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プシュ、と音を立てて食堂車のドアが開く。
「あ……」
「ああ、お早うございます」
食堂車にメンバーはいないかと崇は思っていたが、意外にもニノンとフレドリックがそこで朝食をとっていた。気まずそうに視線を寄越した二人に、崇は少し考えて「相席しても?」と訊く。席は他にも空いていたが、どちらも「空いている席に行け」とは言わなかった。
「昨日は…」
「ああ、お気になさらないで下さい。誰かは分からなかったのですが、私を眠らせてくれたのでしょう。睡眠と合わせて記憶を飛ばしたので、昨日の夕方辺りの記憶は無いんです」
あっけらかんと、何ともなしに。まるで他人事のように崇はそれだけ言って、運ばれてきた朝食に手を合わせる。ぱくぱくと昨日何事も無かったかのようにトーストやハッシュドポテトが小さな口に吸い込まれていく。
「ごちそうさまでした」
「……よく食べるな。普通に元気そうじゃないか」
「まあ、休息自体は十分に取れましたし」
「ふん、ならいい。…お前は自分の中で割り切れているんだな」
「……?」
「こちらの話だ。ニノン、僕は部屋に戻るよ」
「ああ。……昨日のことですが、伯父から大戦について聞いたのです。フレドリックはそれが思っていたより堪えたようで。あれでもグレイズ家の跡取り最有力候補ですから、彼なりに貴方のことがに心配だったんでしょう」
「…そうでしたか」
その時、ニノンの胸元の通信機が振動する。食後の紅茶をやや急いで飲み干すとニノンは司令部隊の車両に向かった。
周りを見てみると機動部隊以外の部隊員もちらほらと朝の紅茶を飲みに来ている。崇も紅茶をもらって飲んでいると、よく見た鮮やかな赤髪が食堂車に入ってきた。
「あ、崇ちゃん!おはよう!」
「おはよう、クロード」
「昨日は寝れた?深夜に目が覚めたりとかしなかったかしら」
「ああ、大丈夫だよ。夢も見なかった」
「…そう。紅茶のおかわりはいる?」
「いや、いいよ」
「そう?じゃあ――」
クロードが給仕に声をかけようとしたその瞬間、クロードの耳が、結界に「何か」が触れた時に鳴る振動じみたノイズを捉える。それと同時に汽車が急停止し、車両ががたんと揺れた。
「!!」
「な、何だ!?」
「落ち着いて!崇、アタシが見てくるわ。ダライアスさんにはこれで言っておくから、崇はフレドリックさんと合流しておいて」
「分かった。…悪魔か何かか?」
「まあ、勘だけどね。それじゃ!」
クロードは指先に出した羽に赤いメッシュを入れた使い鳥を司令部の車両に向けて飛ばすと、自分は食堂車の窓をいっぱいまで開けて身体をサッシに滑り込ませて外に出る。
スタッと身軽に車両の上に降り立つと、クロードは足元に黄金の魔法陣を形成する。その魔法陣が完成した瞬間、ロケットで撃ち出されたようにクロードは先頭へと低い体勢で跳躍していった。
(あれは……)
蒸気機関車の陰に、クロードにとってはよく見る形の翼が目に入る。
『デーモン』だ。人に近い身体に蝙蝠の翼、動物の頭に羊や牛などのそれに似た角。足が人だったり動物だったりと細かな違いはあるが、上半身は動物、下半身は人間体の悪魔は総じて『デーモン』と呼ばれる。
種として成立している悪魔のうち、言語を介するもののその性質は狡猾なことで有名な種だ。大体は集団で暮らし、道行く商人や船の積み荷を狙って襲ってくることもある。
「まったく…襲う汽車を間違えてるわよ、アンタ達!」
クロードは汽車とデーモンの間に降り立ち、背負った武器を掴むように背中で両手をクロスさせる。
「《赤の戦斧》」
瞬間、クロードの赤髪が風にさらわれたように大きく波打つ。まとまっていた髪が真ん中から二つに分けられ、その髪がクロスした手の線上で渦を描いて別のものを形成していく。
(“聖約の騎士”の名に懸けて――)
“聖約”。それは、魔力世界では「共存」を選んだキリスト教、【教会】に代々伝わる『法術』のひとつである。
魔力世界において、キリスト教は現世程の勢力ではないが確固とした地位を確立している。それは、“誓約”を身体の一部に宿す『聖痕』の技法によるものだ。大っぴらにはしていないものの、教会は魔法使いや魔術師であっても加入を認めている。クロードも、その魔法使いの一人だ。
「今なら――まだ、見逃してあげるわよ?」
形を成した『双斧』を掴み、交差した腕を振り解く。片手持ちの戦斧二振りを形成した彼の髪は、腰まであった長さが肩ほどまで短くなっていた。
『グググル…』
“聖約”の名が示す通り、クロードの使う魔法には全て魔を退ける「神聖」が付与されている。聖痕を刻んである彼の髪から形成された斧も、悪魔・悪霊の類には弱点である神聖を放っていた。
(…退かないか。というか、言葉を発しない…?)
だが、クロードの前にいるのは線路に出てきた鹿ではない。敵意を持って汽車を止めた、牛と馬の頭をそれぞれ持つ『悪魔』だ。
「クロードさん!」
「!アナスタシアさん」
「センサーが後方からやってくる魔力を感知しましたわ。おそらく、山賊のデーモンです。機関部の修理が終わる前に倒してしまいたいところですわね」
「ええ、了解。それじゃあ、さっさと片付けちゃいましょ。お嬢さんはあいつらがあらかた前に来たら、後方に下がってて」
クロードの耳にバサバサと羽ばたく音がいくつも聞こえる。
「お一人で相手取る気ですか?」
「ええ。これでも――部門代表、ですからっ!」
アナスタシアの背後に立ったデーモンの胴を斧の一薙ぎで切断する。
『オオオオオ!!!』
「行って!」
血路を開き、アナスタシアを後方に逃がしてクロードは「お守り」の効果を一瞬だけ緩める。「女」を追おうとしていたデーモンが足を止めクロードに振り向いたその動きに合わせ、クロードはそのデーモンの懐に潜り込みXの字に切り裂く。
「まだまだいるわね――悪いけど、“赤”いのはアタシだけで十分なのよ!」
切り裂いた斧を勢いのまま離し、ブーメランのように斧は周りのデーモンを切りつけながら宙に舞う。クロードも跳躍し、斧を手にする前に指を鳴らす。すると辺りに飛び散ったデーモンの血から金色の炎が噴き出し、直撃したデーモンを煉獄の炎が焼き尽くす。
「はああっ!!」
斧をしっかりと掴み、空中を蹴って体制を変える。真下に炎に巻き込めなかったデーモン、その中でも一等大きな個体に狙いを定めると、牛頭の角を砕く勢いで体重をかけた兜割りを打ち込んだ。
『ギャアアアアア!!!』
「汚っ!ああもう、角と肩だけ落とすつもりだったの、に……!?」
(――刃が……消えた?)
重さにして僅か数グラムだったが、クロードはその違和感に瞬時に気が付いた。すぐさま距離をとり、右手の斧の刃を見る。
牛頭のデーモンから飛び散った血や脳漿、どれかは定かではないが、斧の刃に小さな「穴」が開いている。触媒が髪といっても、武器の性質は鉄や鋼と変わらない。魔力が通った髪から形作られた刃物なのだから、ただの酸などは当然として、魔力そのものとも言われる「血」であってもそれだけではクロードの武器を融かすことはできない。
クロードの脳裏に、最も信頼する魔力技師の影がよぎる。…似ている。それだけか?彼女の墨色の魔力、それを再現するのは事実上不可能だ。同じものを持つ生き物は現世にも、魔力世界にも存在しないことをクロードは知っている。
「触ったらアウトね。――《天から火が下ってきて、彼らを焼き尽くした》」
斧を手放すと自重で地面に突き刺さる。クロードは手の中に赤い背の聖書を顕界させ一節を唱えると、半分以上に減っていたデーモンが全員、黄金の炎に包まれ燃え上がった。
「――Amen」
しゅるりと斧が「解け」、数ミリほど短くなったものの元の伸びやかな長髪に戻る。あれだけ激しく広範囲に燃えたにも関わらず、草地は生え揃ったままで、汽車には煤も付いていない。デーモンだけが綺麗に焼き尽くされ、灰も残らなかった。
「クロードさん、無事ですか!」
「ええ、こちらはもう終わったわ。アナスタシアは?」
「はい、先ほど車両に戻ってきました。あ、戻る前に……」
ドアから外に顔を出していた優一が引っ込み、崇が車両から降りてくる。
「はい、お守り出して」
「ああ…そうね」
「しばらくは信用無いんだからね、君」
空港の件を崇はまだ忘れていなかった。効果の確認をしっかりしたところで、再び張り直された結界をくぐって汽車に戻る。
「どこにも異常はないみたいだけど、火室の妖精が大層ご立腹のようでね。空間突破をしようとしているみたいで」
「えっ。…それって、轢いて突破するつもりだったの?」
「まあ、うん」
「こんな悠長にしてる場合じゃないじゃない!座席に座って!すぐに!」
近場の座席に腰を下ろしたのとほぼ同時に、蒸気が勢いよく鳴る。そこから明らかに尋常ではない加速を蒸気機関は見せ、蒸気の音が断片的になり、やがて音が消えたかと思うと――。
「う、わ、あ……!!」
――「Genève」と書かれた案内板のある駅に、汽車が滑り込む。
終転人狼が潜む国境沿いの森、「ジュラ」。その最寄り都市であるジュネーヴに、一行は予定よりもかなり早いが無事到着した。




