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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
Noble Hunting
25/98


 時刻は夕方。今夜は人狼狩りに参加する全ての家の者がこの屋敷に到着し、支援者を招いたパーティーが開かれる。流石に外には出ていないだろうと、コートニーの助言に従い老執事を探す。

(執事長だから、今の時間帯は裏にいるのだろうか…)

「…貴方、ウォルフのご友人ではなくて?」

「!」

「誰かを探しているのかしら?ロジェルは厨房の方に入っていくのを見たわよ」

「貴女は…ダライアス卿の、奥方様」

 崇に声をかけたのは、ブロンドのシニヨンをきっちりと結い上げ、片眼鏡をかけたやや神経質そうな女性…今朝玄関でダライアスの隣にいた、彼の妻である「マリアン・グレイズ」だった。

「お話をするのはこれが初めてね、竹中さん。私はマリアンといいます。ウォルフの義母(はは)です」

「お初にお目にかかります、奥方様。アナスタシア様を探しているのですが、彼女は今、部屋に?」

「…ああ、狩人装束を調整なさるのですか。彼女なら西側の、向かって三番目の右手側の部屋にいます。偵察部隊の通信設備を置いているようですから、大きめの部屋なのです」

「ありがとうございます」

 どうにも言葉を返しにくい人だ。とはいえ、アナスタシアの部屋を知れたのは素直に有難いと礼を言い、特に何も話せることがなく、崇はその場を離れようとする。

「貴方は…」

「っ、はい…?」

 その背中にマリアンは何かを問いたそうに言葉を投げかける。だが、振り向いたその時、不意を打って明るい声が飛び込んできた。

「おかあさーん!」

「ただいまー!」

「あれ、お前だれ?」

「ウォルフお兄ちゃんのおともだちだよ、ケイン!」

「こら。貴方たち、ちゃんと手は洗ったの?それにお客様にそんな言葉遣いはいけないと、教えたでしょう」

 マリアンの足元に駆けてきたのは、六、七歳程度の双子の兄妹だった。髪色は母親と同じブロンドだが、特に「ケイン」と呼ばれた男の子の方はウォルフに似ている気がしなくもない。

「ほら、ちゃんとご挨拶なさい」

「はじめまして、キャサリンです」

「おれはケイン!よろしくな、兄ちゃんのともだち!」

「ケイン!」

 母親が眉を吊り上げると、ケインは逃げ足早く走っていってしまった。

「ごめんなさい、竹中さん。あの子はまったく…」

「いえ、お気になさらないでください。…ウルフは二十年程帰っていなかったと聞いたのですが、この子達は彼に会ったことがあるんですか?」

「ええ。…実は、この子達がこの城で暮らすようになったのは最近のことなんです。それまでは別荘にいたのですが、ウォルフはこの子達が生まれた時から様子を見に来てくれていたのですよ」

「ああ…そうでしたか。キャサリンちゃん、お兄さんのことは、好き?」

 片割れとは違い、少し内気な「キャサリン」は、母親の陰から崇を伺い見ている。なるべく怖がらせないようしゃがんで目を合わせると、おずおずとキャサリンは答えてくれた。

「うん。ウォルフお兄ちゃんは、すき。おかあさんとケインと住んでたところで、いっしょにあそんでくれたから」

「…他のお兄さんやお姉さんは?」

「…フレッドお兄ちゃんは、わたしたちのことなんてきょうみないの。おしごとがいそがしいって、いつもいってるから。フローラお姉ちゃんは、ケインの方がすきよ。もうひとりのお兄ちゃんとは、あったことがないわ」

「…そうか」

 崇はキャサリンの頭を優しく撫でると、立ち上がり「では、そろそろ」と会釈する。

「ええ。…無理をなさらないようにしてくださいね」

「またね、おねえちゃん」

 母娘と別れ、遅くなってしまったが目的のドアを叩く。

「もう、今まで何してたの……っ!た、竹中さん…?」

「遅くなり申し訳ありません。セラド先輩に代わって狩人装束の調整に伺いました」

「そうでしたの!どうぞ、入って下さいな。まったくもう…コートニーったら、先に言ってくれればよかったのに」

 マリアンの言っていた通り、アナスタシアの客室には豪華な洋装とは不釣り合いな機械が置かれていた。中は通信室と寝室に区切られているようで、機材を横切って奥へと通される。

「こちらですわ」

「失礼します」

 好みで改造しているのか、標準品とは異なりアナスタシアの装束はワンピース調のものだった。布は同じようだが、術式が防御向きのものではなく軽量化のものであるのは着用者が女性だからだろう。

「この内側には何を入れているのですか?」

「透明化術式の札や、捕縛札の予備ですわ。呪文は万全を期していますけど、万一に備えないのは実力の過信というものですから」

「成程。布を替える部分はなさそうですね。飾緒が少しほつれていますから、そこだけ直せばいいでしょう。術式はご自分でされていますか?」

「ええ。…コートニーも、術式は私が自分でかけたと見抜きましたが、竹中さんも分かるのですね」

「はは。私は術式が専門というだけですよ」

「それでも、貴方様がそれほどの見分と研鑽を積んできたことに違いはありませんわ。…あら?」

 ノックの音にアナスタシアが出る前にドアが開く。

「フレッド。どうしたの?」

「…何で“黒山羊(ブリシム)”がここにいるんだ。我々人狼狩人の装束の調整はセラド家が行うという規則を知らないのか?」

「…それは失礼を致しました。コートニー様に任されこちらに伺ったのですが、ご心配なようですね」

「言動を弁える能はあるようだな。…当然だろう、お前のその()()()()()()のせいで装束が使い物にならなくなったらどう責任をとるつもりだ?」

 アナスタシアの身を案じるというより、崇を言い負かしてやるとでもいうようにフレドリックは眉尻を上げる。

「お前があの人狼(ウォルフ)を贔屓にすることは分かり切っているんだ。そんな魔力技師に調整を任せるなんて、コートニーも高が知れているな」

「…そこまで仰るのでしたら、その目で確認されては如何でしょう。私もそこまで疑われるのは本意ではありませんので」

 つい無表情になりかけたが、今その顔になると余計フレドリックの神経を逆撫でするだけだと堪えて笑顔を作る。

「ああ、そうだな。アーニャ、コートニーに見てもらいなよ。あいつの専門なんだから、黒山羊が何か仕込んでいても見つけてくれるさ」

「…フレッド」

「ええ、それでフレドリック様が納得なさるのなら。では、私はここで失礼します」

 アナスタシアを宥めるように崇は言葉を被せる。

「…ああ、ですが一つ」

「……?」

 ドアの手前に立つフレドリックを退けるように、崇は彼の肩をアナスタシアには見えない角度で掴む。

「貴方様のその態度、貴方のお父様が良く思うものではないでしょうね」

「……ッ!」

「それでは」

 瑪瑙に似た妖精眼を細め、崇はアナスタシアの客室を出て行った。

「フレドリック、いくら貴方でも失礼が過ぎるのではなくて?」

 ドアが完全に閉まるのを待って、アナスタシアは声をやや荒げる。

「それに、いくら外部の者でも魔力技師にあんなことを言うものではないでしょう。コートニーを怒らせて大変なことになったのを忘れたの?」

「あれくらい言わないと奴らは分からないだろう?それに黒山羊は所詮森育ちの魔法使いだ。僕たちをどうこうできないって分かっているはずさ」

 所詮は平民、法の上では貴族が上だとフレドリックは言い放つ。アナスタシアもそれは分かっているが、崇につきまとう噂にフレドリックほど強気に出る気にはなっていなかった。

「貴方は何の用事で来たのかしら?フレッド」

「ああ…()()()()だよ。お父様には話せないからね…」

「…ええ、そうね。…怖い?」

「ああ。僕達は常にその恐怖がつきまとう。乗り越えなければならないと分かっているから君が思うほどではないが、消えはしないさ」

「……そうね。一度、捕らえてしまえば私達の勝ちよ。私が責任を持って管理する。約束するわ」

「ああ、頼んだよ。魔獣の扱いにおいて、僕達の中で君の右に出る者はいないからね」



「あ、お帰り竹中。アーニャの方はどうだった?」

「私が見た限りでは問題ありませんでした。ですが、セラド先輩に見ていただいた方がよかったかと」

「……フレッドとアーニャ、どっちだい?」

「え」

 崇はコートニー見た中で一番、何かを耐えるような、抑えるような表情をしていた。

「今の君は、学院(アカデミー)に来たばかりの君だよ」

「…どうして……」

「言い方ですぐに分かるさ。規則を盾にされたとか、そんなところだろ?まあこの際どっちでもあんま変わんないけど、あいつらは超えられないものを盾にする。…そしてそういうものに、君は卑屈になりやすい。悪い癖だ。…それを責めることはできないけれど」

 だから、とコートニーは崇の肩をポンと叩く。

「『君は、君の腕を誇れ』。…君が学院を出た時に、俺はこう言ったね。心が頑健になれないのなら、腕を磨くしか俺達に方法はないと。君はただでは転ばないことにプラスして、示せる子だろ?だから――そんな顔するなって」

「……私は…」

「泣きそう?」

「いえ」

「ちょ…そこはうんって言ってよ。俺がカッコつけになるだけじゃん」

「ふふ。…ありがとうございます。先輩」

「うん。こっちは全員終わったから、明日の朝には渡せるよ。記録者の子は袖を細くてぴったりしたものにするし、クロードのは外套(マント)をタッチで外せるやつに替えて作る。術式は軽量化と防護をとりあえず入れとくけど、そっちはどうする?」

「そうですね…。着用後に本人達が言ってきたら私が調整します。対人狼の防護は組み込んだことがないので、お願いします」

「オッケー。…そーいや崇、お前夜会の服って…」

「タキシードですね」

「…あー、もー……」

「壁の花にもなりやしませんし、そっちの方が気が楽ですから」

「そーじゃない!!」

 まあまあと崇はコートニーを宥めるが、コートニーの腹の虫はおさまらない。次会ったら覚えてろ!と、微妙に意味の違う捨て台詞を後に、それぞれ夜会の準備に向かった。


* * *


 豪奢なシャンデリアがいくつも吊るされ、上品かつ贅を尽くしたドレスコードの男女が皆歓談を交わし合う大広間。

 噎せ返る香水と化粧の匂いから逃げるように、ウォルフと優一、崇は広間の隅で料理をつついていた。

「藤崎君、大丈夫かい?顔色が悪いよ」

「だ…だいじょうぶ、です……。ちょっと酔った、だけで…」

支援者(スポンサー)のお姉様にもみくちゃにされてたからな。同情するぜ」

「ほんとありがとうございました……ウォルフさん……竹中さ…ぅえっぷ…」

「はい水。匂いは消してあるから安心して」

「ありがとうござぃます……」

「おーい、誰かいねぇか。こいつを部屋に連れてってやってくれ」

 女遊びというものをする性格ではないのに加え、優一は日本人というのもあり成人前だがそこそこ童顔の部類に入る。カワイイものが好きな貴族の女性にとっては格好のおもちゃになっていた。その結果が香水と白粉と人の匂いでグロッキー状態である。

 埋もれかけていたところを二人が割って入り、ウォルフが優一を引っ張り出して崇が穏便に応対する連係プレーでどうにか助け出せたが、そもそも夜会に出させない方がよかったかもしれないと崇は心の中でひっそりと優一に謝った。

「クロードは?」

「あそこ。ありゃ無理だ」

「あー…お偉い様ばかりだね。よく対応できるなぁ…」

 男女の組み合わせでできたグループの中で、見知った赤髪はにこやかに名の知れた重鎮と会話をしていた。彼らは妻を伴って来ているこのパーティーで無粋な噂や小難しい話はしないだろうが、教養とはまた違う、人間関係のテクニックが求められるこういう場は崇は苦手だった。ウォルフも必要があれば話すが、愛想がいい方ではない。

「呪いは大丈夫か?」

「ああうん、タキシードとお守りで二重にしておいた。一応処理していない私の魔力も持たせているから、万に一つは無いと思うよ」

「厳重だな」

「それくらいしないと駄目でしょ。うちの代表をかどわかそうとする奴がいないとも限らないからね。特にこういう場では」

「…まあ、そうだな」

「そういえば、君の妹……フローラ嬢だっけ。彼女は来ていないのか?」

「あいつは先遣隊の指揮にあたってるって聞いたな。あっちで合流する。…どうしてだ?」

「ああいや…奥方と末の双子に会ってね。あの子達は…」

「あー、チビどもは腹違いだ。今が一番可愛い頃だろ?」

 がしがしとセットした髪を照れ臭そうに乱すが、その顔はそれまでの弟妹の話をしていた表情よりずっと穏やかで、優しいものだった。

「君には懐いているみたいだったね。ケインの方は君に似ていた」

「そうか?まあ、悪い気はしねぇさ」

「…少し不躾なことを訊いてもいい?」

「あ?」

 崇は言葉を選ぶように唇を少し食む。自分には兄弟はいないから、長男のウォルフの気持ちは完璧には分からない。知りたくても、傷つけたいわけではないからだ。

「君は、命令じゃなかったら来なかった?」

「…………」

「気分を悪くさせていたらごめん。ただ…」

「まあ、渋ったと思うが」

「…うん…」

 ふ、とウォルフはいつもの皮肉を滲ませた笑みではなく、双子のことを話していた時に似た笑みを浮かべる。

「来ただろうな。あいつらは俺を毛嫌いし、恐れているが。あいつらの代わりなら俺は何回でも牙を受けてやる。俺はあいつらを守るために先に産まれたんだと思うんだよ。…こうなるなんて誰も思いやしなかっただろうが、俺は過去を恨んでも後悔はしてねぇつもりだ」

「……ウォルフ」

「グレイズ家は人狼狩りの花形だ。長兄だからここまでややこしくもなってるんだろ。ま…俺としてはさっさと俺を後継者から外して欲しいもんだが」

「できるの?」

「分からん。親父が何を考えてるか、俺も分かるわけじゃねえし」

「…そっか」

 ごめんね、と蚊の鳴くような声で崇は呟いたが、ウォルフにはしっかりと聞こえていた。謝んな、と、ウォルフは鎧戸の向こうに浮かぶ月を瞳に映した。


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