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夜が来た。
各々のやるべきことを済ませ、昼から街で警戒網を張っていたウォルフと合流する。
「様子は?」
「今の所出てきてねぇな。結界が張られたことには気付いてるだろうが」
「…結界に妨害とかはなさそうです。街全体に遥の魔力が拡散しているみたいで、居場所の特定はできませんが…」
「バラの匂いがキツい。さっさと終わらせてぇな」
「…大丈夫?」
「一応な。嗅ぎ分けはできるから安心しろ」
やや顔色が悪いのはウォルフが文字通り「犬並み」の嗅覚を持つからだろう。ウォルフにしてみれば今この街は、そこら中にバラの香水が撒かれているようなものだ。気分が悪くなるのも仕方ない。
「じゃあウルフ、分断は任せるよ。藤崎くんを置いて行かないようにね」
「分かってるよ」
「お、お願いします」
崇はポケットから赤い液体の入った試験管を取り出すと、キャップを外して傾ける。
赤い雫が零れたその瞬間、探図に突然魔力反応が発生したと気付くまでもなく、崇達が肌で感じられるほどの莫大な魔力の塊がこちらに突進してくるのが分かった。
『(下がれ!!)』
「えっ!?」
「古代だよ。後ろに!」
突然頭に響いた声に驚いた優一だったが、崇に腕を掴まれ後ろに下げられたのと同時に黒い六角模様のシールドが展開され、鈍い音が響く。
「フーーッ…」
「…宝石蜥蜴にしては、随分場慣れしているな。改造でもしたのか?」
荒い息を吐く亮子に続き、遥も悠々と着地する。亮子の眼は既に大半が紅く、マゼンタは申し訳程度にしか残っていない。
「場数が違うものでね。さて…確認だが、攫った女性は生きているか?遥透」
「ああ、もちろん」
「解放する気は?」
「まさか」
「…ああ、では、やはり家畜か。相容れられない」
『ギャオオ!!』
崇の静かな怒りに呼応するように古代がひび割れた声で鳴く。その声と共に光沢を宿す黒い槍が遥たちの足元から生え、遥は空中に退避し亮子は崇に向かってきた。
「あああああっ!!」
「っ!」
亮子が紅い鉈を振り上げる。手の甲で受け止める姿勢になった崇を、とらえた、と亮子は薄く笑んだが、鉈を振り下ろした瞬間に合わせて出現した六角模様の盾に驚愕の表情を浮かべた。
「竹中さん!」
「いい、あいつは崇に任す!《追い立てろ!》」
『バウ!!』
「!くっ…」
「口閉じろ。舌噛むぞ」
「ちょっ…!」
おおよそ五頭ほどの犬が遥を追い立てる。犬と言っても、サイズ的には狼と大差ない。ウルフの思惑通り背を向けた遥を追い、優一を脇に抱えてウルフも跳躍する。
「ど、どこに行くんですか!?」
「街の端ならそう人もいねえだろ!とにかく、崇達と引き離す。戦闘中に捕食なんかされたらたまったもんじゃねえからな」
「捕食……。――って、あの、ウォルフさん」
「あ?何だ。変なものでも映ったか?」
「いえ、そうでなくて。……これ、並走、してるんですか?」
優一は呆然と訊ねた。優一の眼下は街灯の光が恐ろしい速さで流れている。
「主人が追い付けなくてどうすんだよ」
「…そう…ですよね…」
こいつら人間じゃない、と内心がっくりとうなだれる。
「ここらでいいな。お前は俺が視界に入る場所にいろ。この「鳥」が破壊されるかもしれねぇから、気を抜くなよ」
「っ、はい!」
「…やるぞ。《囲え!》」
犬が揺らぎ、五頭から十頭に数を増やし遥を囲む。
「――てっきり、彼女が私と相対すると思っていたのだが。殺せると豪語したのは嘘には聞こえなかったのだけれどね」
「ああ、嘘は言ってねえよ。上が生け捕りにしろって指図してきただけだ」
「…ほう。それはまた、酷いことをするものだ。この期に乗じて決まりを破っていない吸血鬼を生け捕りにしようなどと、どちらが悪者だ?」
「ぇ……」
「被害者面してるんじゃねえぞ、吸血鬼。温室育ちで常識も根城に置いてきたか?」
ポキポキとウォルフが指の関節を鳴らす。
「【妖精の輪】は人を守る、それに違いはねぇ。少しの食事程度なら見逃してやるが、てめぇはその境界を越えたんだ。分かってうちの縄張りに入った以上、通すべき筋は通せってだけだよ」
揺らぐな、と優一に寄越した視線が雄弁にそれを語る。
(…そう、だ。女の子を…黒峰さんを攫って、監禁しているのは遥だ。…しっかりしろ、自分!全力で戦うって、覚悟をしてきたんだ!)
視線にしっかり頷き返すと、優一は隣合うビルの屋上に飛び移る。
「メルヴィス、いるよね?」
『いるわよ。覚悟は決まった?』
「うん。力を貸して。攫われた女の子たちの探知と、ウォルフさんのサポートを、同時にやる」
『パンクしても知らないわよ、まったく。今夜が晴れたことを幸運に思いなさい?』
「…うん。ありがとう」
優一が魔法陣を描くと、優一の周りにいくつもの探図が浮かび上がる。遥がそれに気付き紅い衝撃波を飛ばしたが、ウォルフがそれを叩き落したことでようやく遥の目がウォルフをしっかりと捉えた。
「やっと見たな、俺を」
「よくそんな力業を使うものだと思ったまでだ。君はろくに妖精の手も借りられないのだろう」
「まぁ、な。勿体振らなくても、血の匂いで分かるだろ」
「……彼を怖がらせるのは、私も本意じゃない」
「あァ、そうか。愛玩家畜を怖がらせるのは可哀想だもんな?」
「…品の無い」
遥はロッドをどこからともなく取り出すと、振りかざし紅い矢を次々と生成する。自分を狙って降り注ぐ矢をスレスレで躱し、ウォルフは鉄柵に触れると自身の爪を鉄に変え、斬撃を遥目がけてお返しとばかりに飛ばす。
「私は、君を相手にする暇はないんだ。姫宮さんだけでは竹中崇の相手は手に余る」
遥のコートがまるで翼のように大きくはためく。戻る気だ。それに大きく溜息をつくと、ウォルフは靴の爪先で地面を叩く。
「そうかい。それじゃあ――本気になってもらうしかねぇな」
「!」
上空から眺めていた遥の視界からウォルフの姿が消える。どこに、と視線を巡らせたその瞬間、鉄拳が遥の鼻っ柱に叩き込まれ地上に墜落した。
『あいつ…!やったわね!』
「す、すごっ…」
『ユウイチ、すぐにここにシールドを張って!今すぐよ!』
「今すぐ!?」
『いいから、早く!』
メルヴィスに急かされ優一は自身を囲むシールドを展開する。その直後、今までの比にもならないほどの魔力の衝撃波が墜落点から発せられた。
「うわあああっ!!」
ビリビリとコンクリートの壁を揺るがす波動が容赦なく振り撒かれる。眼下の景色は目視で分かるほど赤い魔力が一帯に漏れ出し、おどろおどろしい色に変わっている。
探図には真っ赤な魔力反応がウォルフと交戦しているのが分かったが、その動きは昨晩の遥とはとても似ても似つかないほどに荒れた動きだった。
「貴様ァ…っ…!!よくも…よくも私の顔を…!!!」
「男前になったじゃねえか。え?お綺麗な顔よりもそっちの方がモテるんじゃねえの」
憤怒の形相で立ち上がった遥は殴られた鼻を押さえている。怒りで支配された遥の目には、ウルフの思惑通り自分の顔を殴りつけた相手しか映っていなかった。




