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手紙

 スタジオでリョウコはおれに今度の展示会に出展する予定の写真をたくさん見せてくれた。青く光る穏やかな海、雨に煙る深い緑の森、躍動感溢れる島の生き物たち、そしてこの島の人々の穏やかな笑顔。そのどれもが、この島の魅力を最大限に引き出している最高の写真のように思え、おれは何度も感嘆のため息をこぼしていた。


「どうしてリョウコはこの島で写真を撮ろうと思ったの? もともとは東京に住んでいたんだろう? あのホームページの一番最初のページの言葉を借りるとするならば……」

「なにもかもを東京においてきてまで、ということ?」


 そういうと、リョウコは少しだけ翳のある表情を浮かべながらスタジオの窓の外、まるで季節感のない澄み渡った青空を見上げた。


「そうですね、まだ、だれも知らないこの島の魅力を伝えたかったから、かな。ここに移住する前、仕事で初めてこの島に来たときに、飛行機の窓から見えるこの島の景色に心を奪われたの。海も森も、川や畑や道路でさえ、わたしが見てきたものとなにひとつとして同じものじゃなかった。たった二、三時間、飛行機に乗るだけこんなにも美しい世界が広がっているんだって気づいたっていうか」


 そこまで一息にいうと、窓の外にむけていた視線の先をおれのほうへ移し、照れ笑いを浮かべてその澄んだ目を三日月のように曲げる。


「ううん。もっと単純に、まだ誰も撮ったことがないこの島の写真を撮りたいって、思ったのかも。わたし、案外負けず嫌いだから」

「おれはリョウコの撮る写真はどれもすごく独創的だと思うよ。それに、ポスターを見ても思ったけれど、リョウコはこの島の一番美しい瞬間を切り取る才能がある。まあ、素人のおれがいっても説得力もなにもあったものじゃないけれど」

「ううん、ありがとう。そういってもらえたら嬉しいな。わたし、実は以前、東京で報道カメラマンをしていたの」


 リョウコは手元にプリントアウトした写真を集めて、それらを一枚一枚確認するように仕分けをしながらいった。


「それってニュース番組とかの?」

「主に新聞です。でも、ある日、交通事故の現場に遭遇したんです。カメラマンにとってスクープ写真というのはなにがなんでも手に入れたいものだった。それでわたしはその事故現場にカメラをむけたんですけれど、その瞬間、わたしは今どうしてファインダーを必死に覗き込んでいるんだろうって思ってしまったの。現実には事故で今まさに生死の境をさまよっている人達がいる。一秒でも早く助けなくちゃいけないというときに、わたしはこのファインダー越しの世界でなにを伝えようとしているのか、それがわからなくなってしまって……この写真が世に出るときにはすべては過去の出来事になっているというのに……」

「それで、東京での報道カメラマンとしての生活をやめて、この島に来たってこと?」


 おれの問いかけにしばらく考え込んでから、まるで観念したときのように眉尻を下げてかすかに笑う。


「単に自分の仕事から逃げ出しただけ」

「じゃあ、おれと同じだな」


 おれの返事にリョウコはその涼しげな目を瞬かせた。


「おれも、アスナというパートナーを失ってReveとして活動ができなくなったことで、負け犬のように事務所やファンのみんなから逃げ出したんだ。それでも、この島はおれのことをちゃんと受け入れてくれた。そんなおれだから思うんだ。リョウコはいい選択をしたと思うよ」


 そういったおれに、リョウコはうっすらと瞳を潤ませて「やっぱり、アキオさんにお仕事をお願いしてよかった」と口の端を持ち上げた。


「とりあえず、今度の展示会でなにを手伝えばいいのか、もう少し詰めた打ち合わせをしようか?」

「はい。でもその前にひとつ、相談したいことがあるの」


 リョウコはすっと笑顔を引っ込めて真剣な表情を作ると、椅子を鳴らして席を立ちあがり、デスクの引き出しの中からなんの変哲もない茶色い長3サイズの封筒を取り出してそれをおれの前へと差し出した。表書きには印刷の文字で芳原涼子様とだけプリントがされてある。ただし、その封筒には切手が貼られていた形跡はない。


「中を見てもらえる?」


 リョウコが差し出したその茶封筒を受け取る。すでに封は一度切られており、中には印刷面が内側に来るように巻三つ折りになった紙が入っていた。その紙を取り出し、そっと三つ折りを開くと、そこには印刷された明朝体の文字で大きく『個展を中止しろ』とだけ書いてあった。はっとして顔をあげリョウコを見遣ると、彼女は困り顔で肩をすくめていた。


「これって、やっぱり脅迫状っぽいよね」

「いや……」


 もう一度その紙に視線を落としておれは小さく首を振る。不思議そうに首をかしげておれを見つめていたリョウコにむかっておれははっきりといった。


「脅迫状っぽいんじゃない。これは脅迫状だ」 


 リョウコののどがごくりと音を立てたのが聞こえた。おれはその脅迫状をもう一度じっくりの眺めてみる。個展を中止しろの文言以外には差出人も目的もなに一つ記載されていなかった。用紙はどこにでも売っていそうなA4サイズのコピー用紙で、ここからなにか手掛かりがつかめるかといわれれば、まずなにもつかめないと答えざるを得ない。


「これって郵便受けに入っていたの? それっていつ頃?」

「一週間ちょっとほど前、ちょうどクリスマスの時期だったと思う。市内に撮影の仕事にいったあと、戻ってきて自宅の郵便受けを覗いたらこれが入っていたの」


 クリスマス前ということは、おれがコウジからリョウコの仕事の依頼を受けたのとほぼ同時ということか。もしかしたらリョウコはおれに依頼をしたときにはすでにこの問題を抱えていたのかもしれない。コウジが「お前がいいんだよ」といった理由がなんとなく見えてきた。


「こういうことをする人物に心当たりはある?」

「どうでしょうか……この島に来たときには、多少厳しいことをいわれたことはあったけれど、今はほとんどそんなことはなくなったし……」

「ということは、犯人のアテはないということだな」


 リョウコはうなずいた。心なしか重たくなる胸の内を悟られないように「ところで、このことを警察には相談しているの?」と問いかけると、リョウコはふぅとため息をつきながら困惑した声をあげる。


「一応、相談はしたんだけど、明確な殺害予告というわけでもなかいし、一応警戒をしますということと、どうしても心配ならば今回の個展を延期してはどうかということだけで、なかなかちゃんと対応してもらえるところまでは……」

「そうか……」とおれの声のトーンも自然と下降線を描く。

 それでもまだすべての手がなくなったわけではない。おれはポケットからスマホを取り出すと電話帳を検索して、画面に地域部巡査のわたりわたるの番号を呼び出す。嘘みたいな名前だが、本人はこの名前を大いに気に入っているらしい。一度きけば決して忘れられないだろう? とはワタル本人の言葉だ。

 通話ボタンを押そうとしたところで、ふと思いとどまる。よく考えれば今は元日の朝だ。こんなときにおれの相談ごとを持ちかけるのも、それはそれで気が引ける。とはいえ、こんな相談ができるのはワタルのほかにはいない。おれは、心の中で一度だけ、すまんと頭を下げて電話番号をコールした。数回のコール音のあと『よう、アキオか』と、いつもの気楽な男の声が電話口に響く。正月早々の電話にむっとしている様子もなく、まずはほっと胸をなでおろす。


「あけましておめでとう、ワタル」

『珍しいな。ナン(お前)が正月の挨拶ばするちゃ初めてじゃや?』


 どうやらワタルにはおれのことは見透かされてしまっているようだった。おれは開き直ってワタルに今回の仕事のこれまでのいきさつを簡単に説明する。


『なるほどな。ただ、ナン(お前)ワン(おれ)の会社に対して働きかけをしてもらおうち考えとるなら、それは力になれんじゃろうな。事件性も低いし、せいぜい警戒を強化するという程度じゃ』

「やっぱりそうか。他になにかいい知恵はないか?」

『まあ、まずはその脅迫状をよこした犯人に犯行を思いとどまらせることじゃや。例えば展覧会を妨害できないように警備の人員を配置する。常に会場内に監視の目があれば、簡単には手を出しづらくなる。ナン(お前)の人脈をフルに活用すれば、ある程度の人員を確保することもできるんじゃないか』


 ワタルはいたって真面目に今回の問題への対応策を教えてくれる。こういう部分はやつが地域で信頼を得ている大きな理由なのだろう。ただ、ワタルの提案に気になる点がいくつかかるのも事実だった。


「ただ今回の犯人の動機がわからないんだ。個展を中止しろという文面だけだし、それを無視したとして相手がどんな手段に出てくるかすらわからないんだ。犯人が過激な思想持っているなら、危険を伴うことだって十分ありえるだろう?」

『まあな。ただ、過激思想を持っているなら、最初からもっと強硬な手段を使ってくるはずじゃ。とはいえ、相手の警告を無視すれば、途端に豹変する可能性はあるな』

「だとすれば誰かに警備を手伝ってもらうにもリスクがある」

『いや』と、ワタルはおれの言葉を遮った。

『もちろんリスクはあるが、ナン(お前)だって今までいろんなリスクを背負って、それでも無償タダで手伝ってきてやった。その程度の助けをナン(お前)が求めてもいいんじゃないか? なに、ナン(お前)はただ、ありのままに困ってるから助けてくれといえばいいんんど。やるかやらんかは相手が決めることじゃ。よし、それじゃあ練習じゃ』

「練習? なんの?」

ナン(お前)が、助けてくれという練習に決まっとる』


 おれは電話口で眉間を寄せながら「今おれがいうのか?」とワタルにいうと、さも当然だといわんばかりに『おう』と短い返事が返ってきた。おれは半ばあきれながら「来週の土曜日、人手が欲しいんだ。手伝ってくれないか?」と棒読みの台詞のようにいうと、ワタルは耳が痛くなるような大声で馬鹿笑いをした。やつに遊ばれたかと思いむっとした瞬間、ワタルがいった。


『おう、まかしとけ』


 まったく、素直に引き受けてくれればいいものを。と、胸の中では悪態をつきつつ、顔に熱がこみ上げるのを感じていたおれは、電話を手にしたままリョウコを一瞥して、なんとかなりそうだ、と目線で合図を送ってみせた。

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