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03:2月9日(月) (2)

   2


「はい、じゃあここまで。次の授業で小テストやるから忘れんなよ」


 鳴り響くチャイムをBGMに教師が締めくくり、教室を出て行った。ここまで、の言葉とともに教室内が一気に湧く。必死に息を止めていたところを解放されたかのような騒ぎだった。


 休み時間はどこの教室も似たようなものだ。四十五分以上ある昼休みとなれば尚更である。


 千草(ちぐさ)は廊下に近い、前から二番目の席に座っていた。両腕を前に出して伸びをする。授業を苦痛とは思わないが、終わるとやはりすっきりした気分になる。教科書を鞄の中へ滑らせて代わりに登校の途中で購入したおにぎりとペットボトルを取り出した。


井々城(いいしろ)


 前の席の男子が立ち上がった。机の向きをがたがたと変えながら尋ねる。


「今日、昼それだけ?」

「うん」


 その男子は机を千草の席へぴたりとつけ終えて、着席した。教室の席配置はフルネームによる出席番号順になっている。「井々城」の一つ前は浅川葱生(あさかわそうき)という。一つ前と言うべきか、正確に言うならば出席番号一番と二番である。二学年に上がって、出席番号が近いという理由で接点を持って以来、ずっと昼食を一緒に摂っている。そこに他の男子が加わることもあるが、彼らは部活動のメンバーと過ごすこともあり参加は不定期だ。今日はいない日であるらしい。


 千草のコンビニ食を見て、葱生は待ってましたとばかりに紙袋を掲げる。中身はあらかた検討がついた。案の定、中から出て来たのは手作りの菓子だった。プラスチック製の容器が机の上に置かれる。一つ。二つ。三つ。


 葱生が菓子作りを趣味にしているというのは既知のことだった。過去にも何度かそれを貰ったことはあったが、しかし。


「……何でこんなに作ってきたの」


 二人で食べきれる量では到底なかった。さらに言えば、千草は甘いものがあまり得意ではない。食べられることには食べられるが、砂糖のオンパレードに笑顔で乗り切れる自信はなかった。それを知っていながら、少しで良いから、と葱生はいつも味見を望んでくる。


「これがほうじ茶のクッキーで、こっちがフロランタン」


 千草の苦言をさらりと流して、友人は容器の蓋を取る。指で示した先には、セピア色をしたクッキーと、蜂蜜色に艶めいたアーモンドフロランタンが収まっていた。クッキーの方は猫や、潰れたような形のひよこ、さらになぜだか徳利の形に型抜かれている。


「で、こっちのタッパーがカヌレ。それから、井々城に一番食べてもらいたいやつ、抹茶の豆乳プリン。気持ち、甘さ控えめにした」


 カヌレと言われた焼き菓子は、マーガレットの花を上に引き伸ばしたような形をしていた。千草には馴染みがないが、洋菓子であることは間違いないだろう。それにしてもほうじ茶やら抹茶やら、和洋気にせず、作りたいがままに作ったという様子のラインナップ、そして量である。机の上があっという間に埋まってしまった。


「今週の土曜さ、バレンタインだろ」

「うん。……うん?」


 千草は葱生の差し出したプリンのカップをしっかりと受け取って手元に控えた。しかしさすがにデザートだけを昼食にする気はない。一応友人の身として全ての菓子を味見するつもりではあったが、糖分を中和するものを胃に入れなければ耐えられそうになかった。おにぎりのフィルムを剥がしながら相槌を打つ。


「バレンタインと葱生の何が関係あるの? 逆チョコでもする?」


 何の邪気もなく千草が言うと、


「貰う予定も逆チョコもしないけどさ……」


 肩を落としながら葱生が答える。さらに続けた。


「これ、この土日に作った試作品なんだ。バレンタインが近いからスーパーは製菓材料を推すし本屋はレシピ本を推すし、まあ、純粋に作ってみたかったっていうのはあるんだけど。好評だったら次の土日に、祖母のところに持って行こうと思ってる」


 この話をよそから聞いたなら何と祖母孝行かと感じ入る人もいるかもしれないが、聞くところによれば友人の祖母は旅館を経営しているらしく、そこの長期滞在客たちに会いに行っているというのもあるようだ。父方、母方の祖父母がともに一般家庭である千草からは想像もつかないが、要するに今回の菓子は、バレンタイン本番の大量生産のための練習と味見であるらしかった。この友人は、菓子作りや料理の話をしているときが一番いきいきしているように思う。


 海苔の乾いたおにぎりを口へ放り込み、お茶で流し込む。

 続いて、貰った抹茶のプリンへ手をつける。ご丁寧に使い捨てのスプーンまで添えてあった。緑色に揺れるプリンを舌先に乗せる。滑らかに喉の奥へ滑り落ちて行った。甘すぎず、抹茶の苦味も少し感じられてちょうど良い。


「美味しい」

「良かった。冷蔵庫占拠して作った甲斐があった」


 千草の賛辞に嬉しそうに笑って、葱生は自身もクッキーを口に放り込んだ。さくり、と砕ける音が聞こえる。


「……あとさ、猫ってクッキー食べれると思う?」


 どうやらこのクッキーを猫にもあげる予定でいるらしい。小麦やバターを猫が食べても大丈夫か、といった知識は千草にはない。猫に猫の形のクッキーを食べさせるのは共食いに当たらないのだろうか、などと考えつつまたプリンを掬った。


 二人が菓子を摘み始めると、様子を伺っていたクラスメイト達が近寄ってくる。葱生が菓子を作って学校に持ってくることはクラスに知れ渡っており、プロ並みの味とはけして言わないまでも、食後のデザートは誰だって欲しい。これだけあれば少しくらいは貰えるのではないか、という思惑がよく見えた。じりじりとにじり寄るクラスメイト達に向けて、作った本人ではなく、千草が容器を差し出す。


「どうぞ」


 その一言に、わあっと歓声が上がる。容器は男女関わらず回されて空になった。あっという間の出来事だった。


「やっぱ午後も頑張るためには糖分って大事だと思う」

「浅川君、去年はバレンタイン当日にお菓子持ってきて女子に目の敵にされてたんだよね」

「あ、このカヌレ美味しい!」

「これを頻繁に食べてる井々城とか冬見は幸せもんだよなー」


 口々に言いながら、クラスメイト達は千草と葱生の席に、お礼の言葉と飴やらチョコレートやらをばらばらと置いていった。代金ということらしい。その後は何事もなかったかのように、それぞれの集団で和やかに雑談を繰り広げていた。


「嵐のようだったな……」


 自分たちの分をキープしておいて良かった、としみじみと思いながら友人は苦笑し、千草は笑った。



葱生は「ほおずきの宿 あやかし見聞録」(http://ncode.syosetu.com/n9860cf/)からの友情出演です。

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