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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
マゼンタの血脈
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 …ここは、どこだろう。

 ぼんやりと意識が目覚める。熱っぽくて、体がだるい。風邪をひいたみたいだ。そういえば、今まで一回しか風邪をひかなかったな、なんて回らない頭でそう思う。

『大丈夫?』

 母さんが私を覗き込む。大丈夫だよ、と返すと、困ったように笑う。

『今、お父さんが迎えに来てくれるからね』

 お父さん?

 そう言ったタイミングで、こっちに向かってくる男の人が視界に入る。どうやらここは病院で…浅黒い肌に、赤紫の眼の男の人が、あの日見た吸血鬼だと思い出した。

『すまない、渋滞に捕まって遅くなった。亮子は、風邪か?』

『ええ。インフルエンザじゃないって先生に言われたから、大丈夫よ』

『そうか。亮子、お家に帰ろうな。よいしょっと』

 軽々と抱き上げられるが、抵抗する気力が湧かない。体がだるいからじゃない。…これは、私の夢だ。

 そうだ。私はあの日、父親に関わる記憶を一切失ったんだ。たまたま私を診た白衣の人が、私が「ダンピール」だと話しているのを聞いて、自分がそれだと知ったんだ。母さんがあいつに血を吸い尽くされて死んだ事も。

 その後、私には「君の母は事故で亡くなった」という説明がされたけれど、それが嘘だというのはもう分かっていた。「彼ら」はあくまで、私が普通の人間として生きることを望んでいた。

 だから私は、自分一人で動き出した。街で悪さをするヤツは全員叩きのめした。そうやって戦い方を覚えていった。高校を出たら、どんな手段を使ってもあいつを見つけ出す。顔も名前も覚えていなかったけど、そのためだけに生きているようなものだった。

 こんな顔のひとだったんだ。こんな風に、私を…母さんを見つめるひとだったんだ。『愛し尽くした』だなんて、遥はどうしてそんな的確すぎる言い方ができたんだと思うくらい、このひとの瞳は雄弁だった。

 抱っこされた温もりに夢の私も眠りに落ちる。そして、再び目が覚めたとき……そこには、母さんもあの人もいなかった。


――――――――――


 翌日。東京に置かれた【右筆】の支部に、魔法使いが一人来ていた。

「――それで?説明を貰おうじゃねえかルカさんよ」

「ま、まあまあ…病み上がりだろう?血圧上がると傷が開くじゃないか」

 首に包帯を巻いたウォルフが部屋の主にガンを飛ばす。降参のポーズをとり、なんとかウォルフを宥めすかそうとしている男性は「アラン・ロメイン・ルカ」。日本の【右筆】の情報部部長であり、優一の身元保証人だ。

 そんな彼の元にウォルフが来たのは、まあ雑に言うならクレームだ。現世と魔力世界、その両方の情報を与る【右筆】、しかもその中心ともいえる情報部出身であるにも関わらず、優一はあまりにも無知が過ぎる。「その手のものとは目を合わせない」ということすら知らなかったのだ。今回の吸血鬼の邪視も、不運に不運が重なれば死んでいた案件である。

「『呪われた部門(うち)』に入れて、使い捨てる気だったかって聞いてんだよ」

「…そんなことは思ってないさ。ただまさか、優一が保つとは思わなかっただけだよ」

「過保護か。そういうのは「飼い殺し」っていうんだよ」

「否定はできない。…あの子は、素養以外は本当にただの人間だ。魔法や隣人(ようせい)を見ても、まず眼を疑うような、ね。ただ一点…『記録』に関しては、本当に優秀なだけだよ。悲しいくらいにさ」

「そうなら、どうしてその大事な秘蔵っ子を外に出した?人が足りてねぇわけでもないだろうに」

「…任務には耐えられなくても、君達なら手酷くは扱わないだろうと思って。君達は他の常駐部門よりも信頼できるから」

 その答えにウォルフは露骨に顔を顰めた。

「そいつはどーも。次ナメた口利いたら穴開けるからな」

「どこに!?」

 その声を無視し、ウォルフは情報部を出た。


* * *


 優一はゼミの講義室をおずおずと覗く。

「どうしたの?藤崎くん」

「うわあっ!?」

 思いきり肩を揺らして振り向くと、きょとん、と小首を傾げた目的の人物がそこにいた。

「く、黒峰さん。だ、大丈夫だった?」

「?うん、ちゃんと病院にも行ったし、もうすっかり元気だよ」

 事件後、優一の探図と遥の証言により遥の潜伏場所が割れ、誘拐された少女たちは無事救出された。それに伴い街全体に軽い記憶処理(主に建物の破損が原因)と誘拐された少女およびその近親の記憶消去、並びに代替記憶のインプットが行われた。京花はインフルエンザに罹り学校をしばらく休んでいた、ということになっている。大学で教授をしていた遥については、そもそも存在自体が消去されているだろう。優一が大学のホームページを確認してみたところ、穏やかそうな老人が民俗学部の教授として紹介されていた。

「そっか、よかった。あ、ごめん。中入ろっか」

「うん。あ…」

「?ど、どうしたの?教室寒い?」

 本人はインフルエンザだと思っているが、その実際は軟禁されていたのだ。そのせいで何か不調が出るかもしれないと優一は心配になる。

「そういえば、亮子から何か聞いてない?ほら、前ゼミに遊びに来た…」

「姫宮さん?」

「そう、その子。昨日亮子から、『留塚を辞めて、別の学校にいくことになった』って、メールがきたの。スマホが使えなくなるから、手紙送るねって書いてあったんだけど…」

「いや…ごめん、僕も、姫宮さんには会わなかったよ。ゼミも違ったし…」

「…そう、だよね。ごめんね、藤崎くん」

「い、いや!黒峰さんが謝ることないよ」

 席に座ると同時にチャイムが鳴る。優一は仕方ないとはいえついた嘘の罪悪感が拭えず、講義が終わるとそそくさと家に帰った。



 その日の夜。

 優一は今回の事件の記録をまとめ、リビングで最終チェックをしていた。

 帰宅してすぐに、優一は亮子がどうなったかを訊いた。彼女は、魔力世界にある学校、【学院(アカデミー)】に入学することになったらしい。ダンピールであることが明らかになった以上、現段階で彼女は現世では暮らせなくなったのだ。

 崇が優一にそれを言わなかったのは、被害者だった京花と優一が顔を合わせるだろうという判断だった。確かに、もし優一が亮子の処遇を知っていたら、京花に対して隠せはしても怪しまれただろう。だが、それに「よかった」と思ってしまった自分が、ただ悔しかった。

「はあ……」

 それを抜きにしても、色々ありすぎた事件だった。吸血鬼に、ダンピール、それと…。

「それ、昨日の記録か」

「!は、はい!」

「見せてくれ」

 突然降ってきた声に優一は驚いたが、ウォルフはそれを気にした様子もなく書類を受け取り、ホットミルクの入ったマグカップを代わりに渡してきた。

「抜けとか、ありませんか?」

 優一がそう訊ねてみると、ウォルフは僅かに眉間に皺を寄せる。

「あー…多分ねえよ」

 ローテーブルに書類を投げ置くと、ウォルフは指を組み、一つ間を空けて口を開いた。

「もう分かったんだろ。俺の正体」

「…はい」

 記録は、優一の付けた通信用の執記だけじゃない。元々ウォルフ達が持たされていた記録チップにも、音声記録機能は備わっている。それが無くても、優一の探図に出たウォルフの魔力数値はウォルフの正体を示していた。

人狼(ウェアウルフ)について、どれくらい知ってる?」

「え…ええと、満月になると狼になる人、ですよね」

「…まあ、一般人の回答だな。人狼は二種類に分かれる。

一つ目は、種族としての人狼だ。生まれつきの人狼で、月の満ち欠け関係なく狼と人の姿を使い分ける。二つ目が、呪いによる人狼。こいつは満月の晩に狼に転化して、理性を失い人や家畜を襲う。転化したこいつに噛まれた人間は、死ぬか、人狼になる呪いをうつされる。現世で知られてんのはこっちかな」

 自嘲気味に笑うウォルフの言葉を、優一はただ待つ。少し溜息をつくと、ウォルフはまた言葉を続けた。

「俺は後者だ」

「噛まれて…人狼に…?」

「ああ。ガキの頃、夜中に家を抜け出したらたまたま出くわしたんだ。死にはしなかったが、この有様だよ。……“パンドラの檻(ここ)”の話は崇から聞いただろ?」

「!」

「分かりやすいなぁ、お前。不思議じゃなかったか?ここは他の部門に比べて人員が少なすぎる。おまけに記録者もいなかった。訳アリなのは目に見えてるだろ。その訳が、これだよ」

「ウォルフさんが…ですか?でもそんな、危ないことなんて…」

「俺だけじゃねえよ。ここの魔法使いは、全員呪いを抱えてる。つっても三人だけだがな。…まあ、大したことじゃねえよ。人が少ないのは俺のが原因だ」

「どうして…?」

「人狼一人を抱えるだけで、その部門の予想死亡率は跳ね上がる。それくらい、人狼は人を殺してるんだよ。死にたくないのは皆一緒だ」

「…でも!でも、ウォルフさんは…!」

 「人を守るために、戦ったじゃないですか」。その言葉は、優一の喉に詰まって出てこなかった。

 優一は人狼のことはほとんど知らないが、観察は人一倍してきたつもりだった。突然の異動に裏があるのは感じ取っていたが、予想に反して崇は優一によくしてくれたし、ウォルフも優一自身を見て接していた。

 そんな彼らが「呪い」だけで冷遇されているなんて、思いもしていなかった。

「…悔しがるんだな、お前は」

「だ、って…おかしいですよ、そんなの…」

「まあな。だからこうして、気に食わねぇヤツを殴ってる」

「…うん?」

「しおらしくなんかやってられるか。ついてけねぇなら辞めればいいし、そうじゃねえならやってけばいいだろ。なんかお前、現段階じゃ辞める気無さそうだし」

「!そ、そうですよ!辞めませんからね、僕!」

「…まあ、その調子で知っていけばいい。クロードのは大したことねぇが、崇のは深刻だからな。あいつに危害加えねぇなら俺はそれでいいからよ」

「……竹中さんのは…」

「どっかで本人が話すからな、俺は教えねえ。…とりあえずお前が根性あるってのは分かったわ。これから頼むぜ」

「…!はい!」

 はみ出た涙を拭い、書類の順番を戻していると部屋に戻ろうとしたウォルフが立ち止まる。

「あ、忘れてたわ」

「何ですか?」

「崇を指す三人称、『彼女』に直しとけよ」

「・・・・・・」

 バサバサと並べ直した書類が床に落ちる。

「……ええええええええええええええ!!!???」

 優一の絶叫は、誰にも回収されることはなかった。



(了)

登場人物


ウォルフ・グレイズ

常駐部門“パンドラの檻”に所属する魔法使い。『言霊』の魔法を操り、錬金術も使うなど見かけより器用。正体は後天性の人狼であり、満月の晩は動けなくなる。


遥透

優一の所属する研究室の教授だった人物。正体は吸血鬼。人間に害意は無かったが、そのやり方は見過ごされるものではなかった。


浅野洋子

留塚市に住む『妖精眼』を持つ気立ての良い老婦人。娘と孫がいる。


黒峰京花

浅野洋子の孫娘。吸血鬼に攫われ、その邪視で操られていた。事件後記憶を消去・改変され、日常に戻る。


姫宮亮子

京花の親友。人間と吸血鬼の子供の「ダンピール」だが現世で人間として生きていた。事件後は魔力世界にある学校【学院(アカデミー)】に入る。

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