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それぞれの前夜

 展示会を翌日に控えた金曜日、おれはふたたび文化センターの大ホールを訪れていた。目的はもちろん、リョウコの個展の会場設営を手伝うためだ。おれが主催者側からも大勢のスタッフが手伝いに来てくれていたので、作業は驚くほど順調に進んだ。

 リョウコと話し合った結果、おれの警備計画案に則ったレイアウトを採用し、それを主催者側を通じてホール担当者へ提出していたので、簡単に現場の位置合わせをおこなっただけで、つぎつぎとホワイエに壁が作られていき、午後一時前にはホワイエの中にもう一つの部屋が出来上がっていた。

 パネルにはそれぞれ番号が割り振ってあって、その番号の通りに次々と写真がパ掲げられていく。写真は主に三つのテーマに分けられていて、展示会場の入口に近い側から、それぞれ「島の自然」「島の生き物」「島の暮らし」となっていた。入口に最も近い場所、展示会を代表する写真には、『太古の息吹』とタイトルがつけられた原生林の写真が選ばれた。そこには『巨大な日傘を開けたようなヒカゲヘゴの幹に残る落葉跡は彼らの生きた証。ヒカゲヘゴの森でははるかいにしえの息吹が感じられるよう』と、リョウコの解説も添えられていた。他にも、島の暮らしのコーナーではこの島ならではのお祭りや季節の行事の写真のほか、ヒメコもいっていた地区の運動会の写真も展示してあった。


 ――この島の運動会では子供も大人も皆が一丸となって、集落の威信をかけた熱い戦いを繰り広げている


 『激闘』とタイトルのつけられたその写真は、大きなスキー板のようなものに、六人が足をかけて息を合わせて進んでいく、いわゆる「ムカデ競争」を撮影したものだった。その写真を面白いと思ったのは、写真に写っている中のひとチーム、ムカデ下駄をはいた六人全員がマイケル・ジャクソンの「ゼロ・グラビティ」のパフォーマンスのように、体が45度ぐらい前傾していたことだ。どうやら、バランスを崩して倒れる瞬間をシャッターにおさめたらしい。おれが写真に見入っていると、リョウコが隣に立った。


「その写真は、地元の新聞にも取り上げられたのよ。ほら、ここにマコトさんの妹さんのハルちゃんも写ってるの」


 彼女が指さしたのはそのゼロ・グラビティをじゃなくて、転倒しかけているチームの前から二番目だった。集団で写っている写真なので、そういわれなければ気付かったけれど、たしかにそこにはハルナが写っている。


「そのときは、先頭の子がバランスを崩して倒れそうになって、それをハルちゃんが手を伸ばして支えようとしたんだけど、急に前傾したハルちゃんにつられて後ろの子もバランスを崩して、結局、全員がドミノ倒しみたいになっちゃった」


 リョウコはその写真が撮れた瞬間のことをおかしそうにくすくすと肩を揺らしながら話していた。


「競争には負けちゃったし、彼女たちには悪いなとは思うんだけど、面白い写真だから、ひそかにわたしのお気に入りの写真なの。それに、ハルちゃんが手を伸ばして前の子を助けようとしてるのが、あの子らしい優しさがあって好きだなって」


 そういわれると、確かに手を伸ばして助けているようにも見える。おれはこらえきれずに地面に手をつこうと前に手を伸ばしたのだと思っていたのだ。たった一枚の写真であっても、どう感じるのかは見え方によって違うものなのだ。そういう意味でいうならば、リョウコの写真に彼女なりの言葉で説明が加えられているというのは、見る側からすればわかりやすくていい。

 その後、展示会場の設営も順調にすすみ、午後三時をまわったころには、ほとんどの準備がおわり、あとは写真の位置の調整や並べ替えなどの細々とした作業を残すのみとなった。

 リョウコとふたりで最終的なレイアウトについて話をしていると、展示会場の入り口の方から「こんにちは」と品のある声が聞こえてきた。


「マコトさん!」


 振り返ったリョウコがパネルに囲まれた展示会場の入口に立っていたマコトの姿を見つけると、少女のような声をあげて駆け寄って、マコトの手を両手で握りしめてぶんぶんと揺すった。


「リョウコちゃん、久しぶり。最近、大活躍じゃない」

「ありがとう。でも、マコトさんがいなかったら、わたしこの島で一人で写真家としてやっていけなかったと思うんだ」

「もう、大げさね。でも私もリョウコちゃんが活躍してくれるのを見てるのは本当に我がことのように嬉しいわ」


 飛びつかんばかりの勢いのリョウコに、マコトは喜色と困惑の入り混じった表情を浮かべている。ハルナとは違うタイプの妹にじゃれつかれているみたいで、そんな様子を微笑ましく眺めていると、マコトがおれに「アキオさん、明日の展示会、リョウコちゃんのことよろしくお願いします」と柔らかな笑みをむけた。いわれるまでもなく、おれもそのつもりではあったが、マコトにそういわれて俄然やる気が出る。なんなら、あの脅迫犯だって捕まえられそうな気さえしている。まったく、おれというやつはどこまでも現金でとことん愚かだ。


「そうだ、マコトさん。今時間ある? せっかくだから写真、見ていってよ。明日は人が多くてあまりゆっくり見ていってもらえないだろうし、それに、なにか意見をもらえたらありがたいから」


 リョウコはそういうとマコトの手を握ったまま、やや強引に展示会場の中へと連れていった。

 一人になったところで、おれはもう一度会場をぐるりと見渡し、明日の警備のイメージをしてみることにした。

 まずはホワイエからホール後方扉に入るための階段をのぼる。ここからはホワイエのパテーション内の様子が俯瞰でき、実際に今もリョウコとマコトの姿がはっきりと確認できる。左側の階段からは入口側、反対は展示会場の奥を監視できそうだ。次に階段を下りてトイレのある通路脇に来ると、そこからは会場に出入りする人間がチェックできる。通路後方はホール客席と舞台袖に通じる扉になっているが、客席はともかく舞台袖の出入りはそんなに頻繁にはないだろう。展示会場内は見通しが利くように平行にパネルを設置してあるので、受付テーブルを会場にむける形に設置すれば、受付をしながら監視もできる。これならおれを含めて五人もいれば、脅迫犯も簡単には手が出せないだろう。

 リョウコとマコトはまだ写真を見て回っているようで、しばらく時間がかかりそうだと思ったおれは、一服するために会場を離れて屋外に設置してある喫煙コーナーへとむかった。まったく、たばこを吸う人間に対する風当たりは年々強くなる一方だ。

 そこでおれが煙草を二本短くしてから戻ると、二人はホワイエを出て管理室の正面にある自販機コーナーそばのベンチに座って話し込んでいた。リョウコはマコトが持ってきたらしいステンレスボトルのカップを包み込むように持っていて、そこからはうっすらと湯気が立ち上っていた。マコトは歩み寄るおれに気づいてにっこり笑う。


「アキオさんもコーヒー、飲みますか?」


 会場の設営もほとんど終わっており、あとは散らかった段ボールなどを片付ければ今日の作業は終わりだったので、おれはこくりとうなずいてマコトの隣に腰を下ろした。

 マコトは持ってきていたエコバッグの中から紙コップを取り出すと、ステンレスボトルからコーヒーを注ぎ入れる。ふわりと香ばしいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。カップからひとくち飲むと、いつものマコトのコーヒーの味が口の中にひろがり、ほっと小さなため息がもれる。


「おれたちは片付けたらここを出るつもりだけれど、よかったらマコトも店まで送ろうか?」


 おれがたずねるとマコトは首を振った。


「いえ。この後、少しお買い物してから戻るつもりなので。今もヒメちゃんが留守番してくれていますし、大丈夫ですよ」

「ヒメコも結構頑張ってるよな」

「はい。とっても頼りになります。それにああ見えてお客さんともすぐ仲良くなるので、案外お客様からの評判もいいんですよ」


 その客ウケの何割かでもおれにむけてもらえると嬉しいんだけどな。そのまま、視線をマコトのむこうに座っていたリョウコにむけると、彼女はコーヒーを飲み終えてカップをマコトに返すところだった。


「リョウコはこの後はまた仕事場に戻るのか?」

「ええ、いったんスタジオに戻るわ。明日の開演は十時からだけど、八時過ぎにはここにきているつもり。アキオさんは九時ごろに来てもらえたら大丈夫よ」

「わかった。じゃあ、これ飲んだら片付けて今日はあがろう」


 おれは残ったコーヒーを飲み干すと、ベンチを立って紙コップを自販機横のゴミ箱に突っ込む。


「マコト、ごちそうさま」

「どういたしまして。アキオさん、あとでお店に来られますか?」

「ああ、そうするよ」


 マコトはにっこりと微笑んで「では、お待ちしていますね」といってボトルをエコバッグにしまうと、すっと立ち上がりリョウコに手を振ってそのままロビーを出ていった。

 おれとリョウコがホールを出たのはそれから十五分程してからだった。ちょうど巡回に来た文化センターの職員がホールの正面扉に鍵をかけて戸締りをしてくれた。


 駐車場でリョウコと別れたおれはいったん事務所に戻り、明日の手伝いにきてくれる予定のワタルや他の連中にも連絡をつけ、おおよその警備についての説明をして、その日の業務日報を書き込んだ。

 いよいよ明日だ。正直、不安がないわけではないが、まるで自信がないということもない。要するに、出たとこ勝負というわけだが、おれはそういうギリギリのところを渡り歩いてきているという自負もあるのだ。

 日報を書き終え、事務所を出て階段を降りたところで、店から出てくるヒメコとばったりと出会った。


「あ、アキオ。なに、今からお店行くの?」

「ヒメコはいまバイト終わったのか。ということはマコトが帰ってきたのか」

「うん、来るならもう少し早く来てくれたらいいのに! あたし、学校あるからもう行くね!」


 そういってヒメコは店の前の階段を勢いよく駆け下りていく。本当に彼女はお客さんには評判がいいのだろうか。この店の雰囲気を壊してるんじゃないかとちょっと心配になる。


「あ、そうだ! アキオ、明日頑張ってね! あたしも昼にはいくつもりだから!」


 階段の踊り場のところで、ヒメコはこっちをむいて大きく手を振っていた。それに小さく右手をあげてこたえる。あんなじゃじゃ馬娘だけど、頑張って、といわれるとやはり気力が湧いてくる。マコトが彼女は評判がいいというのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 金曜日の夜らしい魅惑的なスムースジャズの流れる店内には馴染みの客はいなかった。二時間ぶりのマコトに挨拶をしておれはカウンター席に座りいつも通りに焼酎をオーダーする。酒のあてにツワブキと豚軟骨の小鉢が差し出された。


「金曜日だからコウジは来てるものと思っていたけど、今日は来てないのか」


 この島の正月料理の定番でもあるツワブキの煮物を一口かじる。よく出汁のしみたまさに家庭の味だが、この雰囲気の店にはミスマッチすぎる料理だ。ただ、これも金曜日の夜は勤め帰りの中高年男性が多いことを考えたマコトのサービスなのだ。美人で気立てが良く、頭もいい。まさに三冠王。


「明日がシンポジウム当日なので役所関係の人はお仕事があるのでしょうか?」

「コウジの保護課までかり出されてるのかな? おかみが来るというのは、大変なことなんだな」

「その点、私たちは気楽ですね。ああ、でもアキオさんは脅迫事件の真相を突き止めないといけないのでしたね」

「まあ、そうだな。でも、なんとかなるとは思ってる」


 気づけばおれのグラスが空になっている。マコトがおかわりをきいてくれたので、もう一杯頼むことにした。


「でも、アキオさんも年明けから働きづめでお疲れじゃないですか?」

「まあね。慣れたとはいえ、年々体力は落ちている気がするよ」

「あの、もしよかったら、あとでハーブティーを入れましょうか? 最近、港の近くにハーブティーの専門店ができてすっかりはまってしまって、ときどきそこで茶葉を買うんですよ」


 マコトはジャム瓶ほどの大きさの蓋つきのガラス容器をいくつか掲げて見せた。その中にはおれも聞いたことがあるハーブの名前が貼りつけてあった。


「けっこうたくさんの種類があるんだな」

「何種類かブレンドするんですよ。ハーブによって効能も変わるんです」

「じゃあ、マコトのおすすめのブレンドをもらおうかな」


 おれがいうと、マコトはぱっと顔を輝かせて「まかせてください」と声を弾ませた。マコトがときどきみせるこういう無邪気さは彼女の数ある魅力のひとつだと思う。もっとも、彼女の魅力をあげれば枚挙にいとまがないのはいうまでもない。

 結局この日はコウジはあしびばには現れなかった。おれはそのあともう一杯だけ焼酎を飲み、帰り際にマコトの淹れてくれたオリジナルブレンドのハーブティーをごちそうになって帰ることにした。マコトいわく「リラックスしてお休みいただけるブレンドにしました」らしい。今日はしっかり休んで、明日に備えなくちゃな。

 おれはいつもよりも三十分はやく目覚ましが鳴るようにタイマーをセットして、すぐさま深い眠りの海の底へと沈んでいった。どうやらマコトのハーブティーは効果てき面だったらしい。

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