33 理想の環境
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待て。慌てるな。
俺の希望的観測が混じっているから、ちゃんと確かめよう。
「ヴィオラ、とりあえず、そこに座って」
「はい。失礼いたします」
立ちっぱなしだったヴィオラを対面のソファに座らせる。
従者が、とか言い始めそうなので、最初から命令口調だ。
その間に頭の中で聞きたい事を整理して、一度お茶で唇を湿らせてから切り出した。
「確認したいんだけど、この部屋の宝物庫にあった物も俺が使っていいの?」
「もちろんです。ご主人様の御随意に」
今はヴィオラが閉めてしまったようだけど、部屋のギミックで隠し部屋があった。
前回はちらりと見ただけだったけど、備え付けの棚には金の装飾品や宝石、一見すると用途の知れない物まで色々と並んでいたのを覚えている。
もしも、売ったとしたらかなり高値で取引されそうだった。
中には歴史的な価値のある物が含まれているだろうから、儂としては売り払うなんて反対みたいだけど、売る先が然るべき場所なら許容できるようだ。
正直、考古学者というよりは盗掘者みたいだけど、割り切らせてもらう。
当時の大聖堂の人間の心情を思うと心苦しいけど、この世界では職業として成り立っているのだ。
俺と儂の目的のため、そして、孤児院の生活のためにも、お金は必要だった。
「じゃあ、もうひとつ。ちょっと気になったんだけど、この大聖堂の出入り口ってさ、他にも色々とあったりしない?」
大聖堂でシャンテを助けた後、儂がちょっと考えていた事だ。
このシェロカミン大聖堂は規模が大きい。
いや、大きすぎる。
エタニモ礼拝堂から出入りする人数なら、こんな規模は必要ない。
だから、大聖堂にあった左右の扉の先にも魔法陣があり、各所から訪れるようになっていたのでは、なんて推論だ。
ただ根拠としては弱かったので、真剣に検討はしなかったのだが、状況が変わった。
前回と今回のヴィオラの言葉。
たしか、帰還の魔法陣を発動させる前に『ご主人様の入場地点を調査』とか『帰還地点の調査』と言っていた。
それにさっきも『エタニモ礼拝堂近辺の転移地点からは全てこちらに運ばれます』とも。
つまり、それはエタニモ礼拝堂以外にも、転移のためのポイントがあるという事を意味しているのでは?
期待を表に出さないように心掛けて、ヴィオラの返事を待つ。
いや、あからさまに期待して見せたら、この子できなくてもできますとか言ってしまいそうだから。
「どうかな?」
「ご賢察です。ご主人様のおっしゃる通り、シェロカミン大聖堂は登録した地点との行き来が可能です」
心の中でガッツポーズ。
だけど、まだ。
肝心なところを聞いていない。
「それって、どれぐらい、いや、どの辺りにあるの?」
これがテールの町の近郊とか、テールの街があるフォクシス州だけじゃあ意味がない。
もしも、これが俺の思った通りなら最高だぞ。
まずい。段々、期待を隠せなくなってきた。
「少々お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「?」
ヴィオラはおもむろに立ち上がると、執務室の棚から何かを持って来た。
テーブルに並べられたのは大きな紙とペン。
何事かと思いながらも見守っていると、ヴィオラは紙にどんどん絵図を描き始めた。
まずは大枠のように円が描かれ、その次に描き込まれたこれは見覚えが……ああ。ヴィオラは地図を描こうとしているのか。
巡廻授業でノルト神父に見せてもらった大陸図と似ている。
って、これはすごいな……。
何がすごいかって完成度が高い。
ノンストップのフリーハンドで描いているのに、俺の記憶にある地図と同じかそれ以上の詳細な情報が描き込まれているのだ。
山や森や低地などは濃淡で分けられ、大きな都市だけでなく、有名な場所にまで名前が記されいた。
ものの十分で完成させたヴィオラは、最後にいくつかのポイントに星印を足して、ようやく顔を上げた。
「大聖堂で把握している八百年前の地図です。星印の付いた地点が転移ポイントとなっております。基本的には当時の魔族居住区域が中心ですが、いくつか戦略上の重要拠点にもございます」
ああ、そうか。
八百年も経っているんだから、地名を言っても伝わらないもんな。
それでわざわざ地図にしてくれたのか。
「ありがとう。すごいわかりやすいよ」
「恐縮です」
ヴィオラの後ろにわっさわっさと揺れるしっぽの幻が見えるぞ。
彼女が本当に犬だったら、なでまわして褒めてあげているところだ。いや、やったら喜ばれそうだけど、ただでさえ妙な噂が広がっているんだから自重しよう。
うん。でも、これは本当にありがたい。
ざっと見た感じでも竜帝大陸中にポイントがある。
これならどこに行くにしても、通常の旅程を大幅に短縮できるはずだ。
おまけに国境だって無視できる。
「じゃあ、これと今の地図を比較すれば……」
「申し訳ありません、ご主人様。この中には転移ポイントが有効でない場合もあるかと……」
それは、そうか。
八百年だもんな。
テールの町の辺りだって、昔は獣人の国エタニモがあったのに、今となっては礼拝堂しか残っていないんだもんな。
それこそ地形が変わって、土の下に埋もれているとか、海や湖の底とかだとどうしようもない。
「じゃあ、無事なポイントはどれかわかる?」
「聖域での調査が必要になります。お時間を三日ほどいただけますでしょうか?」
「お願い。すぐにでも始めて」
「承知いたしました」
ヴィオラは目をつぶって、小声で呟き始めた。
どうやらここからでも指示は出せるようだ。
あ、それならついでにもうひとつ試してみたい。
「ヴィオラ、作業中にごめん。俺の人族協力者っていう立場を変える事ってできる? その、もっと上の方に」
これはダメもとでのお願いだ。
今は俺が色々と権限を持っているらしいけど、本当に重要な施設の権限まで部外者に易々と譲渡できる仕様にしてはしていないだろう。
しかし、ヴィオラは真剣な表情で頷いた。
ちょっと真剣過ぎるぐらいに。
「ご主人様の御心のままに。全霊を以って万難排し、必ずやシェロカミン大聖堂の全てをご主人様に奉げてみせます」
これ、従者じゃないでしょ。
忠臣、でもないな。狂信者って言うんじゃない? 自分の命をなげうちそうなんだけど。
「重い重い重い! そこまで無理しなくていいから!」
「いえ、無理ではありません。ご主人様の意向の前に無理などあってはならないのです。規約の隙と、現状への特例を利用すれば不可能ではない、ようにします」
おいおい。不安だぞ。特に最後の一言。
ヴィオラ、命令ってものを重視しているとは思っていたけど、本来の所属に対する裏切り行為まで許容してしまうのか。
けど、本当に無理じゃないなら頼んでおきたいのも本当だ。
ティレアさんから魔族の侵攻を教えてもらっている。
彼らがかつての重要拠点を復活させようと動く可能性だって少ないながらある。その時のために手は打っておきたい。
きっと、この大聖堂は俺にとって生命線になる。
だからこそ、しっかりと足場を固めておかないと。
「じゃあ、本当に無茶はしないって約束してね。ヴィオラが動けなくなるとかはダメ。それとやばい事になりそうなら、その前に報告する事。いいね、命令だよ?」
「承知いたしました。従者へのお心遣い感謝いたします」
命令しておけば大丈夫、だと思う。
後は俺も忘れずに様子を見ておこう。
しかし、これならイケそうだ。
移動できる場所の確認は必要だけど、俺が抱えていた問題がふたつまとめて解決できそうだ。
古代学習院への入学。
そのための資金は大聖堂の財宝を売却したら稼げる。
それに入学した後でも、ここを使って行き来すれば家族とも頻繁に会えるじゃないか。
家族を大切にしたい俺。
冒険したい儂。
これなら二人が納得できるな。




