86 グニラエフ立石群 脱出
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帰り支度は簡単だ。
隠していた荷物を背負うだけ。
一日も滞在していたので、最深部の記録は既に取ってある。
マルスが用意してくれた荷物の中にカメラまで入っていたのだから驚いた。
おかげで壁画を複写する手間が省けた。
「もう大丈夫?」
「ああ。問題ない」
リィナも傷は治っているし、衝撃も抜けたようだ。
さすがにキュイはまだ出せないようだけど、帰りの道のりぐらいは歩けるとの事。
「亡者も襲ってこないのだろう?」
「うん。試練さえクリアすれば対象外だって」
石の扉の件があるから油断はできないけど、まあ、獣人族の性格を考えれば騙し討ちみたいな真似はしないだろう。
昨日の夜から続いた雨もいつの間にかやんでいた。
ぬかるんだ足元は少し歩きづらいけど、気を付けていれば転ぶ心配もない。
「カルロ。あいつらをそのままにしていいのか?(見逃せば後で襲ってくるぞ?)」
リィナが第三皇子と取り巻きたちを睨んでいる。
皇族についての感情を捨てたとしても、命を奪われそうになったのだから当然だろうと思ったけど、どうやら俺の身を案じてくれているようだ。
「うん。大丈夫だよ、たぶんね」
俺の想像通りなら、物騒な手段に訴える必要はない。
視界に入れないように彼らの脇を無言で通り過ぎようとして、足を止めた。
途方に暮れたように座り込むヴィンセント。
俺の視線に気づいたのか、今までのような敵愾心のない目を向けてきた。
彼に連想して思い出す言葉がある。
『おっぱい、もむ?』
「もまねえよ!」
「なんだ!? もむ? 何をだ?」
思わず叫んでしまった。
隣のリィナが変なものを見るような目で見てくる。
まったくもって変人の挙動だったから文句も言えない。
「ああ、ちょっと思い出しちゃってね。気にしないで」
「そうか。妙な言動は控えた方がいいぞ(疲れているんだな。無理はするなよ)」
気遣われてしまった。
割と本気で心配しているぞ、これ。
「ふう」
深呼吸をして思考に戻る。
あー、くそ。
もしかして、あの一言。インパクトのある言葉を使って、いざという時に思い出すように仕向けたのか?
だとしたら、あのミリムはとんだくわせものだ。
ヴィンセントを助けてほしいと頼まれた。
俺はそれを断っている。
こいつを助ける義理はない。
入学試験の確執もあるし、リィナを追い詰めた連中の一員なのだ。
たとえ、ここに置き去りにして、目覚めたディアロスの癇癪で殺されたとしても自業自得だろう。
「……決まりだな」
考えるまでもない。
最初から結論は出ていた。
「さっさと帰ろう」
「ああ。だが、それは?」
訝しげなリィナの視線の先。
そこには俺のロープによって手足を縛られて、猿ぐつわされたヴィンセントの姿がある。
担ぐ気にもなれないからそのまま引きずって運ばせてもらうよ。
さすがに無反応とはいかないのか、身をよじって暴れているけど、びくともしないだろ。
七層の竜卵のロープを力任せに千切れるのなんてティレアさんみたいな本物の化け物だけだからね。
まったく。頼まれた事を思い出さなければ、見捨てられたのになあ。
「あー、おみやげ?」
「ほう。誰への土産だ?」
そこに食いつきますか、リィナさん。
まあ、隠す事でもないから話しておくか。
「申請を出しに行った時にディアロスに絡まれてね。その時に、ミリムっていうヴィンセントの従者から頼まれたんだよ。助けてほしいって」
「あの双子の従者の娘の方か。ふん。恩を仇で返されなければいいがな!」
どうして不機嫌になるんだよ。
足を止めたリィナはヴィンセントを冷たく見下ろす。
「ヴィンセント・ロクトル。試験の時、カルロの服を貶した事を謝罪しろ」
まだ忘れてなかったんだ。
まあ、俺としても謝罪ぐらいしてもらいたい。
「んんー! んんんんんんんんっ!」
「強情な奴だ。カルロ、やっぱり置いていけ」
「いや、何を言ってるかわからないでしょ」
まあ、雰囲気から否定的なのは伝わってきたけど。
ミリムのお願いと、リィナの機嫌、どっちを優先するかといったら後者なのだけど、後味が悪くなるのも嫌だからなあ。
助ける意味がないわけでもないし、少しだけ説得してみようか。
「なあ、ヴィンセント。俺はミリムにお前を助けるように頼まれた。なんでもするからってね。そこまで言わせて、主人として恥ずかしくないのか?」
「んんんんんんんんんんっ!」
挑発に激しく反応してくる。
助けなんていらない。
置いていけ。
そんな感じだろうか。
そんな声は無視して、俺は膝をついて、ヴィンセントの耳元で囁く。
「ここに残ったらお前は死ぬ」
暴れていたヴィンセントが固まる。
俺が冗談で言っていないと理解できたようだ。
そう伝わるように言ってある。
「お前が死んだらあの二人はどうなる? 俺を逆恨みして襲ってくるか? そうなったら俺は容赦しないぞ?」
「んんんっ!」
そんな事はぼくがさせない、あたりか?
俺の竜砲を見た後でよく言った。
勝算なんてないだろうけど、その意気だけは買ってやる。
「なら、どうするか考えて選べ。俺はリィナの機嫌を損ねてまでお前を助けるつもりはないからな」
長い沈黙の末にヴィンセントは首を縦に振った。
口を塞いでいた猿ぐつわを緩めてみる。
「カルロ・メリヤ。貴様の服を貶した事、撤回する」
「俺にだけ?」
「……リィナ・セルツ。貴様への言葉も撤回する」
「ふん。いいだろう」
この辺りが妥協点かな。
ヴィンセントとしては二次試験で勝つための布石として挑発しただけで、本心だったとも限らないしね。
あとは迷路引き回しの刑で許してやろう。
「さあ、行こうか!」
「貴様! ぼくは歩けんぐんんんんんっ!」
うるさい奴には猿ぐつわ。
壊れたままの石の扉を超える。
儂の腸砕きを受けた四人はまだ倒れたままか。
どうやら気絶してしまったようだけど、亡者に襲われなかったのは運が良かったね。
「まあ、それもディアロス次第だけどね」
「なんの事だ?」
「ああ。あいつらがどうなるかについてね。さっき、放っておいてもいいって言ったのも関係しているんだけど……その前に一応確認しとこうか」
引きずっているヴィンセントを見下ろす。
「第三皇子なんて奴が自ら未解遺跡に挑んだんだ。よっぽど後がなかったんじゃない? 例の一部で流れている噂。ディアロスも知ってたんじゃないの?」
目を瞠るヴィンセント。
実にわかりやすい。
だから、歩きながら一方的に話し続ける。
「大方、グニラエフ立石群の強制治癒を独占して、それを使って立ち回ろうとしたんじゃないかな」
「ふん。手に入れたところで使いこなせるとは思えないな(あれは危険すぎる)」
「同感。まあ、未解遺跡を突破する能力があるってアピールしたかったのかもしれないけど」
それだってリィナの後を追いかけて迷路を抜けたのだ。
実力が伴わなければ、延命できる時間は僅かだろう。
「とにかく、そんなディアロスが目を覚ますとするでしょ。そしたらどうすると思う?」
「それは決まっている。強制治癒の力を手に入れようとするだろう」
「だね。ちなみに、中心で浮いてた翡翠色の宝石。あれがその力の元ね」
壁画を読み解いたらしっかり記されていた。
元は別の場所にあったらしいんだけど、不思議な力を持っていたらしい。
あの宝石に近づくと傷が癒えるのだとか。
古代獣人族はその宝石を自分たちの施設に持ち込み、利用していたのだ。
「何を悠長に構えている。すぐに引き返して運び出さなければ手柄を奪われるぞ(カルロが第一発見者だ。君が手に入れるべき名誉だろう)」
「無理だよ。あれは」
「――っ!」
来た道を戻ろうとするリィナの手を取って止めたら、リィナに手を振り払われて距離を取られてしまった。
えー、ちょっと傷つくんだけど、親友。
「む、無理とはなんだ!(諦めるな)」
「いや、あれね。ただ回復させるだけの宝石じゃないから」
世の中、そんなうまい話があるものか。
強力な力には必ず代償が付いて回る。
古代獣人族の壁画に描かれていた。
運び出そうと持ち上げた宝石。
その下には夥しい数の死骸が転がっていたそうだ。
「強制治癒の力は食虫植物の蜜みたいなものなんだ。治癒を頼って近づいた生物を少しずつ亡者にして操るためのね。あの宝石はそんな亡者に他の獲物を襲わせている」
「………」
「殺された獲物や、力尽きた亡者がどうなると思う?」
答えを聞く前に床を蹴った。
数百年と侵入者を阻み、殺めた未解遺跡の大地。
雨にぬかるんだ地面が、俺には血だまりにしか見えなかった。
「地の底に飲み込まれて、宝石の下に集められる。どんな力が働いているんだか判明していないみたいだけどね」
「それで、どうなるんだ?」
俺が何を言いたいのか答えは想像できているのだろう。
リィナの顔色が悪い。
ヴィンセントも蒼白になっている。
「あれを動かそうとすると、どうなる?」
「古代獣人族は数万の遺骸に襲われたそうだよ。その時は、獣身供犠の秘法――エスクリスク聖殿の地下で戦ったあいつみたいな勇者を使ってなんとか乗り切ったそうだけど、百体が生贄になったって話」
自然と俺たちの視線は既に見えなくなった最深部に向けられた。
もしも、目覚めたディアロスが壁画を調べて、真実に気付いて帰るならいい。
これからの事を考えると色々と厄介だけど、第三皇子をこの手で殺めてしまうリスクよりは許容できる。
けど、ろくに調べもせずに宝石に手を出したとしたら。
その時、ディアロスは数百年に及ぶ殺戮の歴史と戦う事になる。
「ヴィンセント。お前は俺たちとは別々に脱出するんだ。ちゃんと証言をしてくれよ」
先に俺たちが脱出して、グニラエフ立石群の真相を伝えるけど、平民の俺やリィナだけでは説得力が弱い。
だけど、貴族のヴィンセントが第三皇子の末路を語れば、信じざるを得ない。
少なくとも頭ごなしに否定はされないと思う。
「まあ、俺も平和な解決になるのを願っているけどね」
「そう、だな……」
片親とはいえ血の繋がった兄の行く末にリィナは沈痛な表情をしていた。
そのまま俺たちは無言で迷路を歩き続け、その日の夜には脱出を果たした。
ずっと待っていたマルスにまとめて抱きしめられて、寮の皆に祝福されて、学習院もグニラエフ立石群の最深部到達に湧きあがった。
その夜、グニラエフ立石群の中心部から空に向かって黒い砲撃が何度も放たれ、やがて途絶えるのを俺とリィナは黙って見届けたのだった。
これで第三章終了です。
次回からまた間章に入ります。




