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写真

 クリスマスイブを翌日に控えた祝日の午後。ジャケットのポケットに手を突っ込み、おれは事務所からもほど近いアーケード商店街をのんびりと散歩していた。豪華だとはいいがたいながらも、店先に飾り付けられたLEDのイルミネーションやクリスマスツリーなんかを眺めていると、もう今年もあと一週間もすれば終わってしまうのだ、と妙に感慨深くなってしまう。アーケード商店街のいたるところで『歳末大売出し!』と勢いのある文字で書かれた真っ赤なのぼりが、通りを抜ける穏やかな空気に揺れていた。

 太平洋と東シナ海。ふたつの海を前と後に抱えたこの島は、亜熱帯気候と呼ばれる温暖な地域にあたる。しかし、いわゆる常夏の南の島とは違い、この島では冬になるとそれなりに寒い日もある。大陸から吹き込む西風は、鋭利なガラス片のような冷気を抱いて吹き付けるため、とりわけ北西側の海に面する集落では風の強い日には厚手のコートや手袋が必要になるほどだ。そういうわけで、この島でも冬になると炬燵こたつが売れ筋商品の証といわんばかりに、ホームセンターの陳列コーナーのど真ん中をどっかりと陣取っているのが、島外出身者としては面白い。

 夏にはダイビングや海水浴客でにぎわう市内のホテルも冬場はどこか寂しげだ。年が明けて一週間もすれば通りに面したホテルのレストランからもすっかりひと気がなくなってしまう。

 けれど、この日はどこか商店街の中にも妙な浮ついた空気が漂っていた。というのも、この日の午後、ここから十五分ほど北へむかった新港に、巨大クルーズ船が接岸する予定だったからだ。クルーズ船は日本から台湾方面へとむかう旅行者が乗船しているのだが、その寄港地としてこの島が選ばれたらしい。

 南の島に冬場に来ても魅力がないんじゃないか、と思うかもしれないが、おれは冬は冬でこの島にもいろんな魅力があると思っている。

 まず山歩きがし易いことだ。夏はハブの危険を常に考えておく必要がある上に、あの容赦ない南国の日差しのせいで、どうにも山歩きは敬遠されがちだ。しかし、冬になるとハブの活動は鈍くなるため、そういった余計な心配はぐんと減る。おまけに、この島の冬の山にはマニアが垂涎して喜ぶような貴重な植物も少なくない。

 あとはやはり空の美しさだ。南の島といえばどこまでも続く紺碧の水平線に綿菓子のように積み上げられた白い雲というイメージがあるかもしれないが、実際はこの島は一年の半分以上が曇りか雨だ。冬にはどんよりと重い雲が空を埋め尽くす日も少なくないが、それでも湿度が低くからりと晴れた夜に空を見上げれば、吸い込まれてしまいそうなほど深い黒に散りばめられた宝石のような煌めきに、宇宙がこんなにも近くにあったんだって、きっとそう感じてもらえると思う。

 まあ、おれのこの拙い言葉でこの島の魅力をすべて伝えようというのは、正直いって無理な話だ。おれがどんなに言葉を積み上げたところで、たった一枚の写真の力には到底敵いそうもない。

 なんでいきなりそんな写真の話を持ち出したかっていうと、いまおれの目の前にあるポスターがあまりにも美しかったからだ。

 商店街の脇に設置された掲示板には商店会主催のクリスマスイベントや、年明けに文化ホールで開催される市民オーケストラの案内なんかと並んで張り出されているポスター。そこにはコバルトブルーとエメラルドグリーンの織りなす鮮やかな珊瑚の海が輝き、大きく湾曲した白い砂浜のすぐそばまでこんもりと泡立つような深い森が迫っている。織りあげた生地のような森の緑の向こうには、濃密な白を積み上げた入道雲が浮かぶ果てしない青空が水平線の彼方まで広がっていた。そのポスターのど真ん中には『世界自然遺産の登録へ』というキャッチコピーとともに、この島に残る貴重な動植物の保全活動を呼びかけた短いコメントが掲載されていた。

 吸い寄せられるようにそのポスターの前で足を止めて、四角く切り取られた鮮やかな島の景色に見とれていると、「素敵な写真ですよね」とおれの肩口から柔らかな声が響いた。振り返ると、そこにはほっそりとした体躯に南国らしからぬ白い素肌をした美女、おれの馴染みの店でもあるカフェあしびばの店長マコトの姿があった。いつもみたいに長い黒髪を大きなヘアクリップで留めている。その手にはぱんぱんに膨らんだエコバッグと黒いビニール袋を提げている。どうやら、この近所の店に買い出しに出かけていたらしい。


「こんにちは、アキオさん。お仕事ですか?」

「いや。今日は珍しく休みになったから、散歩がてら街の雰囲気を楽しんでたんだ」


 冬場にも関わらず、どこか陽だまりのような暖かさを含んだマコトの声に、おれの体温すらもじわりと上昇する。マコトがいればきっと暖房いらずだ。

 すると突然、マコトはエコバッグの中をまさぐり、ステンレスのボトルを取り出すとそれをおれのほうにさしむけた。


「よかったらコーヒー飲みますか? お店のものをいれてきたんです」


 普段からそんなモノを持ち歩いているのか? と、マコトのとった予想外なその行動にやや面食らいながらも、さすがにここで立ち飲みをするのもどうかと思い、おれは「あとで店に寄るからそのときにもらうよ」と手を振って断る。マコトは「じゃあ、お店でお待ちしてますね」と、少しだけ気まずそうな笑みを浮かべて、ふたたびボトルをエコバッグにしまった。


「それにしても、外でマコトと会うなんて珍しいな。今日は買い出しに行ってたの?」

「ええ。昨日から海が荒れて船が入港できなくて、それでいつもの仕入元からの納品が滞ってしまったものですから、ついスーパーで買い込んでしまいました」


 マコトのいうスーパーというのは、おそらく港通りに面した大型のショッピングセンターだろう。食料品のほかにも日用品や薬など生活必需品なら大抵のものがそろうし、大きな駐車場もあるのでおれも酒なんかの重いものを買うときはつい車でこのショッピングセンターまでいくのだ。


「じゃあ、今の時間お店は閉めてるの?」


 おれは何気なく時計に目を落とす。ランチタイムを過ぎたとはいえ、まだ日の高い祝日の午後で、カフェ利用は十分見込める時間だ。


「いえ、私が戻るまでヒメちゃんが留守番してくれてますから。彼女、ああ見えてしっかりしていますしお客様からも人気あるんですよ?」


 そういってマコトはふわりと笑う。ヒメコは以前におれが彼女の父親から依頼を受けて捜索したことがきっかけで、マコトの店で働くことになったアルバイトの女子高生だ。ちなみに、ヒメコは完全におれのことをなめきっているらしく、マコトの店でも顔をあわせるとしょっちゅういがみ合うのだが、そのたびにマコトがおれたちを仲良しだといって笑うのがどうにも気に入らない。


「ところでアキオさんはこのポスターを真剣にご覧になられてましたけれど……」

「いや、綺麗な写真だなって思って」


 おれがそういうと、マコトは誇らしげに「そうでしょう?」と慎ましい胸を張った。ジャケットからのぞく白いコットンシャツのしわがぴんと伸びる。

 

「その写真、リョウコちゃんって写真家が撮ったものなの。彼女も島外からこの島にやってきたのだけど、いまではこの島を代表する写真家の一人に数えられてるの。若いけれどすごく素敵な写真を撮る子でね、彼女は昔、少しの期間だけれど私のお店でアルバイトしてくれていたこともあるのよ」


 なるほど、どうりでマコトが嬉しそうな顔をするわけだ。一時期とはいえ、自分の店で働いていたことがある人ならば、マコトにとっては身内みたいなものだろう。そんな人が後に島で活躍するようになって、嬉しくないはずがない。

 それにしてもこのポスター、この島の魅力をもっともよく表現できている海、砂浜、森、空、その全てが見事に収められた写真だ。この写真を世界自然遺産登録の啓蒙活動に使うのもうなずける。

 おれがポスターに目を奪われていると、マコトは「それじゃあ、私はお店の準備があるので、これで」といって、その華奢な背中を揺らして歩き去ってしまった。もしかしたら、夢中でポスターに見とれているおれに気を遣ったのかもしれない。

 マコトの背中を見送ったおれは一人、アーケード商店街の真ん中で、忘れ去られた石像のようにポツンと佇みながら、もう一度そのポスターに目をやった。

 きっと誰が見ても「この島らしい美しい写真だ」って思うだろう。けれど、その写真を撮ったのはこの島出身のカメラマンではなく、島外から来た若手の写真家なのだ。おれも東京からこの島にやってきて数年経つが、なんでも屋なんてものをやっていると本当にいろんなこの島の魅力というものを肌で感じることがある。それは、何気ない日々の営みの中にこそあって、きっと多くの島人しまっちゅたちはそのことに気づいていないんだと思う。けれど、移住者であるおれたちだからこそそれを「この島らしく」描き出すことができるのかもしれない。そう思うとおれは途端にこのリョウコという写真家に対する興味がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。もし、会う機会があるならば一度話をしてみたいな。

 そんな感慨にふけっているときに限って、おれのスマホは呑気な着信音を響かせるのだ。そして、その呑気なメロディは市役所職員のコウジからのものだ。ヤツの持ち込む仕事ってのは本当にいつも面倒なことになることが多い。今回こそは無視してやろうかとも思うのだが、どういうわけかおれの体は素直に反応してスマホの着信ボタンをタップしていた。


『よう、どうだ最近は』

「年末だからな、あっちこっちで手伝いに駆り出されてるよ。いっておくけど、コウジの仕事がはいる隙間なんてないからな」


 おれは先制のジャブを一発お見舞いしてヤツの出方をうかがう。しかしコウジはそんなことを気にも留めずに飄々として言葉を継いだ。


『そういうなよ。今回は面白そうな仕事なんだって』

「なんだよ、面白そうな仕事ってのは?」


 おれがそういったところでヤツの声色が変わった。どこか余裕のあるもったいぶった声だった。


『けど、アキオは忙しいんだよなぁ。しょうがねえからこっちで何とかするかあ?』


 そういわれてしまうとその仕事ってのが気になる。だが、おれは今回は断ると決めたのだ。下手に内容をきいて心が動いたらおれの負けだ。それに、実際に年末年始のスケジュールはかなりタイトでヤツの依頼とはいえ、これ以上の仕事が入り込む余地なんてほとんどない。


「悪いな。また声かけてくれよ」

『ああ。そうするよ』


 そういってコウジが電話を切ろうとしたところで、ふとおれは例の写真家、リョウコのことを思い出し、コウジにも聞いてみることにした。世界自然遺産登録の広報ポスターなら市役所が一枚かんでることだってあり得るし、ヤツの交友関係はなかなか侮れないのだ。


「ところでコウジ、話は変わるんだけどさ、世界自然遺産登録の広報ポスターに使われている写真を撮ったリョウコっていう写真家を知っているか?」


 おれのその言葉に電話口に一瞬の間ができた。あれ、とおれが妙な違和感を覚えた瞬間、電話口にコウジのゲラゲラと笑う声が響いた。


『おう、今回の仕事の依頼主がそのヨシハラリョウコなんだけどな。どうする?』


 またもおれはコウジにしてやられた。いや、今回は墓穴を掘ったといったほうがいいのだろうか? とにかく、おれはヤツのその一言にぐっと奥歯を噛みしめながら、「で、いつどこの仕事だ?」とだけ答えた。電話口からヤツの笑い声がいつまでも聞こえていた。


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