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妖精眼のパンドラ  作者: 文車
マゼンタの血脈
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 翌朝。

 ウォルフと明け方に交代し、崇は膝上で微睡む古代の鱗を磨いている。リビングはまだ寒いが、すぐに暖かくなるだろう。崇は区切りのつくところで布を畳み、古代を膝から下ろしてソファーを離れる。

「おはようございます」

「おはよう。うん、ちゃんと眠れたようだね」

「おかげ様で…。あの、窓際の瓶が昨日言ってたインクなんですか?」

「ああ、そうだよ。月が廻れば完成だから、まだかかるかな」

「その…魔力を溜めるのは、どうしてなんですか?」

「単純に自分の魔力消費を抑えるためだね。生まれつき沢山の魔力を持つ人もいれば、雀の涙の人だっている。君は人並みより少ないみたいだから、少しずつ溜めておけば困らないと思ってね」

「僕、少ないんですか…」

「多分これから増えると思うよ。朝ご飯にしようか」

 昨晩の疲れは抜けきってないが、食べないことには始まらない。

「昨日ウルフが言ってた通り、今日は遥が大学に来ているかどうかを確認したらすぐに戻ってきて。後で魔力結晶を渡すから、それを使ってメルに転移してもらってくれ」

「メルヴィスも来てくれるんですか?」

「断られなければだけど…。やってくれるかい?メル」

『いいけど…そういうふうに断れない訊き方するなんて、ずるいわ』

「ごめんね。つい、君に甘えてしまうんだ」

『…ほんと、ソウはあたし達の扱いが上手ね。しかたないから許してあげる』

 ふくれっ面でレーズンを摘まむメルヴィスと目が合い、優一は申し訳なさそうに微笑む。

「それじゃあ、気を付けて。最悪の場合、人前でも執記を使う心積もりでいてくれ」

「はい。行ってきます!」

「ああ。行ってらっしゃい」

 優一を見送ると、崇も工房に入る。今日で決着を付けるためにも、やることは山積みだった。


――――――――――


「う……」

 肌寒さに少女が目を覚ます。

「…どこ…ここ」

 少女――姫宮亮子が体を起こすと、薄いシーツが肩から滑り落ちる。部屋と思しき空間は真っ暗で、目を凝らしても自分のいる寝台しか見えない。

 寝台が大きいのか、視界が何かで制限されているのか分からない。警戒しつつ寝台の端に寄ろうとすると、軋んだ音を立ててドアを開ける音がした。

「っ!」

 こつり、こつりとヒールの音と共に燭台の火が近づいてくる。

「おはようございます、姫宮様」

「……きょう、か?」

「今、火をお付けします。少々お待ちください」

 蝋燭に照らされた顔とその声色に亮子は引きつった声で彼女の名前を呼ぶ。名前を呼ばれても反応を返すことなく部屋の蝋燭に火を移す彼女に亮子は愕然とした。

「なんで…。ねえ、どうしたのよ、京花。あたしのこと、苗字なんかで呼んでなかったじゃん!」

「…こちらへ。主がお待ちです」

 肩を掴んで訴えても京花の態度は変わらない。着ているものも、亮子が最後に見た彼女とは全く違っている。フリルのブラウスにコルセットスカートは似合ってなくはないが、あまりにもこの場に合いすぎていて気味が悪い。

 どうして敬語で話すのか。してほしくない「様」付けなのか。問い詰めたくても彼女の眼を見た亮子は分かってしまった。「ここに『京花』はいない」、と。

「…主。姫宮様をお連れいたしました」

「ああ。姫宮さん、こちらにおいで」

「……その声…。やっぱり、あれはお前か!」

 頭の血が一気に沸騰したように熱くなる。豪奢な椅子に腰かける『吸血鬼』の姿を見定めると、亮子は爪が食い込むほど拳を握り込み突っ込む。だが、その勢いは誰かに抱き押さえされ拳は届かなかった。

「っ…!離して!」

 亮子を止めたのは、彼女と同い年くらいの少女たちだった。暴れる子供を抑え込むように抱きしめる彼女達の力は弱く、簡単に振りほどける。しかし、その柔らかさは別の言葉で亮子の脳裏に焼き付いた――彼女たちは、「脆い」。

「お前が、命令したのか!吸血鬼!」

「…私はそうするように見えるかい?柔らかな女子供を盾にするとでも?」

「ああ、そう見える!そっち側の化け物なんか信用しない!」

「そうか。だが、そう暴れないでやってほしい。彼女たちが苦しそうだ」

「……っ、離して。…暴れない、から」

 苦虫を嚙み潰したように言葉を絞り出すと押さえつける力から解放される。

「…あたしをどうする気だ」

「なに、とって食ったりなどしないよ。私はただ、平穏に暮らしたいだけでね。けれど【妖精の輪】はそれを許さないだろう。私も吸血鬼となってかなりの純化を経たが、同族には劣る。

そこでだ。私は君を、傭兵として雇い入れたい。彼らと敵対するのは君もだろう?」

「――は。頭に花でも咲いてんの?あたしが殺したいのはあんただって、ついさっきハッキリしたってのに?」

「あれくらいなら許容範囲内だ。君は吸血鬼(われわれ)の備えうる『狩人』の気質を色濃く備えている。勿論、働きに応じて報酬も与えよう」

「……ここにいる子たちの解放、っていったら?」

「ン…。それは叶えられない相談だ。だが…一人なら、構わないがね?」

「……チッ」

 亮子は隠しもせず舌打ちする。ここで今すぐナイフを作って投げつけてやりたいが、それを庇うのもここに連れてこられた少女なのだろう。今まで路地裏に隠れた魔術師や魔女を通り魔じみた方法で「制裁」したことはあっても、人間を傷つけたことは一度もない。そうしてしまったら人間として終わりだと、自分を戒めていたからだ。

「…分かった。ただし、一回だけ。あいつらを倒したら、あたしは京花をここから連れて出ていくよ」

「いい子だ。その条件で契約成立としよう。――ああ、待ちなさい。まだ終わりではないよ」

「なに。これ以上あんたの顔見てると殺したくなってくるんだけど」

「姫宮さん。君は、吸血をしたことがないね」

「――だからなに。してなくてもあたしは戦える」

 焦げ茶色だった瞳が、憎悪を湛えたマゼンタへと変色する。

「これは雇用主としての命令だ。今ここで、吸血しなさい」

「っ馬鹿にするのもいい加減にしろよ!あんたが今のあたしを認めて雇ったんだろうが!あたしは絶対に…血なんて吸うもんか!」

 亮子の食いしばった歯が牙になるのを遥の瞳が淡々と捉える。遥はこめかみを軽く指で叩くと、黄金のベルを一回鳴らした。

「京花」

「はい、主よ」

「頸動脈を切りなさい」

「はあ!?」

「仰せのままに」

「っ…やめて!」

 ナイフを取り出し首筋に当てた京花の腕を強く掴む。

「約束が違うぞ、吸血鬼!!」

「先に反したのは君だよ。それに、君は「連れて出ていく」としか言っていない。死体でも問題ないわけだ」

「……ッ!!」

 はらわたが煮えくり返るような怒りが亮子を支配する。だが、掴んだ腕から軋む音がしたのが聞こえた瞬間、腹の中心からぞっとする冷たさが廻ってきた。

「京花…っ!ごめん、ごめん…!」

「姫宮様、お手を離してください」

「…く、そ…っ…」

 京花を抱きかかえるように膝をつく。どうすればいいのか考えても、方法は一つしかなかった。

「……分かった。あんたの言う通りにするよ。だから……」

「『だから』?」

「京花を生かして帰すと、約束しろ。そうじゃないなら、あたしもここで舌を噛んで死んでやる」

「……やれやれ。仕方ない、今回は無かったことにしてあげよう。だが、これからは逆らわないことだ」

 遥がそう言うと京花の手からナイフが滑り落ちる。

「……。……ごめんね」

「っ!」

 亮子は京花の鳩尾に拳を入れ、意識を失わせる。

 小さな声で「ごめん」と何度も呟き彼女の腕に牙を立てた亮子を、遥は満足そうな笑顔で眺めていた。


――――――――――


「さて…」

 崇は京花の髪ゴムを返しに浅野家の前まで来ていた。

 正直気が重いが、すぐに返すと約束したからには守らなければいけない。インターホンを押そうと近づくと、中から別の女性の声が近づいてくるのが聞こえた。

「…誰ですか?あなた」

 戸を勢いよく開けたのは、眉を吊り上げ語気を荒げた様子の女性だった。どこか洋子に似ていることから彼女が洋子の娘で、行方不明になった黒峰京花の母親だろう。しまったと崇は反射的に思ったが、顔には出さないようにする。

「ああ、すみません。浅野さんはご在宅でしょうか」

「今日子!すみません、竹中さん。娘が…」

「『竹中さん』?ああ、あなたも母さんと同じ、おかしなものが見える人?」

「やめなさい、今日子!」

 今日子、と呼ばれた浅野の娘は母親に咎められても意に介さず崇を睨む。

「ねえ、竹中さん。あなたが優秀なら早くうちの娘を見つけてくださいよ。ねえ?警察より信頼できるんでしょう?」

「……」

「なんとか言ったらどうなんです?どうせなにもできてないんでしょう?あなた達はみんなそうよ。本当かどうかも分からないのに「できる」としか言わない。詐欺師よ、詐欺師!」

「…確かに、私はその過程をお答えすることはできません。出せるのは、結果だけです」

 今日子の目の下には隈ができている。おそらく、ほとんど寝ていないのだろう。娘が突然姿を消して、警察に届け出ても状況は好転していない。

 理不尽ともいえる文句をつけられても、崇は彼女を厭う気にはならなかった。ただ不安を持て余す彼女を憐れだと思った。だがそれは、どうにもよくなかったらしい。

「なによ、その目…。そんな目で、私を見ないでよ!!」

 乾いた音が人通りのない住宅街に響く。

「何てことをするの!今日子!」

「うるさい!母さんも同じ――」

「…《夢に眠れ。幻の(あわい)まで》」

 息を荒げ血走った目で洋子を振り向いた彼女の肩に手を乗せる。その姿勢のまま倒れそうになった今日子を、崇は分かっていたように支えた。

「…すみません、浅野さん。娘さんを眠らせました」

「いえそんな、こちらこそ…。娘が大変失礼をいたしました。言ってはならないことまで言って…」

「…いえ。娘さんにとって、確かに我々は詐欺師と変わらないでしょう。お気になさらないで下さい」

「……本当に、申し訳ございません。…そういえば、どのようなご用件で?」

「ああ、すみません。お孫さんの遺留品を返しに来ました」

「そうでしたか。よろしければ、上がってください。冷やすものを持ってきますわ」

「はい。ありがとうございます」

 今日子を和室に寝かせ、タオルに包んだアイスパックを受け取り頬に当てる。髪ゴムを渡すと、洋子はまた深々と頭を下げた。

「その…娘さんは、どうしてここに?」

「実は、昨日も来ていたんです。あの子も本当に信じられないみたいで…。今日も、警察に行っても相手にしてもらえなかったと言って…」

「…そうでしたか。

…以前、浅野さんと初めてお会いしたのは五十年ほど前でしたね。確か、妖精の悪戯でティーセットを隠されたのでしたか」

「え、ええ。そういえば…そんなこともありましたね」

 懐かしむように洋子は目を細める。

「あの時は、組織の関与はなく私達だけで対処しましたね。本来こちら側のものが事件を起こした場合は記憶を修正するのですが、浅野さんは視える目をお持ちでした。周囲への影響もほとんど無かったため、周りの記憶の修正も行いませんでした。ですが…」

「…今回の事件では、記憶を修正しなければならない…。そういうことですよね?」

「…はい。お孫さんは今の段階ではまだ生きています。ですが、このままでは元の生活には戻れないでしょう。おそらく、この数日間の記憶そのものを消去することになると思います」

「…では、今日子は…」

「彼女を含め、今回の被害者の周りは一斉に記憶の消去と、それに代わる記憶を植えられると思います。ですが、浅野さん…。貴方は、【(ルウェン)】で「記憶処理を強制しない一般人」に含まれています。ですので…どうするかを選択してほしいのです」

「…そうですか。それにお時間を頂くことはできますか?」

「ええ。勿論です」

 しっかりと頷くと彼女は安心したように微笑んだ。

「それと…これは、私からのお詫びになりますが。先ほどの娘さんの記憶を、曖昧にしましょうか?」

「えっ。ええと…それは、どのくらいに?」

「完全に無かったことにはできませんが、『お母さんと喧嘩をした夢を見た』くらいにはできますよ」

「ああ、それじゃあ…お願いします。娘には、あまり眠れてないようだったから寝させたと言っておきますわ」

「分かりました。では…」

 静かに和室の戸を開け、眠る今日子の目を覆う。肩に乗せた古代に目配せし、小さな声で呪文を唱える。

「《溶けて、揺らめき、蜃気楼となれ。千一夜の夢のように。砂漠の夜明けの影絵のように》」

 手を離すと心なしか顔が穏やかになったような気がするのは己の願望だろうか。

「本当に…何から何まで、ありがとうございました」

「いえ。…必ず、お孫さんはお二人の元へお返しします」

「ありがとうございます。どうか、お気をつけて」

 駅の方向に歩いていると木枯らしが吹き、打たれた頬を撫でる。

(ああ…これは、転移で戻った方がいいかな。これじゃあ目立つ)

 立ち止まり、周りに誰もいないことを確認して靴の踵を三回鳴らす。次の瞬間には、崇の姿はそこから消えていた。


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