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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
聖夜前のさがしもの
20/98


――現代、銀座

(ああ…だから今年は暖かいのか)

 今年は暖冬とニュースで流れていたが、女神コレー…今の季節は「ペルセポネ」と呼ぶが、ともあれ彼女が地上に出たなら春が早足になる。

 何年前かはもう忘れてしまったが、以前もこうして神より探し物を頼まれたことがあった。女神ペルセポネが、春に初芽の魂(エアル)を海に落としたのだったか。海の精霊(ネレイス)の力を借りようとして、ゼウス神に目をつけられたネレイスを助けて…。

(…そうだ。彼女とは、縁があった)

 「お願い」という形でも、それは縁だ。崇は目を瞑ると、眼に魔力を集中する。そして、彼女の魔力を思い出す。

 春の息吹、花の乱舞、その脚で踏む大地には生命が咲き乱れ、その悦びに手足を伸ばす。――そして、その身が冥府に下れば、冥界神の伴侶として傍らに座す。暖かさと冷酷さを矛盾なく併せ持つ神性が、「コレー」であり「ペルセポネ」なのだ。故にその魔力は捉えるのが難しい。

「……」

 瞳孔が冷たくなる。春と冬、天上と冥府の魔力持つ糸に目を凝らす。

「…………あった」

 崇は人々の間を縫い、雑貨店の前で「それ」を拾い上げる。淡い黄金色と、ハデスのそれに似た群青色の、「糸」。それは、細いが確かに続いている。

「…新宿、かな?」

 糸は西に続いている。この時期はいつにも増して人が増えるが、新宿は尚更だ。

(渋谷よりはマシか…)

 人混みの中で転移魔法を使うわけにもいかない。崇は大人しく駅に向かった。



 そうして崇は新宿に来たが、とにかく人が多い。男性の平均より背が高いお陰で進むのに苦はないが、いくら妖精眼というセンサーを使っても神探しは難しい。異国の神性なら尚更。

(糸は……。…ん?)

 銀座で見つけたペルセポネの糸を探ってみると、思った以上に近いのが分かる。

(この辺り?ペルセポネ様が駅を使うなんてことは…)

「ね~彼女~今暇~?」

 頭の悪そうなナンパの声が崇の耳に入る。

「はいっ!?い、いえ、私は暇などでは…」

「さっきからここでボーっとしてたじゃん。待ち合わせ、すっぽかれちゃった?」

「・・・・・・・・・・・・」

 崇は心底、銀座から離れた新宿に彼女がいてよかったと思った。女神ペルセポネがナンパに遭っている光景など、ハデス神には到底見せられるものではない。知られでもしたら一巻の終わりだ。彼が荒ぶったことなど一度も無いが、もしそうなったら地上は瞬く間に死の都と化すだろう。

「今から一緒に楽しいとこ行かない?おごるよ~」

「い、いえっ。私には夫がいますので!」

「え~?この季節にこんなキレーな奥さん一人で出歩かせるなんて旦那のすることじゃないっしょー。ほら、行こ…」

「…()()()!」

 流石に拙い、と崇は咄嗟に声を張った。崇を見つけたペルセポネの表情が明るくなり、ナンパ男が「げっ」と声をあげる。ナンパ男から見てみれば、若妻を口説いていたらかなり大きい息子(身長180cm)がやって来たという状況だ。その結果、ナンパ男は硬直した。

「行こう。父さんも来るみたいだから」

「あっ、え、ええ」

 崇はペルセポネの手をとるとその場から離れる。駅前から少し離れたカフェに入り、崇はまず頭を下げた。

「すみません、ペルセポネさ…」

「崇っ!さっき、「母さん」、って!」

「あああ…申し訳ございません。ああいう男の手前、そう言うのが自然かと…」

「ううん、全然いいの!むしろいつもそう呼んでも構わないって、前から言ってるじゃない!」

 息を弾ませてペルセポネは喜んでいる。先ほどの「母さん」発言に合わせてか、今の二人は若く見える母親とその子供のように見えていた。

「その、確かに私は深みの秘を学びましたが、あくまでそのお力を頂いているだけで…」

「もう、母娘はそんなに堅い会話をしないでしょう?」

「……分かりました」

 仕方ない、と崇は降参した。そう言いながらも口元が笑っているのは自分でも気が付いている。

「そういえば崇、貴方どうして私がいるのが分かったの?」

「…ペルセポネ様。今、何時か分かっていますか…?」

「…あっ」

 どうやら、すっかり日が暮れていることに今気づいたようだ。どうしましょう、とペルセポネはうろたえる。

「ハデス様、きっと怒っていらっしゃるわよね?ああ、どうしましょう…」

「いえ、怒ってはいませんでしたよ。ただ、ペルセポネ様の身を案じておられていました。…そも、どうして地上に?」

「それは…」

 ペルセポネはバッグから「土屋書店」と書かれた紙袋を取り出し、本を出す。

「織物ですか?」

「ええ…。決まった周期ではないのだけれど、あの方は私に色々な贈り物をしてくれるの。綺麗な宝石だったり、装飾品だったり、花だったり…。でも、私は何もお返しすることができていなくて。春になって、地上で咲いた花を冥府に届けようとしても、ハデス様には生きている草花をあげられない。だから…ハデス様に襟巻を作ろうと思って、教本が欲しかったの」

「成程…そういうことでしたか」

 もじもじとペルセポネは両手の指を絡ませる。ペルセポネは草花の発芽と生育に関しては一流だが、機織りなどはする機会があまりなかったのだろう。だからといって、同郷の神々に教えてもらおうものならあっという間にハデスの耳にまで伝わってしまう。

「本だけでよろしかったのですか?」

「ええ。織機は私も持っているし、とにかく、やってみなきゃ分からないから。それより、ごめんなさいね、崇。貴方にもあの方にも、心配をかけたでしょう」

「…そうですね。正直、あの男に声を掛けられたのが見えた時は流石に焦りましたよ。貴女はハデス様の伴侶でありますが男を魅了してしまう魅力をお持ちなのですから、もっと警戒して下さい」

「ええ…気をつけるわ」

 崇は「絶対ですよ」と釘を刺すと、カフェを出る前に古代をハデスに遣わす。そしてペルセポネの荷物を預かり店を出ると、古代が戻ってくるのを待って彼女と共に転移した。


* * *


「――…そうして、あれは海馬を借り受けて海底を探し、『初芽の魂』を無事見つけペルセポネーの「お使い」を終えた。中々胆の据わった娘であったろう?」

「…俺はなんで崇に雷が降って来ないかが心底不思議ですよ。いや、ギリシャの神性は人間臭いとは聞いてはいたが…」

「まあ、ゼウスのくだりを聞いた時は流石にもう少し手柔らかにしてやれと我も思ったが。……ん」

 ぼう、と黒い炎が灯り、人型の古代が姿を現す。

『(王よ、女王を見つけました。傷や怪我など無く、無事でいらっしゃいます)』

「!そうか。…よかった」

 ハデスの表情がやや明るくなる。

『(主と共に、こちらに戻ります。それまで暫しお待ちを)』

「ああ。…そういえば、お前の人の姿を見るのも久しいな。佳く育ったものだ」

『(…ありがとうございます、王よ)』

 やや早口に古代は返す。そして視線をさ迷わせ、結局また黒火となってその場から消える。

 そして数秒のインターバルの後に、二つの人影が店内に現れた。

「ペルセポネー!」

「ごめんなさい、あなた。その……」

「いや、いい。なにもおまえを害すものがなかったのなら、それで」

 人目を気にすることなくいちゃつき始めた夫婦に優一は赤面し、ウォルフは気まずそうに目を逸らす。わざとらしく崇が咳をすると、二柱は少しだけ体を離した。

「…いえ、夫婦仲がよろしいのは大変喜ばしいことでありますが。もう少し時間がお有りでしたら、駅前のイルミネーションを御覧になってからお戻りになってはどうでしょうか。中々見事な仕上がりになっておりますので、損はないと思いますよ」

「…うむ。すまぬな、崇」

「いえ。ペルセポネ様、お荷物は後で冥府の方に届けさせます」

「ありがとう。また今度、お礼をさせてちょうだい。崇にも咲かせてほしい花があるのよ」

「ええ。…それでは、また」

 二柱が喫茶店を出ると、少しだけ店内の温度が上がったような感覚になる。ウォルフと優一は、大きく息を吐いた。

「そんなに緊張した?あの方はかなり話しやすかったと思うけれど」

「それとこれとは別だっての……」

「で、でも、すごい話を聞いちゃいましたよね…まさか竹中さんが…」

「……何の話をしたの」

「女神ペルセポネからのお使い、っつってたか」

「ああ……あれか。神話のように大々的に綴られていないだけで、【右筆】ならそういう話も残っていると思うよ。ヨーロッパは陸続きだから、そういう話は少なくないね」

「いや、身内にそれを経験した奴がいるってのが凄まじいんだっての」

「いたい」

 …ともあれ、これで一件落着(といっても働いたのは崇だけだが)。次の日の朝は昨日の暖かさが嘘のように冷え込み、細かな雪が舞っていた。


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