1フレームの真実
翌週の土曜日。おれは本土にある県立陸上競技場へとやってきていた。それはもちろん、マコトの妹、ハルナの駅伝を応援するためだ。そして、当然ながらマコトも一緒だ。そう、おれとマコトの二人で島外に出かけているのだ。これはもう驚くべき事態だ。
結局、あの写真展でのマコトの心配していたようなことは、まったく起こらなかった。当然、ハルナは予定通りに駅伝大会の第一走者として出場することになっていた。
開会式前のウォーミングアップを各高校がフィールド内で行っている様子を、おれは正面スタンドの最前列で見ていた。
おれの真横にはマコトが並んで、おれと同じように観客席の手すりに身を預けながら、しばらく無言でその様子を眺めていたが、やがて、彼女はぼんやりとフィールドに視線を送ったままでぽつりとつぶやいた。
「どうして、アキオさんはあのときみんなに嘘をついてまでわたしのことをかばったりしたんですか?」
おれは一刻考えていう。
「あのとき、メンバーの中にはワタルがいただろう? あいつは曲がりなりにも警察官だ。あそこで事実を告げて万が一にもマコトが逮捕されることがあったら困ると思っただけだ」
「困る……どうしてですか?」
「毎朝コーヒーが飲めなくなる」
おれがそういうと、マコトは意外そうに大きく目を開くとすぐにくすくすと笑いだした。
「そんな小さな理由で、わたしをかばったんですか?」
「おれにとってみたら大問題だ」
おれが大げさに手を広げてアピールすると、マコトは柔らかに目を細めた。
「わたし、アキオさんのために毎日コーヒーを淹れてもいいと思ってますよ」
毎日コーヒーを、おれのために。それって……今まで通りだよな? 彼女の言葉に首をわずかに傾げる。ふたたびマコトは小さく肩を揺らして笑うと、すこしだけ真面目な表情でおれのほうをむいた。
「そうだとしても、どうしてアキオさんはわたしがリョウコちゃんを監禁したことを、ひとことも責めなかったんですか? 普通ならあんな卑怯なことをしたらみんな怒ると思います」
「おれは今回の事件では、リョウコが悪意の標的になっているとは思えなかったんだ。リョウコがこの島にきて駆け出しの頃にはずいぶん苦労もしたそうだ。きっと島外出身者に仕事を取られると思ったんだろうな。
もし、あの脅迫事件や監禁事件が彼女に対する反対勢力の仕業だったらおれは徹底的に戦ったかもしれない。でも、今回おれがこの事件から悪意を感じなかったのは、マコトがリョウコをあしびばに監禁したというまさにそのことだったんだ。もし悪意による事件ならば、リョウコが写真展を台無しにされて落ち込む姿を見たがるはずだ。でもマコトは見せたくなかったんだろ。あのシミだらけになった写真をリョウコに。だからあしびばに足止めしようとした、違うか?」
「ほかにやり方なんていくらでもあったのに……どうしてわたしは一番悪手を選んでしまったんでしょうね」
そうでもないかもしれない、とおれは思う。マコトとリョウコはほんの少しだけ気持ちのずれがあっただけで、お互いが強い思いで結ばれたもの同士だと、二人を見ていておれは感じていた。だからこそ、結果的にはマコトの思いはリョウコにもちゃんと届いたんだと思う。マコトは華々しい活躍をしていたリョウコに、ほんの少しだけ気後れしたに過ぎない。
と、そのときスタンドの下のほうから「お姉ちゃん!」と大きな声がおれたちのもとに届いた。見れば、トラック上でハルナが手を振っていた。いつもの彼女とは別人かと思えるほど、その顔には気力がみなぎっていて、もう走りたくてたまらないという気持ちが溢れまくっていた。
「ハルちゃん、頑張って!」
マコトも負けじと大声で返して手を振った。嬉しそうにうなずくハルナのそばに、今度は一人の女子生徒が近づいて声をかけた。
「ハルナ!」
「マリカ!」
マリカと呼ばれた彼女は、あのムカデ競争で足を負傷したという海晴北高校の選手だった。ハルナはマリカをみると少しだけ心配するような目をむける。
「マリカ、足はもう大丈夫?」
「うん全然平気。まあ、今日は結局控えだけどね。でも、あたしたち、南高にもほかの高校にも負けないよ! あたしが出れなくても、他の部員はあたしよりももっと速いんだから!」
自信たっぷりにマリカはいう。それを聞いたハルナは眼光をますます強めていい返した。
「私だって、この日のために必死に練習してきた。だから負けない。海晴北にも、ほかの高校にも」
ハルナがそういうと、マリカはハルナに右手を差し出した。
「あたし、次の大会ではほかのだれよりもいいタイムを出す。そして今度こそ、ハルナと勝負する」
ハルナはうなずいて、彼女の右手を握る。そして、どちらからともなく、相手の体を抱き強めのハグをして、お互いの健闘を称えあった。そのとき、グラウンドに軽やかなシャッター音が鳴り渡った。
カメラ係として南海大島高校の腕章をつけたリョウコが二人のハグをレンズに収めていたのだ。
この写真もいつかどこかで、だれかの目に触れることになるだろう。そのときおれはきっとこう思うはずだ。この写真の中にある真実の物語をおれはこの目で見たんだ、ってね。
やがて開会式が執りおこなわれた後、ハルナを含めた第一走者たちが点呼されてトラック上にならんだ。乳白色の薄い雲を通した日差しの中にスタートの号砲が高らかに鳴り響いた。
1フレームの真実 了