開幕
キャンプ終了後、俺は首脳陣に呼び出されブルペン行きを告げられた。
「君の成績は想像以上だった。出来れば君を先発で使いたかったが、我々の決断を理解して欲しい」
俺と先発枠を争っていたのはエリックとカンポスだった。彼ら二人は努力を重ねて成績を残し、見事にローテを勝ち取り先発4・5番手を任されることとなった。俺が先発に回れなかったのは少々残念だが、ブルペンで頻繁に登板する機会が得られたらフォームのさらなる改良ができるかもしれない。
俺はそう前向きに解釈してブルペン行きを承諾した。ブルペンで開幕を迎えるのは11年ぶりだった。
開幕戦、チームは同地区のテキサスと激突した。テキサスは去年劇的な逆転地区優勝を達成しており、その勢いのまま俺たちを倒すだろうというのがマスコミの予想であった。
しかし、俺たちはそのテキサスを見事スイープ。これをきっかけにチームは好調を維持し、4月は絶好調で勝率も6割をキープしていた。もちろんチームは2位に6ゲーム差をつけ地区首位であった。
俺のほうも久々の中継ぎ登板に上手く順応し、先発が打ち込まれた試合や大きく点数差をつけた試合のロングリリーフを中心として8試合に登板。防御率は2点台後半に抑えることができた。
フォームを完全に物にしたシーズン4試合目の登板以降、俺の調子は安定している。コントロールが乱れて球が浮いてしまうと痛打されるが、スピードを犠牲にコントロールとキレを取り戻した球で打者を丁寧に打ち取るコツを俺はつかんだのだ。左打者にはカッター、右打者にはチェンジアップを交えながら低めのシンカーでゴロを打たせ、変化球を待つ打者の目を直球でくらませる。
二桁奪三振を奪い大歓声を浴びながら降板しなくても、今の俺は投手の楽しみを感じられた。
しかし5月に入るとチームは一転して不調に陥る。
カンポスとクローザーのベラスケスが大きく調子を落とし、打線も怪我人が出て勢いを失ってしまったことによりチームは連敗を繰り返してしまう。
8日には2位と1ゲーム差になってしまい、完全に皆が失速を意識してしまう。打線はその後持ち直すも今度は投手陣が踏ん張れず、ついに首位から陥落。しばしば炎上する先発陣と毎日のようにぼや騒ぎを起こす救援陣を目の当たりにした首脳陣は、何かしらの変化を生み出すことを強いられた。
そこで首脳陣はカンポスをリリーフに回し、ついに俺を先発として起用することを決断する。先発起用を告げられた俺は意気揚々として登板日を待った。
一方、カンポスはリリーフに回されてしょげかえっていた。
150キロを超える速球とスライダーで押しまくる投球をする彼は先発としては球種が少なく、俺は変化球を何か増やすように助言したが、不器用なのかカッターもチェンジアップも習得しきれなかった。
「そうだな、今年はいっその事クローザーを目指したらどうだ?それぐらいの勢いで結果を残せば、先発に戻れるはずさ」
俺は落ち込むカンポスにそう告げ、彼に新たな希望を見いだしてもらおうとした。