ったのは誰だと思ってるんだ』

「だから、それだよ。…ほっとけばよかったんだよ。今も昔も」

 もうこんなことはやめにしてくれ。ウォルフはその言葉をずっと抱えていた。どうしてと訊くには、お互いの事を知りすぎている。だからこそ、この言葉が言えない。

『…あのね、ウルフ。私は……』

「……私は?」

『君を失いたくないから、してるんだよ。こんなに長く居て、それを切り離せなんて酷なことを言うの?』

「…………」

(分かってるよ。…俺だってそうだ。切り離したら失血死どころじゃないのも分かってる)

 また声にならない言葉が喉につかえる。

『……あ』

 崇が東の方を向く。空が白み、夜明けがやってくる。

『私達の、勝ちだよ。夜明けだ』

 真珠色の眼が、薄明を映した。

「…ああ」

(お前は…自分のものは簡単に手放す癖に、他の誰かが何かを手放すことを許さないんだな。…たとえそれが、「自分」であっても)

 ウォルフはその色を瞳に焼き付け、ゆっくりと瞼を閉じた。


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