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似たもの同士

 事務所から新港の近くの文化センターまではスクーターで五分ほどの距離だったが、海沿いを吹く風の刃はハンドルを握るおれの身体を容赦なく切りつけて、あっという間に体温を奪っていく。もう少し厚手のコートを着てくればよかったと後悔したものの、今更引き返すのも面倒だったので諦めてそのまま文化センターへとむかう。

 この島では一番大きなホールを有する文化センターは、大きな直方体をいくつも並べて積み上げたようなデザインで、その天辺にはこれまた直線的な四角錐の形をした屋根が並び、とんがり帽子のようなシルエットを描いていた。

 建物の裏手にある駐輪場にスクーターを停めると、両手で自分の腕を抱くように体を縮こませてながら、足早に正面入口へと回り込む。中に入ると天井の高いエントランスホールはそれなりに空調が利いていて、冷えたおれの身体にはちょうど良い暖かさだった。もっとも、おれはここに来た目的を果たさないといけないので、ロビーでぼんやりとしている場合ではない。ロビーの片隅にある管理事務所の小さな窓を軽くノックして、中の事務員に声をかける。


「来週の世界遺産関連の写真展の下見なんだけれど、今日は現場の見学ってできる?」


 おれがそうたずねると、近くにいた年配の男性事務員は「ちょっと待ってて」といって予約表を確認する。すぐに戻ってくると、おれの後方を指差して「展示会場はホール前のホワイエだね。今日は利用がないから自由に見ていいよ」といってまた自分のデスクに戻った。彼が指差した方を振り返ると、一面ガラス張りになっているエントランスホールを出たむこう側が、大ホールになっているようだ。お礼をいって回れ右をし、エントランスのガラス扉を出たたところで、駐車場のほうから「アキオさん!」とひときわ元気な声が海風にまじって耳に届いた。振りむくと駐車場のところから手を振って駆け寄ってくるリョウコの姿があった。


「やあ、おはよう」

「おはようございます。今日はどうしたんですか?」

「うん、展示会の現場の下調べと思ってね。仕事の前に立ち寄ったんだ。リョウコはこれから打ち合わせ?」

「はい、展示会場に持ち込むものとかパネルのサイズの確認とか。もしよかったらアキオさんの下調べにわたしもついて行ってもいい?」

「ああ、そうしてくれたら助かるよ」


 おれがうなずくと、リョウコは笑顔を作った。文化センター正面の右手側が大ホールの入口になっていて、ガラスの扉をくぐると、そこは天井の高いホワイエになっていた。ここが当日の展示会場らしい。

 入口からむかって左側の壁のむこう側がホール客席になっているらしく、中央には半円状になった三段のアプローチがあり、その両側にホール客席の後方扉へと通じる階段が翼を広げた鳥のように左右へと伸びている。ホワイエの入口付近には一階席前方への通路があり、さらにその通路の突き当りは舞台袖へと通じる扉口だった。通路の中ほどに男性用と女性用のトイレがある。そしてホワイエのいちばん奥、ホールにむかって右側にも同じく客席への通路とトイレが入口側と左右反転させた形でレイアウトされているが、そちら側の通路には舞台袖へと続く扉はなかった。

 展示会の現場を一通りぐるりと見て回ったおれは、盛大にため息をついて天井を仰ぎ見た。その様子を見たリョウコが心配そうに眉尻をさげておれにたずねる。


「なにか、問題がありましたか?」

「予想していた現場とはずいぶん違っていたな。実は展示会場を独立した部屋のようなところだと勝手に想像していたんだ。それならば部屋の入口と、そこへつながる通路の出入り口を封鎖すれば、万が一その展示会場内でトラブルが起こっても対応しやすいし、警備の人数もさほど必要ないからな。ところがこのオープンスペースはちょっと厄介だな」

「厄介、ですか?」

「ああ。ちなみに、リョウコのほうにはあれ以来、犯人からの連絡はあった?」

「いえ」


 ふむ、と小さく息をついておれは腕組みをした。なるべく当日の状況を頭の中に思い描きながらリョウコに説明をする。


「世界遺産登録のシンポジウムが行われるのはこのホール内だ。そして、その講演を聞きに行く人は全員がこの場所を通る。開始前や、講演会後などは人でごった返すかもしれない。そんな中で、展示会の妨害がおこなわれたら、発見が遅れてだれが犯人なのか特定できなくなる可能性が高い」

「でも、それだけ多数の人がいれば犯人も容易に手を出すことはできないんじゃないでしょうか。衆人環視の中、無茶な行動をするとは思えないけど」


 小首をかしげて質問するリョウコに、おれは小さく首を振ってこたえる。


「いや。そうでもない。案外、人というのは他人の行動に無関心なものなんだ。ついこの前だって、沖縄の世界遺産、守礼門に油をまかれる被害があっただろう? あれだって夜間ではなく、観光客がたくさんいる日中の犯行だったんだ。京都や奈良で起こっている事件も同様。つまり、その程度の無茶くらいなら誰にでもできるってこと」


 リョウコは得心がいったように大きくうなずいた。


「なるほど、確かにそうかもしれませんね。もしかしたら、今回もその世界遺産荒らしの人たちの仕業かもしれませんね」

「まあ、いろんな可能性を念頭に置くべきだろうとは思うけれど、どうかな」


 おれの考えはそうではなかったが、まだその考えを披露するにはあまりにも材料が足りなさすぎる。もう少し、頭の中を整理する必要がありそうだ。ともかく、せっかくリョウコがいるので、確認しておくべきことを先に聞いておこう。


「それより、今回は何枚くらい写真を展示する予定なの?」

「五十枚の予定です。一番大きいものはA2サイズですけれど、それは例のポスターに使われたものと、協議会が選出した四点の合計五枚です。残りは大きくてA4サイズ、小さいものだとL版のものや名刺サイズというのもありますよ」

「へえ、それってどうやって展示するの?」


 おれがたずねるとリョウコはホワイエの中央まで進み出て、両手を広げて見せた。


「このくらいの幅の展示パネルを並べて壁を作ります。今回はパネル一枚につき、B4サイズの額縁を二枚ずつ並べるんです」

「写真のサイズはA4なのに、額縁のほうが大きいの?」

「ええ、写真をより美しく見せるために、ぴったりのフレームに入れるのではなく、マットと呼ばれる厚紙に写真サイズの窓を作って、それを重ねるんです。マットがあるのとないのとでは写真の見栄えが全然違うんですよ」


 そういえば、ときどき訪問する介護施設なんかのロビーにかかっている額縁も、真ん中に絵があって、その周りは空白になっていたような気がする。いわれるまで気にしたこともないから、おれはそういった空間における芸術的なセンスは、ちょっと足りなのかもしれない。ただ、そんなおれでも写真について、多少は知っていることがある。


「けどリョウコ、普通は写真のサイズって四つ切とか六つ切りじゃないのか? おれが知っている限りだと、たしかA4サイズだと横幅がかなり余るはずだ」

「ええ、よくご存じですね。たしかに、写真のサイズをそのままA4サイズにはできません。上下を切るか、左右が余ることになります。でも、今回わたしはあえてA4サイズにリサイズしたんです」


 そういうと、リョウコはしたり顔で腰に手を当ててみせた。つまり、このA4サイズの写真というのが今回の展示会でのリョウコの目玉になるということか。


「さて、どうしてわたしはこのサイズにこだわったのでしょうか!?」


 突然クイズが始まった。けど、そういうのは嫌いじゃない。A4にこだわったということは、いい換えればA4にするメリットがある、ということだ。A4というのはオフィスペーパーでも使われる、もっとも普及している紙の規格だといえる。ということは……


「A4サイズにすることでコストが落とせる」

「ぶー!」


 リョウコは口をとがらせ、憎たらしい声をあげてくすくす笑う。


「それじゃあ、パソコンでプリントできるようにだ」

「うーん、近いけれど違います!」

「じゃあ、正解は?」


 もったいぶったように「えー、もう正解発表するんですか?」と笑ったけれど、おれが手を広げて肩をすくめて見せると、リョウコはスマホを操作して、その画面をおれにむけた。そこにはなにやらアルファベットと数字の羅列が表示されている。特になにかの規則性があるようではなさそうだ。


「これはなにかのパスワード、もしくはID番号みたいなもの?」

「そうです。アキオさんはネットプリントというものをご存知ですか?」

「ネットプリント? インターネットでプリントができるってこと?」


 とりあえず言葉の意味で類推すればそうなる。どうやら正解だったらしく、リョウコは大きくうなずく。


「ネットプリントはインターネットサービスの一つで、ネットプリントに登録した写真のID番号を、コンビニの印刷端末に入力すると、そこでプリントできるというサービスなんです。実は、今回展示する作品のほとんどにこのネットプリント番号を表示するつもりなんです。つまり、気に入った作品があれば、全国のコンビニで自由に印刷ができるんです」

「それって、リョウコに手数料ははいるの?」


 おれの質問にリョウコは首を振った。


「料金は印刷代金だけで、手数料はありません。わたしの今回の目的は、この写真を販売することではないんです。この島の景色が、文化が、生き物がこんなにも素晴らしいんだって、全国の人に届けることなんです。写真展に来れない人にも、気に入った作品を手元に置いてもらえるようにする。そのためのA4サイズ写真なんです」


 そういって微笑むリョウコを見て、いつかマコトがおれにいった言葉が脳裏をよぎった。リョウコとおれが似ているかもしれない、とマコトはいっていた。マコトが似ているといったのはきっと、リョウコもおれと同じでずいぶんとお人よしだってことだ。

 そしておれはこのとき、なにがなんでも、この展示会を成功させなきゃいけないと決意をしたんだ。それがおれのすべきことだってはっきりと感じていたから。

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