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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
瓦斯と洋灯
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 チュンチュンとスズメの鳴き声が朝日と共に射し込む。

「ふあ…」

 崇は欠伸と一緒に伸びをして、壁時計に視線をやる。現在時刻は朝の六時。顔を洗って小窓を見やると、羽根に赤いメッシュを入れた小鳥が封筒を咥え停まっていた。

「おはよう。いつもご苦労様」

 小鳥を肩に乗せリビングに行き、作っておいたドライフルーツ一粒を小皿に乗せる。封筒の差出人には「クロード・G・リュピ」と書かれていた。

 手紙の内容は簡潔で、これまでに崇が提出した「依頼」の報告書についていくつかの詳細な説明の要求と、クロードの近況について、そしてもうしばらく本部に詰める、と書かれていた。

「やれやれ。あまりうちの代表を働かせすぎないでほしいんだけれどなぁ…」

 思わずそう零すと小鳥が不安そうに崇を見上げる。

「ん。…いいや、君は悪くないよ。今日はあんずだけど、お気に召したかな?」

 優しく頭を指で撫でると小鳥は満足そうに「ピィ!」と鳴く。仕事を終え主人の元へ飛び立った小鳥を見送ると、崇は工房のドアを開けた。

 喫茶店「Lampe」は、中央区常駐部門の支部のひとつだ。表向きは夕方から夜中にかけて営業する夜間喫茶だが、その建物には魔法使いが三人と昨日加わった記録者の青年、合わせて四人が暮らしている。もっともそのうち支部の代表であるクロードは本部に長く留まっており、ここしばらく帰ってきていないのだが。

 建物は外から見ると小さな二階建てだが、その内側は外からは想像もつかない造りになっている。その一つが崇の持つ「工房」である。

 竹中崇は、魔力を通わせ扱う道具や触媒の調整・作成を請け負う『魔力技師ハントヴェルカー』だ。魔力技師は調整と作成、どちらをこなすにしても独立した者は自分の工房を持つ。それは単に、必要とする器具や素材の量が普通の魔法使いなどと比べ桁違いだからであり、崇も例外ではない。

(今日はまず藤崎くんのペンの調整とインク選びだな…。ペンは後で見せてもらうとして、インクをどうしようか…。彼の魔力と馴染みが良いもの…。色は暗い藍…でもメルが気に入ってた様子だから、紺も悪くはないか?ただ馴染みが悪くなったら不調の原因だし…)

 口元に手を当ててぶつぶつと呟きながら、崇は隠し戸から木枠を取り出しその中で暗い光を放つ「石」を吟味する。戸棚にはドイツ語で「ペン先」「動力部」などと書かれた引き出しで埋められ、取り出した木枠にも「インク」とラベリングされている。日の光が差し込む窓の近くでは、脇においた大粒の原石に纏わりついていた妖精が眠そうに眼を擦っている。

 石を朝日にかざすと、薄い藍色や琥珀色が中心から透けて見える。目をこらすと、その中で液体のようにその色が濃淡さまざまに泳いでいるのが見えた。

 崇は一旦石を隠し戸に片付けると、金属用の調整器具やバーナーやらをてきぱきと準備していく。そうしていると時刻は七時を回っていた。

 一度工房を出ると、焼き魚のいい匂いが漂ってくる。キッチンを覗くと二メートルはある背丈の黒ずくめの男性がコンロの前に立っていた。

「おはよう、古代」

『…』

 「古代」と呼ばれた男性は横目で崇を見つけると無言でこくりと頷く。よく見れば耳が少し尖っていて、爬虫類のような黒い鱗が見えることから分かるように彼も妖精である。

「お、おはようございます」

「ああ、おはよう。眠れたかい?」

 足音に振り向くと仕度を済ませてきた優一が降りてきた。

「はい、おかげさまで…。あの、そちらの方は?」

 どこか居心地悪そうに窺っているのは、古代が彼に一度目線を向けてから無言だからなのだろうか。なんとなく察した崇は苦笑し、食器をテーブルに並べていく。

「ああ、彼は私の使い魔(ファミリア)の古代。昨日話したメンバーには含まれてはいないけれど、私達の仲間だ。ちょっと色々あって、発声器官に傷が入っていてね。だから話さないんだ。まあ見た目は少し怖いかもしれないけれど、仲良くしてあげて」

『……』

「あ、ありがとうございます。ええと、古代さん」

 古代はまた無言でこくりと頷く。

 テーブルに並んだ朝食は白米にわかめと油揚げの味噌汁、鮭の塩焼きとごく普通の和食だ。建物の外観はレンガ調、内装も洋風で崇もどちらかといえば欧米系の顔立ちなのに何だか不思議な気がして、思わず優一の口端がほころぶ。

「そういえば藤崎くん。君は確か大学生、だったっけ?」

「はい、そうです。留塚大学ってとこなんですけど」

「留塚…ああ、隣町の」

「はい。ルカさんが今は大学は出ておいた方がいいって言ってたので、そこの民俗学部に」

「成程、君はもともと〈現世(こっち)〉の人だったんだね。じゃあペンは右筆から支給された物かな?」

「はい。まだ完璧に使いこなせるわけじゃないんですけど」

「ああ、そこは私の領分だ。…あ、起きてきた」

「?」

 丁度二人が食べ終わった頃、優一の後ろのドアがガチャリと開く。入ってきたのは、無造作に前髪を掻き上げた人相の悪い男性だった。

「……」

「っ…!」

「おはよ。今日は早いね?」

「…。ああ…そいつが【右筆】か」

「っ…あ…。は、初めまして。藤崎優一といい…ます!」

 ぎろりと男性が優一を睨みつけると、優一の身体が内側を掴まれたように竦む。まるで、野生の肉食動物に正面から遭遇したような、そんな感じだ。彼が竹中さんの言っていたメンバーだろう、そう察知し反射的に立ち上がり名乗ったはいいが、そこから動ける気が全くしなかった。

「ウルフ、眼鏡」

「ああ?」

「その人相の悪さ三割増しみたいな顔やめなよ。ただでさえ悪い第一印象を更に悪化させるなって」

「…うるせえ。…あー、フジサキ?日本人か」

「はっ、はい!」

「俺はウォルフ・グレイズ。崇と同じ魔法使いだ。まあ、仲良くやってこうや」

 どこか噓くさい感じがする笑みをウォルフは浮かべる。そのまま彼はコーヒーを淹れてさっさと自室に戻ってしまった。

「…」

「ウルフは初対面にはいつもああだから気にしなくていいよ。今日の作業について話しても?」

「はい…。あ、ありがとうございます」

 古代が淹れたお茶を飲みながら、崇が作業について話し始める。

「君の持っている『ペン』、それは今更言うまでもなく魔力を込められた、〈魔力世界〉の事象を記録することができる品だ。それらの作成及び調整は、それを専門とする技術者が行う。それらを『魔力技師』と呼ぶけれど、多分【右筆】にもいただろうね。記録者と技術者は切っても切れない関係にある」

「『魔力技師』…」

「まあ、魔力で動く機構全てに関わる技術者と思ってくれればいいよ。何が得意で専門にするかでまた分かれるけれどね。それで、自己紹介をしたときに言いそびれていたけれど私がここの『技師』だ。ルカに持たされた書類の中にそれらしい契約書があったはずだから、君の仕事道具と一緒に持ってきて」

「分かりました」

 優一が急ぎ足で自室に戻っていくと、古代が崇のそばに寄ってくる。相変わらずの無言だが、何となく心配そうな目をしていた。

「どうかな。君から見て、彼は」

『…』

 その問いに古代は少しだけ眉を寄せる。どうやら先ほどのウォルフの態度と優一の様子が気にかかったらしい。

「…大丈夫。ずっと尖らせていられるようには、彼はできていないから。私達は今までずっと腫れ物扱いだからね。良くない慣れなのは自覚してるよ」

 そう話していると優一が戻ってきた。手にはケースとファイルを抱えている。

「お待たせしました。これが僕のペンで、こっちがその書類です」

「ありがとう。まず先に『契約ギアス』を結ぶ。読み上げてもらってもいいかな」

「はい。ええと…。

『「【右筆】に属する記録者」と「魔力技師」間の協定について。(以下、「記録者」と「技師」と表記する)

第一 記録者は技師による記録筆の調整を、技師に請求され次第速やかに受けること。

第二 技師は記録者に記録筆の調整を依頼された際、それを怠ってはならない。

第三 記録者はいかなる記録筆の虚偽報告もしてはならない。また技師は記録者に不利益を生じる調整を行ってはならない。』

…です。これって要は、どっちも嘘ついたりサボったらだめってやつですよね?」

「うん、そうだね。第一と第二はまあそこまでだけど、重要なのは第三だ。君は今使っているインクでいいから、そこにサインして」

「はい。…っ!?た、竹中さん!?」

「うん?」

「な、なんで指、切ってっ…!」

 優一がそれを見たのがサインした後だったのが運がよかったのだろうか。崇は自分の右手の親指を針で刺し、出てきた血を自身の万年筆に吸わせ署名したのだ。

「ああ、これは血判の代わりだよ。これで、私と君の間に『契約』が成立した」

「ぎ、契約ギアス。そんな、生々しい感じなんですね」

「魔法使いはね。血液は生命の象徴であり、個人の識別に最適な情報でもあり、魔力と深く混じり合うものだ。まあ、この話はここまでにしておこう。ともあれ、これで私は君の商売道具に悪意を伴ったことはできなくなった。安心して大丈夫だよ」

「いっ、いえ、そんなことは全く…!」

「はは。じゃあ、次の作業といこう。おいで」

 廊下を出て左側を突き当たりの部屋に入る。工房の中を視界に納めた瞬間、優一は目を見開いた。

「すごい…。竹中さん、この部屋は何の部屋なんですか?」

「私の工房だよ。ここで君の記録筆(ペン)の調整をしたり、他のメンバーの武器とかを修理したり、外部からの依頼を受けたり…色々しているかな。だからまあ、ちょっと狭いね。うん」

「あはは…」

(昨日も思ったけど、やっぱり竹中さん身長高いな…)

 ふわふわと自由に妖精が出入りする様を眺めていると、窓際にいた妖精が優一の肩にとまる。

「さて…ペンを見せてもらえるかな」

「はい」

 優一のペンは、見かけはごく普通の万年筆だった。品質は悪くないものの、どこか優一とは何かが「合っていない」と崇は感じ取る。

「ふむ…少し書いてもらっていいかな。メモ書きくらいで」

「分かりました。えーと、《執記(しっき)(ためし)》」

 優一が短くそう唱えると、万年筆がひとりでに立ち崇の出した羊皮紙にさらさらと短い言葉を記す。

[There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.]

「えーーっと?」

「シェイクスピアの言葉だね。『物事に良いも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる』、かな。この筆を作った技師は中々に詩的だね」

「なんか、試し書きは今のとこ全部こうなんですよ。どうやってるんですか?」

「やってることはさほど難しくないよ。さっき君が唱えた呪文…いや、右筆では『声唱(せいしょう)』と言うんだったか。それの試し書き用の声唱に、対応する文を組み込んである。コンピューターにプログラムを一つ追加したようなものだよ」

「なるほど?」

「少し滑りが悪いのはペン先を替えれば大丈夫だろう。持ち手の感覚はどう?」

「特に変な感覚はしませんけど…」

「そうか。じゃあ、しばらくはこの筆を使ってくれ。いずれ君専用の記録筆を手掛けるけれど、少し時間がかかるからね。それまではこっちを使って。で、今度はインク選びだ」

 それまで何となくしか分かってなかった優一だが、流石に「インク」のことは分かった。

「『顔料石』のことですか?」

「そうそう。これだ」

 隠し戸から「顔料石」とラベリングしたケースを取り出す。朝見たものと同じ、様々な色が揺らめく石が収められている。

「綺麗…」

 優一は思わずそう呟いた。

 『顔料石ピグメント』は、魔力世界で使われるインクのようなものだ。これを砕き研磨したものを『石』の入っていないペンに入れると筆記具として使えるようになる。その中でも右筆が使用する顔料石は等級第一位のものとされており、使用者の魔力と最も相性の良いものを選ばなければならない。

 等級第一位の顔料石の特徴は、「半エーテル体」である点である。木枠の中に並ぶ顔料石がみな濃淡が揺らいで見えるのはそのためで、この顔料石は使用者の魔力を込めて初めて「硬化」するのだ。

「今あるのはこの三枠分だね。色は陽の光に透かせば見えるよ。右のケースが地中海、真ん中が中東、左が中国で採掘・精製されたものだ。私は席を外すから、じっくり見て選んでくれ」

 崇が優一の後ろを通り過ぎると彼の肩にいた妖精もついていき、優一は一人工房に残される。気づけばこの部屋にいた他の妖精も、知らない間にいなくなっていた。

(先輩たちはどんなの使ってたっけ…)

 ふと、自分が「彼ら」やこの任務についてほとんど知らないことがのしかかる。【右筆】に入ったのも自分で見つけたからではなく、身寄りがなくなった時に今の上司に見つけてもらったからで、記録者としての知識と能力を得はしてもあまりに「無知」な自分が嫌になる。

(…落ち着け。石を選ぶときは、雑念を捨てろって言われてたじゃないか)

 適当に目についた石を手にとっては陽の光に透かしてみる。しかし、黄土色や貝紫は何だか自分には不相応な気がするし、墨のように真っ黒なのも違和感がある。

「はあ…」

 真っ黒な顔料石を戻すと、変に疲れたせいか指が振れて隣にあった顔料石を弾いてしまう。

「ああっ!」

 咄嗟に掴もうと手を伸ばすが、勢い余ってバランスを崩す。

「――!」

 顔料石を掴んだその瞬間、床に激突するその直前に、衝撃に備え強く目を瞑った視界が青みを帯びた黒に覆われる。

(これ、は――)

 何が起きたかを考える暇を与えず、暗闇は優一の意識を飲み込む。優一が感じ取ったのは、自分が暗い湖の中に沈み込む感覚だけだった。


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