始動
俺に声をかけてきたのは若い白人の選手だった。彼もまたキャンプ入り直前に身体を動かしておきたかったのだろう。ただ、チームメイトとなる選手をあらかじめ調べていなかったせいで名前までは分からなかった。
「はじめまして、僕はエリック・シールズです。あの、アレックス・グティエレスさんですよね?」
「そうだ。俺の呼び名はアレックスでいいよ」
「よろしくお願いします。初対面で失礼かも知れないですけど、実は頼み事があるんです」
エリック・シールズという名前は聞いたことがある。確か今24歳の将来有望とされる投手だ。以前プロスペクトランキングの上位にいるのを見たような気がするのだが。
「実は僕の弟があなたのファンなんです。よかったらサインを貰いたいんですが」
「全然かまわないさ。ただ書くものがないからまず宿舎に戻ろう」
拍子抜けだった。サインなんて時間とサインペンさえあればどこにでもかける。宿舎に戻り一つサインを書いて渡すと大いに喜んでエリックは去って行った。成績が落ちた最近はサインを書く機会も減ってしまったが、サインを渡して喜ぶ姿を見るのは好きだった。
ふと、少年の頃にパナマ出身のメジャーリーガーのサインを貰った事を思い出した。カッターを武器に抑えとして長く活躍した彼はパナマのヒーローであり、野球少年の憧れだった。彼にサインを貰った時の俺も、きっと大はしゃぎしていたのだろう。
キャンプが始まる前日、俺は投手コーチ、監督と一度面談した。
監督曰く、今のチームはここ数年の低迷期にドラフトやトレードで集めていた才能ある若手選手が今にもブレイクしようとしているらしく、再建の過程で放出してしまったベテランを補強して優勝を狙うらしい。
こういう若いチームは勢いに乗ると止まらないが、反面浮き足立ったり連敗がちになって雰囲気が沈み始めたりすると一気に低迷してしまう。そういった際にチームに安定感をもたらすべく獲得されたのが俺とジョージというわけだ。
「アレックス、お前には先発4,5番手もしくはロングリリーフを頼むことになるだろう」
投手コーチは俺にこう告げた。
おそらく先発ローテ当落線上のヤツがチームに数人いるのだろう。そしてサバイバルにはじき出されたヤツがリリーフ行きかマイナー落ちという訳だ。中でも俺はマイナーオプションが無い以上、キャンプから飛ばして結果を出さないと即刻解雇されるに違いない。俺の年俸の殆どをレッドソックスが負担している以上、俺を解雇してもこのチームに金銭的な損害は殆ど無いのだから。
俺は久方ぶりの重圧を一晩中しっかり味わって、キャンプインを迎えることとなった。




