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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
マゼンタの血脈
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 『ダンピール』は、吸血鬼と人間の(あい)の子だ。

 人間と変わらない暮らしをする者もいれば、その出生が周りに知れ渡り謂れのない差別を受ける者もいる。そして、その幼少期は彼らの能力の形成に深く関わってくる。過酷な環境で育った者は片親の吸血鬼を恨み、狩るものの力を発現する。出生の秘密を知らない者は、自身がダンピールなどと知らずに死んでいく。…尤も、後者はほとんど存在しないが。遅かれ早かれ人の世界で生きることに息苦しくなり、自身に眠る夜のものとしての遺伝子が目覚めていく。

 決して、悪ではないのだ。【妖精の輪】も、人を糧にしなければ生きられないものの苦しみは分かっている。だからこそ、無為に人を害しなければ吸血鬼・ダンピール問わず見逃していた。

 だが――それが人を害するモノになれば、対立する。

 〈魔力世界〉と〈現世〉、どちらの均衡が崩れてもそれは世界の崩壊となる。突き詰めてしまえば世界のために危険分子を抑え込むのだ。たとえそれが、行き場を無くした怒りを抱える少女であっても。

「あああああっ!!!」

「っ…はあっ!!」

 ほぼ自動(オート)で防御してくる六角紋に阻まれても、亮子は鉈を振るうのをやめない。それもただ考え無しに振り続けているのではなく、崇のカウンターをいなし、隙あらばその胴を断とうとしてくるのだからやりにくいことこの上ない。崇の血の匂いで狂乱状態になってこの判断力であるなら、素面だとどれほど苦戦させられるかなど考えたくもない。

「条件も相性も悉く合わないな…今回は!」

『(どうする、崇。俺がやるか?)』

「いや。古代が前に出ても彼女は私を真っ先に殺しにくるだろう。槍を出す」

『(分かった)』

「守りを頼む。――《ツェペシュ》」

 崇の手に、刃に術式(スペル)を刻んだ槍が現れる。不意を突かれ力の乗りきらなかった鉈の一撃を受け止め、その隙を逃さず上空に斬り上げ重い鉈を弾き飛した。

「ちいッ!」

 弾かれた鉈が空を舞い、崇の真後ろに落下する。血で生成されたにも関わらず形の崩れない鉈に、崇の目つきが険しくなる。

「…姫宮亮子。君、人の味を覚えたな」

「っ……!」

「膂力も体力も血質も異様な程跳ね上がっている。吸血鬼はそういうものだ。喰らえば喰らう程強くなる」

「だから…だから何だ!何だっていうんだ!」

「っ!は…っ!」

「飲みたくなんてなかった!!覚えたくなかった!!私は…私はまだ人なんだ!!」

 慟哭し、亮子は紅い剣を作り出し崇に斬りかかる。刃がぶつかり火花が散る。

「《異端を(そそ)げ、護国の(やり)。一切終生の地に戦士の導きを》!」

 謳うように呪節を唱え上げると刃が呪言(スペル)を纏う。呪言が剣の刃に触れた途端、触れた部分の刃がごっそりと無くなった。

「くそっ!」

 だが、欠けた刃は亮子が柄を握る手に力を込めると急速に修復されてしまう。

「小細工しやがって…くらえ!」

――『紅鮮華(グランディ・スカーレット)』!!

「!」

 下からの斬り上げが、崇の槍と六角紋に止められる前に届く。紅い線が白いシャツに引かれた瞬間、鮮血が勢いよく噴き出した。

「ぐ…ぅ…っ」

 腹部が潔いほど真っ赤に染まる。中身が出ていないのが奇跡なくらいだ。

『(崇!)』

「大丈夫だ…すぐに塞げる。火を少し貰うよ」

『(ああ)』

 腹に当てた手の中に古代の火が灯り、ジュッ、と短い音を立てて傷が塞がる。見た目は派手だったが、思ったより深くなかったのはまだ亮子にごく僅かの躊躇いがあったからなのかもしれないが、斬りつけてから様子のおかしい亮子に崇は嫌な汗が頬に伝うのを感じた。

『―― …竹中さん!』

「藤崎くん?」

『大丈夫ですか!?さっき、竹中さんの魔力が大きく揺れて…!』

「ああ、この通り。もろに一発貰っただけだよ」

『こ、この通りって…!』

「大丈夫だって。そちらは?」

『…えーと。ウォルフさんが、その。…遥の顔を思いっきり殴りまして』

 その一言に崇の目が何かを察した目になる。

『―― ははっ。すげえな崇!本当にブチ切れたぜ!』

「本当にやったのかよ!!」

 優一のつけた「鳥」から聞こえてくる楽しそうな声に、崇は頭を押さえた。通信の向こうにいる優一もきっと同じだろう。

「うん…。まあ…気を付けて。藤崎くん、今の内に拘束術式をこっちに送ってくれるかな」

『了解です。姫宮さんは…?』

「少し(まず)い状況になった。何をしてくるか――」

 その瞬間、剣が崇に向かって飛んでくる。槍で弾いた音が向こうに届いたか、優一の驚いた声が届く。

「…とにかく、急いで。短期決着をつける」

 膝をついていた亮子がゆらりと体を起こす。亮子の周囲には昨晩と同じ、紅いナイフが次々と生成され宙に浮いている。

「……、……」

「…?」

「……だ…。…や…だ…」

 うわ言のように亮子の唇が動く。

「…いや、だ…。私は…私は…」

「…古代」

 どくどくと耳元で心音が煩くなる緊張感。最悪の予感が脳裏で警鐘を鳴らす。

「私は…私は…ッ…。あいつ、なんかに……ッ!!」

「!?」

 だが、その警鐘は裏切られた。アスファルトで傷口が開いたのか、その指先から五本の赤い筋が伸びる。それは紛れもなく彼女が遥に血を流しこまれたことの証明だったが、それを上回る現象が崇の前で起こった。

「眷属の…単独形成!?」

 亮子から流れた血から、真っ赤な人型が形を成す。崇は目を見張ったが、己の眼はそれが紛れもなく『眷属』だと証明していた。

 『眷属』とは、吸血鬼が血を流し込んだもののことだ。吸血鬼の血は生命力の塊であり、生物の吸血鬼化も個体差はあれど簡単に成せる。犬や猫などの動物にもそれは適応されるが、理性を失うか肉体が耐えられないかで破綻するため、吸血鬼の眷属には人間が多いのだ。

 だが、吸血鬼の血、それだけで眷属を生み出すのは至難の業である。当然だが、血液には骨格も肉体も存在しない。吸血鬼にとって()()()()であるため最も理想的な眷属であるが、大半は自壊するか、血でできたおぞましい「何か」になるかのどちらかなのだ。

 しかし今、崇の目の前で亮子の血から眷属が生まれた。色は赤色一色だが、その造形は創造主と同一と言っても過言ではない眷属が。

「でたらめが過ぎる…!古代、出ろ!」

『(ああ!)』

 崇の肩に乗っていた小さな鰐が燃え、炎と共に人型となった古代が崇の隣前に立つ。

「姫宮亮子」

「ッ…何よ!?」

「お前は、何だ。人か?吸血鬼(ヴァンピーア)か?それとも、その(あい)の子か?」

「……!」

 亮子の顔が再び苦悶に歪む。

「そんなの…分からない…。分かりたくない!!」

「……そうか。君がどうして私を殺そうとするのは、概ね見当はつく。けれど…」

 崇が手袋を外す。露わになったその手から漏れ出る魔力に、亮子の背筋に冷たいものが流れる。

(なに、これ)

 無意識に、亮子の足が下がる。少しでも距離をとろうと、本能的に体が動きそうになる。

「それはそれ。自分から逃げることは、自分の大切なものからの逃げだ」

「…!何が…何が、分かるっていうのよ…!」

「…私は、後悔する人を見るのが嫌いなんだよ。だから、聞き分けのない子供には――()()()、いこう」

 諭すような、そして宣告のようなその言葉と眼に、亮子はやっと自分の体の怯えの正体に気が付いた。

(…消され、る)

『「ああああああああアアアアアアアアアアッッ!!!!!」』

 亮子とその眷属が同時に叫ぶ。眷属は自身の腕を斧に変えて突進し、それを援護するようにナイフの雨が降り注ぐ。

『(させる、か)』

『!?』

 眷属の斧を古代は素手で受け止めた。素手で止められるはずがない、と眷属の思考回路が一瞬止まったその隙に、斧を止めた古代の左腕がバキバキと硬い音を立てて変化する。

『な――』

『(すぐに下がるべきだったな。お前は、これで終わりだ)』

――『結晶変化、(アギト)

 古代の左腕が巨大な「顎」に変化する。眷属が悲鳴を上げる暇もなく、無慈悲にその牙は眷属の上半身を抉り取った。

 体積の半分以上を失った眷属は、ぐちゃり、とその形を失いただの血に戻る。紅いナイフも弾いた古代の真上に、刺さらないなら潰してしまえ、と巨大な立方体が出現する。それが、亮子の失策だった。

「…もう、目の前のものしか見えていないんだね」

「!!」

 亮子の眼の前に、崇が立っていた。その言葉にやっと、自分の頭が回っていなかったこと、崇から視線を外していたことに気付く。頭に血が上ることなど、今までなかったはずなのに。

「あ…」

――“魔精殺し(ブリシム)

 崇の指が亮子の胸元に触れる。バキン、と、何かが砕け散る音が響いた。


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