プロローグ
ティリリリリリリ、ティリリリリリリ、バタン。
俺はベッドから腕を伸ばして、目覚まし時計を叩く。
「ん~、うう~」
眠い。あと少しだけ寝かしてくれ。
俺は目覚まし時計を7時にセットしているが、大抵7時20分頃に起きることが多い。その約20分の間、ヒデの部屋には目覚ましの音が何度も響き渡るのである。
『ヒデ! 起きて下さい! 朝ですよ!』
俺を急かす幽霊の声が聞こえる。
「……今、何時?」
『7時26分です』
「っ! まじかっ」
ベッドから飛び降りる俺。
「あと5分っ!」
学校に間に合うためには7時31分の電車に乗らなければならない。
家から駅までは歩いて10分、走って3分。走ったとしても、着替えに1分を割くと……
「朝食をたった1分で食べないといけないっ」
急いで着替えて階段を降り、食卓につく。
「おはよう、ヒデ。今日は早いな」
お父さんが俺に気付き声をかける。
「ん? なんでお父さんがいるんだ?」
「お父さんは、いつもこの時間はまだ家にいるわよ」
お母さんが言う。
「7時1分?」
時計を確認する俺。
……まさか! 騙したのか!
『ヒュー、ヒュヒュー』
口を尖らせて、へたくそな口笛を吹く幽霊。
これは確信犯である。
「俺の貴重な睡眠時間を奪うとは、言語道断! そして、悪い子には罰を与えないとな」
『ヒュー、ヒュヒュー』
「だから今日一日、会話なし!」
『ヒューゥ? ……ちょっと! それはひどくないですか! ただの出来心なんです!』
抗議の声をあげる幽霊少女、リース。
リースは、俺以外には、何一つ現実に影響を与えられない。
つまり俺と話せないことは、リースにとって何よりも重い罰なのだ!
「少しは反省するんだな」
『ぐ、ぐう』
俺はゴクゴクとお茶を飲み、ズズズーと味噌汁を飲む。食卓には、4人家族全員が座ってご飯を食べている。
「とはいえ、こういう朝は新鮮でなんかいいな」
『――! そうでしょ、そうでしょ! わたしを褒めてください!』
「リースは反省して黙れ!」
『えー、でも時間がある朝は新鮮で良いんですよね? それに一日会話しなかったら、わたし悪霊になっちゃうかも、ですよ?』
「そうだからといっても、罰がなくなるわけじゃない」
『ヒデ~、それはズルくないですか?』
「何もズルいところはないだろ」
『いえ、ズルいですよ!』
「……」
『この人でなし!………………バカ! アホ! ドジ! マヌケェ!』
リースは俺を全力で罵りたいのだろうが、その小学生並みの語彙力では、人でなしという単語しか思いつかなかったようだ。
『しくしく』
「……」
『しくしく』
ちらちらとこちらを見ながら、嘘泣きするリース。
「はあ、仕方無いなあ」
『許してくれるんですか!』
「ああ。でも次こんなことをしたら、慈悲はないから」
『ありがとうございます! ヒデ! 大好きです!』
「ああ、俺に感謝しろよ」
『はい! 大感謝です!』
「ヒデ、いい加減そういうよく分からない独り言はやめなさい」
俺とリースの会話に割り込んで、お父さんが注意する。
「お父さん、これはお兄ちゃんの持ちネタなんだから、そう言ったらかわいそうだよ、ズズズー」
妹の真花が、フォローのようなものを入れた後、味噌汁を飲む。
「ヒデがこんな風なのは、子供のときからずっとだしねぇ……まあ、個性があって良いんじゃないかしら?」
「でもなぁ、やっぱり俺は止めさせるべきだと思うぞ」
幽霊リースの姿は俺にしか見えないし、その声も俺にしか聞こえない。
周りから見ると、かなり痛い人に見えることだろう。
……これは完全にリースのせいだぞ。
『心の中で会話しなかったヒデの責任でしょう』
幽霊はきっぱりと断言した。
――*――*――*――
時間があるので駅までの道を歩く。そんな俺の前で、リースはその白い髪を揺らしながら、雲が流れるようにゆったりと空を飛んでいる。
「いいよなあ。幽霊は楽で」
そんな非現実の光景を見ると、幽霊になってみたいと思ってしまう。
『しょうがないですね』
と言った幽霊は、アスファルトの地面に降りて俺の右隣を歩く。
その現実に戻ってきた姿はまるでコスプレ少女だ。腰に剣を下げて軽鎧を着て剣士の格好をしているリースは、どこかのアニメに出てきても不思議じゃない。
いや、胸がないからアニメに出てくることはないか。
『………………軽鎧に隠れているだけですよ』
リースは軽鎧の上から、胸を腕で隠す。
「その軽鎧を脱げば、胸があるかどうか分かるぞ」
『脱ぎませんよ。わたしはこの剣士姿に誇りを持っているんです』
「はぁ……でも、昔はたまに別の格好をしていただろ? なぜ今はずっと剣士の格好なんだ?」
『ヒデ、憶えているんですか?』
「いや、ほとんど憶えていない。小学4年生とかそのぐらいだろ? 確か」
『なら、良かったです』
家と駅のちょうど真ん中辺りにある、大通りの交差点についた俺たち2人は、赤信号を見て立ち止まる。この暑い初夏の朝方でも俺のように歩く人はいて、ぱっと見ただけでも10人はいる。
「リースが人間だった頃かあ……」
『……』
「剣士だったってことぐらいしか分からないんだよな」
リースは俺が聞いても、自分のことについてはほとんど何も教えてくれない。
俺が知っているのは、前世が剣士だったということだけだ。
『わたしの人生なんて、ヒデには関係ないですし……』
「そうか……」
『あ! 隣にいる女子高生がすごく可愛いですよ!』
強引な話題そらしをするリース。
やっぱり、前世では何か悲しいことがあったんだろう。だから、リースは話したくないんだ。でも、これからもずっと俺と一緒にいると思うし、話してくれてもいいと思う。ほら、話したほうが気が楽になることってあるじゃん?
まあ、でもリースが話したくないのなら、仕方無い。リースに付き合ってやるか。
えっと、隣にいる女子高生が可愛い、とか言っていたっけ?
俺は、自分の周りを確認する……ように見せかけて、ちらっとその女の子をみる。
『それ、女の子にチラ見したことバレてますよ』
その女子高生は、確かに可愛かった。
そしてエロかった。一瞬、胸と足に視線を彷徨わせたのは内緒だ。
『……そのことも女の子にはバレていますよ』
「いいんだよ! 見るのはただなんだから。
もし俺みたいな男の視線を気にするなら、自分自身が美少女に生まれたことを呪うんだな」
『なんかすごい考え方ですね。いえ、ヒデの考え方は知っているですが、改めてこう聞くと……やっぱり、やばいですね』
「大丈夫、日本ではこの発想は自然だ。リースは幽霊になる前の価値観に捕らわれているんじゃないか?」
『いえ、そんなことは……ない……はず?』
「そんなことあるぞ」
『……やっぱりおかしいですよ! わたしだって、日本で15年生きてきたんです! 騙されませんよ。
だって……』
リースは隣に立つ女子高生を見て、得意げになるリース。
『今のヒデの考え方、その女の子に聞かれちゃってて、その子ドン引きしてますから!』
「え?」
俺も、その女子高生を見る。口を半開きにして、流石に引くわっていう表情だ。
「ぐおおおおおお、やっちまった。俺完全に痛い子じゃん!」
そのとき信号が青に変わり、ピ、ピという音が聞こえてきた。
俺はそれに乗じて、横断歩道を走る。
『危ない! 避けてください!』
リースがなにか言うが俺は構わずに走り続ける。
逃げるように走る俺。穴があったら入りたい……
直後、巨大な質量を持ったトラックが突っ込んできた!
「え?」
俺は物凄い衝撃で何回もアスファルトの地面を転がりながら吹き飛ばされる。
全身が痛み、至るところから血を流しているのが分かる。
『ヒデ! ヒデ! ううう……ヒデ! ヒデエエ!』
それが俺、宮勝秀の最期だった。