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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
Noble Hunting
29/98


「い、今のって……」

「ええと…妖精の魔法、だね。フランスから…スイスまでワープしちゃったんだ……」

 混乱する優一に崇も苦笑いを浮かべる。

「妖精も、魔法を…使うんですか…?」

「ああ。といっても、これはやりすぎだね。何キロ飛ばしたんだろう……」

「?何か、問題があるんですか?」

 優一の頭上に疑問符が浮かぶ。

「っとね……」

『―― 車内の皆様にお知らせいたします』

 崇が答えようとしたその時、車内アナウンスが入ってくる。

『先ほど空間突破を実施し、ジュネーヴへと到着いたしました。これより全車両の結界を順次剥離し、解除していきます。

寝台列車カレイド・グラディウスは、常に車体に結界を形成して運行しております。この結界は外敵からの攻撃を阻止する他に、車内環境を一定のものに保つものでもあります。しかし、先ほど空間突破を行い、空間を飛び越えての到着となりましたので、現在の車内環境と車外環境は大きな「ずれ」を伴っている可能性があります』

「「……」」

 何だか嫌な予感がしてきたぞ、と崇と優一は示し合わせたように顔を見合わせる。

『この「ずれ」によって、体調を崩す、気分が悪くなる、などの症状が予測されます。スタッフが対応いたしますので、気兼ねなくお申し付けください。それでは、結界剥離を開始します』

 アナウンスが切れ、奇妙な沈黙で満たされる。

「・・・」

「……藤崎君」

「…う」

 優一の顔が青くなり、口を手で押さえる。崇は全てを察してエチケット袋を開いた。

「うおえええええええ」

「よしよし…つらいね…つらいね……」

 そう言って優一の背中をさする崇の顔色も悪い。

「……あー」

「ここに居たのか、お前ら」

 そこに間が悪そうにクロードが戻ってきて、クロードについてきたと思われるウォルフが上から覗き込んでくる。何ともなさそうな様子の二人を、とりあえず落ち着いた優一は恨めしそうに見上げた。

「な゛ん゛でお二人は大丈夫な゛ん゛でずか」

「体質かしら…」

「崇、お前は?」

「気持ち悪さがエンドレスできてるよ」

「すまん」


(しばらくお待ちください)


 搭乗員に水を貰い、優一の吐き気も治まってくると『結界の解除が完了しました』とアナウンスが入る。

「はあ……。すみません、ありがとうございました…」

「優一君は大丈夫そうね。崇ちゃんは?」

「一応……立てる、か、な…。先輩達の所に、合流しなきゃ……」

 先ほどよりはマシになったが、それでも崇の顔色は悪いままだ。それにも関わらず立って、案の定ふらついた崇をウォルフが支える。

「まだ気持ち悪いんだろ。動くな」

「でも……」

「さっき通ってきた時に見たが、フレドリックも吐いてたしニノンもコートニーもグロッキーだよ。…それでも行くってんなら、「お姫様抱っこ」か?あれでお前を馬車まで連れてくぞ」

「……大人しくする」

(そんなに嫌かよ…)

 ウォルフは内心少し傷付いた。ばらばらと汽車から人が降りてきた頃、崇達も汽車から降りてそれぞれの部隊の馬車に乗り込む。

 早馬の馬車で着いたのは、森の入り口に設営されたキャンプ地だった。

「ご苦労様です。お父様、皆様方。設営は既に済んでおります。どうぞこちらに」

 一行を出迎えたのは、灰色の髪をきっちりとまとめオーバルの眼鏡をかけた神経質そうな女性だった。あちこちで動く隊員に指示を飛ばしていた様子から、彼女がグレイズ家の長女「フローラ・グレイズ」だろう。

「こちらがキャンプ地です。とはいえ、荷物を置いて準備をするだけのものですが。所持品の確認をしましたら、一度あそこの仮設本部に集まって下さい。無駄な行動は控えるように」

 最後の一言は主にパンドラのメンバーに向けて言われたようなものだった。

 冬は日が落ちるのが早い。手短なミーティングの後に、全員に銀の剣が渡される。

「それを見るのも、久しぶりだな」

「ウルフ。…まあ、現世では使わないようにしているからね」

 部隊ではなくパンドラの括りで割り当てられたテントに入ると、ウォルフより先に戻ってきていた崇が「杖」の手入れをしていた。

 崇は、〈現世〉と〈魔力世界〉では魔法の触媒を使い分けている。「触媒」はそのまま、魔法を使うための道具だ。魔法にも様々な形態があるので、一概にこれ、といえるものはないが、最も一般的なのは「杖」、次点に「魔導書」だろう。

 もちろんそうでない者もいる。事実ウォルフは『言霊』の魔法を使うため、触媒というものが存在しない。強いて言うならば自身の「喉」だろう。クロードは「髪」が触媒だ。髪から様々な武器を形成するが、法術を使う時は聖書を形成するのは彼が「それ」が最もやりやすいからに他ならない。

 崇は最後に手に持った杖の端から端までをさっと撫で、仕上げをする。その杖は「巨大な樹木の枝」とも見える外装をしていた。事実、崇もその自覚はある。

 杖がこのような見目なのには、崇の汲んでいる魔法の系譜によるものだ。古来魔法使いは杖を触媒にしていた。現在でも杖はよく使われているが、世代を経るにつれ杖の長さはどんどん短くなり、現代では指揮棒程度の長さしかないものも多い。年長の魔法使いは「若者の杖離れ」などと憂いていたが。

 話を戻すと、旧い時代の魔法使いの杖は身の丈ほどまであった。それ以上の長さのものもまた然り。そして崇は、その旧い魔法使いに師事していた魔法使いだ。故に彼女の杖は身の丈ほどまであり、師にならい糸杉の枝を杖の形に整えて使っていた。

「適材適所だよ。単独で動いたり戦う時は手を空けておきたいからね」

「まあ、そういうものか。――崇」

「何?」

「噛まれるなよ」

「ああ、分かっている。ちゃんと生きて帰ろう」

 もう何十年もウォルフと、そして「人狼の呪い」とも付き合ってきた。こんなところでヘマをして、死ぬわけにはいかない。崇は拳を握りしめ、狩装束のジャケットに袖を通す。夜がもう、すぐそこまで迫っていた。



 煌々と松明の火が燃えている。息さえも凍り付きそうな寒さに映えて、星空が美しいのがなんとも皮肉に見えてくる。これから血生臭い、生死を賭けた戦いが始まるというのに、空は羨むほど澄んでいる。

 【教会】から来た聖職者による『祈り』を受けてようやく前準備が終わる。果たして何人戻れるだろうか。誰も口には出さないが、犠牲の諦めがついた顔をしている者が大勢いた。

 森の探索は四つの区域に分けられ進められる。森の入り口を東に見て、入り口側の北部を第三部隊、南部を第二部隊が、奥側の北部を第一部隊、南部を司令部隊が探索する。森の入り口は部隊とその全員が入ったのを確認され次第封鎖され、森全体にかけられた結界の入り口が塞がれる。もし内部で全滅したとしても、森を焼き人狼を飢え殺す為に。

「流石に暗いな…明かりをつけようか」

「あまり大きなものはまずいぞ」

「ああ、それなら……」

 森の中央から司令部隊と別れ、第一部隊も担当区域に入る。崇は喫茶店の表に吊るしてあるものと同じランプを取り出すと、杖の先をこつりとガラスに当てる。

「《白炉の(おき)よ》」

 短く唱えるとランプの中の石と杖に埋め込まれた石が白い火を纏うように光る。その光は真っ赤に燃えた炭のようで、辺りを照らす鮮烈な光とは対極のものだった。

「……これでどうでしょう。こちらを」

「――あ、ああ」

 少し間が開いたが、フレドリックはそれを腰のフックに提げる。

 森の合間をひたすら進む。既に歩いた跡には、コートニーが樹に「(しるし)」を付けていく。

「……!皆、止まって」

 区域の中央まで来た時、特殊な方位磁針を持ったニノンが足を止める。この方位磁針は「鉄」を感知するつくりになっており、それが反応するという事は――。

「血か?」

「はい。半径十メートル圏内で反応するので、おそらくこの先に」

 この森には肉食動物も生息していると分かっている以上、人狼だと判断するのは早計だ。だが一瞬で緊張が走り、呼吸すら聞こえなくなるほどに音を抑え込む。

 うっすらと雪が積もったそこに、四足の生き物が横たわっている。最大限の警戒を続けたまま接近すると、そこにいたのは既に事切れた牝鹿だった。

「…(ぬる)い。ついさっきでもないけれど、長いこと放置されてたってふうでもない。一時間か、それより前程度だろう」

「咬傷の照合を。ニノン、頼むよ」

「ああ、――」

 それは一瞬だった。

 フレドリックの後ろ襟を崇が掴み後ろに引き倒したのと、ニノンの身体が真横に突き動かされ、ぶちん、と嫌な音と共に上腕部から下を残していったのは、同時だった。

「――ニノン?」

 肋骨の割れ口と、半分がもぎ取れた心臓の残りが無気力にはみ出している。奥にごろんとニノンの頭が転がり、(むな)しい音を立てて眼鏡が落ちる。

 黄疸じみた色の眼が血に濡れている。獣の息遣い、悪臭滴る口元。大きさ、およそ四メートル。

「…ッ、こちら第一機動部隊フレドリック・グレイズ!標的と思しき人狼と遭遇した!……ニノン・サローが遭遇時、死亡。以上…!」

 フレドリックが震える声を押さえつけ胸元に着けた通信機でキャンプ地と他部隊に伝令する。


――入口北部、第二機動部隊

「これは……!カミロは、第一部隊の区域に出たはずでは…!?」

「……ここまで膨れ上がるには、もっと時間がかかるもんだがな」


――入口南部、第三機動部隊

「フローラ隊長!こ、こんなのって…」

「動揺するな!標的であろうとなかろうと、この大きさは紛れもなく人狼だ!私達の使命は人狼を狩り尽くす、それだけだ!」


――奥側南部、司令部隊

「複数の…いえ、()()()()()()…」

「…申し訳ありません、総司令官。我々偵察部隊の力量不足です」

「目を離すな、アナスタシア・サロー。……これがあちらの手札ならば」

『グルゥッ……。グオオオオオオオオオ!!!!!』

 ダライアスが銃の撃鉄を静かに起こす。咆哮がビリビリと木霊するが、それを撃ち裂くように銃声が鳴る。

「それ諸共全て砕き、勝利とするだけだ。――行くぞ!!」


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