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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
マゼンタの血脈
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「ただいま」

「お帰りなさい…って、どうしたんですか!?」

「ああ、ちょっとね。遥は来ていた?」

「いえ…講義は休みになってました。ちょっと探してみたんですけど、姫宮さんも来てなかったです」

「そうか。不審なものは無かった?」

『ユウイチの探知にも引っかからなかったし、あたしも変なものは見なかったわ。でも、もう「電車」には乗りたくないわね』

「乗ったんだ…」

 鉄を嫌う妖精が電車に乗ったとは少し意外だが、表情を見るに乗り心地は最悪だったらしい。

「ウォルフはまだ起きてないか。じゃあ藤崎くん、まずは急ぎで【妖精の輪】本部に認識結界の承認をとってほしい。認可条件は満たしているから、ここに入っているデータを送れば大丈夫だよ」

「本部にですか?街一つくらいなら、関東支部で下りると思いますけど…」

「ああ、今本部にうちの代表がいるんだ。本部詰めの部門代表が下した許可なら誰にも文句を言われないからね。本部の回線を開いたら、うちの部門名と氏名を名乗って、“赤の聖約(ルージュ・プロミーズ)”を呼んでくれればいい。そうすれば繋がると思うから」

「分かりました!」

「頼んだよ。それが済んだら結界の境目の調整をお願い。私は工房にいるから、もし何かあったら呼んでくれ」

 やることが決まり、崇は工房に、優一は自室に入る。

 優一は机の真上に設置したディスプレイを目の前の高さまで下げると、キーを叩き魔力で構成されたネットワークへと繋ぐ。

[―― こちらは【妖精の輪】本部電子窓口です。所属とお名前を提示してください]

「日本支部東京中央区常駐部門、『パンドラの檻』。右筆の藤崎優一です」

[…… …… ……

照合が完了しました。ご用件をどうぞ]

「『パンドラの檻』の代表、“赤の聖約”に繋げてください」

[…… ……

回線(コンタクト)を繋ぎます]

 無機質な文章ガイドが切れ、画面に電波のマークが現れる。

『“赤の聖約”の代理で取り次ぎました。本部のアイリス・エドガーです。ご用件は何でしょう』

「!え、えっと、“赤の聖約”さんは?」

 電波を介した声は女性で、しかも外国人だった。本人でなかったことに焦りが生まれ、代理だと明言した彼女に頭が混乱しかける。

『彼なら現在任務のため外出しています。もう十分もあれば帰還するでしょう。伝言や申請の類であればお伝えします』

「はっ、はい。認識結界の使用許可をしていただきたくて。条件との照合とその資料はこちらで揃えてあります」

『了解しました。その資料をこちらに送信してください。本人が戻り次第、精査させますので』

「はい。…送信完了しました」

『……ああ、【右筆】の証文がありますね。承認され次第、そちらに許可証を送信します』

「ありがとうございます!」

『それでは』

 特に何も言われることもなく通信が切れる。承認を待つ間留塚町の地図をGo○gleから引っ張ったりマークを付けたりしていると、メールボックスに“赤の聖約”からのメールが届いた。


[通達

『パンドラの檻』の留塚市での活動において、本日付けで日没から夜明けまで「ランクⅡ認識結界」および「ランクⅠ忘却結界」の使用を認めます。]


(忘却結界?)

 認識結界は確かに要請した通りだが、「忘却結界」というのは会話にも出た覚えがない。

「すみません、竹中さん。今いいですか?」

 工房のドアをノックするが、返事はない。

「竹中さん?」

「ああ、ごめん。何かあった?」

「えっと、認識結界の承認は貰えたんですけど、通達に『忘却結界』も許可するって書いてあって…」

「忘却結界?ランクは?」

「Ⅰです。忘却結界って、記憶を忘れるやつじゃ…」

「ああ、Ⅰか。なら大丈夫だよ。ランクⅠなら、万一魔法とかその手の事象が一般人に視えてもすぐに忘れやすくなるだけだから。認識結界と合わせて『あれは夢だった』くらいにする程度だね」

「そういう使い方があったんですね。すみません、邪魔をしてしまって」

「いや、構わないよ。何か言われたりとかはあった?」

「いえ…特になにもなかったです。出たのは代表さんの代理の方でした」

 代理、と聞いて崇の眉が少し寄る。

「名前は覚えてる?」

「ええと、アイリス・エドガーさん…だったと思います」

「ああ、彼女か。なら良かった」

「お知り合いなんですか?」

「直接会ったことは無いけれどね。彼女なら信用できる」

 どこか気になる言い方だが、崇が「信用できる」と言うなら優一はそれ以上聞かなかった。自室に戻って地図を万年筆に取り込み、詳細な街の地図を図面に描き起こす。自分にしかできないことだと時折自分に言い聞かせながら、ペン先の魔力を滑らせていった。


――――――――――


 “吸血鬼”とは何か?

 この世界――私達がエネルギーを求めて夜をさ迷う〈現世〉では、周期的にどこかの誰かがそう議論する。

 夜の世界に住まうもの。処女の生き血を啜る美しい魔物。霧やコウモリに変身し、弱点はニンニクと十字架…。「災厄の化身」として恐れられたその怪物は、今や人々の間では「架空のモンスター」と成り果てている。

 二度の大戦を経て、現世は神秘というものを失っていった。自然の深いところを探し求めればいずれは〈魔力世界〉の境へと至るのだろうが、地上を闊歩する人類はその興味そのものを無くした。これは我々にとって喜ばしいことである。

 私達は、ヒトの近くに潜むものだ。その生命(いのち)の迸りを享受し、時には狩り、時には施しを受けて永らえてきた。子を成し育むことはできなかったが、さしたる問題ではなかった。形はどうであれ、ヒトと共にあるのが私達だからだ。知らないことほど都合の良いものはない。

 では、次は「私」の事を話そうか。


「――……飽きないの。ナルシストなんじゃないの、あんた」

 亮子は厭々、という表現ぴったりの表情で目を開けた。

「飽きるはずもない。私は、ヒトが好きなのだよ。好きなものに自分を知ってもらいたいのは当然の行動原理だろう?」

「化け物にそんな機敏があるなんて思いたくもない。黙って」

「む。“吸血鬼”については口を挟みもしなかったというのに。君はどうあっても狩人だな」

「…気ぃ失ってたことも分からないの。気分が悪いから出て行って」

 吸血行為を終えた亮子の眼は、激昂した時と依然変わらず鮮やかなマゼンタのままだ。

 吸血は「吸精」とも呼ばれる、魔力の経口摂取手段のひとつだ。生まれたばかりの赤子が母の乳を吸うように、吸血を行うものにとっては慣れ親しんだ行為である。だが生まれて一度も吸血をしたことがなかった亮子の身体には吸血による魔力摂取は過負荷となり、三口飲んだところで気を失っていた。

「そうは言うが、気分はむしろ良いはずだよ。私達にとって血液はエネルギーそのものだ。力が湧いてくる。そうだろう?」

「……」

 否定できないのが腹立たしい。遥の言う通り、亮子の意識は今までにないほどすっきりとしていた。それに加え、昨晩の疲れや怪我の痛みというものが無かったことになっているかのように感じない。

(これが吸血鬼、か…)

 亮子もとうとう、自分に流れる吸血鬼の血を認めざるを得なくなっていた。

「そのように沈痛な顔をするものではないよ、姫宮さん。君は父母の種が異なっていたのは避けようのない事実だが、それは君の父親が、君の母君を限りなく愛したことの証明なのだから」

「…何を言って…」

「我々吸血鬼に、ヒトを「食糧」と見做している者は少なくない。どう取り繕おうとも、私達がヒトを糧とするのには変わらない事実であるが故に。だから吸血鬼とヒトが恋に落ちるのはあり得る話だが、子を成すことは滅多に無い」

「……」

「吸血鬼はどこまでパートナーとしての愛を貫けるか。ヒトはいつまで食らわれずにいられるか。…想像に難くないだろう。長くは保たない」

 だが、と真剣な表情で遥は語り続ける。

「君の父親は、鋼鉄の精神を持っていた。真実の愛を知り、伴侶を食らった吸血鬼は以降、薔薇を()んで暮らすという。それこそが血なまぐさい私達の、種としての救いだ。けれども彼はその救いを捨てようとしてでも君の母を愛することを決め、一時(いっとき)は守ろうとしたのだ」

 守ろうとした――そこで、亮子の眼に母の最期が思い浮かぶ。

 衝動に負けたのか。飢え渇き、最後の安息を求めたのか。それともただ、「愛し尽くした」だけなのか。

 亮子には分からなかった。分かりたくもないのに、ひどく恋しくなった。それなら、この六年の暗黒は一体何のためにあったのだ。

「…私は君に期待する。君こそが鋼鉄の狩人であると。夜が愛し尽くしたその残し子が、無惨な終末を迎えるものではないと」

 ギィ、とベッドのスプリングが軋む。

 遥が亮子ににじり寄っても、亮子は身じろぎひとつもしない。

「だからこそ、受け入れたまえ。新たな目覚めを受け入れるために。その目覚めが良いものであることは、私自身が約束しよう」

 遥の爪が亮子の指に食い込み、深い傷から血が湧き出る。遥自身も同じように指の腹を裂くと、傷と傷を重ね合わせる。

(――ああ。月が、紅くなる…)

 底の見えない渦に引き込まれる中、亮子は遥の眼鏡に映る自分の眼が、徐々に血に染まっていくのを見ていた。



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