05:2月14日(土) (1)
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駅前を歩く二人組の姿があった。背丈は同じ、顔立ちも同じ。仲が良さそうに土曜日の街を歩いていく二人を、時おり、とは言いがたいほどの頻度で人々が振り返っていく。
千草と千尋だった。
千草はダッフルコート、千尋はモッズコートを羽織っている。
まず一目を引くのは、千尋の髪色だった。金に染められているのである。
ショーウィンドウに映り込んだ自身を見て、千尋が髪に手をやる。
「これ、金色に染める意味あったのかな。暗めの茶髪の人は沢山いるよね……?」
髪を染めている人間は少なくないが、金髪になると些か珍しくなる。道行く人は何気なく千尋の金髪を見、そしてその隣の千草ととてもよく似ているのに気付いて再度見比べるといったことをしているようだった。視線が千尋に突き刺さるのももっともである。
「そのくらいすれば、どれだけ顔が似てても髪の方に目が行くかと思ってさ」
千草は弁解した。千尋は前髪を摘みながら、仕方ないか、と吐息を零す。
昨日、千尋が学校から帰宅した後、千草は実験と称して二つのことを試した。
まずは遥の姿から千草の姿へ戻るとき。握手をするという形で、千尋が千草に触れることになったのだが。千草は唐突に、持っていたマッキーの蓋を取った。きゅぽん、と音が鳴る。どうするのだろうという疑問の目を前に、千草はそれを自身の手へと向けた。左手の甲へ直接ペン先をつける。そして描かれたのは、絵文字のような、シンプルな芽のイラストだった。
「はい。実験」
軽い口調で言いながら、千草は千尋へ手を差し出す。つられるようにして千尋も手を伸ばし、二人が握手をすると、かしゃん、音がする。
その瞬間、千尋は服装をそのままに、中身を千草のものに変えた。
「どう?」
もはや驚いた様子もなく、千草は手の甲を見せる。千尋が確認すれば、千尋の手にも同じように芽のイラストが残っていた。
「そっか。インクもコピーできるんだ」
ドッペルゲンガーは接触した人間の容姿をコピーする。しかし身につけている衣服は変わらない。ならば皮膚につけたインクはどうか。その疑問を解消するための実験だった。結果は「可能」だ。千尋はその実験に意味があるのかと言わんばかりの、不思議そうな表情をしていた。
続いて二つ目、これは千草にとって先ほどのものよりも実験要素は薄かったが、千尋の髪を染めてみることにした。千草は千尋が学校へ行っている間にドラッグストアへ行き、市販のヘアカラーを購入してきたのだった。店頭には茶色をはじめ様々な色が並んでいたが、最終的に手に取ったのは明るい金色だった。それを選んだ理由は、「自分が一番しなさそうだから」だ。優等生で通っているらしい自分が、突然髪を金に染めると思う人はいないだろう。それをあえてやってみせることで、千尋のことを目撃されても身内、あるいは他人の空似だと言い張ることができる。金髪のイメージと千草のイメージの遠さから、千尋の髪を染めれば、顔立ちも体格も全く同じ二人が並んでも平気なのではないかと考えたのだった。
そして試してみたところ、千尋の髪は見事に染まった。脱色剤を使用してからヘアカラーリング剤を用いたのだが、千草が驚くくらいはっきりと明るく染まってしまったのだった。鏡の前に立った千尋は、これまでに見せたことのないような衝撃的な顔をした。千草の目論見としては成功したのだが。
千尋は気分を害したとまでは言わないものの、人の視線に落ち着かなさそうな様子だった。
「そろそろ着くよ」
千草はあえて横断歩道の先を指差す。看板は見えなかったが、事前に調べたところ目的の店はその雑居ビルに入っているのだった。
気を取り直した千尋をつれて、二人が入ったのはカフェだった。
パンケーキをメインメニューとしているカフェである。インターネットで検索をかけたところ、一番上に出て来たのがここだった。
予約をしている旨を伝えると、すんなりと席に通される。列に並んでいる数組を横目に店内へ入った。
店内は可愛らしい内装だった。壁や棚にはちょこちょこと絵や雑貨が飾られていて、テーブルにはクロスが敷かれている。椅子の形は一つ一つ違っていて、一人がけのソファも多く置かれていた。席はほとんど埋まっていて、若い女性やカップルばかりが目につく。千草一人、あるいは男友達といるときには選ばないだろう店の雰囲気だった。そもそも千草は比較的敷居の低い、手軽なチェーン店にもほとんど入らない。
千草は席に一つ置いてあったメニュー表を開いて、千尋に渡した。写真とカラフルな文字が躍っている。人気ナンバーワン、ベリー&ホイップクリームのパンケーキ。続いてキャラメルナッツ。バナナ&チョコレート。どれも丸く焼いたパンケーキの上に、生クリームや果物が綺麗に盛り付けられている。華やかな写真に千尋は目を輝かせた。
「頼んでいいの?」
「うん」
思わず笑いながら千草は頷く。店まで来てそれで終わり、では無常にも程があるだろう。
千尋は一段と表情を明るくして、食い入るようにメニューを見つめる。
食べられる、しかし栄養補給の必要がない、ドッペルゲンガーという存在。千尋は千草の家にいる間、千草から渡せば食物を口にしたが、三食きちんと食事を摂りたいなどということは全く言わなかった。それが、パンケーキを食べたいという願望が出てくるとは。食事の必要がないからこそ、いっそう興味が湧くのかもしれない。
店員が水のグラスを持ってきて、「注文が決まりましたらお知らせください」と爽やかな笑顔で言い残していった。
「どうしよう、どれも美味しそう……。決められない」
嬉しいのか困っているのか、両方が混ざったような様子で千尋が言う。
「どれとどれで迷ってるの?」
「ベリーとホイップクリームか、ハニークリームチーズ。ああでも、キャラメルナッツも美味しそうだし、この小倉ホイップっていうのも美味しそう」
「せめて二つまで絞って……」
うぅ、と嘆く千尋を見守りつつ、千草はグラスに口をつける。そこから長い時間をかけて、千尋は何とか候補を二つまで絞ってみせた。
「じゃあそれ頼もうか」
「え、千草は?」
「俺が一つ食べれば、千尋が二種類食べれるでしょ」
店員を呼んで、千尋の選んだパンケーキ二つを注文する。待つこと二十分ほど、届けられたニ皿は非常にきらきらとしていた。焼きたてのやわらかな香りが鼻腔に届く。ひとまず、一皿ずつ自分の前へ持っていく。黄金色に焼けた分厚いパンケーキの中央に君臨しているのは高さのあるホイップクリーム。その周りを苺、ブルーべリー、フランボワーズ、といった赤や紺の果物が取り囲んでいる。その傍らに小さな器が添えられていた。中には艶めいたメープルシロップが入っている。もう一皿は、白いクリームチーズの上に蜂蜜がきらきらとした斜線を描いている。さらに細かく刻んだクルミが散りばめられていた。千尋は二種類のパンケーキを前にして、喜びを隠し切れない様子だった。
「いただきます!」
「どうぞ。俺もいただきます」
千尋は慣れない様子でナイフを動かし、口へ入れる。
「……っ」
至福の極みだという笑顔だった。作り手に見せれば、さぞや喜んでくれるだろうと思われた。
千草は思わず、自身の口元に手を遣る。同じ顔なのにああも口角が上がるらしい。
「ホットケーキ」は家で食べたことがあったが、「パンケーキ」を外で注文するのは初めてだった。綺麗に焼かれたパンケーキは、予想よりも厚みがあった。その上に贅沢に甘味が重ねがけされている。一口はふんわりとしていたが、全てを食べれば意外と量がありそうだった。華やかで乙女心をくすぐる食べ物は、別に軽食というわけではなかったようだ。
美味しい。美味しいけれど、自分には甘すぎる。
ネットで検索をかけた時点で薄々気付いていたことではあったが、もともと甘味をそれほど欲しない千草にとっては許容量を超えている食べ物だった。食べられないわけではないし、美味しいとは思うが四分の一程度で十分だ。
「千尋、半分とか気にせず、好きに食べて良いよ」
「良いの!」
パンケーキに乗った果物よりも輝いた顔で、千尋は途切れることなくパンケーキを口に運んでいった。時おりメープルシロップをかけたり、クリームと果物の組み合わせを試したりしながら、嬉しそうな表情を保ったまま食べ進めていく。
「パンケーキなんてどこで知ったんだ?」
千尋のくれたブルーベリーを摘みつつ、千草は問う。
「あのね」
千尋はすっかりナイフの扱いも板についた様子で、パンケーキを切り分ける。ちなみに一口分はだいぶ大きかった。
「お嬢様と一緒に観た映画に、出てきたの。それから、森さんの知識の中にも。つい最近食べに行ったみたいだった。知識の中にだけあったものを、実際に食べられて幸せ。美味しい」
ありがとう、と千尋は続ける。
千尋は二人分のパンケーキを、苦もなく食べてみせた。もしかすると、食事の必要のないドッペルゲンガーには満腹という概念がないのかもしれない。内心、千草は驚いていた。自ら「食べて良いよ」と提案したものの、一枚でもお腹がいっぱいになりそうな代物をまさか二枚近く食べるとは思わなかった。
「ごちそうさまでした」
皿を二枚とも綺麗に空にして、二人揃って両手を合わせる。一息ついて、二人は席を立った。
「じゃあ、次行こうか?」
レジへ向かい、会計を済ませて店を出る。
彼らは気づかなかったが、何組かの客が、目でずっとその背中を追っていた。
「ね」
向かいに座る友人をつつくようにして、一人の女性が囁く。
「あそこに座ってた双子、すっごく仲良さそうだったね」
「うん。男同士でパンケーキってハードル高そうなのにね」
「金髪の方が弟かなあ」
小声ながらテンション高く、その二人はしばらく抱え込んでいた思いを共有し合っていた。千草と千尋のことを気に留めていたのは、その二人だけではなかった。さざめくようにあれほどに似ている双子を見る機会もなかなかないのか、良い話題提供になったようだ。
他愛のない雑談は、緩やかに床へと落ちていく。それにピアノの音が心地よく混ざり合って、土曜の穏やかな午後を生み出していた。