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朝。
流石、城を持つ貴族なだけあって、想像していた「イギリス料理」というものを軽く裏切った朝食が振舞われる。
「お味の程はいかがだったでしょうか、竹中様」
「あ…いえ、美味しかったです。本当に」
「それはよかった。ダラムを観光なさるのでしたら、こちらの地図をお持ち下され。ウォルフ様がお戻りになられたのは二十年ぶりでして、その間道なども変わりましたので」
「ありがとうございます、ロジェルさん」
朝の紅茶を飲み終え、一度部屋に戻ろうと崇が席を立ったその時、使用人達が忙しなく動くのが目に入る。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「昨晩、“パンドラの檻”の方々がご到着なさいました。セラド家からはコートニー様が…――」
遠目から玄関の方を見ると、妻と思しき女性を伴った男性が入ってきたのが見えた。見た目の年齢はおおよそ四、五十といったところだろうか。
(彼があの“灰銃”か……)
崇も本人と会ったことは無いが、その噂は耳にしていた。魔力世界の歴史でも長く続いている貴族のひとつである「グレイズ家」、その現当主であり女王に仕える【討伐隊】の師団長を務める軍人。数ある討伐対象のうちグレイズ家が請け負う『人狼』は、その牙を一度でも貰おうものならそれは死と同義だ。故に人狼狩人は重装備を好まず、右手に刃を、左手に銃を持ち戦うというが、「ダライアス・グレイズ」は長銃と短銃を用いるスタイルで戦ってきた人狼狩人だという。“灰銃”という呼び名もそれが由来だろう。
「――」
「ッ……!!」
ふと、崇とダライアスの視線が交わる。それは一瞬だったが、その一瞬で崇の心臓は銃声のように鼓を打った。
(凄まじい……気迫だ……!成程…確かに、師匠が名を挙げるわけだ……!)
目があっただけのことだが、崇は自身の額に銃口を突き付けられたような切迫感を感じた。触ると怪我をする、などという方便如きでは済まされまい。
「竹中さん?」
「っ、…ああ、藤崎君。おはよう」
「おはようございます。あの、具合でも悪いんですか?顔色が…」
「いや、何でもないよ。少し、心臓に悪い体験をしただけだから」
「えっ。…あ、あれって、ウォルフさんのお父さん…ですかね?」
「ああ……さっき目が合ったけれど、恐ろしいくらいの気迫だよ。流石、人狼狩人の長なだけはある」
「そ、そう、なんですか…。…あの、僕、こうしてていいんでしょうか…?」
「うん?」
「僕は、まだ記録者として未熟で……。こうして前線に出て記録をするのに、知識も実力もまるでないんです。僕は……」
「…まさか、数合わせで連れてこられたと思っていないだろうね」
「っ…!」
語気を荒げたわけでも、強い言葉でもない。だが怒りが伴った静かな声に、優一は崇の顔を見られなかった。
「大規模な作戦なら、相応の記録者が【妖精の輪】なり【右筆】なり派遣される。力が及ばないと判断されても同様に。君はどうして連れてこられたか、分かるか?」
「……」
「『部門代表がそう決めた』。それだけだ」
「え…?」
「君には確かに知識も経験も足りない。まだ前線に出て半年も経っていないのだからね。当然だろう。だが、こうして出張にまで駆り出される理由はあるわけだ。
君は認められている。それは間違いなく。私やウルフの後輩可愛さじゃあ、無い。私達の代表の、君が今まで記してきた記録と成果でそう判断されたんだ。謙遜は日本人の美徳だが、外では卑屈だ。それで自身を責めるのは、君を認めている人達の評を蔑ろにするということだよ」
「…それ、でも……!」
「…自身が不満なら、貪欲になることだ。知識はいくらでも得られるけれど、経験はその限りじゃあない。その機会で、最善を尽くせるようにするといい。その為の息抜きでもあるんだからね」
「…じゃあ、クロードさんは」
「あいつは世話焼きだし、人をよく見ているから。半分くらいは自分が行きたいからなのかもだけれど、よく分かっている奴だから。君、緊張しやすいし」
「……あー……」
すみませんでした、と優一は頭を下げる。
「いいよ。記録者はそういうコンプレックスを抱えている人も多いって聞くしね。今までうちに来た記録者も、そういうところで付いていけないって言っていたのかもしれないし」
「やっぱり、こういう出張とか、結構あるんですか?」
「こう言うと生意気でしかないけれど、私達でしか対処できない案件とかもあるからね。今回も、私達は呪いを持っているから呼ばれたんだろうし」
「呪い…って、関係あるんですか?」
「大有りだよ。これは概説だけれど、呪いを持つ人間は他の呪いにかかりにくいとされているんだ。同種の呪いなら確実なことは立証されているし、その呪いを持っている人間と長い間付き合っているなら対処方も分かっているだろう…ってところかな。私は不用意にビビって下手な所を突っつくから惨事が起こると思うんだけれどね」
「あはは…。じゃあ、経験は積みやすい…ってことです、かね」
「半強制的に、が付くけれどね。…うん、すっきりした顔になった。あまり自分を追い込まないことだ。良いこと無いよ」
連れ立ってそれぞれの部屋に戻り、手荷物の中身だけ確かめてクロードの部屋のドアを叩く。
「ウルフは?」
「さっき会ったけど、少し遅れるって。お父様に呼ばれたみたいね」
「僕たちも行かなくてよかったんですか?」
「メイドさんも特に何も言ってなかったし…あ、おかえりなさい」
「おう」
「ウルフ、私達も一回挨拶に行ってきた方が良いんじゃ…」
「いや、いい。夕飯前に採寸すっから早めに帰って来いってだけだったから」
「採寸?」
(なんだか、普通の家庭のお父さんみたいね…)
「狩装束を仕立てるんだと。コートニーは仕事が早いからな。十分間に合う」
「セラド先輩?もしかして」
「…あ、そういやあいつ古老寮だったな。そう、そいつ」
(「古老、も学院の寮ですか?」)
(「そうそう」)
「じゃ、行くか」
「あ、はーい」
* * *
――ダラム大聖堂
「うっ…わあ…!本当に映画の世界だぁ……!」
優一は思わず感嘆の声をあげる。
椅子が整然と並ぶ礼拝堂、映画で主人公が白フクロウを放ったシーンの大回廊、要塞を思わせる石壁に彫られた彫刻の数々。ダラムは魔力世界でも古い遺産をいくつも有するだけあって、見る場所には聖堂だけでも事欠かない。
「塔って入れたっけ?」
「確か入れたぞ」
「行きましょ行きましょ!」
入場料を払い、狭く細い階段を上っていく。気持ちが逸るのか、優一が一番に上っていく。転ばないようにとクロードがそれに続き、ウォルフは崇に合わせて後から上る。
「はぁ……」
「竹中さーん!こっちですよこっち!」
「おー…やっぱり見晴らしいいな、ここは」
「来たことあるの?」
「噛まれてから学院に入るまで、ここに預けられてた」
「……」
「昔の話だよ」
そんな顔するな、とウォルフは崇の肩を叩く。
「わ…ダラムって、こんな形だったんですね」
「ああ。川で囲まれた自然の要塞だ。ここらは現世でも世界遺産に登録されているから、この景色はほとんど変わらねぇな」
「現世と違うところもあるんですか?」
「都市圏はその辺りはっきりしてるわね。こっちは『魔力』っていうエネルギーがある分、科学がそこまで使われていないのよ。右筆とか【輪】の記録部門は、そういうところは現世から技術を逆輸入しているわね」
「そういえば…こっちに電灯とかないですもんね。あっ、あれ、ウォルフさん家のお城じゃないですか?クロードさん」
「どこかしら?」
「ほら、こっちですよ、こっち!」
クロードと優一は塔の反対側へと駆けていく。
「…藤崎は思ったよりクロードに慣れるのが早かったな」
「初っ端から魅了にかかったのが…印象的には良い方向でスタートしたからかな?」
「それにしても早くねえか」
「…なに、拗ねてる?」
「うるせぇよ」
複雑そうな表情のウォルフをからかうように崇は笑う。
「……綺麗だなぁ…」
「?」
「すごく空が澄んでいる。…ここ、人の動きがよく見えるんだね。……あ、あのお母さん、二人目がお腹にいるんだね。幸せそうだ」
ウォルフも目を凝らしてみると、確かに崇が指したところに子供を連れたお腹の大きな女性がいる。
「今まで君は『何もない田舎』としか自分の生まれたところを教えてくれなかったけれど」
「……」
「いいところだ。人がいて、暮らしがあって…。いいなあ。私も師匠と暮らしていた時は不便ではなかったけど、ここと比べたらやっぱり寂しいね」
「…お前の昔住んでたとこの話聞く度に、どこの無人島暮らしだって思うけどな」
「無人島は言い過ぎでしょ。まあ、ある意味陸の孤島みたいなものだったけどさぁ」
塔の頂上に冬の暖かい日差しが降り注ぐ。崇の真珠のような色の目が、日差しを反射してオパールのような虹色に輝いたような気がした。
「――…っ」
「ウルフ?」
「…いや、何でもない」
「?」
「崇ちゃーん、ウルフーっ。そろそろ時間よー!」
「あ、もうそんな時間か」
「行くか」
あっという間でしたね、という優一の声が遠く聞こえる。夕焼けがやって来る前の街を、四人は後にした。
城に戻り、ウォルフが当主の部屋をノックする。
『入れ』
部屋に入ると、中には柔らかなアッシュブラウンの髪の男性と、執務机に掛けた灰色がかった黒髪の厳格そうな男性がいた。
「やっほ~。久しぶり、三人とも。そこの男の子は新顔だっけ?」
「ああ。…親父、朝も言ったが、部門員は一人増えただけで他は変わってねえ」
「そのようだな」
響きのよいバリトンが耳を刺激するが、朝の迫力はそのままだ。
「お初にお目にかかります、ダライアス・グレイズ殿。“パンドラの檻”が代表、“赤の聖約”と申します」
「部門付きの魔力技師、“煌角の黒山羊”です」
「き、記録者の、藤崎優一、といいます」
「…ふむ」
ダライアスは三人をじっと睨めつける。
「お前達の素行はよく知っている。それを組織がどう評価し扱っているかもな」
「……」
「少なくともお前達には能力はある。我々の『狩り』において、世評は最も不要なものだ。ただ獲物を追い、銀を突き立てろ。隊列を乱さぬ能があるなら、それに応じた働きを挙げられるのならば、私は何も言うことは無い」
「……要するにお行儀よくしてろ、ってことだろ。ガキじゃねぇんだ。それくらい分かる」
「ま、まあまあ…伯父さんも、ウォルフも、そう喧嘩腰になるなって。それに、そもそも呼んだのは採寸のためだろ?ほら、さっさとやってしまおう」
一つ咳払いし、アッシュブラウンの男性がくるりと四人に向き直る。
「ってわけで、えーと、とりあえず自己紹介かな。記録者の子とははじめましてだよね。うん。
俺は補給部隊のコートニー・セラドです。そこの三人とは学生してた頃の知り合いで、竹中とは同業者だ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
「それじゃあ早速。まず先に、俺達の『狩人装束』について説明しとくよ」
コートニーは崇達をソファーに促すと、おもむろに布を机に広げる。
「これが狩人装束で使う布。部隊によって若干の違いはあるけど、どれも皆厚いんだ。触ってごらん」
コートニーが布を広げた際、確かに普通の布より重めの感触があったが、それは普段着る服のそれに比べて明らかに厚みがあるためだった。触感は硬く、折れ、曲がりもするものの鉄板が入っているのではと思うくらいに頑丈そうだ。にも関わらず、実際の重量はほとんどない。
「…?重く…ないです…ね?うん?」
「はは、不思議だろ?詳細は省くけど、これは大体の人狼なら万一噛まれても牙を通さない生地なんだ。今回は大型だから過信はできないけどね。俺達は基本、武器と銃をそれぞれ両手に構えて戦うけど、そっちはそっちの流派とかがあるだろ?だから標準品じゃなくて、一から採寸して仕立てた方がいいと思ったんだ。特にクロード、お前は武器が“聖約”のだから標準品だと面倒だろ」
「そうね…。もうちょっとしなやかなものにはできないかしら?」
「あるにはあるけど、薄くなるぞ。竹中、ちょっと手伝ってー」
「先に測ってからの方がいいのでは?」
「だな。そんじゃ、ぱぱっとやっちゃいましょうか」
別室を二つ借り、コートニーと崇で手分けして採寸することになった。
「……何やってんの」
「え」
「一人はこっち来い。…まさか脱ぐのが厭だとかほざいているんじゃないだろうな」
「やっぱり脱ぐの!?」
「当たり前だろうが」
「あの…俺が言うのもなんだけど、やさしくしてあげて?あとメジャーびってするの怖いよ、竹中」
結局男性陣はジャンケンで決め、ウォルフと優一がコートニーに、クロードが崇に採寸してもらうことになった。
「もうお嫁にいけない…」
「医者に診てもらっても同じこと言わないだろう。大体、何回君達の怪我を診たと思っているんだ。慣れたよ」
「アタシは慣れてないのよ!もー!」
文句は言いつつも大人しく採寸を受けるクロードに崇は短く溜息をつく。
「…崇ちゃん、優一君のことだけど」
「藤崎君?」
「ええ。あの子が書いた記録に目を通したけれど、けちの付けようがないくらいに詳細に書かれてたわ。記録チップからほとんど破損することなく情報を抽出できているし、記録媒体に落とし込む時のエラーもほぼなし。あんなによくできる子を隠し持ってたなんて、ルカも何を考えていたのかしら」
「…何かが引っかかると思う?」
「ええ。意図的に隠してたように…いえ、見えないようにしていた、といった方がしっくりくるかも。たしか、十九歳だったわよね?」
「ああ。…クロード?」
「…いえ、ちょっと――」
『おーい、そっちは終わったー?』
クロードが何かを言いかけたタイミングで扉をノックされる。
「あ、はい」
『開けるよー』
「後でね、崇ちゃん」
「うん」
「おー、やっぱり見た目によらず筋肉しっかりついてるね。これは生半可な仕事はできないな…先生に殺される」
「藤崎君とウルフは?」
「ああ、ウォルフは前のを補強するだけでよかったから藤崎のを見てもらってるよ。あ、そうだ。アーニャに狩人装束を調整してほしいって頼まれてたんだけど、竹中が行ってきてくれないか?」
「いいですよ。彼女は今どこに?」
「多分自分の客室じゃないかな。ロジェルかエミリーなら確実だと思うよ」
「分かりました」
崇はメジャーをコートニーに返し、部屋を出た。




